goo blog サービス終了のお知らせ 

函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

縄文との対話

2011年10月17日 10時51分34秒 | えいこう語る
健忘症というのは、文明の進歩と共に長寿社会に移行する、ある時点から出た症状なのではないだろうか。
昨日、私は二度目だが、妻が見ていないので、隣町の縄文文化センターに行ってきた。
健忘症のことを考えたのは、縄文の展示物を鑑賞しながら、ふと思い出したことがあるからだ。
実は、この時間は函館市内で開催される、原発問題の講演会に参加する予定でいたのを思い出したからだ。
縄文人は、私の年齢の半分しか寿命はなかったはずだ。健忘症などあの時代にはなかったのではないかと、考えさせられたからだ。
私が縄文世界が好きなのは、縄文は私に何かを問いかけ目覚めさせてくれるからだ。
原発は今、電力会社の「やらせ問題」がクローズアップされている。
経済行為のなかった縄文社会には「やらせ」などという卑劣な言葉など必要なかったはずだ。縄文は現在人の魂を浄化させてくれる効果がある。そこが私が魅かれる最大の理由でもある。
私が縄文おばさんと勝手に呼んでいる、ベテラン説明員のNさんと親しく会話する。Nさんと私の会話は、共に縄文人になりきっての話だ。
死んだ子供や、親の足型をかたどった粘土板が展示されている。
それについては「形見」という言葉は、このことから来たのではないかという説に、お互い納得したりするからだ。Nさんとは顔なじみの妻も何かしきりに話している。
お互いおばさん同士の会話だ。「来場者が大勢で疲れるでしょう」という、現代語での会話に違いない。
随分前のことだが、私がある人を介し、この地区の遺跡発掘の責任者であるAさんを紹介していただいた。
初対面にもかかわらず、私の拙い質問に答えてくれた。私はその日から縄文入門の扉を開けてしまったようだ。
そのAさんが、このセンターの館長である。
ここまでこぎつけた努力、さらには世界遺産の登録への先鞭をつけたAさんに祝辞を述べた。
なにやら、カメラを持った報道関係の方が動き出し、館の入り口付近に人が集まりだした。
10月1日の開場から、1万人目の来場者だという。


私たちは、その9,990何番目かの来場者ということになる。ちょっぴり残念だったが、縄文は「君は私たちの仲間だから、はずれなさい」と、いっているような気がした。
今朝の新聞にその記事が出ていた。
函館市の隣、北斗市から訪れた6人家族で、9歳になる男の子が1万人目となった。
な・なんと!その名は「口川林作君」という。
林を作るなんて、まるで縄文の子供のようではないか!
「口川」とは私「川口」の反対である!縄文も粋なことをするものである。
こんな偶然と妙な新鮮さが、縄文の計り知れぬ魅力なのである。