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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

涅槃で待つ by NIRVANA 

2006-08-09 | MUSIC
赤ちゃんが、何かにつけ、すぐ泣き出すのは、
自分のカラダから迸る、抑えのきかない生命力に
愕いてしまうからだ…と哲学書は教えてくれるが、

多感な少年時代の、何事にも抗おうとする反抗期(Rebellious)も
ボクにしてみれば、迸る生命力のタマモノだと解釈できる。

大きく違うのは、抗うことで社会との折り合いどころを探っている点だ。

社会という枠組みに「否!」を投げかけ、
ひたすら自己実現を求めながらも、
そのためには社会との対立(枠組みとの決別)を
実現しなければならない現実に気づく。

つまり、はじめて自己と向き合うことになる。

そこで自分の器の大きさをまざまざと見せつけられ、
愕然とすることもあれば、何も出来ない自分に
呆然と立ちつくしてしまったりするのだ。

そんな殻破りの葛藤が、心や体を傷つける行為へとつながっていく。
自己実現が自己表現だと勘違いして、自己を剥き出しにしようと躍起になる。

破れたTシャツを重ね着し、髪を染め、煙草を吸う行為が、
規律からはみ出すことでの自己表現だと、勘違いに勘違いを重ねる。

自己実現とは自己を越えること「超克」自己に打ち勝つこと「克己」だと
気づかされるのは、大学に入ってからの話だ。

         ●

「表現者」になりたいと思うようになったのは、反抗期の「逸脱」の時代からだ。
しかし、「表現する」とはあまりに「孤独」な作業だと、あらためて今、思う。
「孤独」を突き詰めて表出した産物は、だからこそ受け手の「孤独」と共鳴し、心顫えるのだ。

         ●

NIRVANAが聴きたくなって、ベストを買った。
「涅槃」とはほど遠いサウンドが耳をつんざく。
27歳で音楽に殉じたKurt Cobainが叫ぶ。

  俺を犯してくれ なあ あんた
  もう一度俺を犯してくれ
  俺一人しかいないってわけじゃない

  俺を憎んでおくれ
  何度でも繰り返しやっておくれ
  俺をとことんやっつけろよ
  俺をたっぷり味わっておくれ

9歳で両親の離婚を経験し、
親戚の家をたらい回しされるなどの家庭環境の中で、
唯一の支えであった音楽で自己の発露を見いだし、
1988年NIRVANA結成。
1991年には2000枚以上の記録的な大ヒット
「Nevermind」を生み出すまでになる。

  すごくハッピーなんだ
  今日は友達を見つけたから
  彼らは俺の頭の中にいる
  俺はすごく醜いけど いいのさ
  あんただってそうだから
  俺たちは鏡を壊してやった
  日曜の朝が毎日続いたって
  知ったこっちゃない
  それに俺は怖くないしな
  眩惑の中でローソクに火を点ける
  神様を見つけたからさ ヘイ ヘイ ヘイ

躁鬱の持病を抱えて、
もはや頂点に登りつめたコバーンは
毎日をどのような気分で迎えていたのだろう。

自己表現としての音楽がもたらした成功は
彼をますます孤独にさせた。
世の中に「否!」を叩きつけるはずの音楽が
世の中に受け入れられてしまった事実に
葛藤を続けていたのかもしれない。

  俺はここから離れていくよ
  おまえももう恐怖に脅えることもないだろう
  これには特に何の意味もないから
  いつだってこうなることはわかっていたさ
  物事がこんなにハデに膨れあがったことはなかった
  こんなにいい気分になったのは初めてだ

1994年4月5日、
松林をさまよったあげくのショットガン自殺。
ジミヘンやモリソンと同じく27歳で死んでいった。

この世にに残された「涅槃」の楽曲は、
Kurt Cobainの孤独の産物だ。
自己の欠落を埋めようともがいた産曲だ。
だから、こんなにも生々しく心に響く…。

  太陽の光のもとで
  日の光のもとで
  俺はひとつになった気分
  太陽の光のもとで
  日の光の中
  俺は結婚し
  埋葬される



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