「夕まぐれ」・「夕間暮れ」とも書きます。(このうち{間暮れ}部分は当て字で、目(ま)暗(ぐれ)程度の意味)。
平たく言えば夕暮れのことで、「うす暗い夕方のさま。またはそのころ」をちょっと気取って表題にしました。
子供のころに亡き母がミシン踏むふみ ♪青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ♪・・・・と歌って聞かせて
くれたのは「大楠公の歌」の「桜井の別れ」の出だし部分で、もう 70年以上昔の話になります。
この歌の主人公たる楠木正成(楠公)は湊川の合戦で足利尊氏の軍に敗れて自害しますが、楠木正成公を尊崇した
水戸黄門様が遺徳を顕彰し、墓碑を建立、「嗚呼忠臣楠子之墓」の碑銘を書いたということです。(脱線!)
閑話休題。昨日(10/21)久しぶりにきれいな夕空となりましたので、「紫金山・アトラス彗星」が見えるかどうか
・・・いつもの畑地に出かけましたが、見ることは出来ませんでした。
やや不出来な日没ショー ↓
日没後 ↓
”二人ぼっち” ↓
夕間暮れ ↓
一番星と街明かり ↓
そして、寝待月 ↓
21日午後9時半少し前で、月齢は18.7。
夕暮れがとても綺麗ですね。
昨晩は風が冷たかったのですが、久しぶりに西の空が明るくて、写真を撮る気になった次第です。
夕暮れ時は良い光景がありますね。
成程~母親の思い出が、こうして脳裏に鮮明に浮かんでくること、素晴らしいことですね!!
おかあさんがくしゃみを・・・・・・・!!
我が家の母親は、父が早く亡くなったので~唯々、働くのみ、
朝は暗い内から夕方まで畑に出てひたすら鍬を取っていた。
働くことしか知りませんでした。
縄文人様のお母上も大変な働き者だったようですね。
小生の子供時代は(我が家が)子だくさんの一家でしたので、お袋は大忙しだったと思いますが、まだ子供ですのでそんな苦労はとんと気づきませんでした。
思えばあの頃の大人の人たちはよく働きましたね。今ではどこかの政党が、一日あたり7時間の労働時間で一週間この国の生活を賄うと喧伝していますが、あの時代のことを思うと雲泥の差ではないでしょうか。
小生が山歩きをする頃は未だ、世間は月曜から土曜まで働き、土用の夜行で山に入り、日曜夕方に帰宅し、月曜からはいつも通り勤務に出るというのが一般的でしたね。
偶に連休になるとそれは大喜びでしたね。