昨日出かけるときには、すでにガソリン残量の警告灯が点いていました。
茅の会が開かれる蒲公英工房までは、山を1つ越えてさらに次の山の中腹まで上ります。
完全にインジケーターはEの位置を指していますが、
ガマンして ・ ガマンして今日は吉備まで往復。
『 レースカーみたいにガソリン薄めるスイッチが欲しい! 』
と思いながら乗っていましたが、
明日になれば、すぐにガソリンが安くなるわけではないのですね。
ムダな努力をしてしまった ・ ・ ・
因みに、
基本的に、あまりガソリンは満タンの状態にはしません。
ガソリンの比重は確か70%だったと思いますので、60?で42kg。
燃費もですが、パフォーマンスが変わります。
の、3月30日の日曜日。
1969年の3月30日も日曜日だったそうで、
この日の朝、パリで
ベトナム戦争に抗議した30歳の女性フランシーヌが焼身自殺したことを歌ったのだと、
始めて知りました。
そんな厳しい思想もなく、
昨夜の酔いを残したまま朝を迎えましたが、午後に出掛けた 茅の会 でも新しい事を知りました。
今日のタイトルは
『 和歌山城の石垣--和歌山城の歴史を語るモノ-- 』 です。
和歌山城の石垣の完成は3つの時期に分かれるそうで、
①豊臣期
②浅野期
③徳川期
で、支配者がかわると、作業する人もかわるので、その時期ごとに特徴があるのだそうです。
興味深いお話を沢山聞けたのですが、
今日のブログでは、その部分は省略。
本編からズレますが、
②の浅野について、私は知りませんでした。
後に国替えになって広島に移っていますが、これが 忠臣蔵 に出てくる浅野本家なのだそうです。
赤穂浅野家は分家ですね。
皆さんご存知だったようで、隣のご夫人に
「 常識ですか? 」
と訪ねたら、笑顔で ウンウン と頷かれました。
今夜遅くに、チャングム総集編の再放送があるようです。
チャングムは、本編で最低3回は観ています。
総集編は
・ ・ ・ 5回や6回は観たでしょうか。
殆どは家で観ましたが、1度だけ特別な環境で観ました。
場所は日置川町の民宿。
4人部屋で、2人が先に寝てしまって、出江寛先生と並んで2人で。
『 僕、なんでこんな大建築家と一緒にチャングム観てるんやろ? 』
と思いながら、特にこちらからは話しかけることもなく ・ ・ ・
と言うよりは、緊張して話しかけるネタも思い付きませんでしたが ・ ・ ・
チャングム役のイ・ヨンエと、もう1人が並んでアップになったシーンで、
出江先生が静かに話し始めました。
「 この女性と、もう1人の女性。
顔に付いている部品は同じでしょう?
それが、こんなに美人とそうでない人の差がある。
部品の形と、付いている位置がほんの少しずつ違うだけで全体ではこんなに違うんです。
建築でも同じなんですよ。 」
大建築家の言葉は重い。
私も同じことを以前から考えていましたが、
「 そうですね!
私もそう思います。 」
とは言えませんでした。
よく出来た 建築。
出来の悪い 建築。
実は、その違いはわずかです。
わずかな差が、全体では決定的な違いになるから難しいんですね。
神様がつくる人の顔よりも、
人間がつくる建築の方がその上下幅は広い様に思いますが!
テレビでドラマを観ていて、
例えば、和室のシーンだったとしましょう。
出演者の後ろの 障子の桟 の組み方 ( デザイン ) に注目して観る人がどれだけいるでしょうか?
更に、障子紙の貼り方に至るとどうでしょうか?
べつにそんなところに注目する必要はないのですが ・ ・ ・
そんなところに意識が行ってしまうのが、建築を仕事にしている人間の性ですね。
誤解を恐れながら書きますが、
ヒトは、自分が見たことのある範囲でしか判断できません。
興味がなければ、見ていても見ていないのと同じです。
知らないことを恥じる必要は全くありませんが、知らないことを知ることは大切です。
プロと素人の違いを考える時、
その要素の1つは、見てきたもの ・ ・ ・ 判断の基準になるモノの量 ・ ・ ・ の圧倒的な違いではないでしょうか。
「 素人が口を出すな! 」
は、間違えた考えですが、
( 建築を理解しない人が ) 人にアドバイスする時には、その無知が罪にさえ感じることがあります。
プロとは、人にアドバイスすることの恐れを知っていることでもあると思うのです。
障子は1つのたとえ話ですが、あえて話を戻します。
多くのものを見ていなければ、
それが特徴のあるデザインであることにも気付かないこともあるのです。
建築は、思い付きで語れるような簡単な事業ではないのです。
とある県とある村で、
「 村の美しい自然を壊す建物が増えていることが問題。
建築協定で規制したい。 」
という話を聞いたときに、
「 建築協定は逆に悪い影響もあるので、私は反対。
即効性はないが、
小学校や中学校の美術の時間に美しい建築についてのカリキュラムがないのが問題。 」
と話したことがあります。
「 その授業は、あなたができますか? 」
と訊かれて、けっこうやる気満々だったのですがそれっきりになっています。
その時は、話の流れで出た発想でしたが、
今は本当に必要だと思っています。