▼3年前に癌で亡くなった高校時代からの悪友は、当時癌に効くと言われた薬を、本当は「毒」なんだと私に話した。
▼そのことを書いた本を貸してくれた。確かに癌の薬の説明書には「毒」という字が記載されていた。
▼考えてみれば癌の治療をしている患者は、髪の毛が抜け落ち、薬を飲むのが辛そうで、食欲もなくなっている。
▼友人は学生運動のデモ隊の指揮をしていただけに、自分の考えを曲げることはなかった。癌治療を拒否した。
▼癌の手術では名が通っている医師の執刀だったが、態度が横柄だと話していた。彼の状態は私が見ても長くはないと思っていたが、彼は医師に「あとどのくらいか」と聞いたという。
▼【あと3日だ】と言ったという。彼は怒り心頭に達し自宅に戻った。だが自宅療養は困難となり、別の病院に入り宣言されてから10日ほど頑張り、私が見舞った後に亡くなった。
▼医師の予想を7日も覆したのだから“勝負師”?らしい最後だった。勝負師と称したのは、彼が競馬の大フアンだったからだ。
▼亡くなった時、看護婦さんが競馬新聞を顔にかぶせてくれたというのがうれしい。競馬は負けが多かったようだが。
▼彼はゴルフのシングルで、ゴルフはめっぽう強かった。ゴルフ仲間に医師たちが多かったので、その関係ですんなり病院の確保ができたのだ。
▼昨夜、佐高信著『安倍「日本会議」政権と共犯者たち』を読み終えた。そこでこんな文章に出会い、ちょっぴりおっちょこちょいで、憎めない男だった、悪友のことを思い出した。
▼「薬学」のことを、昔は【毒物学】と言っていた。クスリは毒であり、毒にもならないクスリは、それこそ何にも役に立たないと。
▼彼はそのことを知らないで、「癌」の薬は、毒と書いていたので、毒を患者に飲ましてわずかに延命させ、高い治療費を取っていると考えていたのだ。
▼私のあの世で彼に出会ったら、そのことを教えてやろうと思うが、彼が考えてそれを実行しすべて終了しているのだから、黙っているのが悪友らしさなのかも知れないなどとも考えている。
▼だが彼は「毒」だと思ったが、もしその医師が丁寧に親切に教えてくれたら、彼も納得し治療を受けていたのかもしれない。
▼ふとこんなことを考えさせられたのも、プーチンとゼレンスキーの「言葉の応酬」が、私の頭を覆っていたせいかもしれない。
▼言葉は「生きる意欲を与えてくれる」意思伝達の手段であってほしいものだ。
騎手になっているのではないかと思う悪友
三頭下
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