他人様に説明できないことは、
自分の考えが正しいかを疑ったほうが良い。
そう思っているけど、
正解を確信しているのに
どうしてもうまい説明がつかないことがあって、
永く答えを探しているようなことがあります。
誘われて参加したセミナー
和歌山市内の郭家住宅っていう貴重な建物を
保存する活動をしている人たちの会が主催したものです。
終わりが近づいた時間に出たお話で、
「 なぜ古い建物を保存しなければいけないのか 」
という問に対して、
「 建築はその地域の人達に共通の記憶の器 」
との回答がでました。
“ 目からうろこ ” みたいな感じです。
そういうことなんですよね。
古いものは、
そこにあり続けられることを許される美しさがあるから
壊されなかったわけで、
それは地域の記憶の器にまでなってしまっている。
その建物がなくなることは、
記憶の一部がなくなるのと同じことで
それはそれはたいへんなこと。
なんですね。