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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

種まく人

2012年11月15日 13時03分37秒 | えいこう語る
浜が泣いている。
春先から魚がとれない。ホッケもイカも鮭もスケソウ鱈も。
原因は海水温の高さといわれる。道東沖のサンマ漁も不良に終ったようだ。
今朝の新聞は、鵡川沖のシシャモ漁も過去20年間で最低の漁獲量という報道だ。
水温の高さばかりではないのではないか。福島原発事故での海への影響はどうなのかと心配にもなる。
今建設中の大間原発は、我が国最大規模の138万キロワットの発電量だ。
原子炉を冷却するには海水を使うが、炉心で温められた温排水は再び海に投棄される。
放射能で汚染された温排水は、大間原発では【1秒間で91トン】だという。10基の福島では、どのくらい海が暖められたのだろうか。
福島原発の前浜では、温排水の環境に住み慣れたウニが、原発が停止し温排水が流れなくなったら、環境が急激に変化したため、死んでしまったという報道があった。
やはり生物はデリケートなのだ。
※合併し椴法華村という名はなくなってしまったが、ここだけは残っていた。


私の村の前浜の話だが、先日漁協青年部が昆布の胞子を撒くという作業をしたという。
今年のように不漁でも、大きな船で漁をする漁業者は何とか食べていかれるが、磯舟で前浜だけで漁をする根付漁業者の生活は、大変なものがある。
今年は昆布が豊漁だったが、昆布問屋には在庫があるらしく値段がいまいちだった。
だが近年需要があるガゴメ昆布は、真昆布より値段が高かった。
そこで青年部がガゴメを採取し、乾燥をしてからちょいと手間をかけ、それを玉葱の袋に入れ、海中に沈めたという。そうすると胞子が放出しやすくなり、来年のガゴメの生育が期待できるのだ。
若い者もやるものである。他の漁業組合もやっていないことを自らやったのだ。
「明日この世が終ろうとも、私は希望という名の種を撒く」という、誰かの言葉を思い出した。
私の村の前浜は、来年の夏にはガゴメ昆布が海底一面に繁茂するだろう。
昨日、ついに殴打の痛みに耐えかね「解散」を口に出した野田首相。
落選の危険を背に負いながら必死で走る候補者の、愛情のかけらさえない騒音が我が日本列島を覆い尽くすだろう。
私の村の漁協青年部のように、明日に希望の種を撒けるような政治家を、大きく目を見開いて選びたいものである。


相対性原理

2012年11月14日 13時36分08秒 | えいこう語る
最近、原発関係の本ばかり読んでいるから、難しいアインシュタインの話かといえば、そうではない。
作家・澤地久枝さんの「昭和史のおんな」に出てくる、小倉清三郎・ミチヨ夫妻の話である。
小倉氏は秘画、春本、性具のたぐいの蒐集研究で世界屈指といわれる「相対会」の代表責任者だという。
雑誌「相対」は一般出版物とは異なり、会員制で郵送販売していたという。
会の規則は、配偶者以外に見せてはならないというものだった。
「相対」は大正2年から昭和19年まで、発行されていた。
アインシュタインの「相対性原理」をその本と間違え、飛びついて購入したという話があるそうだ。
この話で、私が高校2年の時の仲間との会話がよみがえってきた。
学校帰り、友達の下宿にはいつも他の学校の仲間が集まっていた。そこで様々な情報が聞けるからだ。大抵は、他校の女学生の話題だったが。
そこでのある工業高校生の話だ。
18歳未満お断りの映画を観てきたという。その話に一同の耳と目が集中した。
初心だった高校生の話だ。話し巧みに人を引き付ける術もない。
題名はと聞くと「せいかつの知恵」だという。・・・それって「性生活の知恵」っていうんじゃないのと、みんなで笑ったことだ。
石油ストーブの上でフライパンにバターをのせ、サツマイモを薄く輪切りにし、塩コショウウをかけ焼いて食べていた時代の話である。
たわいのない話だが、私の青春時代の思い出に出てくる、ほのぼのとした場面の一つなのだ。
※今年の紅葉は、夏の暑さの影響か、満点とは言い難かった。でも村外れのこの場所は、毎年約束を違えない。


