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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

歳月とは

2011年10月15日 11時19分28秒 | えいこう語る
故郷の川に鮭が戻り始めている。
周囲の山々も、まもなく真っ赤に燃え、鮭の遡上と産卵を一気に促すのだろう。けものたちも、冬の訪れるを意識しだすに違いない。
心ときめく錦繍に出逢えるのも、今年で63度目になる。
あと何度、この目で見ることができるのだろうかと、ふと物思いにふける季節でもある。
毎年この季節になると、40数回目の錦繍を前に自死した、半島からの在日の友人のことを思い出す。
彼はある日、突然故郷に帰って来た。
「一緒に飲もうじゃないか」と電話で約束した翌日、全身に灯油をかぶった。
彼への「別れの手紙」の冒頭。
「故郷の川に鮭が戻り始めている。なのに、なぜ君は故郷を出て行くのだ」。
秋が深まると必ず思い出す、運動会は常に一番だった彼のこと、そして一番ビリだった自分のこと。
子供の頃、嫌いだった私の食べ物。
スイカとバナナ。
20代の頃、始めて食した茗荷。
「物忘れし、愚鈍になる」と言われたせいかしらないが、なぜか嫌いだった。
秋は、しめ鯖の季節だ。
昨日の朝も、鯖売りの声にあわてて外に出た。
下ごしらえし、夕方に1時間ほど酢〆し、しめ鯖を握った。


しめ鯖ときたら、何度か病院で点滴を受け、死ぬのではないかと思ったほどだ。しかし、その旨さに魅せられ、自分で作るようになってから、ついに克服した。
ガリがなかったので、朝に妻が漬けてくれた「茗荷の甘酢紫蘇漬」を盛り付けた。
「茗荷だって昔から大嫌いだといっていたのに、何で好きになったの。男心は・・・」などと、妻に言われる。
椀は、午後に海岸に竿をほうり投げて釣った「渡り蟹の味噌汁」だ。
渡り蟹を食べると、子供の頃みんなで釣りに出かけ、指がちぎれるほど蟹に挟まれた、楽しい思い出が蘇ってくるのだ。
スイカもバナナも茗荷もしめ鯖も、いつの間にか食べられるようになった。
茗荷を好きになって、本当に“愚鈍”になってしまったのだろうか。
歳月とは様々な思い出を重ね、人生をドラマチックに仕立て上げてくれるものなのだ、などと思いに耽る、秋も深まってきた今日この頃である。