奥さんとの会話で 『 辻が花 』 の話題が出て、
着物の染め方などにはあまり知識がない私ですが、
ちょっと気になって ・ ・ ・ 、
ありました。
観に行っていたんですね。
昭和60年、ナビオ美術館 です。
22歳かぁ!
「 美しいものは何でも見てやろう! 」 って、
そんな意欲で行動していた頃です。
最初頭に、
「 この頃に吸収したのを今消費しているだけになっていないか? 」
って、浮かんだけど “ 消費 ” ではシックリきません。
それだと、いつか消費し尽くして涸れてしまう感じになる。
誰かが 「 これは美しいんだよ 」 って教えてくれたものや、
美術館に並べられたものだけではなくて、
日常のちょっとしたことにも美しいものを見付けて感動できるから
「 若い感性で吸収したのを今ゆっくり消化している! 」
感じですね。
じっくり時間をかけて自分を育てないと、
どんなにしても、良さが解るようにならないこともあるので。
『 紀伊國名所図会 』 の初版、2版と順調に出版した後、
滝沢馬琴宛てに
第3版の編集作業が上手く進まないことを嘆く手紙を
出した記録があるのだそうです。
誰が?
って、聞いたけど忘れました。
けど、高市志友さんではありませんでした。
作業が進まない理由は、
高野山との折衝が上手くいかなかったことだそうです。
今月の 『 茅の会 』 、
「 困ったときの江本だより 」
・ ・ ・ とか書いたら、主宰の黒田さん怒るだろうか?
そんなこんなで、
帯伊書店さんと紀伊國名所図会のお話でしたが、
歴史を検証する上での
資料の取り扱いや、解釈の仕方が面白いんですね。
ホントのことは誰も解らないから、
自由だったり、ときにはそうとう乱暴なこともありそうです。
いま一緒に自治会の役員をしているオッチャン。
今の朝ドラを 「 主役がブスやから観ていない。 」
のだそうです。
「 波留のときはベッピンやから観ていた。 」 そうで、
杏にいたっては 「 杏ちゃん♡ 」 って、
ハートマーク付いていそうな呼び方をしていたから、
好みと表現が直結しているじぃさんですナ!
私は、今のも観ています。
『 家を建てる 』 っていう目標を達成して、
建てた家が、何十年も経って古びた感じで新築に見えない。
なんてツッコミたくなることもあるけど、
以前の借家に続いて、
新しく建てた家もデザインが良いんですよね。
この奥の障子なんかモダンで上手いと思うなぁ!
角度が変わって、縁側との取り合いの障子も!
デザインを担当している人は、
4枚引きの障子を
召し合せ側と、両袖とで意匠を分けるのが好みみたいですね。
ヘタにするとうるさくなるんだろうけど、
これは上手くまとめられていると思います。
( 現実の家で、1室にこの手法を2か所使っているのは
やっぱりうるさいと思うけど、
テレビだからそこは良いとしよう ・ ・ ・ )
どうやら台風も通り過ぎて、
落ち着いてきたようです。
何となく油断していて、
ピークの頃に閉めた雨戸をさっき少しだけ開けて、
椅子に座って外に目をやると
足立美術館の 『 生の掛け軸 』 ・ ・ ・
っていう訳にはいきませんが、
悪くない!
写真、白飛びしてしまったけど ・ ・ ・
こんなん、どう写したら良いんだろう ・ ・ ・
呑気なことばかりではなくて、
木の葉やら、槇の樹の実やらが散乱していて
これは、誰が掃除するんだろ?
和歌山の近くに火山がないのに、
なんで温泉はいっぱいあるのか?
って、母に質問したのは小学生だったと思います。
誰も納得できる説明をしてくれないまま、今まで来たけど。
そんな永く持っている疑問があって、
意外なところで答えを見付けることがあります。
これによると、2007年に
尾鷲で阿蘇山級のカルデラがあることが解ったのだそうです。
1500万年ほど前のが。
その他にも、
和歌山県や奈良県でもカルデラが見付かっているらしいから、
紀伊半島が火山帯だったんです。
この本、タイトルや帯のキャッチが
旅行案内かスピリチュアルマニア向けっぽくて良くないけど、
先日読んだ 『 聖地の想像力 』 と同じ著者で、
論理的に “ 聖地 ” を分析していて面白いです。
伊勢神宮や出雲大社が
ベスト20にも入っていないことに 『 あとがき 』 でも触れていますが、
古い時代に人々が “ 聖地 ” って感じた場所から、
その後の人の都合で移動させられた遥拝所とがあるんだ。
ということで、
私が先週お祭りに参加した、
生まれ育った集落の小さな小さな八幡宮も
本来の位置は ここではなかったんだろうと感じます。