冬至の前に

  昔の中国にはこんな考え方がありました。冬至の次の日から「陽」の気が徐々に強まっていき、夏至にいたって「陽」の気は極盛となる。夏至の次の日から今度は「陰」の気が徐々に強まっていき、冬至にいたって「陰」の気は極盛となる。そして冬至明けからまた「陽」の気が強まっていき・・・という具合に循環を繰り返すというのです。

  このような考えに基づいて、昔の中国では、死刑は必ず冬至の前に執行されました。死刑は「陰」(すなわち「死」の本質)の勢力が強いときに行なわれるべきで、「陽」(すなわち「生」の本質)の勢力が強いときに死刑を行なうのは「不祥」である、と考えられたのです。

  日本は、実は古代中国のこうした「陰陽」思想の影響を強く受けていて、現在もひょっとしたらそうなのではないか、と疑っていました。テレビのニュースによると、今日、3人の服役囚の死刑が執行されたそうです。やっぱりそうなのかな?と思いました。

  鳩山邦夫法務大臣は、自分の職責を忠実に果たしました。現在の日本が死刑制度を有している以上、法務大臣は自らの職務をまっとうすべきだと私は思います。以前、死刑反対論者である政治家が法務大臣になり、「自分が在任している間に死刑は執行しない」とほざいたことがありました。私は「だったら最初から法務大臣なんか引き受けるな」と思いました。大臣の地位は欲しい、でも汚れ仕事はしたくない、という偽善的なずるさを感じました。

  私個人は、死刑制度を支持しています。他人の生きる権利を奪うのは、自分の生きる権利を放棄するのと同じである、と考えます。

  ここ数日、私は冬至を直前にした今の時季独特の、黄色い渇いた日ざし、音のない奇妙な静けさを強く感じています。これが「死」を内包する「陰」の支配する世界なのでしょうか。
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