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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

枯葉

2011年10月25日 11時31分18秒 | えいこう語る
村の人口が1,000人ともなると、商店も4店舗だけになった。
必要なものが購入できないので、隣町や函館市まで購入に出かける。
いわゆる「買い物難民」状態だ。
商工会といえば「活性化」がメインテーマだったが、その言葉も遠い昔の叫びとなってしまったようだ。
国道沿いの山道が紅葉し始めたという。午後からカメラを持って出かけてみた。


数日前の強い風雨で、葉が随分落ちたようだ。
商工会の現状と重なり、なんだか寂しい今年の秋である。
「来年を期待しているよ」と、山と約束をして家に戻る。
庭に出てみた。
♪枯葉よ・・・というような、優雅なものではない。ヤチダモの大木から、大雨のように葉が降り注いだに違いない。
私のブログにコメントを寄せてくれるサイアムさん一家は、非難しているのだろうかと、タイ国の洪水を連想させる枯葉の山である。


自分の庭とはいえ、庭の端の部分は昔から生活道路になっている。周囲は高齢者ばかりで歩行に邪魔になるので、枯葉の掃除を始める。
若い頃,漫画「おそ松くん」を愛読していた。
住民に対し腹が立ったら、やたら鉄砲を撃ちっ放す警官が好きだった。住民に向けて撃つのではない、空に向かって撃つのだ。狭い交番勤め、そのストレスを発散させる単純な性格に、田舎のしがらみの強い生活に圧迫感を感じていた私は、妙に親近感を覚えたものである。
近所のおじさんで、着物姿で竹箒を持って突然現れ、道路を掃いている「レレレのおじさん」も好きだった。
私は町内会長をしているせいか、それとも自分の性格ゆえか、子供からお年寄りまで、通りがかりの人には声をかける。「お出かけですか、レレレのレ」。
自分の町内以外の方にも同様だ。昨日の朝も一人暮らしのおばあさんに「元気かい」と声をかけたら「上がってお茶でも飲んでいがないがい」と言われた。
そんな時自分は「レレレのおじさん」ではないかなと思ったりする。
実際若い頃から「おそ松くん」の登場人物で、レレレのおじさんが自分の役割のような気がしていたのだ。
「人生という大木から、やがて離れなければならない葉」。
枯葉に人生を重ねながら、下着一枚で庭掃除に汗を流した。
そして、誰の言葉だったか忘れたが「ゴミになるな土になれ」という言葉も、脳裏をかすめた。
♪あれは遠い思い出・・・。♪秋には枯葉が小枝と別れ・・・。
越路吹雪と裕次郎の歌を口ずさみながら、毎年同じことを考えている私が、大木の下にいる。


危機意識の希薄さ

2011年10月24日 12時21分50秒 | えいこう語る
※今朝の日の出美術館。


北海道JRの社長が、度重なる事故処理の最中に、自らの命を断った。
今年の北海道の出来事としては、相当ショッキングな事件だったが、単なる個人の死としてすでに話題の外である。
北海道泊原発では、プルサーマル計画に対する北海道電力の「やらせ」問題が発覚した。
北電社長は、始めは強く否定したが、次々に「やらせ」の手口が明るみに出て、嘘は簡単にばれた。まるで幼い子供が嘘をついたような、そんなレベルだ。
道議会から証人喚問を要求された社長は非公開を要望したが、それは議会に拒否された。非公開を求めた理由は「やらせ」について北電と道庁との関与が、取りざたされているらしいからだ。
九州電力と佐賀県、北海道電力と道庁。南と北、国の端っこでは隠れてこそこそ、悪巧みが行われているようだ。
と、ブログを書き始めていたら、田舎なのでミニパトカーのサイレンが鳴り、その後10数分遅れて、消防車や救急車がけたたましく目の前を疾走した。


しばらくして、防災無線で建物火災の鎮火が放送された。
火災は港の付近だと思ったので出かけてみた。今はスケトウ鱈漁の最中である。
魚を網からはずす人たちが大勢港にいる。
地元消防団員はほとんど、漁師たちである。消防団は消防車を所有しているが、果たして全車両が出動したのだろうかとふと心配がよぎる。
市町村合併以前であれば、全消防団員が真っ先に出動した。合併してからは市の消防の管理下におかれ、函館消防本部の司令室から、遠隔操作で出動命令が出されてから行動することになった。
地方でのグローバル化が、地域の独自性と自主性を失わせているのではないかと心配する。
TPP参加の問題で、北海道経済の及ぼす影響が懸念されている。
世界のスタンダードに遅れないように、競争原理を取り入れ、強化をはからなければと主張する賛成派、反対派はグローバル化に飲み込まれて、壊滅状態になるのを懸念する。
しかし国民の理解を得ないまま、政府は見切り発車をしてしまいそうな気配である。
JR事故、原発、市町村合併、TPP等、なにひとつ理解や総括が不十分なまま、なんだか流されてしまうのを最近とみに感じる。
こんな社会状況では、危機意識が希薄になるのではないかとふと感じた、今朝の建物火災から受けた感想である。


自分ができること

2011年10月23日 13時19分19秒 | えいこう語る
職を辞してからは、漁師見習と妻の店での接客見習いが私の仕事だ。
脱原発の講演会や集会、それにデモ行進などは、ほとんど午後からの集りになるのでこの頃はご無沙汰している。
でも、参加は出来ないが、何らかの意思表示はしたいと考えている。
大間原発反対のチラシは、ずいぶん前から店に置いて持ち帰ってもらっている。


