私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

磐姫皇后の嫉妬(うはなりねたみ)⑤

2009-07-04 20:47:57 | Weblog
ほんの2、3回と思っていたのですが、つい、この磐姫皇后を深追いしすぎ、既に5回目になりました。一体どうなっているの、何だと、思いにならないでお付き合いください。
 さて、この磐姫皇后の嫉妬に対して、仁徳天皇は何一つ対策を講じることはできなかったのです、ただ見ているだけでした。
 男って誠にだらしないですね。愛する女性に対して、自分の后からどうしても守ってやるという毅然たる態度がとれないのです。
 妻と言う字の女性は誰がどう言おうと、兎に角、強いのです。男はそのいい成りにならざるをえないのです。何を言っても立ち向かうことは不可能です。
 仁徳天皇も、そのことを痛く理解していたのではないかと思います
 
 例えば「姑」と言う字があります。この字はもう4、5,000年も前の中国で生まれたのですが、この字は、今まで一般に言われているような
 「女性が古くなったからと言う意味の姑」
 と言う意味ではありません。
 それは、家についての曰く因縁を細々とよく知って、家のすべてを司っどっていると言う意味なのです。男どもが、どう言い訳ても、その嘘をたちまちのうちに見破ってしまい、何と言っても到底太刀打ちできない。すべて彼女たちに支配されていてどうしようも男どもは手出しできないという意味なのです。まさに、その通りなのです。仁徳天皇も例外ではありません。完全にお后の磐姫皇后に支配されていたのです。磐姫皇后のなすがままを、ただ、この難波の都の高殿からじっと見ていなくてはならなかったのです。

 そんな姿を如実に描く古事記って言って、なかなかしゃれた本ではないでしょうか。

 仁徳天皇と言うのは誠に愛すべき天皇だと思われます。歴代の天皇の中でお一番人間らしい可愛い天皇ではないかと私には思われます。でも、此の磐姫は、 一夫一妻が「夫婦の本当の姿だ」と、思った日本で最初の女性なのです。実現はしなかったのですが。
 
 まあ、考えてみますと「男女同権」と言う民主主義の基本を、既に、3000年もそれ以上の昔から考えていた女性が磐姫ですから、すばらしい進歩的な女性であったということには間違いありません。

 このように、歴史を紐解くということは、とても愉快なことだと思いになられませんか。
 仁徳天皇と言えばだれでも思いつくはずです。あの黒日売を蔭ながら見送った宮殿の高台から見て、人々の家の煙が夕食時にも関わらず立ち上っていないのを見て。これは人々の暮らしが貧しからではないかと思われ、人々に課する租税を軽くしたと言い伝えられている慈悲深い天皇だとして知られています。
 その天皇がこれです。それまでは、ごく一般であった「一夫多妻」の夫婦体系を強引に「一夫一妻」に改革させられそうになって、抵抗した姿は伺えますが、その后の対応に随分と苦慮させられたことには間違いありません。
 それを「嫉妬」という言葉でしか言い表せなかった我が国の歴史の幼稚さを物語ることではないかと思います。


 さて、みなさんはどうお思いですか。
 仁徳天皇は、どこまでも思慮深遠な、女性といえどもその人格を尊重される人間として非常に優秀なお方であったか、それとも、奥方に、一切、頭の上がらなかった男の片隅にもおけないような情けない男であったか?

 でも、仁徳天皇も「やっぱり男だった」というお話しがあります。明日にでも。