昭和19年とは、日本中が戦争の狂気の渦に飲み込まれていた時期である。
このような時代にセックスのみを研究の対象にし、暗い灯火管制下で禁じられた資料を眺めていたなどというのは、人間は「性」そのものというのを、感じさせる出来事である。
「立心偏」とは「心」が偏になるときの形だ。それに「生」がついた字だからだ
昭和27年、34冊の全集がミチヨさんの手で出版されたが、禁書のままだという。
しかし、澤地さんは、期せずして戦争に非協力の反骨へとつながっていたところに「相対会」の特色があると記している。
反戦には筋金入りの澤地さん、ワイセツ文書として刑事事件になりそうな「相対」を、このようなあたたかな目で見ている。
戦後、安全なエネルギーとしてその役割を持たせられた原発は、一向にやまない地域戦争の中で、核開発の疑念は払拭できない。
「相対性原理」もしかして【エネルギーか核か】そんな事が書かれている、本なのかも知れないと思う私である。
蛇足であるが、私たちが高校時代集まった下宿は、小倉さんという家だった。


早朝散歩

2012年11月13日 13時03分04秒 | えいこう語る
22日、函館市長と町会長との、まちづくり懇談会がある。発言者に選ばれた私は、大間原発について質問する。
そこで、原発関係の本を読みすぎて、頭が臨界状態だ。
この辺で小休止をしないと、シビア・アクシデントを起こしそうである。
簡単にいえば、頭が疲れてブログのネタが浮かばないのだ。
そこで早朝散歩に出かけた。


雨が降ってきそうな空模様だ。夜明けガラスが電信柱に止まっている。
カメラを向けたら、すばやく飛び去った。カラスの超能力は、私が大間原発に見えたのかもしれない。
私の町内を流れる八幡川だ。左手前の石垣は夏に紫陽花が咲き誇り、村人の心を楽しませてくれる。川面を眺めていると、魚影がすばやく泳ぐのが見えた。


岩魚が最近多くなったようだ。昔からこの川の魚は小さい。栄養が少ない川なのだ。
そこに数年かけ、砂防ダムが何基かできた。山からの土砂止めらしいが、周囲の木を広範囲に切ったため、先月第一回目の植樹をした。
住民が参加し桜の木を植えたが、鹿に食べられかけたため、囲いを作った。
なんだか随分お金が掛かる川になってしまったものだ。


と思っていたら、鹿が目の前を走り去った。最近は民家にまで鹿が現れているようだ。
これから数年かけて植樹をするそうだが、滋養溢れ大きな魚が住める川になってほしいものだ。
実は、先日の植樹祭、連合町内会である私が挨拶に立たされた。
数十億円かけた砂防ダムの側に立ち、複雑な思いで挨拶をした。
町会長になって、自分の意思を言えないということも実感した場面だった。
左に見えるのは、私の村のお墓だ。


間もなく私の終の棲家になるところだ。
私たちが植えた桜がそこからは見える。
春には、大勢の先祖の人たちとの花見が楽しめるだろう。
その時も、先祖代々連合町会長として、挨拶をしたいものである。


函館市の不安

2012年11月12日 11時54分13秒 | えいこう語る
函館市長が、大間原発建設差し止めを求め、国を相手に訴訟の準備を始めた。
国家VS地方自治体、象にアリが挑むようなものに違いない。
判決までは長い年月を要するというより、長びかされるのだろう。
3:11以降、建設が中断されていたが、先月工事を再開した。たぶん急ピッチで工事は行われているだろう。誰も止める事はできない。
燃料棒が炉心に入る前に“テポドン”が飛んで来て破壊される夢や、ゴジラが海峡に現れ踏むつぶす夢など、見たいような気もしてくるこの頃だ。
海峡の向こうには工事のクレーンが見える。やがて「大魔城」が完成し、「大魔城自爆装置」を、城主自らがスイッチが入るという、パラドックスが展開されるのだろう。
神の領域を越え、ウラニウムを弄びプルトニウムを作り、それを人類最良の燃料と称する国家と電力会社、その甘い汁に群がる人々により「函館死」になるには、20XX年か。
※店の前の桑の木。最後の葉が風に吹き飛ばされまいと頑張っている。


