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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

相対性原理

2012年11月14日 13時36分08秒 | えいこう語る
最近、原発関係の本ばかり読んでいるから、難しいアインシュタインの話かといえば、そうではない。
作家・澤地久枝さんの「昭和史のおんな」に出てくる、小倉清三郎・ミチヨ夫妻の話である。
小倉氏は秘画、春本、性具のたぐいの蒐集研究で世界屈指といわれる「相対会」の代表責任者だという。
雑誌「相対」は一般出版物とは異なり、会員制で郵送販売していたという。
会の規則は、配偶者以外に見せてはならないというものだった。
「相対」は大正2年から昭和19年まで、発行されていた。
アインシュタインの「相対性原理」をその本と間違え、飛びついて購入したという話があるそうだ。
この話で、私が高校2年の時の仲間との会話がよみがえってきた。
学校帰り、友達の下宿にはいつも他の学校の仲間が集まっていた。そこで様々な情報が聞けるからだ。大抵は、他校の女学生の話題だったが。
そこでのある工業高校生の話だ。
18歳未満お断りの映画を観てきたという。その話に一同の耳と目が集中した。
初心だった高校生の話だ。話し巧みに人を引き付ける術もない。
題名はと聞くと「せいかつの知恵」だという。・・・それって「性生活の知恵」っていうんじゃないのと、みんなで笑ったことだ。
石油ストーブの上でフライパンにバターをのせ、サツマイモを薄く輪切りにし、塩コショウウをかけ焼いて食べていた時代の話である。
たわいのない話だが、私の青春時代の思い出に出てくる、ほのぼのとした場面の一つなのだ。
※今年の紅葉は、夏の暑さの影響か、満点とは言い難かった。でも村外れのこの場所は、毎年約束を違えない。


昭和19年とは、日本中が戦争の狂気の渦に飲み込まれていた時期である。
このような時代にセックスのみを研究の対象にし、暗い灯火管制下で禁じられた資料を眺めていたなどというのは、人間は「性」そのものというのを、感じさせる出来事である。
「立心偏」とは「心」が偏になるときの形だ。それに「生」がついた字だからだ
昭和27年、34冊の全集がミチヨさんの手で出版されたが、禁書のままだという。
しかし、澤地さんは、期せずして戦争に非協力の反骨へとつながっていたところに「相対会」の特色があると記している。
反戦には筋金入りの澤地さん、ワイセツ文書として刑事事件になりそうな「相対」を、このようなあたたかな目で見ている。
戦後、安全なエネルギーとしてその役割を持たせられた原発は、一向にやまない地域戦争の中で、核開発の疑念は払拭できない。
「相対性原理」もしかして【エネルギーか核か】そんな事が書かれている、本なのかも知れないと思う私である。
蛇足であるが、私たちが高校時代集まった下宿は、小倉さんという家だった。