私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

岡部伊都子さん逝く

2008-04-30 21:51:05 | Weblog
 今朝の新聞報道によると、岡部伊都子さんが死去されたという。
 もう大分前のことですが、文化勲章を受章された岡潔さんと対談した記事が新聞だったか、週刊誌だったかは忘れたのですが、写真つきて掲載された事がありました。私はその写真を見て、これこそ、これもまた非常に尊敬している岡先生には誠に気の毒だったのですが、「美女と野獣」だなと、強く印象に残ったことがありました。それ以後、私は岡部さんのフアンであり続けました。ラジオ放送などでお聴きする、岡部さんのきれいな、柔らかな京言葉の響きとともにやわらな文に魅了されどうしでした。

 「優しい出逢い」という本の中から、岡部さんの一文を載せ、あわせて、ご冥福をお祈りします。

 “この五月、道ばたで摘んできた一本の穂たんぽぽを、卓上に置いて、毎日チラチラ見ていました。
 自然の穂たんぽぽの透かしのきれいさ、繊細さ。はじめは口でふっと吹いても、飛ばずにしっかりついていたたんぽぽの種は、花芯からあふれだすように盛りあがってきて、おのずから種を落します。こういう時、風があれば、風にのるんですね。りっぱないのちのあふれかたでしょう。
 「どうして人間は、人間だけがえらいと思ってきたのかしら」”
 

 ほのぼのとしたお優しい読んで安心感が漂うような文章でしょう。お書きになっていらっしゃる文総てに渡って、岡部さんの美しく気高い研ぎ澄まされている心がそのままに現されているように思われます。
 特に、日本語の中で、句読点を、これほど巧みに使われる書き手は、岡部さんを置いて他には居ないのではないかとも思われます。

 安らかにお眠りくださいませ。

おせん 21

2008-04-30 15:24:17 | Weblog
 大旦那様はにこにこ顔で立見屋のご主人夫妻と、それと思いも及ばなかったお園さんまでいて、なにやら和やかに話されています。
 「おお、平蔵さん、まあ其処へ座らせてもらいなはれ」
 部屋に入ると大旦那様。
 「そんな端近くでなく、もっそとこちらへ。・・・ようお出でくださった。舟木屋さんと御一緒に金毘羅さんまで大変な旅ですなー。お疲れでしょう。でも、ここから金毘羅さんまではあとほんの少しです。吉備津様にお参りしてから、一日あればもう四国の金毘羅です」
 と、平蔵が両膝を立てて、その場に座ると、立見屋のご主人もにこやかに話しかけてくれます。
 「そうそう、話し込んでいたため、まだ夕ご飯がまだでしたはね。お客さんに、こんなに遅くまで待たせて、本当にごめんなさい。今、ここに運びますから、しばらくお待ちくださいな。お園手伝って」
 と、奥様もお園さんも部屋から出て行かれます。
 奥様とお園さんの座っていた向こうの縁越しに、あのおにぎり山が殆ど真っ黒な姿に変えて瑠璃色の空にくっきりと浮び上がっているのが見えます。
 「まあ、もうちょっと中のほうに入らせてもないなはれ。今ご主人さんと話していたのじゃがな。これは、わしの勝手な思いつきなのじゃが、平どんではないい、平蔵さんよ。よう聞きなはれや」
 と言って一息お入れになられます。
 「わしの一人よがりの事かも知れへんが、お前に嫁はんを世話をしたろうかいなと思ってな、それで連れてきよったんだ。どうだ。嫁はん貰いなはれ。話はつけてる」
 「ちょっとお待ちになってください。大旦那様。どうしてここに来て籔から棒に嫁はんの事が・・・」
 「はは・・、そうでっしゃろ。どうだ、お園さんをお嫁さんにしとき。おまえもそれがええのとちがうが、図星やろう」
 大旦那様はにこにこしながらいわはりますが、とっさの事で、平蔵には何のことやら意味が分りません。
 大旦那様は、時々とんでもないことを持ち出しては周りをはらはら、どきどきさせる癖があるという噂話は聞いた事があるのですが、平蔵にとっては将に晴天の霹靂です。どうゆう具合にして、こうなったのかさへも、見当だに立ちません。まして、ここまで来て、お園さんの名前が出てこようなんて思いもよらないことだったのです。
 「ちょっとお待ちください。大旦那様。第一、そんなことお園さんにも大変な失礼になるのとちがいますやろか」
 真顔で尋ねます。
 「そうならんように、最前からいろいろと立見屋はんと相談しておった・・・考えてみいや。いつだったか、おまはんに、嫁はんのこと聞いた事がおわしたな。そのとき、わいはな、ははん・・こやつお園さんとかいう女のお人に、大分いかれてしもうとるのとちょうかなと思うたんやで。よっしゃ、それなら、一つこのわいが骨を折ったろかいなと思うたんや。お園さんには、今、わいが話しうつけてやったさかい。なあ、立見屋さん」
 いくら大旦那さんが言われる事であっても、そんな勝手な一方的なことが決められて言い訳はありません。
 

