ベストショット・・・
と言うにはカメラの位置が高すぎて残念だったけど、
今回ので1番好きな写真。
( ご本人の許可取ってないけど、お顔写ってないから許してもらおう )
28・29日の日・月曜日に『 茅の会 』 恒例の旅行。
今年は、「 修学旅行で行かない奈良に行こう 」
ということで、奈良。
・・・少々例外もあります。
福岡から参加の台さんを関空で乗せて
総勢6名、茶筅の里 “ 高山 ” から始まります。
茶筅のほとんどはここで作られているのだそうです。
自分で立てて飲むシステムなんですけど、
久しぶりで、ちょっと下手!
浄瑠璃寺門前のお昼を食べたお店のアプローチ。
「 高級なお店 」 ではないけど、
しつらえがキチンとしていてステキ。
で、“ 浄瑠璃寺 ”
「 何で浄瑠璃寺っていう名前なんだろう? 」
訊くの忘れました・
( ちなみに、ここは京都府 )
私のリクエストで、
急遽プログラムに入れてもらった “ 秋篠寺 ” 。
この苔が見たかったんです。
苔って綺麗ですよね。
「 修学旅行でも行きそうな 」 “ 薬師寺 ” は、
台さんのリクエスト。
この写真に 『 仏も神も! 』
って、タイトルをつけました。
西塔に後光がさして、足元に十字架!
東塔は解体修理中です。
予定にはなかったけど、
少し時間に余裕が出来たので “ 唐招提寺 ” 。
ここも、修学旅行で行きそうな気がするけど・・・。
そして、夕食後奈良ホテルのザ・バー。
黒田さんのリクエストです。
修学旅行では行きませんワナ!
泊まったのは、
ホテル日航奈良だったので、
宿泊室の窓から、 “ なら100年会館 ”
2日めの1番、
予定を変更して急遽 “ 白毫寺 ” 。
眺めが良いけど「 100段以上の階段 」と聞いて
反対したんですけど・・・。
しかも、望遠レンズをクルマに忘れて・・・。
真ん中あたりに興福寺が写ってるけど、
このサイズではわからない・・・。
意外なことに私初めての “ 新薬師寺 ” 。
“ 新 ” ってつくけど、今の薬師寺より古いんですよね。
ややこしい!
“ 志賀直哉旧居 ” 、良かったなぁ!
古い建物を見るといつも思うことなんですけど、
2階の窓でも腰壁が低いでしょう!
これでも、この窓から落ちた人はいないと思うんですよね!
面白かったのは、台所の冷蔵庫。
大きく移動して、明日香村。
黒田さんのリクエストで、
“ キトラ古墳壁画体験館 四神の館 ”
キトラ古墳の東壁、“ 青龍 ” と、“ 十二支寅 ” が公開中です。
が、なかなか厳しい監視のもとでの見学。
これも黒田さんリクエスト、“ 石舞台古墳 ” 。
「 意外なのを見たことなかったんですね! 」
とか、突っ込んだら怒られそうな気がしたので黙っていたけど。
そして、“ 飛鳥寺 ” 。
なぜか日本のお寺って、建物内で写真撮れないんですよね。
ストロボ使わなければ、物理的な問題はなかろうと思うけど。
珍しくここはOKです。
有名な最古の仏像。
ここまでがプログラムで、
少しだけ時間があったので急遽 “ 大神神社 ” 。
石には大神神社って書いていて、
鳥居の看板には三輪神社って書いてある。
どっちなんだ?
この旅行最後に撮った写真は、
もう一度後光入れてみた。
今年も、私が1人で運転して、
総距離441km。
去年の半分。
「 あとにしましょ! 」
とか思っていると、忘れてしまうんですよね・・・。
ダンボールにいっぱい持ってきてくれた
メインの “ 和本 ” の写真を撮り忘れました。
今月の『 豆の会 』。
モノ知りの江本さんに2度めのお願い。
今回は、『 和本と和紙 』のお話をしてもらいました。
江本さんコレクションの古文書の一部をご披露のあと、
レジュメを紹介すると、
1. 日本の本の歴史
2. 和本の形
3. 刷り
4. 紙
5. 分冊と合冊
6. 再生産のない和本の世界
7. 和本文化という考え方
8. 和本の知の再生産
9. 工芸品としての道
以前、帯伊書店の高市さんに 和綴じ を教えてもらって、
後に『 豆の会 』で実践したこともありましたが、
和綴じ すれば、和本と言うわけではないので、
今回の幅広いお話は、
日本の歴史の中で1つの文化のカタチを持っていたんだなぁ。
と、とても興味深く聴くことが出来ました。
落ち葉 って、秋のものかと思うけど、
常緑樹は、新芽にかわる今頃が時期みたいで、
毎日結構な量が庭に落ちます。
これを掃く30分あまり、
「 忙しいときに何でこんなことを・・・ 」
などと考えなくもないけど、
自然がくれることの中で、
この程度の手間は大したことではないのだろう。
と思えてきます。
クルマに最新のメカニズムを期待しないので、
新しい情報に鈍いのですが、
スグレモノの装備が色々あるんでしょうね。
クルマの斜め後ろ方向には、
バックミラーに写らい場所があって、
ウッカリしているととても危険なときがあります。
和歌山市内からの帰り、
隣の車線のメルセデスのドアミラーの隅で
こちらとの位置関係に連動して
赤く点滅していることに気づきました。
隣の車が斜め後ろの死角に入ると
ドライバーに警告するみたいです。
気付いてみると、その後にも何台か見た
新しそうなメルセデスが同じ感じだったので、
そういう安全装備みたいです。
なかなかスグレモノだと思いますが、
疑問が2つ!
斜め後ろにクルマが来るたびに
視界の隅でチカチカ赤いのが光るのは鬱陶しくないんだろうか?
不用意に車線変更して
接触事故をおこすことを防げそうな気がするけど、
それに慣れてしまって注意することが鈍っていたら、
故障していることに気付かずに乗っているようなとき
とっても危ないんじゃないんだろうか?
便利になるほど、
それが使えなくなったときの問題が大きい気がします。
少し濃くこの農村の自治会活動にかかわってみると、
みんなが農業しているわけではなくなった今でも、
農耕と、神事と仏事で
コミュニティーの仕組みができている感じがしてきます。
「 なぜ、いつ頃そうなったんだろう? 」
という研究など、
学者ではない私がするつもりもありませんが、
解れば面白いでしょうね。
5年ほど前に見に行った桜井市のここ。
大陸から瀬戸内を通って難波津に着いて、
大和川を上った仏教は、ここに上陸したのだそうです。
そのあと、
なんやかんやあって、蘇我馬子が飛鳥寺を建立した。
って、これに書いてありました。
6世紀頃のことだそうで、
国の安寧を祈るための仏教だったので、
政治の都合に合わせて、
今でも奈良にたくさん残るお寺が建てられたんですね。
農村にまでお寺が建てられるようになったのが8世紀頃、
って、当初の疑問の答えっぽいことが、
百何ページ読んできた最後の7行ほどに書かれていました。
信仰としての中世的な仏教は、
それよりずっと後のことで、
ただちにつながるものではないらしいけど。