お客様にも時々原発の話しを、さりげなく語りかけている程度だが。
今朝のテレビで、脱原発は「お母さん革命」だと話していた。
その意味は、子供の命の安全を守るには、お母さんたちのパワーが最強だという。
9月の東京での「脱原発デモ」では、たくさんのお母さんたちが自発的に参加していた。声高に叫び歩かなくても、お母さんたちの子供を守ろうという意識は、強烈に伝わるからだ。
「安心・安全のマチづくり」は町内活動の基本である。
この「お母さん革命」のムーブメントを、町内会のご婦人たちが担ったら、これほど強いパワーは他にないのではと、ふと考えてみた。
函館市は大間原発の50キロ圏内に、ほぼ全域が入る。
国の見解では、50キロ圏内はヨウ素の検査地域になるそうだ。お母さんたちが立ち上がりやすいような環境整備をするのが、私たち町会長の今後の課題ではないだろうか。
隣町南茅部に10月1日、縄文文化交流センターがオープンした。
縄文時代が私たち文明社会に生きるものに、無言であるが圧倒的なパワーを持って語りかける。その声なき声を、大勢の人に体感してもらいたい。
その願いを込めた、私の流木案内板である。


昨日の出来事

2011年10月22日 11時40分35秒 | えいこう語る
一昨日、窓から海を見ると、鮭が飛び跳ねた。
今年は不良だといわれる鮭。海水にわずかに混入する放射能の、その微妙な変化を鼻先に感じ、帰郷することを躊躇っているのだろうか。
しかし、海面をジャンプするようであれば、相当数の群れがいるはずである。
昨日朝日の昇る前に、今年初の鮭釣りに出かけた。
河口付近に数人の人影が確認できるが、暗くて誰なのかよくわからない。
水平線に朝日の生まれる前兆が始まる頃になり、ようやく隣の釣り人が判明する。
隣町のNさんだ。自分の町で釣れないので、北側に位置する私の村まで、やってきたのだ。
「よそ者に負けてたまるか」。
日の出が試合開始を告げ、私の闘争心を煽る。
川の流れに遡上する鮭の背びれも見え、沖合いではダンス(ジャンピング)が始まる。故郷の川に遡上する前の、鮭族の儀式なのだろう。
隣のNさんの竿が勢いよくしなる。早速ヒットだ。
その数分後またもやNさんにヒット。Nさんは餌釣りなので、4本の竿で勝負している。
私はルアーなので竿一本の勝負だ。「4対1」この程度の差は仕方がないだろうと冷静さを保つ。
冷静さを失うと、ルアーの動きにも微妙に影響し、鮭に動揺を感じられてしまい、警戒されるからだ。釣りとは魚との心理合戦でもある。


昨日の日の出美術館は、名画中の名画を鑑賞させてくれた。
鮭が釣れない悔しさなど、すべて帳消しにする名画だ。
店のランチタイムが終了し、オーナーである妻に早退願いを出し、函館の隣の北斗市で開催中の「中空土偶」を、友人を誘い観てきた。
南茅部の国宝「中空土偶」は、41,5センチの大きさであるが、10センチにも満たないミニチュアのようなものだった。それでも国宝と似た顔をしたものがあり、縄文後期の土偶の顔は、住む場所が違っても共通性を持っていることが発見でき、ちょっぴりうれしい感じがした。
この展示会場の近くに、高校時代の先輩のラーメン店があるので立ち寄った。
函館近海と青森の一部しか生息しない、粘りが強い「ガゴメ昆布」というのがある。
今健康ブームで、その価値が急激に高まっている。夏の私の昆布漁も「ガゴメ」だった。それを麺に練りこんだ「ガゴメ塩ラーメン」をいただいた。
ヘルシーというのが食事の基本なのだろう。評判も上場だそうだ。
高校時代の懐かしい話に花が咲き、二人の料金は「今日はおまけだ、この金額でいい」という。
生まれて始めてラーメン店で、支払いをまけて頂いた。
朝日同様、昔から性格のさわやかな先輩だった。
というわけで、10月21日は、心の充足した一日だった。


貝話

2011年10月21日 11時35分25秒 | えいこう語る
10月末のとどほっけ銚子海岸は、夏のような若者のエネルギッシュなサーフィンの姿は見受けられない。
数人が波を待っているが、どこかエレガントなライディングを見せている。
秋の海岸は、ちょっぴりオシャレな雰囲気が漂っているのだ。
波打ち際には数百メートルにも渡り、小さな貝殻が夥しい数で日向ぼっこをしている。


耳を澄ますとなにやら囁いているのが聞こえる。
帆立貝の稚貝が囁く、ベーリング海から戻って来た鮭たちとの貝話である。
「家屋の破片や漂流船が随分流れているし、なんだか海水が薬品臭い味がするけど、何かあったのかい」。
「3月11日に、三陸沖で地震が発生し、大津波が来て多くの町が壊滅した。その後福島第一原発で事故があり、火災が発生しそれを消火するため多量の海水を使い、その放射能に汚染された海水を海に流したんだ。今、海の中は大変危険な状況にさらされている」と教えたんだ。
「じゃ、三陸の川に遡上する仲間は、放射能を浴びてしまうのだろうか。産卵が心配だな」と鮭は言ったという、貝話が私には聞こえてきた。
夥しい稚貝たちも、海の環境悪化で死んでしまったのかなと、ふと考える。
もし私が女性なら、ネールアートをするんだけれどと思い、貝を拾い真似てみた。ついでに指輪も。


縄文の女性たちもこのようなオシャレしていたのかなと、想像してみる。
「意外ときれいだわね」と、妻が写真を写してくれた。