夕食が済んだ頃、
訪ねてきたのは、置き薬の会社の人でした。
だいたい定期的に来ているのだと思いますが、
そうとうな件数をまわらなければいけない、大変な仕事ですね。
感心するのは、この仕組みです。
特別御大層な契約があるわけではなく、
信頼関係だけで、商品を置いて帰って、使った分だけの金額を請求して、
不足している分の薬を補給して行くわけです。
当然支払うべき料金も払わない人がいる世の中で、
この仕組みが、連綿と受け継がれているのは素晴らしいです。
多少の小悪党がいることも許容した上でだと思いますが、
正しい道徳観があることを嬉しく思います。
弘法大師と高野山の関係を説明している話をDVDの音声から文字に起こす作業をしていて、
何箇所か聞き取れない ( あるいは仏教用語で私達には解らない ) 言葉があったので、
親しくしてもらっている歴史家に電話して確認しました。
聞いたままの単語だけを伝えても解らないので、その前後を読み上げたのですが、
まず第一声、
「 あんまり歴史を理解していない人やね!
それでは年代が違う。
弘法大師が高野山に入ったのが8××年で、藤原氏が摂政関白に就いたのが8××年。
時代が合わない。 」
聞きながらとったメモが、今手元にないので正確には書けませんが、そんな話が返ってきました。
続けて、
「 歴史は、モノの判断の基礎やからね。
その年代を疎かにして、考えられない。
正しく理解しておかないといかんよ!
小説は、その年代をずらして話を作るけどね。 」
とのことでした。
私の様に、グラフィックデザインを専攻すると、デザイン史を習います。
建築を専攻した人は、建築史のカリキュラムがあるし、
建築士の試験でも、問題数は少ないですが建築史が出ます。
学生の時は、その大切さが解りませんが、永く仕事にしていると、
歴史を解ってつくる建築と、解らずにつくる建築では明らかに違うことが解ってきます。
ある歴史的に重要な地域で仕事をしたときに、
地元の教育委員会から呼び出されたことがあります。
建築協定まではいきませんが、文章で書かれた仕様書にそって、プランしたうえで、
教育委員会と、地域の委員の承認を受けないと建築が出来ない決まりがありました。
敷地の都合で、決められた通りの仕様ではキタナイ建物になってしまう様なことがあって、少々挑戦しました。
なぜ、決まりがあるのを知っていて、このデザインで建築しようとしているのか説明しろ という訳です。
プランに掛かる前に、けっこう時間をかけてこの地域の歴史を勉強しました。
同時に、周辺を歩き回って、本来のこの地域の建築はどんな特徴を持っていたかを探りました。
デタラメにデザインを決めたのではなくて、そんなことを押えた上で、
現代の解釈に置き換えていることを時間を掛けて説明しました。
最終的には、“ 理解してもらった ” よりも上、
“ 感心してもらった ” 感じで話が落ち着きました。
元々、歴史を大切にする意識があったからかも知れませんが、
上辺をなでただけではなくて、
キチンと本質を探ることを疎かにしなかったことが、功を奏した例だと思っています。