そんな言葉の弄びはいけないと思っていたら、函館市が湯の川地区に建設する「函館アリーナ」の命名権を企業に買ってもらう計画のようだ。
年間5千万円ほどの収入を見込むそうだから、地元企業が購入し「イカ塩辛ドーム」などということにはならないと思うが、大間原発が稼動した後の函館に、果たして多額の広告費を使うメリットがあるとは思えない。
それに函館市は、人口減少に歯止めがかからない。8年前の市町村合併で30万人を超えたが、今は28万人だ。
さらに2015年の新幹線の開業に向け新築された函館駅の乗降客も減少している。20年ほど前から比べると、昨年度は半減の1日平均6千人程まで落ち込んでいる。さらに新幹線開業後は、在来線の廃止もある。
新幹線は函館再生の起爆剤になるのか、不安が増すだけのようだ。
命名といえば、新幹線の駅名も到着駅の北斗市は「北斗函館駅」を主張し、函館市は「新函館駅」だと言い張る。
それなら「北斗七星駅」なんていうのは夢があっていいのではないかと思う。
プルトニウムはプルートー(冥王星=冥土の王の星)から名付けたので、もし、大間原発が事故を起こした時「北斗七星=杓子の形」が、津軽海峡の海水をすくい上げ、一気に消火してくれる。そんなことを神に祈るための駅名にしたいものだ。などと、不安の核分裂は止めどもなく増殖するのだ。
22日の「函館市長と町会長との懇談会」、私の持ち時間はわずか10分である。
十分もあれば、充分ともいえる。その中で、市長や各会長の心に届く言葉を選ばなければならない。
神は「どんな言葉も愛情がなければ相手に届かない」という。
愛情のある「脱原発」とはなんぞやと悩む。
函館市民である私の不安は、まだまだ続きそうである。


大間原発反対運動の陰で

2012年11月11日 12時42分00秒 | えいこう語る
大間原発反対運動を続けている団体は多くあるが、市民に最も知られている団体は「ストップ大間原発道南の会」だろう。
もう10年以上も前だが、ある一人の男性が私の店にやってきた。私より少し年長のようだ。
大間原発の話になり,当時は原発のことはあまりわからず、単に反対の意思しかもっていなかった私は、そのAさんとの会話で少し詳しいことを学ぼうと思い始めたのだ。
そのAさんは次の日、チラシをたくさんもってやってきた。
 

私が留守の時、「後継者がいなくて、妻と二人でチラシを配っているんです」と、私の妻に話していたようだ。
その後、函館市内での各種講演会で顔を合わすことがあった。
痩身のAさん、時々マスクなどをした姿が見受けられ、長期の入院もしていたなど、本人からも聞いたことがある。
しばらく逢わなかったが、ある日Aさんが亡くなったと聞いた。
Aさんは東京のW大生の頃、学生運動に没頭していたという。その思想的影響のせいか、函館市内の小さな会社で働いていた。Aさんに似合わないちょっとした力のいる仕事だった。そんな仕事も身体に負荷がかかったのだろうと推測する。
11月22日、函館市町会連合会と市長との懇談会がある。市長と対話する5人の発言者のなかに、私が選ばれた。
選ばれたというのは、実は正しくはない。「今、市民の一番関心事は大間原発問題です。それは海で働く漁師見習いの私に、その役割を与えてください」と町連常任理事会で発言したのだ。
他の会長も支持してくれた。町連会長までもが、私もその話をしようと思ったが、あなたに譲るといってくれたのだ。
※今朝の「とどほっけ村日の出美術館」。まだ雪雲ではないけれど、そろそろ雪の気配がしてくる、冬空を感じさせる一枚の絵だ。


私の所属する東部地区町連も、私を選んでくれた。そこではこんな注文が付けられた。
「こういう問題は個人の主張が強くなる、全住民の代表としての発言をしていただきたい」
心の中で「言葉は自分の思想から出る。他人の言葉で発言できるか」と思ったが、そこは私も町会長だ。「そのようにさせていただきます」と、答えた。
22日に向け、発言の原稿を準備している。
昨夜、ふと誰かがささやいた。
「かわぐちさん、私の分まで頑張ってください」
すぐAさんだとわかった。
「でもあなたの影響で、私はこの場所に立てることになったんですよ」と答えた。
Aさんの後継者として、私の持ち味のジョークも交え、函館市長との対話を楽しもうと思っている。