先日、旧戸井町(合併し現函館市)において、道立戸井高校廃止問題の、住民説明会に参加してきた。
住民側からみると「廃止計画」だが、道教育庁側から言わせると「公立学校配置計画」となるそうだ。
地域の少子化と過疎化により、今年の入学が23名になったので廃止し、函館の高校へというものだ。
廃止の特例措置として、5年間は通学費や下宿代などの補助制度を設けている。
市町村合併による補助金、合併特例債(10年間)のようなものだ。
単純に考えると、北海道が財政難に陥ったので、無駄を省くということだろう。
教育庁側が主張する「教育環境の充実」という、言葉がやけに空々しく聞こえる。
住民側からは「教育の機会均等」で、地域教育の必要性を訴えるが、さほど必死さは伝わってこない。
治水事業によるダム建設で,水没するマチなら大声も出るだろうが、すでに函館市に吸収合併された町の、半ばあきらめというような感じも根底にあるような気がする。
問題は国からの補助金目当ての、全国一律のインフラ整備だけの行政をし、個性的で魅力あるマチづくりが疎かになったためである。
とはいえ、国の補助金のシステムが、多種多様な地方を生かす仕組みにはなっていず、地方の自治の精神を脆弱にさせたからでもある。
紐付きの補助金ではなく、地域の自由な発想でのマチづくりを奨励した「ふるさと創生1億円資金」。あれから20年経った。
※鮭釣りの朝のとどほっけ海岸。
函館市と合併した旧4町村の使い道を思い出してみた。
温泉の掘削・公園整備・土地購入・住民の国内外の視察研修などである。
成果はどうだったか、一度検証してみる価値はある。
当時、旧自治省のふるさと創生資金の担当者と話す機会があり「地域には1億円を有効に使う力が備わっていない」と、強調したのを思い出している。
国も地域も財源が厳しくなれば、効率的行政をせざるを得ないのだ。
小さいものや劣るものを疎かにするのは、教育の本来のあり方ではないはずだ。
道教育庁VS地域住民。傍聴していて、教育庁側の説明が心に響かなかったのは、教育が教育行政に徹し、効率主義に終始しているからである。
それにも増して心寂しく感じたのは、参加していた数人の市会議員である。
市町村合併には手放しで賛成したのに、この問題では反対だという。
市町村合併も学校の配置計画も、私には根底は同じように感じられるのだが。
ちょっぴり寂しい思いをした、秋の夜である。
住民側からみると「廃止計画」だが、道教育庁側から言わせると「公立学校配置計画」となるそうだ。
地域の少子化と過疎化により、今年の入学が23名になったので廃止し、函館の高校へというものだ。
廃止の特例措置として、5年間は通学費や下宿代などの補助制度を設けている。
市町村合併による補助金、合併特例債(10年間)のようなものだ。
単純に考えると、北海道が財政難に陥ったので、無駄を省くということだろう。
教育庁側が主張する「教育環境の充実」という、言葉がやけに空々しく聞こえる。
住民側からは「教育の機会均等」で、地域教育の必要性を訴えるが、さほど必死さは伝わってこない。
治水事業によるダム建設で,水没するマチなら大声も出るだろうが、すでに函館市に吸収合併された町の、半ばあきらめというような感じも根底にあるような気がする。
問題は国からの補助金目当ての、全国一律のインフラ整備だけの行政をし、個性的で魅力あるマチづくりが疎かになったためである。
とはいえ、国の補助金のシステムが、多種多様な地方を生かす仕組みにはなっていず、地方の自治の精神を脆弱にさせたからでもある。
紐付きの補助金ではなく、地域の自由な発想でのマチづくりを奨励した「ふるさと創生1億円資金」。あれから20年経った。
※鮭釣りの朝のとどほっけ海岸。
函館市と合併した旧4町村の使い道を思い出してみた。
温泉の掘削・公園整備・土地購入・住民の国内外の視察研修などである。
成果はどうだったか、一度検証してみる価値はある。
当時、旧自治省のふるさと創生資金の担当者と話す機会があり「地域には1億円を有効に使う力が備わっていない」と、強調したのを思い出している。
国も地域も財源が厳しくなれば、効率的行政をせざるを得ないのだ。
小さいものや劣るものを疎かにするのは、教育の本来のあり方ではないはずだ。
道教育庁VS地域住民。傍聴していて、教育庁側の説明が心に響かなかったのは、教育が教育行政に徹し、効率主義に終始しているからである。
それにも増して心寂しく感じたのは、参加していた数人の市会議員である。
市町村合併には手放しで賛成したのに、この問題では反対だという。
市町村合併も学校の配置計画も、私には根底は同じように感じられるのだが。
ちょっぴり寂しい思いをした、秋の夜である。
私の村も小中学校の統合の話が出ています。どちらかが空いたら、それをどう活用するか、町内会連合会の今後の課題です。過疎法という法律があります。平成の合併で合併した、旧過疎法の適用をされていた町村に、新過疎法が6年間延長されることになりました。私の村も適用され、来年度からその取り組みがおこなわれます。町内会が主体となった村づくりが始まります。ハード面ではなくソフト面に適用されるそうです。かといって、国の補助金はあくまでも一部借金です。そこをしっかり踏まえて、計画を立てなければなりません。この6年間で知恵を出し合い、自治能力を高めなければ、とどほっけは消滅します。「村づくり背水の陣」と、心しています。
広島大学が、広島市から移転していったとき、私は大学はだめになるし広島市もだめになると思っていましたがやはりそうなったと思っています。
大学が田舎に行くと働きながら学べないので、金持ちしかいけなくなり優秀な人がかなりいけなくなります。また、大学の先生方が田舎ではあらゆる意味で上等な資料が手に入りにくいので研究の効率が悪くなります。それに大学の職員人口が大量にいなくなることは都市経済にも文化活動にも大きく影響します。
私ごとですが、私は移転前に広島大学で主婦でありながら社会教育主事講習を受講しましたが移転していたら受けられませんでした。
ところで、椴法華高校(いつこうなった?)ですが、たとえば中学校の空き教室を利用して、中・高に変える運動をするとか、それがだめなら、みんなで松下村塾のようなものでも作って、大検が受かる能力を身につける。文部省が単位を認定しようがしまいがそんなことはどうでもいいよ。名ばかりの高校よりすばらしい人材を育ててますからみたいなことになるといいですね。NHKの高校生のための講座もとてもいいですし・・・。ときどき漁の体験をさせたり、お寺の世話をさせたり、町内会長の仕事を手伝わせたり、奥さんのお店を手伝わせたり、魚をさばかせたり、これが世に言う文化の香り高い椴法華高校ですみたいな。