ボリショイ・バレエ『明るい小川』(2)
詳細は後日、とか書いといて、いつまでも書かないですみません。みんな仕事がわるいんです。なにせ師走ですから・・・。
12月9日のボリショイ・バレエ公演『明るい小川』、正月を越えたら脳内から消えてしまいそうな気がするので、そうならないうちに感想を書いておきます。といってもメモ程度のことしか書けませんが。
まず、舞台がソ連時代のコーカサス地方にあるコルホーズ(集団農場)というのが懐かしかったです。そういえば、ソフホーズ(国営農場)というのもありましたな~。両方とも社会の教科書に出てきましたっけ。
作品名の『明るい小川』とは、物語の舞台であるコルホーズの名前だそうです。
幕が開くと、白黒の内幕がかかっています。中央には大きなハンマーと鎌が描かれ、またもや懐かしいソ連の国旗を思い出させます。その周囲にはキリル文字(ロシア文字)でなにか書いてあります。いかにもソ連~!!!という感じです。
コルホーズの人々の衣装は、女性は明るい色の花柄のワンピースを着て、頭を布で覆っており、男性は地味なシャツにズボンを穿いています。どこか安っぽくて垢抜けない衣装で、いかにも昔の社会主義国家という感じでした。また、コサック・ダンスの衣装みたいな毛皮の民族衣装を着た高地の住人たち、軍服風の作業着を着たクバンの作業員たちなども、ソ連時代を想起させます。
ですが、これらの衣装、そして舞台装置や小道具などは、昔のソ連を忠実に再現したというよりは、おそらくソ連時代の雰囲気や面影は残しつつも、現代風にアレンジしたであろうと思われます。ダサさ、安っぽさ、垢抜けなさは、プロパガンダ用に描かれた大きな看板の絵みたいな、キッチュな魅力を持っておりました。
物語は他愛なく、よその美女にちょっかいを出そうとする夫を、妻がその美女に変装してとっちめ、夫は改心して妻の許しを請い、夫と妻は仲直りをする、というものです。ヨハン・シュトラウスの『こうもり』みたいなストーリーです。また、一農婦に過ぎないはずだった妻が実は天才的なバレリーナだった、という設定は、『オン・ユア・トウズ』をはじめとする、アメリカの古いミュージカルを思わせます。
すべては、コーカサスのコルホーズ『明るい小川』に、モスクワから芸術慰問団がやって来たことから始まります。
バレリーナ役のマリーヤ・アレクサンドロワは、襟、リボン、ベルト部分が黒い、セーラー服風デザインのおしゃれな白のワンピースを着て、髪はおでこを出したショート・カット、耳にはイヤリングをつけ、きれいに化粧しています。アレクサンドロワはやっぱり華やかな美女だな~、とあらためて思いました。
そのパートナーであるバレエ・ダンサー役はセルゲイ・フィーリンでした。苔色のスーツにブーツを履き、ベレー帽をかぶっています。意外にスレンダーで線の細い人だったので少し驚きました。(第二幕でチュチュを着たらそうじゃなくなりましたが)。しかも小顔ですべすべのきれいなお肌をしていて、本当に引退するような年齢なのだろうか、と不思議でした。
『明るい小川』で働く農業技師のピョートル役はアンドレイ・メルクーリエフ、その妻のジーナ役はエカテリーナ・クリサノワでした。
アレクサンドロワ演ずるバレリーナとクリサノワ演ずるジーナは、実はバレエ学校での同級生だった、という設定で、アレクサンドロワとクリサノワが一緒に並んで同じ振りで踊るシーンがありました。この踊りというのが、複雑な動きで回ったり跳んだりと、みるからに難しそうな技がてんこもりでした。
並んで踊っているので、アレクサンドロワとクリサノワの踊りの違いがなんとなく分かりました。クリサノワは華奢な体つきで、手足も長くてほっそりしており、腕の動かし方は柔らかくて繊細です。
対してアレクサンドロワは、身体能力とテクニックではクリサノワを凌駕しているようでした。また、アレクサンドロワとクリサノワが踊っていて、どちらに自然に目が向くかというと、やはりアレクサンドロワでした。存在感とかオーラとかいう点でも、アレクサンドロワは抜きんでているように思いました。
ただ、クリサノワのグラン・フェッテは、私の理想のグラン・フェッテです。片脚を真横に上げて、膝から下もほぼ床と水平になるまで高く上げるのです。クリサノワのグラン・フェッテは本当に美しいです。
