
🔽戦後70年。ついに徴兵制が、我が国の国会で討論される時代になった。集団的自衛権の行使容認になれば、徴兵制は当然のことと思われるが、政府答弁は「絶対にありえない」といっている。憲法9条が存在するうちは、徴兵制はありえないといっているので、変えてしまえば、ありえるという意味なのだろう。“なし崩し”という言葉があるが、今の野党の力では、アベ政権に太刀打ちできないようだ。「なし崩し、なっしー」と、“ふなっしー”にお願いするより仕方がないようだ。
- そうだ、全国の人気キャラクターを集め、国会前デモに参加させるしか、アベ政権を打倒できないだろう。昨夜そんな夢を見たわけではない。昨夜は徴兵制で頭が混乱し、夢も見なかったのだ。朝起きてブログを書き始めたら、絶望の中に、こんなアイディアが浮かんできたのだ。アベ総理に対抗する者は、憲法学者でもダメなら、子供から大人まで支持される、人気キャラクターの総動員しかないと思いついたからだ。これにはアベ総理も怯むに違いない。キャラクターに頼るより手段がないというのは情けない話だが、今のアベ総理に対抗するのはこんな感じでいいのではないかと思う。党首討論に“ふなっしー”が現れた。これなら視聴率は100%に違いない。
- 徴兵制を布くためために、真っ先に向うのは教育現場だ。そういえば、つい最近、学校に「道徳専門の教師」を配置するという、構想があったのを思い出した。そうなれば、軍国精神の注入強化だ。それに対し、政府答弁は「絶対にありえない」だろうだが、シモムラ文部科学大臣はアベ総理と意気投合する仲だ。朝礼に「国旗を掲げ“君が代”斉唱」。終礼には「国旗を掲げ“海ゆかば”斉唱」なんてことになりはしないだろうか。
- 「二度と再び子供たちを戦場に送らない」。こんな垂れ幕が校舎に掲げられる光景は、あってはならない。大学の学長や教授たちも、憲法を遵守しないアベ総理の批判を始めた。小中高の校長や教師たちも立ち上がり、町会長も立ち上がる時代になってきたのではないかと、最近の新聞はそんな考えを喚起しているように感じてしまう。やはり“ふなっしー”に先頭に立ってもらうしかないのではないかと、真剣に考える最近の私だ。
▼「教育とは健全な地域社会と健全な人間を形成する最も大切なものである」というのは、哲学者ルソーの言葉だ。田舎に住む私は、最もだと実感する言葉の一つだ。私は、昨年から函館市の社会教育委員に任命されている。昨今の世相から、会議に出席する心が、重く暗くなるのを感じる。だが、こんな時代だからこそ、笑いを誘うような提言をしてみたいと思う、「取り留めのない日本の取り留めのない私」だ。
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