私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

いにしへのよき歌のさまをとふとびしたがわざる

2013-05-31 11:34:17 | Weblog

現代の歌よみは、と云っても、江戸期の歌よみは、
   ”ふじのねにふりける雪はみな月のもちにけぬればその夜ふりける”
 の赤人の歌に付いて、ふじの雪はまことにみな月のもちに消て、その夜にふるようにこころへて、こともなげにとけるは、歌の情を知らないつまらない歌のように思っているようであるが、本当のこの歌を読んだ時の赤人の情は、雪が溶けだしてしまうような暑さの中で、富士の高峯では雪が降る。そのように霊峰富士の有るがままの姿が歌として表されている。それな何とも云われぬ情の籠った歌に成っている。その情を知らない今の歌よみは、古い歌をなほざりにしているからその歌の底にある本当の情が分からないのだと云うのです。

 このような事を、つらつら思えば、昔からよい歌だと云われるのうな歌を読む人には
 “おのがこころえがほなる事、たけきこころなどを、さらにいわざるも、ひとのあはれとおもふべくよむがうたなればなり”
 と、しています。その思いを特別に言うのではなく、「ふじのねに」と詠んだ赤人のように、間接的にうたいこむことによって、詠む人の心を捉えさすような歌がよい歌なのだ、と。


おろかなる情とは

2013-05-30 09:27:34 | Weblog

 高尚の「歌のしるべ」を紹介しています。
 彼は万葉が最高で、その歌の情をいかに詠むかこの書で綴っております。その中で「「おろかなる情」について書いております。
 山部赤人の

  ふじのねにふりおける雪はみな月のもちにけぬればその夜ふりける

を取り上げております。
 この歌を、もし赤人が「みな月のもちにも消ぬふじのしら雪」と詠んでいたなら、それこそと何処にでもあるような平凡な歌になってしまうのだが、彼の言う“かいなでの歌よみ”になってしまうのだが、そうでなく、雪が消えて、その消えたことが知られないように、すぐ降るからこの富士のお山の”をかしもをかしく、めでたしともめでたし”と云う情がこもって、“世々の歌よみのさらにおよびがたき所なり”と言われる所以であると。

 高尚は、更に、この歌と人麻呂の“野をなつかしみ”の歌をくらべてみて
 “赤人は人麻呂のしもにたヽんことかたしとも、歌にあやしくたへなりともいわれつる貫之主は、歌のさまをよくしられたる人なりとぞおもひしられける”
 とも、書いております。


2つの歌を比べて

2013-05-26 18:06:29 | Weblog

 昨日上げた歌ですが、最初の「飛鳥のつばさしをたれてかへらずばくるるもしらじ春雨のそら」と、次の「ふるままにいろそめまさるふかみどり松のしぐれや春雨の空」を比べております。どうでしょうか。前の歌が頓阿法師。後のが実隆公です。

 その違いがおわかりでしょうか???私にはどちらもいい歌だと思えるのですが、高尚先生に云わすとそこにい大いなる違いがあると云われるのです。

 飛ぶ鳥の翼の形で春雨のそらを知ると云う歌です。それにたいして、後の歌は、降る雨によって松の緑が一段と濃くなっていくよ、春雨の空に。ぐらいでしょうか。歌の優劣はつけがたい様に思われるのですが、高尚先生によると、頓阿法師の歌は春雨があはれげに思えるが、一方の実隆の歌は、歌は巧みだが形だけ整っているに過ぎず“情浅くしてしめやかならず。まことの歌のこころにはあらざるなり”と云っております。
 また、此の実隆の歌を前に述べた広沢長季はよしとして盛んにその歌風を真似ているが褒めたものではないと。そして、こんな歌が世にはびこっていることは”くちをしともくちをしく、かなしともかなしき事なりけり”とも述べております。


愚問賢注

2013-05-26 09:49:40 | Weblog

 「愚問賢注」と云う本に付いても高尚先生は評しております。曰
 “頓阿法師がかきたまえるよう、爰に頓公すでに七十有余の遐算をたもちて、能三十一字の奥玄をわきまえたり。”とあります。遐算と高齢者と云う意味です。七十有年もの間柿本の言葉を慕い、山部の至道を訪ねて、此の二人の道を追い求め、歌の奥底に潜んでいる測り知れない本質を明らかにした。”と。
 それ以来、“むげに歌のさまたがへり”とも。それが如実に表れているのが逍遥院実隆公の歌である、彼の歌は、“歌のさま事の心をば、おぼしわきまへずして、たくみにのみぞよみたまへる”とこれも酷評しております。
 その歌として
              「飛鳥のつばさしをれてかへらずくるるもしらじ春雨のそら」
       「ふるままにいろしめまさるふかみどり松のしぐれや春雨の空」
 をあげております。