コルホーズの人々による群舞もすばらしかったです。アレクセイ・ラトマンスキーの振付はいいですね。男性陣が一斉に開脚ジャンプして舞台を横切ると、次には女性陣が同じように一斉に開脚ジャンプして舞台を横切ります。男性陣、女性陣ともに側転までやったので驚きました。パワフルで、しかもキレがよく美しかったです。
バレリーナ(アレクサンドロワ)とバレエ・ダンサー(フィーリン)の踊りも流麗の一言に尽きました。特に、フィーリンがアレクサンドロワを軽々とリフトして、自分の肩や頭上で振り回すのがスムーズできれいでした。特に驚いたのが、フィーリンがアレクサンドロワの体を床すれすれの高さのまま、いつまでも振り回し続けたことです。1分近くは振り回してたんじゃないでしょうか。その間、アレクサンドロワの体はまったく下がりませんでした。
フィーリンはソロも踊りましたが、非常に軽々飄々と踊っていました。空中に高く跳び上がって、その瞬間に両足を打ちつけたり、軽く跳んで両足を小刻みに交差させたり、ダイナミックな安定した回転を続けたり、こんなに踊れるのにどうして引退する(した)のかしら、とやはり不思議に思いました。
クバンの作業員たちと高地の住人たちの踊りは、足首を曲げてかかとを地面につけ、脚を外側に開いて大きくジャンプする、という勇壮なものでした。が、その踊りの最後で、いきなりアレクサンドロワが男たちの踊りの輪に乱入(笑)し、豪快な開脚ジャンプで舞台を一周したのには圧倒されました。最後までパワーが少しも落ちません。アレクサンドロワは本当にすごい、とあらためて思い知らされました。
ジーナの夫、ピョートルはバレリーナにすっかり夢中になってしまいます。ジーナは悲しみますが、バレリーナは自分にそんな気はない、とジーナの誤解を解きます。
ピョートル、そしてバレリーナ、バレエ・ダンサーとの浮気をそれぞれたくらんでいる別荘の老夫婦(アレクセイ・ロパレーヴィチ、アナスタシア・ヴィノクール)をこらしめるための策謀に、バレエ・ダンサー、品質検査官(アレクサンドル・ペトゥホーフ)、女子学生のガーリャ(アナスタシア・スタシケーヴィチ)、トラクター運転手(イワン・プラーズニコフ)たちも加わり、一緒に策を練ります。
このへんの流れを表すマイムはとても分かりやすかったです。ラトマンスキーのマイムは明快でいいな、と感じました。
12月9日のボリショイ・バレエ公演『明るい小川』、正月を越えたら脳内から消えてしまいそうな気がするので、そうならないうちに感想を書いておきます。といってもメモ程度のことしか書けませんが。
まず、舞台がソ連時代のコーカサス地方にあるコルホーズ(集団農場)というのが懐かしかったです。そういえば、ソフホーズ(国営農場)というのもありましたな~。両方とも社会の教科書に出てきましたっけ。
作品名の『明るい小川』とは、物語の舞台であるコルホーズの名前だそうです。
幕が開くと、白黒の内幕がかかっています。中央には大きなハンマーと鎌が描かれ、またもや懐かしいソ連の国旗を思い出させます。その周囲にはキリル文字(ロシア文字)でなにか書いてあります。いかにもソ連~!!!という感じです。
コルホーズの人々の衣装は、女性は明るい色の花柄のワンピースを着て、頭を布で覆っており、男性は地味なシャツにズボンを穿いています。どこか安っぽくて垢抜けない衣装で、いかにも昔の社会主義国家という感じでした。また、コサック・ダンスの衣装みたいな毛皮の民族衣装を着た高地の住人たち、軍服風の作業着を着たクバンの作業員たちなども、ソ連時代を想起させます。
ですが、これらの衣装、そして舞台装置や小道具などは、昔のソ連を忠実に再現したというよりは、おそらくソ連時代の雰囲気や面影は残しつつも、現代風にアレンジしたであろうと思われます。ダサさ、安っぽさ、垢抜けなさは、プロパガンダ用に描かれた大きな看板の絵みたいな、キッチュな魅力を持っておりました。
物語は他愛なく、よその美女にちょっかいを出そうとする夫を、妻がその美女に変装してとっちめ、夫は改心して妻の許しを請い、夫と妻は仲直りをする、というものです。ヨハン・シュトラウスの『こうもり』みたいなストーリーです。また、一農婦に過ぎないはずだった妻が実は天才的なバレリーナだった、という設定は、『オン・ユア・トウズ』をはじめとする、アメリカの古いミュージカルを思わせます。
すべては、コーカサスのコルホーズ『明るい小川』に、モスクワから芸術慰問団がやって来たことから始まります。
