目黒の喜多六平太記念能楽堂へ。
ここでも「井筒」と「葵上」を鑑賞。
いやあ、すばらしかった。
能が制約された舞台芸術だということを
まざまざと思い知らされた。
そぎ落とせるだけそぎ落としてこそ、
真実が見える。
ニッポン人がなぜ五七五の俳句に
こうも心奪われるのか、
そぎ落とすことの美徳というのだろうか、
質素の本質を見た…と思った。
女の情念が生き霊として顕れる「葵上」。
そのすざまじさ。
般若の面は女のジェラシーの顕れであることを
この舞台でしかと確認。
仙台の母方の実家に
なぜ般若面があったのか…
その般若面で叔母に泣かされた記憶が
今になって甦ってくる。
あれは女の嫉妬がツラに定着したオモテだったのね。
吉原といい、般若といい、
ボクはそういった女の「浄・情・貞・醸・擾」といったものに
強く惹かれる性癖があるのかもしれない。
ここでも「井筒」と「葵上」を鑑賞。
いやあ、すばらしかった。
能が制約された舞台芸術だということを
まざまざと思い知らされた。
そぎ落とせるだけそぎ落としてこそ、
真実が見える。
ニッポン人がなぜ五七五の俳句に
こうも心奪われるのか、
そぎ落とすことの美徳というのだろうか、
質素の本質を見た…と思った。
女の情念が生き霊として顕れる「葵上」。
そのすざまじさ。
般若の面は女のジェラシーの顕れであることを
この舞台でしかと確認。
仙台の母方の実家に
なぜ般若面があったのか…
その般若面で叔母に泣かされた記憶が
今になって甦ってくる。
あれは女の嫉妬がツラに定着したオモテだったのね。
吉原といい、般若といい、
ボクはそういった女の「浄・情・貞・醸・擾」といったものに
強く惹かれる性癖があるのかもしれない。
岩波ホールで公開中の「おじいさんと草原の小学校」
主人公のキマニ・マルゲは実存の人物で
この映画はその実話を元に制作されている。
イギリスからの独立という強い信念で
その人生の大半を収監され、字を読むことすらできなかった。
しかしケニアは見事にイギリスからの独立を実現。
その過程でマルゲが強く抱いた確信は、
「教育」こそが被支配から脱出する道である…ということ。
だからこそ84歳にして、彼は小学校入学を渇望する。
「強く生きる」そのことを思い知らされる映画。
今のニッポンこそが、この確信を胸に描いて生きるべき。
主人公のキマニ・マルゲは実存の人物で
この映画はその実話を元に制作されている。
イギリスからの独立という強い信念で
その人生の大半を収監され、字を読むことすらできなかった。
しかしケニアは見事にイギリスからの独立を実現。
その過程でマルゲが強く抱いた確信は、
「教育」こそが被支配から脱出する道である…ということ。
だからこそ84歳にして、彼は小学校入学を渇望する。
「強く生きる」そのことを思い知らされる映画。
今のニッポンこそが、この確信を胸に描いて生きるべき。
1903年ー1963年の60年を駆け巡った
小津安二郎はここ深川の生まれ。
だから図書館に行くと
彼の無声映画も借りられる。
「その夜の妻」は昭和5年の作品。
アメリカ映画を観て育った小津らしい
照明やアングルに凝った作品だった。
蓮見重彦の「監督小津安二郎」を読了。
蓮見さんが指摘する小津映画の特長には
目からウロコの視点が多く含まれていて
「これはきっと今後の指針になるな」
と、深く感銘を受けた。
…ということで、サイレントムービー。
小津安二郎はここ深川の生まれ。
だから図書館に行くと
彼の無声映画も借りられる。
「その夜の妻」は昭和5年の作品。
アメリカ映画を観て育った小津らしい
照明やアングルに凝った作品だった。
蓮見重彦の「監督小津安二郎」を読了。
蓮見さんが指摘する小津映画の特長には
目からウロコの視点が多く含まれていて
「これはきっと今後の指針になるな」
と、深く感銘を受けた。
…ということで、サイレントムービー。
