那賀振興局で建築確認済証を受け取った後、
せっかくここまで来たのだからと、丹生都比売神社まで足を伸ばしました。
「 宮司さんに電話してからの方がいいのかしら? 」
とも思いましたが、
「 神社と、神社が建つ 天野 という土地にもっと触れたい 」
との思いがあり、宮司さんがご都合悪いなら行かない というつもりがなかったので、
連絡せずに行きました。
結局、宮司さんは御留守。
神社にお参りした後、少しだけ天野の里を見て周りました。
前回、初めて行った時から感じていますが、
1700年前にあの土地が特別な場所として選ばれた理由が分かる気がします。
上手く表現できませんが、
高原の盆地の風景が和歌山っぽくないと言うか ・ ・ ・ 、
天野の里全体に不思議な透明感を感じます。
「 丹生都比売神社と高野山の結びつきを考えると、高野山ってすぐ近くか?」
と思って、高野山を通って帰ることにしました。
確かに高野山まではすぐでした。
が、高野山から家までが遠かった!
[ ところで、『 丹生都比売神社 』 をどう読んでいるでしょうか?
『 にうつひめ じんじゃ 』 です。 ・ ・ ・ 念の為! ]
と、今日の会議中に発言したのは、私より5つ年上の同業者。
まっ
普通の意見です。
住宅の打ち合わせで、ご夫婦の意見が割れた時には、
奥さんの意見に乗っておくように “ アドバイス ” します。
こらからの永い人生、
平穏に暮らしたいでしょう?
ねっ!
『 我が家 』 を建てると決めたら、
多くの人は住宅展示場に行きます。
が、
そんなところには、あなたとあなたの家族が幸せに暮らすためのヒントはない!
犬山の明治村で、森鴎外や夏目漱石など当時の知識人が暮らした家を見る方が余程参考になります。
風の通し方や光の受け方など、
明治の人が自由に合理的に工夫していたことをなぜ昭和 ・ 平成で退化させてしまったか ・ ・ ・。
人は、必ず正常進化するわけではなくて、
経済的な策略で退化させられることもあるのでしょう。
10年ほど前に見た明治村のことを
なぜ今頃こんな風に思い出したのかは解りませんが、
私の建物創りには、今でも大きな刺激になっています。
今日は、先日完成した住宅で県の担当者の竣工検査を受けました。
こちらが検査の依頼を出すのが遅かったことと、
担当者の都合で来れる日が遅くなったことの両方で、
もう引っ越しが済んでしまっています。
一通り検査が終わって、
2階から降りる階段で、担当者が私に言いました。
「 いい建物で、お施主さんも喜んでいるでしょう。 」
検査で来たお役人としては、意外な発言でした。
実は、以前にもありました。
別の場所で、別の検査員です。
この時も、検査が終わって書類を車に置いてから、
「 も一度見せて!
あんまりこんな建物見たことないから! 」
と、改めて法規に関係のない説明をしながら建物をまわりました。
詳しくは判りませんが、
検査員のお役人が私的な感想を言うという話はあまり聞いたことがありません。
“ 沢山の建物を見ている人の素直な感想 ”
と受け取ることにしておきます。
ただ、
検査を受けているこちらの立場としては、
「 無事に検査済んでるのに、何か余計なこと見付けられるんじゃないか? 」
とドキドキです ・ ・ ・
夕方から雷と雨で天気が荒れましたが、昨日でなくて良かった。
昨日は、竣工写真をお願いしているカメラマンからお誘いで、
夜7時頃から、有田川で鵜飼船に乗って食事、
鵜飼を見た後、津軽三味線を聴くという催しに行きました。
鵜飼を見るのは3度目。
1度目は子供の時で、
前回は建築士会の冊子に載せる文章を書くための取材だったので、
昨日は始めて純粋に楽しみました。
期待していたよりも良かったのは、津軽三味線。
お客が乗った船を川の上で円形になるように浮かべて、
ステージを組んだ船をその中に浮かべる趣向。
川なので船が流れるんですね。
船頭さんが竿で操って、ウロウロ動き回りながらその上での演奏は少々気の毒でしたが、
ほろ酔い加減で川の涼しい風を感じながらの津軽三味線と篠笛の音色は、
なかなか良かったです。
昼間は、恒例の 茅の会 で、今月のタイトルは 『 小梅日記 』 についてでした。
この話は、また次の機会に
・ ・ ・ と、言うよりはもう少し私が理解してから!