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#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Brooklyn Museum】Ron Mueck

2007-03-04 | New York
ものすごいインパクトである。

NYから帰ってきてもう3ヵ月が経とうというのに、
未だに未整理の写真が残っている。
特にブルックリン周辺の写真が、まったく手つかずだ。

その中のブルックリンミュージアムで観てきたアートと写真は格別だった。
このRon Mueckというオーストラリア出身の彫刻家と
Annie Leibovitzという女性の写真家の展覧会はものすごいインパクトで迫ってきた。

Ronの作品群は、スケール感覚を失う。

5mの巨大な赤子が泣きじゃくっているかと思えば、
30cmの小さなおばさん2人が、姑をいびっている。

とにかくリアルなのだ。

制作過程のビデオをチェックしてきたが、
塑像の彫刻家が行うセオリー通り、粘土で形を起こしてゆき、
細かいディテールまで粘土で再現している。

毛穴のひとつ、
浮き出た血管のカタチ、
ツメにかぶった薄皮のフォルムまで
…すべてだ。

そのデッサン力だけでも驚異なのだが、
観る者を日常から切り離すために、
極端なスケール変換をおこなっている。

2mの巨大な黒人女性の顔だけ。
部屋の隅にうずくまる3mの白人男性。
5mの手こぎ舟にたたずむ20cmの男。
そのほとんどが衣服をまとわず、醜い体をさらけ出している。

おびえた表情、苦悩に満ちた体?が、
現代人の標本として展示されている中を、
異星の異人を眺めるように、談笑しながら見て回る人々。

醜い体をさらけ出すことなく、
抱えた心情を暴露することなく、
品位を保って作品と接してはいるが、
その内実は穏やかではないはずだ。

その対比が、アートだ。



Ron Mueck

hardwoking everyday

2007-03-03 | New York
もう3月も3日。
今週は、立ち止まることもできなかった。
気がついたら、土曜日の未明になっている。

激務の毎日だ。

充実した忙しさなら、
それもまた好し…とするが、
多忙の中にある空回り加減が、
気持ちを萎えさせる。

凝り固まったカラダをほぐすために、
合間を縫ってプールで泳ぐ。

1時間、カラダをゆっくり水になじませてみる。
右手左手を交互に回転させ、足をばたつかせて前へ、前へ。

この行為をどのくらい、続けてきたのだろう。

週に一度、淀んだ血液を覚醒させるべく、カラダを動かす。
酸素が肺の奥まで行き渡り、燃焼を繰り返す。
毛細血管の隅々まで、深紅の血流が活性する。

夜の市民プールは、入場者もまばらで、「しん」としている。

桁違いな高さの天井にぶらさがるナトリウム灯が、
青白い光で水面下の肢体を浮き上がらせていた。

同じ動作を繰り返し、コースを折り返すことに疲れたボクは、
仰向けになって、優雅に背泳ぎをはじめた。

遙か上方の天井を見つめながら、
水面を往き来する。

視覚と聴覚を奪われたカタチで仰向けになる背泳ぎは、いわば恍惚の泳法だ。

手探りで反復を繰り返すうちに、脳内にドーパミンが分泌され、「気持ちよく」なってくる。
その状態で、無駄に広い天井空間を眺めていると、泳ぎながら上昇していくような錯覚に襲われる。

ふわふわふわふわふわ…ふあ。

昇天しそうだ。

ガチガチに固まった脳みそも、
白子の塊のように、ぷるぷると柔軟さを取り戻し、
酸素を十二分に含んださらさら血液が、血管の収縮とともに、
すみずみまで行き渡っていく。

イキカエル…リ・バース。


この快楽があるから、どうにか生きている。
ホントに、そう思う。