建物が完成して、
県の完了検査を受けると
担当者が変わっても必ず検査員が感想を言って帰ります。
彼らも沢山の建物を見る仕事なので、
このことは誇れるのだろうと思っています。
今日も一通りの検査を終えて外に出てから
もう1度中に入って、帰り際
「 オシャレな家ですね 」 と!
心の中で
「 そうでしょう 」
と答えておきました!
新しく替えて、
まだ走行距離20km程で慣らしが終わっていないタイヤで
湯浅町から和歌山市内に向かうために高速道路を走りました。
新しいタイヤに急激に熱を入れるとゴムの組成が変わってしまって
性能が落ちると昔からの考えですが、
今の技術でもそうなのかどうか、本当のところは解りません。
100km/hを上限にして走っていると結構ストレスですが、
「 ここは我慢ガマン 」 です。
その先を快適に使うために!
建物でも、
初期の慣らしの期間や、
初期トラブルはあると思います。
それらがクレームになってしまうことが怖くて
普通の建築屋さんは無機質な材料に逃げてしまっているのが現状ですが、
そこから先の風合いの良さ ・ 気持ち良さを得られなくなっていることが残念です。
例えば、
ホンモノの木を使っていると、
工事中の湿度と人が住んで生活を始めてからの湿度の差だけでも
狂いがでることがあります。
これもホンモノであれば調整が可能なので、
少しずつ慣らしていけば安定します。
その期間を受け入れられるかどうか。
この不具合が必ず出るわけではないし、大抵は季節を一回りすれば解決します。
その時間を惜しんで生涯無機質な建物で暮らすか、
少しの間暮らしながら建物の完成を楽しんで
その先味わいの深い建物で暮らすか。
私は、後者を選びます。
機械でも
増して、建築は本来そういうものだと思うのです。
田舎の暮らしは、
都会よりも歩く機会が少なくて、
自動車が走る速度で景色を見ていますが、
それは本来の人間が見る景色ではないですね。
今日、有田川町で散髪に行ってから
待ち合わせ場所までの2kmほどを鳥尾川に沿って歩いてみました。
夏の景色です。
アスファルトからの焼け込みもあります。
特別新しい発見はありませんが
“ ヒトの速度を感じることができた ”
ことが収穫でしょうか。
ナマケモノで、ついつい楽をしてしまいますが、
こんな日も必要なことを感じました。
素足にデッキシューズ履いてたのは良くなかったけど ・ ・ ・
建築家なら誰でも同じようなことをしているのかどうか、
訊いてみたことがないので解りませんが、
完成した建物で、
あっちから歩いてみたり、
こっちから歩いてみたり、
立ったり、座ったり、
寝転んでみたり、ゴロゴロしてみたり。
自分の身体で色々と感じてみます。
現場の人達は、ふざけたヤツだと思っているかも知れませんが、
そんなことが、
自分の財産だったり、
価値観だったり、優先順位の判断材料だったりします。
叶えられるなら、
2~3日暮らしてみたい ・ ・ ・ 。
ピカソやブラックのキュビスムは、
「 モノ ( あるいは物事 ) には、1つの面だけではなくて、
視点を変えれば違う面が見えることを
1つの平面上に表現した。 」
と、理解していますが、
正しい解釈かどうかは解りません。
人の目が三次元を絶妙に捉えていることを日頃は意識しませんが、
今見えている部分だけではなくて、
さらに廻りこんだ部分まで頭の中で無意識に分析しているようです。
私の場合は、仕事柄あえてそのことを意識していることが多いですが、
建物の完成写真を撮るときに、
ヒトの頭の分析能力と、カメラという機械が表現できる限界との
ズレを強く感じます。
目で見ている形と、写真の仕上がりとが全く違う。
特に階段室の写真では、
目で見たモノを頭の中で編集して
自分が理解できる画に変換していることに気付きます。
ヒトのカラダはそれだけハイレベルに出来ているということでもあります。
今日撮った建物では、
階段の途中にスキップフロアがあるので、
これを表現することに特に苦労しました。
( 苦労するのは私ではなくてカメラマンですが ・ ・ ・ )
1カットずつでは、全く流れが表現できません。
逆に言うと、
写真で見た建物が、
正しい空間を再現していないとも言えるということです。