締めの言葉が上手く見付からないとき、
「 ~な感じ 」 と 「 ~が気持ち良い 」
でだいたい間に合うことに気付いてから便利に使っています。
同じ感じで司馬遼太郎は
「 ~な気分 」 を使っていることに、
「 大作家も大した差がないナ! 」
などと思ったり、思わなかったり ・ ・ ・ 。
私達が知っている仏教が、
仏教の初めからの形ではないことには以前から気付いていたけど、
神道もやっぱり同じで、
時代に合わせて便利に変化してきているんですね。
この巻は、ほぼそんな感じのお話。
『 あとがき 』 の締めが面白くて、
ヒトは、その民族や国家、社会にうまれてくる。
カエルやサルやハナムグリも、またそれらの社会にうまれてくる。
ただかれらはヒトと違い、歴史のなかにはうまれて来ない。
のだそうです。
さすが、大作家な感じがして気持ち良い!
月曜夜から積もり始めた雪が、
火曜日には和歌山県の交通を混乱させて、
水曜日になってもまだ解けきっていませんでした。
我が家の離れの軒先ですが、
屋根の雪が押し出されてこんなになっているのを、
肉眼では初めて見る気がします。
そんな火曜日の交通の混乱に私も巻き込まれて、
家を出てから、海南のインターチェンジのあたりまで、
普通は30分ほどのところを70分かかって、
お昼の約束に大遅刻です。
渋滞でとまっているクルマから見える家並みに
気づいたことがあります。
立地や方角、材質、それに勾配など
条件に大きな違いがなさそうに見える住宅の屋根で、
厚く雪が積もっているのと、
ほぼ完全に解けてしまっているのとがあるんですね。
一見すると積もっていないほうが良さそうなのですが、
ここからは私の推測です。
人が住んでいれば、家の中の温度は高くなります。
屋根面の断熱性能がキチンと出ていたり、
小屋裏の換気がシッカリ出来ていたら、
室内の温度は屋根の表面には伝わりにくい。
その逆は、室内の温度が屋根表面に伝わりやすくなります。
「 その違いが、雪の解け方に連動しているんじゃないだろうか? 」
と、思うのです。
そんな風に見てみると、
キチンと建てられているように感じられる建物の屋根で
沢山雪が残っているように思えてきました。
印象だけで、正しく調査した結果ではありませんが・・・。
金沢の浅野川にかかる 『 天神橋 』 。
この写真は、
5年前の3月、金沢に講演で呼んでもらったときに撮ったものですが、
北島三郎さんの 『 加賀の女 』 の歌詞にこの天神橋が出てくるので、
歌になるような何かドラマチックなことがあるのかと、
講演翌日の空き時間に、期待して見に行ったのでした。
行ってみたら、
特別どぅっていうこともない鉄の橋 ・ ・ ・ 。
私の事務所には、
「 まだ読んでいない本のコーナー 」 があります。
( って、ただ平積みしているだけだけど・・・ )
ここにあった泉鏡花の短編集。
なぜ買ったのかも覚えていないこの本の中に
『 義血侠血 』 っていうのが収録されていました。
粋で、きれいで、色っぽくて、切ない物語で、
芝居の 『 滝の白糸 』 の原作だそうです。
この 『 義血侠血 』 の中で、
『 天神橋 』 が重要な場面になっているんですね。
改めて 『 加賀の女 』 の歌詞を見たら、
この物語を演歌のご当地ソングに直しただけ!(失礼!)
みたいな感じで
「 これかぁ! 」
って、この特別どぅってことない橋がドラマチックな理由が、
5年越しで解決しました。
昨年末おきた糸魚川の大火でも、
炎が隣家にうつった印象の言葉で伝えられたけど、
熱を浴びて発火温度に達したら
炎がとどかなくてもモノは燃えるんですよね。
先日見せてもらった火縄銃の場合は、
黒色火薬に火を押し付けることで爆発させるけど、
そうでなくて、火薬もある温度に達したら火がなくても爆発する。
って想像できます。
けど、トンネル工事中、岩盤が高熱過ぎて
ダイナマイトをセットしている最中に爆発したらイヤだゎ!
このことは黒部第四発電所の工事を小説にした
『 黒部の太陽 』 でも描かれているけど、
第三発電所の工事のこちらの方が断然リアルでした。
黒部第三発電所は、日本が戦争するために
重要な電力を供給することが必要だったらしいけど、
今、日本の経済を守るために原発が必要。
という意見があって。
現代文明では常に電気って重要なんだな。
って感じます。
そのほかに、
戦前は、人の命が安く扱われていたと思っていましたが、
工事中の事故で人が亡くなったときの
役所や警察の対応は、この小説で見る限り
現代私達が感じているのとあまり変わらないようで、
( 全く同じではないんだろうけど )
ちょっと安心した感じです。
260年間ほとんど進歩していない。
って説明されてしまうと、
ホントかなぁ?
と思ってしまうけど・・・。
昨日、今年1回目の 『 豆の会 』 は、
古書肆 『 紀国堂 』 店主、溝端佳則さんから
火縄銃の話と、有田の古写真を見せていただきました。
お話では、火縄銃の兵器としての性能は、
江戸の初期と幕末でほとんど進歩していないとのこと、
ずっと使うことがなかったので、
進歩することもなかったらしいです。
日本人が、そんなに永い間、
道具を改良しないっていうことがあるだろうか?
と、色々考えたけど、
「 戦後70年あまり、
一般的な住宅の基本性能はほとんど進捗してないヤン!」
っていうことに思い当たって、
納得してしまった・・・。