“ マグニチュード ” とか “ 震度 ” とか、
“ ガル ” なんていうのも!
地震の大きさを表す単位は色々あるけど、
そういうのだけではない
“ 感覚 ” 的なこともあるみたいです。
Skypeでインターネット会議をしていました。
和歌山市内、御坊市、太地町、それに私の有田市が
参加メンバーの居所です。
ダダダっていう一瞬身体を固くするようなショックを感じて、
「 地震! 」 って思いましたが、
パソコンの画面の誰もそれらしい反応をしていません。
「 上野山さんだけ違う? 」 とか言われて!
震源地は湯浅町沖紀伊水道。
湯浅町で震度2。
有田市では震度1だったので、
これではちょっと離れた人に解らなかったのは当然!
有田市の中では
震源地の湯浅町に近いこともあるとは思いますが、
それにしても、
震度2のショックではなかったんですね。
以前、有田市沖が震源の震度3も強烈でした。
“ 震源までの距離 ” っていうのは、
一般的な数値とは違う感じがあるみたいです。
因みにインターネット会議の内容は、
建築家協会の 『 災害対策委員会 』 !
少し遅れて座敷に入りました。
和服姿の女性が座っていて、
この方が今日 『 和歌祭 』 について話していただく
寺本とも子さんだと解りましたがが、
立ったまま挨拶してしまいました。
本来、その場に座ってご挨拶するものだと思いますが、
いかにも大そうな気がして、
けど、和室に正座されている人に
立ったまま挨拶なんてのは、
何ともカタチの悪いモノだなと反省 ・ ・ ・ 。
私が子供の頃は、
親戚が集まったときなど
大人たちがあちこちで座って挨拶しあっていて、
「 そういうものなんだな 」 と思っていました。
今月の 『 茅の会 』 、
400年の歴史をもつ 『 和歌祭 』 の
伝承に苦心されている寺本さんからお話を伺いました。
和歌山市内 ( 旧市街 ) の人と
それ以外の県民 ・ 市民とは、
紀州徳川家にたいしての意識に随分差があると感じていて、
私自身あまり特別な思いはありませんが、
永い年月守られて来たものが
この時代に消えてしまうのはいけないことだと思っています。
メンバーの小杉さんのお孫ちゃんに
女の子の装束を着せて見せてもらいましたが、
「 この装束を着られる家に生まれた子は
とても名誉なことだろうし、
着られない家に生まれた子は、
とてもうらやましいだろうな。 」
と感じました。
祭りを受け持つ地域の住民意識が変化したこと、
警察や小学校の無理解など、
原因は色々あるようですが、
和歌浦の東照宮は、
全国どこにもある東照宮の中でも特別なのだそうです。
ぜひ守って欲しいと思います。
この本を何年も前から持っていますが、
まだ読んだことがありません ・ ・ ・ 。
改めて読んでみようかしらン!
三十数年まえも大都会だったけど、
最近の大阪は、
以前とは比較にならないほど高いビルが増えて
「 やっぱり都会やなぁ! 」 とますます感じます。
18、9のころ
梅田の地下街から曽根崎警察で地上に出て
旭屋書店に向かうと、道路を隔てた右手にある
銀色に輝く建造物が
とても奇怪なモノに感じていました。
これが、村野藤吾という大先生がつくった
梅田地下街の換気塔だと知ったのはずっと後のことです。
昨日、これを初めて上から見ました。
「 あぁ~
確かに換気塔やぁ!
穴空いてる! 」
このカタチが
良いのか悪いのか。
・ ・ ・ 良いのでしょうけど。
今でも私には解りません。
って思ったら大きな間違い!
何より漢字読むのがタイヘン ・ ・ ・ 。
昭和天皇が、
東宮御学問所で歴史を学ばれたときの教科書です。
( 復刻版ですけど、モチロン! )
まだ、神武天皇が橿原の地に入ったところですけど、
もうツライ ・ ・ ・ 。
( そう言えば、このあいだそんな話したぞ、
2676年まえの出来事やって!
・ ・ ・ 酔っ払ってたけど、聞いている方は迷惑だっただろうなぁ! )
日頃から途中でやめてしまう本も結構あるから
これもやめてもいいんですけど、
「 やぁ~めた! 」 ってまだ思えないのでもう少しガンバル!
この辞書みたいな厚さに挑戦!
何だかんだ言っても
世の中豊かなんだなぁ ・ ・ ・ 。
本なんかタダで手に入ってしまう!
下津の図書館に
「 ご自由にお持ちください 」 みたいなコーナーがあって
市民の皆さんがいらなくなった本を持って来て
そこに置いていくのだそうです。
で、うちの奥さんはそれをもらってくる。
そんな仕組みになっています。
司馬遼太郎ってファンも多いし、
私も好きです。
文章のリアリティが魅力の1つなんですね。
さきに読んだのがこちら、
時代物の短編が6作。
これを読んでいるときから感じていました。
時代物で創作なんだから、
背景もご都合に合わせてもよさそうなのに、
エピソードに史実の説明が入ります。
で、次に読んだこれで
確信しました。
「 司馬遼太郎の “ ホンモノ感 ” は、
細かいところにまで、
キチンと説明できる設定をしていることなんだろう。 」
主人公を車藤左と言います。
『 車 』 っていう苗字は、
あのダンゴ屋さんの一家意外に私は知らないけど、
事実、ひどく希少な姓なのだそうです。
車氏は常陸の名族
常陸国多賀郡車村から出ている
代々佐竹氏につかえた
さらに、
一族から善七という人が出て、
関ヶ原の役の後江戸に潜入して
乞食の群れを組織化して徳川氏への復讐をくわだてるが失敗。
家康はその豪胆さにあきれるが殺すにはしのびず
乞食頭としたので
江戸300年のあいだ、乞食をするものは車善七の鑑札が要った。
このため、諸国で車姓を名乗るものは他姓にあらためた。
そのためひどく希少な姓になった。
そんなことだそうですが、
1人の人物像を設定するために、
これだけの史実を裏付けにしていることが興味深いです。
“ ホンモノ ” の条件は色々あると思うけど、
『 キチンと説明できる(説明がつく) 』 ことは、
初歩の条件なのだとうと思うのです。