ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

10/30日 鳳来寺山・棚山高原周回 その7(最終):山を下り、旧街道、鉄道の廃線跡地を歩いて帰着

2015-11-12 07:19:12 | 草花
このシリーズの最終記事となりました。
寝観音を詣でたあと、山道は参道にもなっていて、両脇に適当な間隔で石像(仏像)が出てきて、人里が近くなったことを
実感します。
ほどなく、人里に出ると、そこには昔懐かしいような家並みがあり、その間には昔からあるような街道が通っています。

この街道は本道となっている車道を縫いながら続いています。
山から下りた帰り道ですので、情緒を優先して、多少の遠回りは厭いません、当然この旧街道を歩いて、フィナーレを飾ることにしました。

山道沿いの石仏 ↓

寝観音の参道ということなのでしょうね、山道は参詣道を兼ねていて、丁目ごとに仏像が置かれています。



山道=参詣道 ↓

こんな道を下って行きますが、ほどなく目の前の明るさが増してきました。



山から出た ↓

山から躍り出たという感じで、にわかに開けたところに出ました。石柱に壱丁と記されています。



リンドウ ↓

日当たりの良い場所で、足元にリンドウが咲いています。本日一番の咲き方でしたね。



ヒヨドリバナ ↓

ヒヨドリバナも群生しています。



大きな石仏 ↓

この見上げるような大きな仏像は如意輪観音様でした。立派なものですね。



”登山”口 ↓

登山道は通行止めですので、ここでは山寺(副川)の寝観音の案内だけをしてありました。
ここから、旧街道を歩いていきます。



旧街道 ↓

こういう道を歩いていきます。 本道のほうは車がひっきりなしに走っているようです。



大石 ↓

旧街道と本道の交点に大きな石があります。この石こそはこの集落名”大石”の名前のもとになったもので、山頂から転がり落ちたものと考えられているそうです。 ここで車道を渡り、旧街道歩きを続けます。



独特の書体 ↓

この六字お名号(南無阿弥陀仏)の書かれた書体は独特のものがあります。これは江戸時代の浄土宗徳住上人のものだそうです。
浄土宗では往生極楽のためには,なむあみだ佛と申してうたがひなく念仏することが肝要だと説いていますね。



赤い実二つ ↓

ピラカンサスをこんなに大きくしてしまって、これも山間地で、広い土地で育てていればこそですね。
真っ赤な実と、朱色の実と二種類が競演していました。



茶の木 ↓

新城は茶どころであり、民家でも自家用に生垣に茶を巡らせている家があります。



蛍の出る川 ↓

夏は蛍の出る、昔のままの姿の保たれた川です。



また本道と交差 ↓

車道とまた交差します。旧街道はこれを渡って山側に近づきます。



ノブドウ ↓

すぐ近くに平坦な幅広い一本道がありますので、その道を歩くようにします。
その道は旧豊橋鉄道田口線の線路敷きの跡地で、1929年から1968年まで使われていたようですが、残念ながら小生は一度も利用しないままに終わってしまいました。
道沿いにノブドウが色づいてきていました。



帰着 ↓

山肌に並んだお墓の場所に戻ってきました。旧街道歩きは36分だけでした。
いまは午後四時の15分前で、夕日に近い時間になっています。
歩数計の感度設定が狂い、歩数を正しくカウントしていないのが残念です。
コメント (4)
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