バレリーナ役のマリーヤ・アレクサンドロワは、襟、リボン、ベルト部分が黒い、セーラー服風デザインのおしゃれな白のワンピースを着て、髪はおでこを出したショート・カット、耳にはイヤリングをつけ、きれいに化粧しています。アレクサンドロワはやっぱり華やかな美女だな~、とあらためて思いました。
そのパートナーであるバレエ・ダンサー役はセルゲイ・フィーリンでした。苔色のスーツにブーツを履き、ベレー帽をかぶっています。意外にスレンダーで線の細い人だったので少し驚きました。(第二幕でチュチュを着たらそうじゃなくなりましたが)。しかも小顔ですべすべのきれいなお肌をしていて、本当に引退するような年齢なのだろうか、と不思議でした。
『明るい小川』で働く農業技師のピョートル役はアンドレイ・メルクーリエフ、その妻のジーナ役はエカテリーナ・クリサノワでした。
アレクサンドロワ演ずるバレリーナとクリサノワ演ずるジーナは、実はバレエ学校での同級生だった、という設定で、アレクサンドロワとクリサノワが一緒に並んで同じ振りで踊るシーンがありました。この踊りというのが、複雑な動きで回ったり跳んだりと、みるからに難しそうな技がてんこもりでした。
並んで踊っているので、アレクサンドロワとクリサノワの踊りの違いがなんとなく分かりました。クリサノワは華奢な体つきで、手足も長くてほっそりしており、腕の動かし方は柔らかくて繊細です。
対してアレクサンドロワは、身体能力とテクニックではクリサノワを凌駕しているようでした。また、アレクサンドロワとクリサノワが踊っていて、どちらに自然に目が向くかというと、やはりアレクサンドロワでした。存在感とかオーラとかいう点でも、アレクサンドロワは抜きんでているように思いました。
ただ、クリサノワのグラン・フェッテは、私の理想のグラン・フェッテです。片脚を真横に上げて、膝から下もほぼ床と水平になるまで高く上げるのです。クリサノワのグラン・フェッテは本当に美しいです。
コルホーズの人々による群舞もすばらしかったです。アレクセイ・ラトマンスキーの振付はいいですね。男性陣が一斉に開脚ジャンプして舞台を横切ると、次には女性陣が同じように一斉に開脚ジャンプして舞台を横切ります。男性陣、女性陣ともに側転までやったので驚きました。パワフルで、しかもキレがよく美しかったです。
バレリーナ(アレクサンドロワ)とバレエ・ダンサー(フィーリン)の踊りも流麗の一言に尽きました。特に、フィーリンがアレクサンドロワを軽々とリフトして、自分の肩や頭上で振り回すのがスムーズできれいでした。特に驚いたのが、フィーリンがアレクサンドロワの体を床すれすれの高さのまま、いつまでも振り回し続けたことです。1分近くは振り回してたんじゃないでしょうか。その間、アレクサンドロワの体はまったく下がりませんでした。
フィーリンはソロも踊りましたが、非常に軽々飄々と踊っていました。空中に高く跳び上がって、その瞬間に両足を打ちつけたり、軽く跳んで両足を小刻みに交差させたり、ダイナミックな安定した回転を続けたり、こんなに踊れるのにどうして引退する(した)のかしら、とやはり不思議に思いました。
クバンの作業員たちと高地の住人たちの踊りは、足首を曲げてかかとを地面につけ、脚を外側に開いて大きくジャンプする、という勇壮なものでした。が、その踊りの最後で、いきなりアレクサンドロワが男たちの踊りの輪に乱入(笑)し、豪快な開脚ジャンプで舞台を一周したのには圧倒されました。最後までパワーが少しも落ちません。アレクサンドロワは本当にすごい、とあらためて思い知らされました。
ジーナの夫、ピョートルはバレリーナにすっかり夢中になってしまいます。ジーナは悲しみますが、バレリーナは自分にそんな気はない、とジーナの誤解を解きます。
ピョートル、そしてバレリーナ、バレエ・ダンサーとの浮気をそれぞれたくらんでいる別荘の老夫婦(アレクセイ・ロパレーヴィチ、アナスタシア・ヴィノクール)をこらしめるための策謀に、バレエ・ダンサー、品質検査官(アレクサンドル・ペトゥホーフ)、女子学生のガーリャ(アナスタシア・スタシケーヴィチ)、トラクター運転手(イワン・プラーズニコフ)たちも加わり、一緒に策を練ります。
このへんの流れを表すマイムはとても分かりやすかったです。ラトマンスキーのマイムは明快でいいな、と感じました。