草の根日中交流


  11月の『雨に唄えば』日本公演で、ある日の公演終了後に出待ちをしたときのこと。

  出待ちの列に並んでたら、20代初めくらいの東洋人の女の子がいきなり英語で話しかけてきた。「あなたがたはここで何をしているの?」 彼女の見た目は完全に日本人と変わらないので驚いた。

  「アダム・クーパーが出てくるのを待っているの」と答えると、彼女も目的は同じだったらしい。「ここで待っていればいいのね?」と言い、同じように列に並んだ。外国人の彼女は勝手が分からなかったのだ。

  会場の東急シアターオーブは渋谷ヒカリエの最上階(何階だか忘れたが、9~12階だったと思う)にあり、出演者たちは2階の楽屋口から関係者専用エレベーターを使って出入りするらしい。楽屋口付近には若い男性スタッフ数人が待機しており、出待ちするファンが通行人や買い物客の邪魔にならないよう整理していた。

  待っている間、スタッフの一人が「出口は他にいくつもあるので、クーパーさんはすぐ後にスケジュールが入っていたりして急いでいるときには、(関係者専用エレベーターで)下りてこないこともあるんですよ」と言っていた。彼女にそのことを伝えると、ちょっと心配そうな表情になったが「OK」と言った。

  暇つぶしに雑談しようと思い、彼女にどこから来たのか聞いてみたら、上海だと答えた。上海!?てっきりマレーシア、シンガポールあたりから来たんだろうと思ってた。びっくりして、どうしてアダム・クーパーのことを知ったのか尋ねた。

  彼女が答えるには、

  この前(いつかは不明)、上海でマシュー・ボーン版『スワン・レイク』の公演があって、彼女は観に行った。上海公演に出ていたのは「若い子たちばかり」だったが、彼女はこれをきっかけに、ザ・スワンとザ・ストレンジャーのオリジナル・キャストであるアダム・クーパーのことを知り、アダム・クーパーのことが好きになった。

  先月(10月)になってようやく、彼女は日本で11月に『雨に唄えば』公演が行なわれること、それにアダム・クーパーが出演することを知った。彼女は3日前にたった一人で日本に来た。『雨に唄えば』のチケットはまだ買っていなくて、一昨日に当日券を買って観劇し、今日の分のチケットも買っておいた。でも、最も良い席でも、もう2階席しか残っていなかった。それで今日が2回目の観劇で、明日の夕方には帰国する、とのこと。

  アダム・クーパーが楽屋口から出てきた。こうして普通に出てきたってことは、出待ちに応じるつもりだってことだと思う。彼を待っていたファンの列に自分から近づいて来て、相変わらず気さくな態度で、一人一人のファンにサインをし、言葉を交わし、写真撮影に応じていた。

  

  彼女が上海からわざわざ来たということを聞いて、さすがのクーパーもびっくりしていた。まさか中国に自分のファンがいるとは思わなかったのだろう。彼女は『雨に唄えば』のプログラムにクーパーのサインをもらい、クーパーと一緒のセルフィーを撮った。

  出待ちが一段落したころを見計らって、クーパーが手を振りながら去っていった。出待ちの列から離れたところに、『雨に唄えば』のスタッフらしい欧米人の人々がクーパーをずっと待っていて、クーパーは彼らと一緒にどこかに出かけるようだ。

  クーパーが行ってしまった後、上海から来た彼女は本当に嬉しそうだった。プログラムに書いてもらったクーパーのサインや、スマートフォンで撮ったクーパーとのセルフィーを私に見せてくれた。この彼女はいかにも南方の中国人らしい、すごく細面で華奢な子だったのだが、私にクーパーとのセルフィーを見せながら、「アダムはなんて顔が小さいの!私の顔はまるで満月みたいに大きいわ!恥ずかしい!」と笑った。私は「そう、だからアダムと一緒に写真に写ることは恐怖なのよ」と返した。

  聞けば、アダム・クーパーのサイン入りプログラムは、同じくアダムファンの友だちへのおみやげにするのだという。私が「じゃああなたの分は?」と聞くと、彼女は、自分は舞台を観られたし、写真も撮ったからいいのだ、と答えた。なんていい子だ。

  彼女は働いていて(当たり前だが)、今回はわざわざ休暇をとって日本へ来たのだそうだ。私が「上司には理由をなんて説明したの?」と聞くと、彼女は「私のボスは(ミュージカルを観に行くという)事情を知った上で、それでも行って来い、と許可してくれたのよ」と笑いながら言った。

  「アダムは日本にはちょくちょく来ているようだけど、どうして中国には来ないのかしら」と彼女は残念そうに言った。これには私も答えようがない。中国のプロモーターが、アダム・クーパーやアダムの出演作は中国でも売れる、と判断して招聘しない限りは無理。「興行にはクリアしないといけない複雑な条件がいろいろとあるから」と言うしかなかった。

  彼女は日本に来るのは今回が初めてだそうで、若い女の子がたった一人でよく外国に来たものだ。アダムファンの情熱は万国共通、世界は一つ。

  私は「実際に日本に来て、日本に対するイメージは変わった?」と聞いた。彼女は私の質問の意味がとっさに分からなかったようだった。が、やがて合点したらしく、いたずらっぽく笑って言った。「実は、私は日本の漫画が大好きなの。」 何度もこのブログで書いてきたとおり、一般の中国人、とりわけ中国の若者の日本観とは、実際はほぼこんなものである。

  渋谷駅まで彼女を送って別れた。結局名前も聞かなかった。メルアドを交換しとけばよかった。これから互いにアダムに関する情報交換ができただろうに。

  後々になって気づいたのだが、彼女は明らかに20代前半という若さにも関わらず、それでも日本に個人で旅行に来ることができた。つまり、彼女は中国のパスポートを取得でき(日本と違ってパスポートの取得は中国では難しい)、かつ日本の観光ビザ発給の要件を満たし(預金残高が日本円で100万円以上ある)、更に飛行機代、滞在費、公演のチケット代を負担できるような人物、要はおそらく高所得者なのだろう。

  更に、英語を話し、きれいな標準語を話し、服装もマナーも話した感じも良かったことから、もちろん高学歴者のはずである。彼女の仕事は専門性が高いものなのであろうこと、彼女の職場もいいところなのだろうことも推察できる。……ますますメルアド交換しとけばよかったなー。

  ボーンの『スワンレイク』が上海で公演を行なったことに付随して思い出したのが、高級時計の有名ブランドであるロレックスが、男子プロテニスの上海マスターズのスポンサー契約を2025年まで延長したことだった。今年の上海マスターズの表彰式で、ロレックスと大会側が契約書を交換していた。ダンスもプロテニスも、畑は違えど同じ興行である。「中国経済の現状と未来」とやらは、こういう事象からも判断できる。つまり興行界にとって中国はいまや重要なマーケットであること、中国経済は少なくともあと10年はもつ、と判断されていることを意味する。が、ま、これは枝葉末節、些末事である。

  中国にもアダム・クーパーのファンがいたこと、偶然に中国のアダムファンと一瞬だけど出会えたことは、この上なく嬉しい出来事だった。これぞ日中友好の草の根交流。国は二つでも、アダムファンの心は一つなのだ。


  今年もこのブログを読んで下さいまして、本当にありがとうございました。
  どうぞみなさま、良いお年を!

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