広沢長季の桂雲集

2013-05-25 20:19:16 | Weblog

 広澤長季の歌に
   “年も今つれなくのころあり明の月よりかすむ春は来にけり”
が、ありますが、その歌を例に挙げて、更に、高尚は説明しております。

“たくみにはあれど歌のさまにあらず。春のたつころに、いかでかあり明ののかすむべし。深夜の月のかすむは三月頃なるべし。かようの歌を、あはれげにさやうなりと、たれかは感じおもうべき。”

 と。
 俊成卿や先にあげた頓阿法師の歌と比較してみても一目瞭然であろう。此の二人の歌は万葉の柿本ノ大人や山部ノ大人のこころを思える人であり、あはれなる情を、うつくしい詞で、ものしずかに表現しているのである。巧みな技巧をこらして珍しそうにさも面白そうに詠んでいる歌が今の世には多く見られるのだすが、それは、歌としての何の価値もない、「ただのいたずらごとなり」と、これ又大変いて厳しく批判しております。
 広澤さんには、誠に気の毒ですが、そんな風にしか、彼の歌は、高尚先生はうつらなかったようです。


わららべのたはれあそぶわざ

2013-05-24 09:10:23 | Weblog

 さて、それから、高尚先生、更に、続けます。
 “柿本ノ大人、山部ノ大人のあはれなる情ふかく、詞おかしくしめやかにして、きく人のふかくあはれとおもふべくよまれつる、そのさまによまんとこころざすほかなし”として、そんなこころを詠み込むためには、常に歌の中に詠み込む情をさがしもとめて、もののあはれを知るように努めなければならないと、のべております。あだしふり、そうです、その場限りの言葉巧みにただ面白く読んだ歌など何の価値がありましょうか、「わらわべのたはぶれあそぶにおなじきぞかし”と云っております。


沓冠(くつかぶり)

2013-05-21 09:56:08 | Weblog

 「沓冠」<くつかぶり>と云うお遊びの歌をご存知ですか??私も始めて聞く名前でした。頓阿法師と兼好法師の関係を調べているうちに、2人の間で、昨日、取り上げた歌がありました。

 “もすず ざめかり まくら そでのあき だてなきまぜ”

 これが兼好法師から頓阿法師に贈られた歌です。今、赤で記したそれぞれの文字を辿れば「よねたまへ」となります。「よね」ですからお米のことです。「お米をください」と云う事を、このような歌で言い表わしたのです。また、この歌の逆から一字づつをたどれば「銭も欲し」と読めます。

 なんと洒落人のおしゃれなお遊びでしょうか。こんな風流がいつの頃からでしょうか我が国にはあったのです。日本以外の国では見られない大変ユニークな粋人と云いましょうか雅な人にしかしかできない文学的なお遊びだったのです。き真面目一辺倒の人には決して出来ない芸当だったのです。
 
 なお、高尚先生は、相当な生真面目な方ではありますから、「沓冠」のような駄洒落の効いた歌は詠まれたことはないとは思うのですが、「ひょっとして」と云う思いがありましたものですから、彼の書物から、あちこちと探してみたのですが、私の見た限りでは、残念とでもいいましょうか、やっぱり見当たりませんでした。

 この兼好法師の歌のお相手だったのが、高尚先生が万葉以降の最高の歌よみとされた頓阿法師だったのです。彼はその返しとして
 “よるもうし ねたくわがせこ はてはこず なほざりにだに しばしとひませ”
 の歌を送ります。「よねはなし せにすこし」。その結果どうなりましたでしょうか????

   お後が宜しい様で!!!


