若い頃は、経験していることが少なくて、
深いことをあまり知らないからか考えが生意気で、
人間国宝みたいな人が
「 まだまだ修行中です。 」
みたいなことを言うのを聞いて
「 かっこいいからあんな風に言うんだろう! 」
くらいに思っていました。
少しずつですが、
色々なことを経験して、解ることが増えてくると、
自分自身逆に解らないことが沢山あることが解ってきて、
「 人間国宝ほどの人になると、
もっと解らないことが沢山あることに
気付いてしまうんだろうな。 」
っていうふうに感じ方が変わってきました。
先日『 豆の会 』でお話いただいた橋爪かおりさんの
宮中賢所での上役だった高谷朝子さんのご本。
前の2/3くらいは、
見たことのないことを文字で説明されている感じで、
なかなかイメージできなくて読むのに随分時間がかかったけど、
のこり1/3ほどは、普通の物語っぽい感じで楽に読みました。
読み終わって、今思っていることは、
大変な歴史と伝統がある場所で、
大きな使命をまっとうされた人の謙虚さです。
成し遂げた人は、
そのために力を貸してくれた人のことも、
その環境を作ってくれた全ての人のことも解っているから、
自然と謙虚になるんだろう。
そんな風に感じています。
この人のように( 男女の違いはあるけど )、
美しく歳を重ねる人になりたいな!
って思ったりします。
古いアルバムに挟まっていた古いチケットです。
御巣鷹山の日航機墜落事故から5日後ですね。
高知からの帰り、
あれだけの事故の後だから
みんな飛行機を怖がって席が空いてるんじゃないか。
という考えはあまくて、満席 ・ ・ ・
どころか、キャンセル待ちが多すぎて
これは、臨時の増発便だったと記憶しています。
「 ヒトって意外とたくましい! 」
と実感したものです。
昨日朝、福島沖で大きな地震があったことをテレビで知りました。
夜の報道番組を観ていると、
津波を警戒して、敏感に高台に避難した人も多かったみたいですけど、
そんな人ばかりだはなくて、海岸や川の近くを
呑気に走っているクルマも沢山映っているんですね。
こりゃ、たくましいと言うより、
「 ヒトって意外とニブイのか? 」 と考えてしまいます。
そう言えば、
復興途中の神戸で、
信じられないほどいい加減な工事をしている建物も結構見ました。
建て主も業者も、あれだけの経験をしながら、
なぜなのかと不思議に思ったものです。
“ 教訓 ” っていうけど、
それくらい簡単に忘れてしまうモノなのかも知れません。
思い出して笑ってしまいました。
去年の 『 日本書紀歌謡 』 の打ち上げで、
「 和歌山弁に敬語ないじゃないですかぁ。 」
私の発言で、
時間が止まってしまったようにシィ~ンとなりました。
県外の人達にはそれほどの驚きの発言だったようです。
司馬遼太郎がそのことをそのとおりに書いています。
“ 南海道 ” の説明の中で、
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“ 南海道 ” は七世紀末、文武天皇のときに七道の一つとして
制定された地域で、紀州(和歌山県)と淡路と四国を指す。
土俗として平等意識がつよく、そのため過剰な敬語が発達
しなかった(紀州の方言にいたっては敬語がない)などの共通点
がみられるが、 云々
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ちょうどこの辺りを読んでいたのが、今年の 『 日本書紀歌謡 』
の頃だったので!
興味深い話のところは、
ページの端を三角に小さく折りながら読むのですが、
そんなのが結構あるなかで、もう1つ。
住宅地の分譲などで、『 ナントカが丘 』って
名称をつけると、みんな素敵な土地だと思うみたいだけど、
司馬遼太郎の中では、なんと粗末な土地かとおもってしまう。
のだそうです。
「 もっとましな土地はないかね 」 と。
『 ナントカ谷 』 が日本人にとってはめでたき土地だった。 と。
米がつくれない土地はダメな土地だから。
ということらしいですが、
今の時代、水の心配のある
『 ナントカ谷 』 が良いとは言い切れないと思うけど、
今どき 『 ナントカが丘 』 も、あまり賢い人が
つけた名前には思えないんですよね ・ ・ ・ 。
などと、
昼間図々しい質問をしたのは、
完全に ・ 全てを油断して付き合っている
同級生が相手だったからですが、
「 そんな風には気付いていなかった! 」
との率直なお返事だったので大して成長はしていないようです。
そして夜。
黒田さんから、
先日の 『 日本書紀歌謡 』 のとき撮った
写真のデータをCDでお渡ししていた件で、
「 溯芳さんから、上野山さんらしいアングルで云々 」
のお礼のメールがありました。
「 演奏中もドンドン写真撮ってください。 」
と、事前にお話を頂いて撮ったものですが、
座った席の制約を受けたことと、
液晶のバックライトが後ろの席の人の迷惑にならないように
意識したカメラ位置からアングルが決まったものなので
相当低い位置になっています。
改めて見ると、下から覗き込んでいるみたいな ・ ・ ・ 。
こんな写真勝手に公開していいんだろうか? 叱られたら消そ!
もっとヒドイのは、空席だった前の椅子の背もたれが写り込むほど!
ただ、もう1度見ていくと
カメラ位置を下げて見上げる感じって好きでもあるんですね。
顔の位置を上から1/3くらいに意識して写したけど、
カメラの高さが胸元くらいです。
これは、「 下から狙い過ぎ! 」 って
久保順さんから指摘された写真ですが、
地面にカメラを着けて建物を入れることを意識したもの。
以前は、私の写真で
“ アングル ” を話題にしてくれる人もいなかった思うので、
いくらかの成長 ( とは限らないけど ) があったのかと思いますが、
低いアングルが落ち着くのは
日本人的な自然な感覚なんだろうと思っています。
小津安二郎の
( ここで小津を引き合いに出すのは図々し過ぎるけど ・ ・ ・ )
卓袱台の裏が見えそうなカメラの高さは、
私には自然に感じられるし、心地良い。
そのことに気付いてから色々意識していると、
日本人の生活の中には低い視線を意識したものが
まだまだ多いように私には思われます。
は、「 何もできません 」 と同じなので!
これなんか解りやすいですね。
1つの中に色々入っていて万能に見えるけど、
どれも間に合わせで本格的には使えない。
私の場合は、精々キャンプに持っていく程度です。
昨日、12日の午前、
和歌山市民会館を考えるシンポジュウムに参加しました。
と言うか、見て来ました。
県庁所在地の市民会館。
増して、伏虎中学跡地利用で話題になった施設なのに、
参加者の少なさに驚きました。
それぞれの立場の人の話を聞いていても、
「 それをまとめた建物をつくったら、
誰にも良い建物ではないのが出来ちゃいますね。 」
というのが感想です。
目的をシッカリ決めて、そのための施設をつくらないと!
本当は、もっと前段階の問題があるのですが。
25歳でこちらに帰って来たときから、
和歌山の人の “ コンセプト ” の概念の弱さを感じていますが、
このシンポジュウムでも同じことを感じました。
担当の設計事務所の説明は、
「 設計事務所はそんなことを言いますよね。 」
という内容でしたが、施設単体の話ではなくて、
“ 街をどうつくっていくか ” のシッカリした考えがなければ、
何をつくっても上手くいかないと思うのです。
“ 街をつくる ” ためのコンセプトがあって、
それに従った施設をつくる。
この順序だろうと思います。
和歌山市だけで起きている問題ではないけど ・ ・ ・ 。