#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【白井聡】未完のレーニン(2)

2014-01-09 | UNITE!NIPPON
何らかの主体が『革命を起こす』ことではなく、
革命からその主体を剥奪し、『世界そのものを革命化する』と言う戦術、
言い換えれば『世界そのものを革命の主体とする』という、
レーニンを他の社会主義者・革命家から際立った存在たらしめる独自の戦略。

         ◎

資本制の枠内での労働運動は、その枠内での利益の拡張(=労働組合主義)を意味する。
つまり、労働者階級が労働者階級として運動する限りは、
それは労働者の条件を相対的に向上させることを目指すということを意味するにすぎず、
労働者が労働者であることになんらの変更を加えられることがない以上、
それは資本制社会が実質的に肯定されているということに他ならないのである。

してみれば、レーニンの主張の要点は、真正の社会主義イデオロギーは資本制社会における
階級関係を反映してはならない、という定式に約言されうるだろう。

レーニンのイデオロギーは労働者階級の外側に立つこととなる。

そしてそれは、労働者階級がさまざまな神々(=短絡的な実質的利益)に
心を奪われることを禁止せずにはおかないであろう。

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【白井聡】未完のレーニン(1)

2014-01-09 | UNITE!NIPPON
近代資本制にもとづいて成り立っている社会
(それは歴史的に「ブルジョア社会」と呼ばれ、今我々が生きている社会でもある)
の特徴は、階級闘争が隠蔽されるところに存する。
マルクス主義が主張するところによれば、
政治的なものの本質は階級闘争に存するが、それが真実ならば、
ブルジョア社会とは、この基本的真実を忘れたふりをすることによって、
あるいはそのようなものは存在しないと言い募ることによって、
言い換えれば、政治的なものの隠蔽によって、
社会に内在する敵対性を隠蔽することによって成り立っている。

まさにこのことが、通常の政治が抱えている巨大な『秘密』であり、
社会に根源的敵対性が内在的に存在していることを告白することとは、
共同体の不可能性を告白することに他ならない。
この『秘密』が秘しておかれざるをえないところから、
あらゆる政治的欺瞞、さまざまなイデオロギーが発生する。



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【大澤真幸】不可能性の時代を生きる。

2014-01-09 | UNITE!NIPPON
大晦日の朝日新聞朝刊に掲載された
社会学者_大澤真幸(おおさわまさち)さんのオピニオン。
見事に言い得ているので、そのままシェア。

     ◎

私たちはいま、理想や希望を持つことが不可能な、『不可能性の時代』を生きてます。
戦後、1970年頃まで続いた『理想の時代』は、人や社会にとって何が理想か明確で、
底に向かって歩むことが『良き人生』『良き社会』なのだと信じるコトができました。
ところがいまは、何を信じて進めば良いのかわからない。
自分が何のために生きているのか、自らの生を意味づける物語を描けない。
これがいま、私たちが感じている閉塞感の源です。

     ◎

『半沢直樹』は細部にわたるリアリズムに支えられた上質なドラマでしたが、
唯一、半沢直樹という主人公だけがリアリティーを欠いています。
彼は確固たる理想を持ち、その理想に向かって突き進む。
それが家族のためにも銀行のためにも、ひいては日本経済のためにもなる。
彼は絶対的な善の体現者で、だからこそ『倍返しだ!』が許されるわけですが、
この『不可能性の時代』に半沢のような人は存在不可能です。
絶対的な善なるものがもはやあり得ないからです。
要するに彼は、『理想の時代』から連れてこられた極めて時代錯誤な人物なのですが、
視聴者は彼に賞賛を贈り、連続ドラマとしては今世紀最高の視聴率をたたき出した。
理想を取り戻したいという強い欲求が、私たちの中にあるからでしょう。

     ◎
『あまちゃん』は『ここではないどこか』に私たちは行ける、その扉は必ずある、
ということを暗示し続け、この時代の閉塞感を打ち破ろうとした意欲的なドラマです。
東京に行く、地元に帰る、そのどちらもゴールとして設定されているわけではなく、
そこにたどり着いたら必ず、その『先』が提示されるという話の構造になっています。
そして、『先』に行くために重要な役割を果たすのが、
主人公アキの母である春子と、祖母の夏という、異なる時代のエナジーです。
夏と春子に背中を押され、地味で暗くてこの時代の閉塞感を一身に背負っていたアキが、
新しい世界の扉を開けていく。視聴者は自分の背中も押されたように感じたのだと思います。

慰撫されたいという欲求があるのだから、
それをうまく利用すれば『先』に行ける可能性もあるということです。
いま、手持ちのブロックをいくら組み合わせても仕方がない、
決定的に違う『何か』が必要なんだという漠然とした感じをみんな持っている。
ただ、じゃあその『何か』とは何なのだと問われても、私たちはまだ言葉を持ち合わせておらず、
古い時代からブロックを借りてきて表現するしかありません。