頓阿法師って

2013-05-20 15:17:45 | Weblog

 高尚は“俊成卿、頓阿法師などといふ、かしこき歌よみのをり/\にありて、正しきに・・・”とあり、この頓阿法師とは一体どんな歌よみだったかはお恥ずかしながら知りませんでした。そこで一寸この頓阿法師に付いて調べてみましたが、彼のエピソードとして、次のようなものがありましたので紹介しておきます。

 例の兼好法師と同時代の人で、かなり深く彼と係っていたのだそうです。そのエピソードとして、残っている一つに次のようなことがあったのだそうです。
 ある時兼好法師から頓阿法師に歌が送られてきます。
     “よもすずし ねざめのかりほ たまくらも まそでのあきに へだてなきかぜ”
 それに対して、頓阿法師は兼好法師に、次のような歌を返したのだそうです。
    “よるもうし ねたくわがせこ はてはこず なほざりにだに しばしといませ”

 これだけでは何の事かさっぱりわけが分かりません。実はこの歌の中に何かが隠されていたのです。お分かりでしょうか?


よき歌とは

2013-05-19 14:31:13 | Weblog

 高尚は言います。よき歌とは“きく人のあはれとおもはする歌なり”と。
 広沢長孝と云う人の桂雲集に出ている
 “年も今つれなくのこるあり明の月よりかすむ春は来にけり”
 を取り上げています。
 「たくみににああれども、歌のさまにはあらず」と。その理由として、春賀過ぎようとしてるとき、どうして、あり明の月がかすむでしょうか。実際、深夜の月がかすむのは3月の頃です。かのように見た目にはあわれを催すようには作られてはいるが、実際とは随分かけ離れていて、古今集や後拾遺集と比べてみてもよく分かる随分と見劣りのする歌だのだ。俊成卿や頓阿法師の歌をも参考にして、歌の決まりを知らなくてはならない。この二人の歌も、人麻呂や赤人の歌の心を熟知している人ですから。どうしてかと云うと、これ等の人は 
 “あはれなる情を、うつきしき詞して、しめやかにいへるものにて、かかるはかのふたりの大人の歌のこころにはあらずや。いほとせ千とせをふるあひだに、歌のすがた詞のふり、いささかづつはかはれども、まことの歌のさまをしりて、事のこころをえたらんには、同じ事ぞ”
 と。そして、このような先人の歌よみの心を知らない人は
 “いたづらごとせんよりは、歌よむ事をやめて、いますこし、なしてかいのある事をせんぞよかるべき”
 と、手厳しく言い放った居ります。 


おりおりのさまをいふとき

2013-05-18 13:26:01 | Weblog

 四季折々の自然や人々の動きを詠むときは、目の前に実際に展開されてさまを少しも違わないように詠んで、聞く人が出来上がった歌を“あはれげ”に、本当だ、実際そうだなと感動を与えるような歌でなくてはならない。要するに、情がこもった歌とは自然の為せるわざを、そのまま言葉に言い表わばいいのだと。その例の歌として
  
    きのふこそ年はくれしか春霞かすがの山にはやたちにけり
 をあげています。
 そして、「きのふこそ」というのは、「きのふのようにおもえる」ということで、昨日、現実にここてあったと云うことではない。 “きのうこそさなへとりしかいつのまにいなばそよぎて秋風ぞふく”から見ても分かると云うのです。だから、この“きのふこそ年は・・・”は、はやくともむつきの七日八日に詠んだことになります。歌が出来た日まで言い当てています。たいしたものじゃあございませんかね。!
 春霞は、毎年、むつきの初めには立たないのだが、年のくれしはきのふのようなれど、今年は早くも春が来たなあ、もう霞が立っていると云う、春の景色をみそめて驚き喜んでいるの情がよく分かる歌であり、大変めでたく、あはれげなる歌だと。


さをしかのつまよぶ・・・

2013-05-17 08:14:28 | Weblog

そして、高尚は、では、いったいどのような歌を読んで、歌作りの参考にすべきか述べております。まず、その歌は

 ・さをしかのつまよぶ山のをかべなるわさ田はからじ霜はふるとも
 ・春の野にすみれつみにとこしわれぞ野をなつかしみ一夜ねにける

 の二首をあげ、
 ”霜ふるまでわさ田をからでおくべきにあらず。旅ならで春の野遊に、そこにひと夜ぬべきにあらねども、さやうにおもふふかき情をいふが、まことの歌のさまにて、かくもおもふものかなと、きく人のふかくあはれにおもひて感ずるなり。ただの詞にてはかようにふかき情はいはれず”
 と解説しております。さらに、
 「昔の優れた歌よみは、なにごとにつけて人が随分と哀れに感じるような歌を作らんと何時も心して、自分でも涙を止めようもないぐらいに、深き情をこめて詠ったのだ」
 と、云っております。そして、「李白の白髪三千丈のように事実とは遠くかけ離れている事を言って、情を限りなく深く言い表わしているのだ」とも。