吉原遊郭の土手通りを行くと山谷地域に出る。
あしたのジョーにもあるように
「人生にやぶれ、生活に疲れて果て、このドヤ街に流れ込んだ人たちが泪で渡る悲しい橋」泪橋のたもと。
この城北労働福祉センター周辺には一泊2000円ほどの簡易宿泊施設が軒を連ねる。
今は外国から来たバックパッカーたちが集う新しい文化も根付いてきた。
住民のおじさんに声を掛けられた。
「俺も33年、この山谷に暮らしてるけどよ、
今の時代が一番苦しいな。
角栄の時代はよ、日雇いで1万6千円ももらえたんだな。
しかし、今じゃ空き缶集めて日当2000円にもならねえ。
おまけに区の条例で10月からは空き缶の無断収集で罰金だもんなあ。
まったく住みにくくなったもんだよ。
底辺を支えている俺たちをなんだと思ってンだかな。」
吉原に山谷。
「生きる」縮図を思い知らされた。
あしたのジョーにもあるように
「人生にやぶれ、生活に疲れて果て、このドヤ街に流れ込んだ人たちが泪で渡る悲しい橋」泪橋のたもと。
この城北労働福祉センター周辺には一泊2000円ほどの簡易宿泊施設が軒を連ねる。
今は外国から来たバックパッカーたちが集う新しい文化も根付いてきた。
住民のおじさんに声を掛けられた。
「俺も33年、この山谷に暮らしてるけどよ、
今の時代が一番苦しいな。
角栄の時代はよ、日雇いで1万6千円ももらえたんだな。
しかし、今じゃ空き缶集めて日当2000円にもならねえ。
おまけに区の条例で10月からは空き缶の無断収集で罰金だもんなあ。
まったく住みにくくなったもんだよ。
底辺を支えている俺たちをなんだと思ってンだかな。」
吉原に山谷。
「生きる」縮図を思い知らされた。
弁財天から吉原神社はほど近い。
気の流れがとても良く感じられた。
風が心地よい。
遊郭の周りには、
写真観や婦人科などが建ち並んでいたそうだ。
遊女の街、吉原。
彼女たちのニーズに合わせて
街は形成される。
ここ吉原神社も女性へのご利益が豊富な神社。
だから、気の流れも心地よいのだ。
気の流れがとても良く感じられた。
風が心地よい。
遊郭の周りには、
写真観や婦人科などが建ち並んでいたそうだ。
遊女の街、吉原。
彼女たちのニーズに合わせて
街は形成される。
ここ吉原神社も女性へのご利益が豊富な神社。
だから、気の流れも心地よいのだ。
1855年の安政江戸地震のあと、
1923年の関東大震災でふたたび吉原は炎上する。
災厄の多い時代ではあっただろうが、
堀で囲まれ木造が犇めいて在ったとされる遊郭は
炎に包まれるとひとたまりも無かったことだろう。
多くの遊女が炎から逃れようとこの弁天池に身を投じた。
その供養塔は、風を受けて果敢に胸を張る弁財天。
そのお姿に力強さと、ここ吉原の持つ磁場を感入った。
1923年の関東大震災でふたたび吉原は炎上する。
災厄の多い時代ではあっただろうが、
堀で囲まれ木造が犇めいて在ったとされる遊郭は
炎に包まれるとひとたまりも無かったことだろう。
多くの遊女が炎から逃れようとこの弁天池に身を投じた。
その供養塔は、風を受けて果敢に胸を張る弁財天。
そのお姿に力強さと、ここ吉原の持つ磁場を感入った。
1855年の安政江戸地震で浅草・深川の埋め立て地は甚大な被害を受け、
吉原遊郭の遊女たちの死体はここ浄閑寺に投げ込まれた。
「生まれては苦界、死しては浄閑寺」
とは、その遊女たちの薄倖の様をうたった花又花酔の川柳。
平均年齢21歳という若さでこの世を去っていった女たち。
その寄る辺ない思いが、ここ浄閑寺の新吉原総霊塔に眠っている。
吉原遊郭の遊女たちの死体はここ浄閑寺に投げ込まれた。
「生まれては苦界、死しては浄閑寺」
とは、その遊女たちの薄倖の様をうたった花又花酔の川柳。
平均年齢21歳という若さでこの世を去っていった女たち。
その寄る辺ない思いが、ここ浄閑寺の新吉原総霊塔に眠っている。