終の住処として渾身の思いで建て育てた日本家屋の実家も、
2014年2月末に中古不動産の仲介を通して、引き渡される。
平成元年と共に歩んできた25年間。
さまざまな記憶がこの家には刻まれている。
そんな思いをひとつのカタチにして、
永遠に封じ込めようと、イラストレーターの佐藤芳さんにお願いした
“中山7-15-1”というタイトルの絵。
せめて手元に、この家のぬくもりを閉じ込めてほしい。
そんな思いで父母にプレゼントした。
2014年2月末に中古不動産の仲介を通して、引き渡される。
平成元年と共に歩んできた25年間。
さまざまな記憶がこの家には刻まれている。
そんな思いをひとつのカタチにして、
永遠に封じ込めようと、イラストレーターの佐藤芳さんにお願いした
“中山7-15-1”というタイトルの絵。
せめて手元に、この家のぬくもりを閉じ込めてほしい。
そんな思いで父母にプレゼントした。
中山の実家から見えるこの光景。
犬の散歩の帰り道、何度目にしたことだろう。
遠くライトアップされるこの白い巨像に、世の中の歪みを見透かし、
リトルトウキョーとして諂う「仙台」という土地柄に嫌気がさした。
そんなこともあって閉塞感ただよう仙台から、オキナワへ居を移したのだった。
犬の散歩の帰り道、何度目にしたことだろう。
遠くライトアップされるこの白い巨像に、世の中の歪みを見透かし、
リトルトウキョーとして諂う「仙台」という土地柄に嫌気がさした。
そんなこともあって閉塞感ただよう仙台から、オキナワへ居を移したのだった。
スカーラガーデンヒルズ仙台。
25年前はバブル絶頂期。
やがてバブルが弾けて、この億ションも計画頓挫。
2001年になるまで約10年間、
建設途中のまま放置されていた。
在仙時代は、この立入禁止の暗闇に闖入し、
眼下に広がる夜景を眺め、ロマンチックな時を過ごした。
今じゃ中古マンションとして3000万台。
25年前はバブル絶頂期。
やがてバブルが弾けて、この億ションも計画頓挫。
2001年になるまで約10年間、
建設途中のまま放置されていた。
在仙時代は、この立入禁止の暗闇に闖入し、
眼下に広がる夜景を眺め、ロマンチックな時を過ごした。
今じゃ中古マンションとして3000万台。