 彼の「歌のしるべ」を読んでみても分かるのですが、何と沢山の古典を読んでいることかと、改めて、感心すること仕切りです。インターネット等と云う道具も何にもなかった世界に於いてです。

 

 


5・15事件

2013-05-16 20:35:00 | Weblog

 木堂の吉備津での、日本の総理大臣としての公務から、一時ではありますが、解放され、その支持者からの暖かいもてなしに、忙の中の閑よろしく一息を入れている写真です。その写されたお顔を拝見しますと、こんなにゆったりとしている姿は、他の写真では決して見ることはできない安堵感の漂うお姿を見ることができます。私の密かなるお宝の一枚の木堂の写真です。(リンクとこの写真の木堂の写真を比べてみてください)

 昨日が、その81年目の記念日でした。今年は、川入にある彼のお墓にも参る詣でることは出来まっせんでしたが、例年の通り彼の記念グッツを床の間に飾り、ささやかですが、その遺徳を忍びました。
 死の直前に遺した『慈愛』と云う色紙への揮毫と彼の「話せばわかる」のもとになったことばといわれる「心静則衆事不躁」の掛け軸を床の間に掲げ、更に、満州事変の勃発の時に使った陸軍の砲弾やリットンの報告書などを並べて、聊かですが郷土の生んだ昭和の時代の特筆すべき偉大なる英雄の霊に捧げました。


情とは

2013-05-15 10:09:39 | Weblog

 高尚は“とはずがたりのなが言よと、そしりてうるさくおもふひと・・・・”として、「歌の情とは」と書いております。
 人々が何時も持っている心は、その時々の見聞きすることに対して、瞬間的に、しかも、主観的に考える心の働きで起きる物である。しかし、歌における心とは、そうです、情と云うのは、それとは違って、“ことさらにいたくふかめて、おろかなる事をもいふものにぞありける”。如何に簡単でバカバカしいと思うようなことであっても、そこにある事情をよく考慮して、十分にその心を深く考えてから表現しなければならない。そうすることによって、その歌を読んだ人が、その歌を深くあわれと思うものです。如何に、ものはかなげなる歌であっても、只、形だけでは、その事で人をあわれと思わせる様な歌は作れない、と云うのです。


筆のこころを学べ

2013-05-14 10:00:56 | Weblog

 そして、高尚は、此の偉大な二人の歌のさまを学ぶと云うことは、何も歌そのものを真似することではない。そのこころを学べと云うのです。その“文字やうをまなび似せんよりは、筆のこころをまなぶ”事が大切だと云うのです。要するに、その中に書かれている文字の書きぐわい、形式ではなく、そこに表れているこころを鋭くとらえて、歌そのもののこころを学ばなくてはならないと云うのです。その為に、情深く、その使い方の妙なる詞をまなび、「ああ、この歌は大変情が深くしみじみと心に深く感動を与える歌」だと、読む人が思わず感心するような歌でなくてはならない。
 なお。とはいっても、此の二人の生きていた時代が、今とは随分とがうのであるから、現代の人に聞きなれないような言葉は使ってはいけない、とも。


柿本ノ大人、山部ノ大人のあはれなる情ふかく

2013-05-13 15:11:19 | Weblog

雪玉集、玉葉集、風雅集について高尚は「なまなびならひそ」と、まことのさまでないと言っております。そして柿本人麻呂と山部赤人の歌について
 “あはれなる情ふかく、詞をかしくしめやかにして、きく人のふかくあはれとおもふべくよまれつる、そのさまによまんとこころざすほかなし。”としてそのようなふかいこころ迄には現代人は到底及ばないのだけれども、その足元ぐらいまでには近づくことができる。だから、常に、此の二人の歌を読んで、その中にある“もののあはれ”の情を会得する様にしなくてはならないと云っております。歌を巧みに面白く詠っても、そんなものは、所詮、“わらわべのたわぶれあそぶわざにおなじきぞかし”と、こき下ろしております。
 要するに形だけを真似て上手に作っても心が、情ですが、入ってない歌など和歌としての何の意味があろうかと云っているのです。