吹き去る風も、頬にひんやりと感じるこの頃。
数人のサーファーが海に入っている。その側で、鮭が勢いよくジャンプした。
人と鮭が海で共に生きる姿は、今の季節にふさわしい北海道らしい光景だ。
しかし、前浜ではイカ・スケソウタラ・鮭の漁が芳しくない。
椴法華村の地名にもなった伝説の魚“椴法華のホッケ”も、春先から食したのはわずかに数回しかない。
浜はまるで今の国会のように、活力を失っている。
特例公債法案を巡る与野党の対立で、地方交付税が遅れている。
与党は野党のせいにし、野党は与党のせいにする。困るのは国民である。
解散を巡り“天秤国会”になっているようだ。
北海道に目を向けてみるが、冬の節電と料金値上げを北海道電力がいいだしてきた。
「泊原発の再稼動をさせなければ、凍死させるぞ」そんなように聞こてくる。
これも政府にならった、天秤方針だ。
「泊も大間も、稼動させなければ新幹線だって通さないぞ」という、恐喝政治も蔓延してきそうである。
夜に翌朝のブログの内容を大体決めておくが、翌朝、朝刊など見てしまうと、内容ががらりと変ることが多い。だから朝刊が届かないうちに、私の場合はブログを書き終えなければならないのだ。
※アトムとウランちゃんが、タラちゃんがっばってねと応援している。

昨夜考えていた「海を汚したのは誰だ」にもどる。
不漁の原因は温暖化だとも言われるが、福島原発事故での海底環境の影響かという気持ちもぬぐえない。
海で暮らしている者にとって、それは死活問題なのでうっかり言葉に出せないというのが、今の正直な気持ちだ。
これからの寒い季節、食卓をあっためる「鱈鍋」。青森沖のマダラがセシュウム汚染で、出荷制限になったのはつい先日のことだ。
昨日、原発の“許容量”についての項目を読んでいたら、ICRP=国際防護委員会では、地球上最大の猛毒と呼ばれるプルトニウム(事故があった場合、酸化プルトニウムとなり、環境に放出される)の許容量は、年間1レムだという。
1レムとは原発労働者が、年間1万人に一人が肺がんで死亡するという量だそうだ。1万人に一人死ぬ程度が許容量ということだ。
ちなみに許容量とは【原子力の利益と危険のかね合いで決まる概念】とある。
そういえば、福島原発メルトダウン直後、許容量の基準値を増やしたり減らしたりという、曖昧な報道が目立っていたのを思い出した。
私たちは、先祖代々、海で生活の糧を得てきた。海に生かされて今日があるということだ。
それにもかかわらず、海に恩返しもしないで海を汚してしまったのだ。
多額の補助金が、目の前にばら撒かれる原発。
以前の天秤政策は甘い言葉だったが、反発を強める国民に対し、政府も電力会社も、本性を表わし露骨な態度に出てきたようだ。
しかし、私たちには選挙権という強力な武器がある。
一票の重みというのを、今こそ発揮する時ではないか。
「俺は堂々と、俺の海で泳ぐ」といっているような、活きのいい真鱈をいただいた。
夜の我が家の食卓は、身も心もあったまる鱈鍋だ。「60歳以上は、許容量であれば心配ない」といったのは、反原発の先鋒、京大の小出先生だ。
我が“日本”には強力な中和剤がある。それは幸せな気分になる、長寿の水だ。
「脱原発・頑張ろう」と、鍋に向かって叫んだ。
数人のサーファーが海に入っている。その側で、鮭が勢いよくジャンプした。
人と鮭が海で共に生きる姿は、今の季節にふさわしい北海道らしい光景だ。
しかし、前浜ではイカ・スケソウタラ・鮭の漁が芳しくない。
椴法華村の地名にもなった伝説の魚“椴法華のホッケ”も、春先から食したのはわずかに数回しかない。
浜はまるで今の国会のように、活力を失っている。
特例公債法案を巡る与野党の対立で、地方交付税が遅れている。
与党は野党のせいにし、野党は与党のせいにする。困るのは国民である。
解散を巡り“天秤国会”になっているようだ。
北海道に目を向けてみるが、冬の節電と料金値上げを北海道電力がいいだしてきた。
「泊原発の再稼動をさせなければ、凍死させるぞ」そんなように聞こてくる。
これも政府にならった、天秤方針だ。
「泊も大間も、稼動させなければ新幹線だって通さないぞ」という、恐喝政治も蔓延してきそうである。
夜に翌朝のブログの内容を大体決めておくが、翌朝、朝刊など見てしまうと、内容ががらりと変ることが多い。だから朝刊が届かないうちに、私の場合はブログを書き終えなければならないのだ。
※アトムとウランちゃんが、タラちゃんがっばってねと応援している。

昨夜考えていた「海を汚したのは誰だ」にもどる。
不漁の原因は温暖化だとも言われるが、福島原発事故での海底環境の影響かという気持ちもぬぐえない。
海で暮らしている者にとって、それは死活問題なのでうっかり言葉に出せないというのが、今の正直な気持ちだ。
これからの寒い季節、食卓をあっためる「鱈鍋」。青森沖のマダラがセシュウム汚染で、出荷制限になったのはつい先日のことだ。
昨日、原発の“許容量”についての項目を読んでいたら、ICRP=国際防護委員会では、地球上最大の猛毒と呼ばれるプルトニウム(事故があった場合、酸化プルトニウムとなり、環境に放出される)の許容量は、年間1レムだという。
1レムとは原発労働者が、年間1万人に一人が肺がんで死亡するという量だそうだ。1万人に一人死ぬ程度が許容量ということだ。
ちなみに許容量とは【原子力の利益と危険のかね合いで決まる概念】とある。
そういえば、福島原発メルトダウン直後、許容量の基準値を増やしたり減らしたりという、曖昧な報道が目立っていたのを思い出した。
私たちは、先祖代々、海で生活の糧を得てきた。海に生かされて今日があるということだ。
それにもかかわらず、海に恩返しもしないで海を汚してしまったのだ。
多額の補助金が、目の前にばら撒かれる原発。
以前の天秤政策は甘い言葉だったが、反発を強める国民に対し、政府も電力会社も、本性を表わし露骨な態度に出てきたようだ。
しかし、私たちには選挙権という強力な武器がある。
一票の重みというのを、今こそ発揮する時ではないか。
「俺は堂々と、俺の海で泳ぐ」といっているような、活きのいい真鱈をいただいた。
夜の我が家の食卓は、身も心もあったまる鱈鍋だ。「60歳以上は、許容量であれば心配ない」といったのは、反原発の先鋒、京大の小出先生だ。
我が“日本”には強力な中和剤がある。それは幸せな気分になる、長寿の水だ。
「脱原発・頑張ろう」と、鍋に向かって叫んだ。