▼ 1945年の沖縄戦は、3カ月で20万人以上の犠牲者を出した。水平線にびっしり並んだ米艦隊からの砲撃は「鉄の雨」さながらだったという。戦闘に巻き込まれた沖縄の一般市民の犠牲者は、10数万人ともいわれる。日本軍は、沖縄県民を守らなかったという言葉も残るほどの巻き添えだ。
▼ この戦いで、米軍の死傷者も8万人を上回ったという。甚大な被害を目の前にした米軍は、その2カ月後、広島と長崎に原爆投下を踏み切ったと「戦後70年へ・北海道と戦争」という特集が、北海道新聞に掲載された。旭川に本部を置く、陸軍第7師団1万人も犠牲になった戦いだ。私の父親も第7師団だったが、残留のまま戦死を免れている。
※マリーゴールドの咲く畑。ウクライナではない、函館近郊だ!
それから69年目の沖縄で、再び戦いが起きた。「普天間の米軍基地の辺野古移設」を争点とした、沖縄知事選挙だ。現職のナカイマ知事は移設反対から賛成に寝返った権謀術数に長けた政治家だ。2年ほど前、函館市内のホテルの朝食事、同席した沖縄の若者が発した言葉を忘れない。「裏切り者のナカイマは次の選挙は必ず落とす」と。
▼ 辺野古の埋立工事は、ナカイマ知事が許可したため、現在進捗中だ。政府筋の談話は「県の承認を得ているから問題ない」と、沖縄県民の心を踏みにじる。戦後米軍基地の設置のため、民家をブルトーザーで押しつぶした行為と、なんら変りもない。ナカイマ知事にあっては「負けた理由がよくわからない」と、政治家としても、人間としてもすでに認知症状態を呈している。
▼ 沖縄戦での、大田実少将自決前の電文を思い出してほしい。「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」。
▼ 1969年(明治2年)函館戦争は終結した。爾来145年、函館市が国を相手取り「大間原発建設差止め訴訟」を起し、戦いを挑んだ。沖縄県民の熱き魂を函館市民も見習いたい。
▼ 2014年12月1日より1月末の2カ月間、函館市町内会連合会は市内各団体と一丸となり「大間原発建設反対市民大署名運動」の市民戦を展開することとなった。南は沖縄、北は函館。戦後民主主義の成熟度が問われる、一戦になりそうだ。「民主・平和の旗」が、日本各地に翻る、そんな戦後70年であってほしい。
沖縄市民戦勝利を祝し、函館市民戦の決意もあらたにしたい。「青函の興廃 この大間原発にあり 本日天気晴朗なれど 津軽海峡波高し」。
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