     ◎

私たちはなぜ、次の言葉を見いだせないか…原因は大きく言って二つあります。
一つは、いつか確実に沈むとわかっていながら、資本主義という船を下りることができないからです。
『民主主義は最悪の制度だが、これ以上の制度はない』という趣旨の、
チャーチル元英国首相の発言がありますが、これは資本主義にこそ当てはまります。
資本主義はとてつもない格差を生み、善でも美でもないことを人間に要求する。
この船は必ず沈む。だけど他に船はない。社会主義という船はもっと危なそうだし、
外は嵐だから下船したら即死だと、だからみんな必死にしがみついていて、
一見すると、資本主義が信奉されているかのようにしか見えない。
笑えない喜劇のような現状です。

     ◎

もう一つは日本固有の問題で、『ここではないどこか』を目指すと必ず、
アメリカという壁が立ちはだかる。
アメリカは日本人にとって絶対に取り換えられない、
そして絶対に失ってはならない壁としてイメージされています。
日本は冷戦期、たまたま戦略的に重要な位置にあったからアメリカに守ってもらった。
しかし冷戦終結で国際情勢が大きく変わり、
アメリカには日本を守らなければならない内在的な理由が実はないことがハッキリしてきました。
愛されなくなったらおしまいだという焦りや不安が、
アメリカに愛されるためなら何でもやるという思考停止を生んでいる。
特定秘密保護法もその文脈で理解されるべきです。

恋人はどうやら自分から離れたがっている。
秘密も打ち明けてくれない。
だから秘密保護法をつくりました。
さあ安心して打ち明けてと。
これは国際社会に向けてのアピールにもなる。
『あいつはどうやらアメリカに秘密を打ち明けられているらしいぜ』と。
それでなんとなく一目おかれたいということでしょう。

とはいえ今後何十年間もこのままの日米関係が続くとは到底考えられません。
どうやったらアメリカに依存せずに我々はやっていけるのか。
それを考えることが、この社会の閉塞感を打ち破る第一歩になるはずです。


     ◎

今年の流行語大賞のひとつは『今でしょ!』でした。
みんな『今でしょ!』って何かを決然と選択し、この閉塞状況から抜け出したいんですよ。
だけど人生や社会にとって何が本当に良いことなのか、判然としない。
3・11を経た昨年の総選挙は当然、原発が争点となるべきだったのに、
みんな考えるのをやめてしまった。
原発を止めたら日本経済は破綻するかも、でも原発を続けたらもっと悲惨なことが起きるかも…
リアルに考えるととても選択できない。
だったら考えても仕方ないね…と、私たちは何も選択しなかった。
選択しなかったが故に選択されたのが安倍政権です。
05年の『郵政選挙』のように、
比較的どうでもいい問題についてならば『今でしょ!』と盛り上がれるが、
本当に重要な問題ほど棚上げされてしまう。非常に逆説的です。

     ◎

もしかしたら、ずっと不可能だと思って来たことが可能になるかも知れない
…という期待が高まったのが、09年の政権交代です。
しかし民主党政権は結果的に、
『不可能なことはやっぱり不可能だった』を証明してみせただけだった。
続く安倍政権は逆に『可能なことは可能だ』をやっていて、
いかにも起こりそうなことだけ起きると。
政権交代が無念な結果に終わったことが、
理想を語ったり語られたりすることへの忌避感につながっていて、
安倍政権がそういう気分に乗じているのは事実でしょう。
ただ一方で、無念な思いを残しているからこそ、
私たちはいつかそれを取り戻しに行かなきゃいけないという気持ちもどこかで持っている。
願望や希望って、未来に落っこちているというよりは、
過去に満たされなかったモノの中で育まれる感じがしませんか。
そう考えると、政権交代への失望があることは、失望すらないよりはある意味いいことだと思います。

     ◎

政治が本来やるべきことは、人に思考停止させないことです。
人間はね、やっぱり『不可能だ』と言っちゃだめなんですよ。
『道はある』という感じを持つと、人の思考は回転し始めるのですから。
特に政治家は、根拠がなくても『不可能は可能になる』と言ってのけるある種の勇気と、
それを人々に信じさせる言葉のチカラを持たなければなりません。

現実主義だリアリズムだと言って、
可能なことだけを追求するというのは単に、
船が沈むのを座して待つということにしかなりません。
みんなが可能なことしか求めなかったら、
可能なことしか起きないじゃないですか。
沈まない別の船を求めるならば、不可能なこと、
現時点ではあり得ないようなことを要求する方がむしろ現実的です。
歴史的には何度も不可能だったはずのことが起きている。
それは不可能なことを求める人がいたからに他なりません。
自分は本当は何を望んでいるのか。
どんな社会を目指したいのか。
まずは口にしてみましょうよ。
あなたが口にすることによって、
不可能は可能になる可能性を孕むのです。


     ◎



     
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【Jan_08】血圧計

2014-01-09 | Photo-diary
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【Jan_08】点滴

2014-01-09 | Photo-diary
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【Jan_08】Operation

2014-01-09 | Photo-diary
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【Jan_08】stretcher

2014-01-09 | Photo-diary
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【Jan_04】入院

2014-01-09 | Photo-diary
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【Jan_04】江東病院

2014-01-09 | Photo-diary
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