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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Jan_20】オレの文体はワーグナーの無限旋律なんだ。

2021-01-20 | BOOKS&MOVIES
オレの文体はワーグナーの無限旋律なんだ。句読点も改行もなく、そろそろ終わるかと思うと、
もう一発、さらにもう一発かましてくる。トリスタンとイゾルデがまぐわう時のあの陶酔感は
変な和音の浮遊感を伴って、クライマックスが何度も畳み掛けられるだろう。あれに似てる。
よほどの体力がないと、中折れする。

それは見事な自己解析だった。中上は徒手空拳で偉大なる先達に決闘を申し込む癖があった。
相手はセリーヌだったり、ジャン・ジュネだったり、ドストエフスキーだったりする。
バフチンのポリフォニー理論のことも知っていて、
「自己の小説はドストエフスキーよりもさらにポリフォニックで、紀州の路地だけでなく、
世界中の路地にいる朋輩たちとの終わりなき対話を繰り広げている」と言い出したりする。

文豪にマウンティングするこの不遜、この自己顕示こそが中上だった。文学者は誰しも多かれ少なかれ自己愛の塊で、
肥大化した承認願望を抱えているものだが、君を含めて大抵の人は被害妄想に縮こまっており、自分教の布教にまでは至らない。
ところが、中上ときたら、創造の神は自分を贔屓にしていると信じて疑わないし、自分がメインで過去の文豪は前菜に過ぎない
…とまで思い上がることができた。中上教の教祖中上健次は夜な夜な新宿の裏道のバーをハシゴしながら、
たまたまそこにいる酔客相手にかなり効率の悪い伝道を行っていた。

週に八日間飲み歩いているともいわれた中上は一体、いつ書いているのか、それは誰もが抱いている疑問だったが、
彼はミューズの降臨をとともに待っていたのである。いよいよ、追い詰められ、担当編集者の顔が引きつってくると、
中上はまず酒を抜くために一日何もしない日をあいだに置く。そして、二日目の夜あたりからようやく机に集計用紙を広げ、
罫線に沿って丸みを帯びた丁寧な手書きの文字を連ねてゆく。無限旋律的なその文章は改行も句読点もなく、
写経しているかのように淀みなく、かなりの速度で書きつけられる。不眠不休、絶食で集中し、二日間の完徹もしばしばだった。
中上の生原稿をのちに寺田氏に見せてもらったが、万年筆で書かれた原稿に直しはほとんどない。基本、行組と校正は編集者任せで、
数日後には三日間で書いたとは思えない奇跡的な完成度の作品が活字になっている。
(島田雅彦著『君が異端だった頃』より)

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