goo blog サービス終了のお知らせ 

函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

親と子

2012年11月02日 11時38分22秒 | えいこう語る
凶悪な事件が世間を騒がす毎日だ。
そんな時代を象徴するかのような、政治の無力さだ。
法務大臣がヤクザとつながりを持ち罷免され、親が子供を虐待するという日常茶飯な事件は、人間社会も世紀末に入ったかのような戦慄を覚える。
函館出身の作家に、宇江佐真理さんがいる。
彼女の作品に「髪結い伊三次捕物シリーズ」がある。
伊三次は髪結いのかたわら、町方同心の下っ引きの仕事もしている。
その女房“お文”は、気風のよい名うての深川芸者だ。
お文は母親が未婚の母で、赤ん坊の時人に預けられて育ったので、母の顔は知らない。母との唯一のつながりは、母親が持たせたという一本の三味線だ。
それを支えに、芸に励みここまでのし上がってきたのだ。
お文の母親は、ある大棚のお内儀に納まっている。人の噂で、伊三次も母親でないかとお文に言うが、頑固として逢いに行かない。
やがて、母親は死んでしまう。
「大棚の女将だ、自分如き者が名乗りを上げれば、暖簾に傷がつく」そんな意地を見せるお文が、今の情けない世の中にあって、私の胸を激しく打つのだ。
ある日火事になる。伊三次が止めるのも振り切り、火の中へ。命を掛けても守らなければならなかったのが、母の形見の三味線だった。
この場面には、私の目からも熱いものが流れるのだ。
※昨日小学校で、公開授業があり出かけてきた。昔と同じ場所に立っている。私はこんないい環境で学んでいたのだ。


私の妻が、私の両親と同居しはじめた時、私の母から聞いたというこんな話お思い出したのだ。
戦後間もなくの頃、6人の子供を持つ母親の話だ。
最後の子供が生まれた時、遠い親戚で子供のない夫婦にその子を引き取ってもらった。しかし戦後の混乱期、その母親も暮らしが精一杯で、子供のことはいつか忘れ去ってしまったという。
その子が50歳を越えた頃、育ての母が亡くなったので、生みの母が葬儀に出席したという。
その席で、突然「母さん」と呼ばれたという。
「いまさら急に“母さん”といわれたって、私はびっくりしたよ」と、いったそうだ。
その当時その子は、結婚し子供もいたが、わけあって離婚していたという。
天涯孤独を背負って生きる実の息子に「お前も立派に育ったね。母さんうれしいよ」そんな一言、なぜ掛けてやれなかったのかと、私と妻はかなり昔の話を思い出し、二人で話し合った。
今、宇江佐真理さんの本は、私が読んだ後妻が読み、さらに叔母へと引き継がれている。
昨夜叔母から電話があり、先日借りた3冊読んでしまったという。次の本の催促である。
最近、函館市内では函館の魅力を小説で紹介する、谷村志穂さんの応援団が結成された。
団長は私に「函館の街の魅力について、飲み語りあかそう」と誘う、ギャラリー店主のMさんだ。
谷村さん宇江佐さん、共に素敵な作家なので、皆様も応援よろしくお願いします。