京都幕末ロマンの旅-1(壬生寺)
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つっても、たった半日だけだったんですが。しかも、もう3ヶ月以上も前の話なんです。ただ興味深く感じたことがいくつかあったので、完全に忘れないうちに書いときます。
5月末のある日曜日、京都は最高温度34~35℃という予報が出ていました。関西出身の友人たちから、「こんな日に外歩きをするの!?熱中症にならないよう本当に気をつけて」と念入りに注意を受けました。でも私は「いくらなんでもまだ5月や6月で熱中症はないでしょ」と甘く考えていました。
ところが、マジでクソ暑かったです。日射しが強い、湿度が高い、道路からきつい熱気が立ち昇ってくる、関東でいえば梅雨が明けてからの真夏の暑さのようでした。友人たちの忠告に従って日傘を持ってきてよかったです。
ガイドブックを熟読して立てた今回の「幕末ロマンの旅」プランは、
壬生寺→新選組屯所跡・八木邸→新選組屯所跡・旧前川邸→光縁寺(新選組菩提寺)→昼飯→幕末維新ミュージアム 霊山歴史館→京都市役所近くの和菓子屋→池田屋騒動之址→坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地→京都駅構内みやげ物コーナー
でした。一目瞭然ですが、「幕末ロマン」といいつつ、実は「新選組関連の史跡をたどろう」っちゅ~ことですな。
そうそう、京都に行く前、大きめの書店に行って、京都のガイドブックをいくつか手に取って見てみました。京都のガイドブックの内容は、どの出版社が出しているものもみな一緒でした。神社仏閣や史跡の案内が非常に少なく、内容の大部分はショップ、レストラン、カフェ、雑貨、小物、そしてスイーツの紹介。
また、驚いたことに地図があまり掲載されていないガイドブックも多かったです。これはどうしたわけでしょう。町屋カフェや抹茶スイーツや和雑貨なんぞどうでもいいんで、史跡をもっと紹介して、詳細で大きな地図を載せてほしいものです。
結局、悩んだ末に買ったのは、地図専門の出版社が出しているガイドブック。京都の各エリアの詳細な地図を載せているのが売りらしいんだけど、地図によっては、北が上になっていないものがありました。本を開いて右が北、左が南、という形式でした。あとで気づいたことには、これは本を縦にして地図を見るための形式なんでしょうが、「地図は上が北」と思い込んでいた私は、歩いていてかなり混乱しました。
1.壬生寺
京都駅前からバスに乗り、四条通にある壬生寺道バス停で降ります。バスにはたった10数分しか乗らなかったと思います。それからは徒歩で坊城通を南進し、京福嵐山線の踏み切りを渡ったらすぐに着きました。バス停からものの5分くらいです。壬生寺に行く途中に、旧前川邸と八木邸の前を通り過ぎました。壬生寺、旧前川邸、八木邸は超隣近所だったのです。
新選組関係の本にはよく「京都郊外の壬生村」とか書いてあります。それがあっけなくすぐに着いたので驚きました。しかも、あたりは住宅や低層マンション・アパートがびっしり立ち並んでおり、「郊外の村」というイメージとはかけ離れています。壬生寺道バス停がある四条通は広い道ですし、すぐ近くの四条大宮は賑やかな繁華街です。
でも、壬生寺一帯は非常に静かで、車の通りはおろか、人通りもめったにありませんでした。昼前にして気温はかなり上昇し、上からは強烈な日光が射し、下の路面からはものすごい熱気が襲ってきます。
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壬生寺は境内がかなり大きかったです。現在は本堂以外にこれといった建物は残っておらず、本堂も昭和45年に再建されたものです。新選組はこの壬生寺の境内で、大砲などを使った大規模な軍事訓練を行なったそうで、現代の私でも広いと感じるほどの大きさですから、さもありなんと思いました。また、境内では若い隊士たちがひなたぼっこをしたり、かの沖田総司が子どもたちと遊んだりしたそうです。ああ、ロマンだわ。
壬生寺の門を入って右に大きな池があり、その池には中州があります。中州には「壬生塚」という名前が付いています。壬生寺の境内には無料で入れますが、壬生塚の観覧料は100円です。壬生塚には近藤勇の胸像・遺髪塔、芹沢鴨と平山五郎の墓、河合耆三郎の墓、他七名の隊士の合葬墓などが建てられています。ただし、芹沢鴨と平山五郎の合葬墓の本来の墓石は欠損が激しくなったため、原型どおりに作られた新しい墓石に変えられているそうです。
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(左が芹沢鴨と平山五郎の墓石。右が野口健司他6名の墓石。暗殺、切腹、戦死、戦闘が原因の傷病死など、みな非業の死を遂げた。)
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(河合耆三郎の墓石。会計方だったが横領の罪に問われて斬首された。横領の真偽は今もって不明。やはり無残な亡くなり方をした人物。)
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(近藤勇の胸像。現存する写真を基に作ったのでしょう。まげに注目。「総髪の大たぶさ」ってこうなってるんですね。)
壬生塚には他に、三橋美智也の歌碑「あヽ新選組」があります。壬生塚に入って真っ先に目に飛び込んでくるのがこの歌碑です。「あヽ新選組」って(笑)。申し訳ないですが笑ってしまいました。また、近藤勇の胸像の横には絵馬をかける棚があって、絵馬がずらりと並んでいました。
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(伊藤、卓球強くなったか?)
壬生塚にある新選組隊士たちの墓三基は、もとは「壬生墓地」という壬生村の共同墓地にありました。子母澤寛が昭和三年(1928年)に取材した折には、まだこの三基は壬生墓地内にあったようです(子母澤寛『新選組遺聞』壬生屋敷)。いつ壬生寺の敷地内に移されたのかは不明です。
実は、私は当初、壬生寺に新選組隊士たちの墓があることをまったく疑問に思わなかったのです。「壬生寺は新選組にゆかりのある寺だから、新選組隊士たちの墓があって当たり前」と思ってました。でも、新選組隊士たちの墓だけが壬生墓地から壬生寺に移されたことについては、この直後に面白い話を聞くことができました。それで、いきなり話が飛躍しますが、「幕末」はまだ終わっていないのだなあ、としみじみ感じたわけです。
(続く)
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