おせん 20

2008-04-29 09:12:28 | Weblog
 いつのまにかお山で鳴いていたじーじじーという蝉の声も消え、遠くの街並みの中から人の笑い声なども聞え喧騒の始まりを告げているようです。そんな街に目をやりながら、お山の七変化と言ったお園さんの言葉が頭に浮び後ろを振り向きおにぎり山を見ます。
 そのお山も、いつの間にか今まで全体を包んでいた江戸紫とでも言った方が確かだと思えるような紫色はきれいに掻き消されて、代わってぼんやりとした空の明かりを受けた真っ暗ではないのですがやや薄い白色ががった、ほんの一時だけしか見せない神さまがお作りになったとしか言いようのない、あるようでないような色を見せています。これも、かって同郷の紺屋の奉公にあがっているの三吉から聞いたのですが、確か、銀ねずみ、と、いったと思うのですが、それに近いような色を見せています。
 その銀ねずみに代わったおにぎり山のてっぺん辺りの空も、夕焼け色から何時の間にやら瑠璃色に変っています。つい先ほどまでは、たった一つ、夕焼け雲の上で一番星が大きく輝いていたのですが、瑠璃色に代わった空には、今では天の川でしょうか無数の星が、あるものは大きくあるものは小さく、ちかちかと光を投げかけながらまばたいています。
 こんなにゆっくりと暮れゆく空の星をを飽かず眺めたのも生まれて初めてのような気もします。旅という侘しさががさせたものか、宮内の喧騒を忘れさせるかのように慎ましやかに建っている、立見屋という宿がさせたものか、それとも、お園さんの何処となく憂いを残しているような話し振りがさせたものかは平蔵自身にも分らないこのですが。
 その時です。お園さんの足音とは違った、足早などたばたとした小忙しい足音を響かせながらお日奈さんが上がってきました。
 「平蔵さん。そげんなとけえ、こしゅうかけて、なにゅうしょんでー。どうしたんでー」
 出窓の桟に座っている平蔵を見て、いつものお国言葉のお日奈さんです。
 「はよーいこうやー。舟木屋の大旦那さんが、平どんを連れてけぇと、よびょうてでー。なにゅうしょん、はようはよう」
 しきりに急かします。
 「どんなご用があるのだろうか」
 と、訝る平蔵を他所に、お日奈さんは、せかせかと階段を下ります。平蔵もそんなお日奈さんを習うかのように足早に、それでもすり足で後を追います。
 
 
 

おせん 19

2008-04-28 10:47:21 | Weblog
 その飯山からも、ようやく夕焼けの赤が消え、何か人の心を押し潰してしまうかのような不思議な、ごくごく薄い青紫ががった大きな布にお山全体が包み込まれていくような色へと移り変わっていきます。そんなお山を見ていると、お園さんから、今、聞いた、得体の知れない力でぐいぐいと引き寄せられるのではないかとさえ思えます。
 「本当に不思議なお山です。本当に神様がおいでになられるのかもしれません」
 明かりが点された行灯の光が部屋の中を薄ぼんやりと照らし出しています。暮れなずむ宮内の街にも人影があちらこちらへとせわしく動きだしました。
 「お山は生きていて、時と一緒に動いているのだと、祖母は、いつも申しておりました。お山の神様が作り出しているのだとも。・・・・でもきれいでしょう。私は、このお山の段々と変っていくお姿を見るのがとても好きなのです。夏から今時分にかけて、夕方からこのお山は七変化するのだとも言われています」
 じっと、お山を涼しげに見つめながら言います。平蔵には、そんなお園さんが今更のように懐かしいような、この腕の中に抱きしめてしまいたいような気分に駆られます。
 「福井の婚家からこの宮内に帰ってきてから特にそうです。・・・・・このお山は、私の辛い事、悲しい事を全部吸い込んでくれるのですから。“なにもかも忘れろ忘れろ”と呼びかけてくれているようでもあるのです。・・・・・本当に不思議なお山なのです。わたしにとっては」
 階下から、泊り客でしょうか大きな声が響きます。
 「あら、お客様かしら、ちょっと失礼します」
 とんとんと心地よい足音を残しながら階段から消えていきます。
 又独りになった部屋で、「七変化する」と言ったお園さんの言葉を思い出して、一帯どんな色に変るのだろうかとも眺めています。
 部屋から出て行かれた大旦那様は、もうかれこれ一時にもなるのですが、まだお部屋にお戻りにはなられません。「お先にお入りになったら」と、お園さんからお風呂をしきりに進められるのですが、自分だけ先になんて、そんなことができるわけもありません。
 お山は何時の間にやら濃い紫色に変っています。行灯の光だけは、外が暗くなるにしたがって部屋を照らし出す明るさがだんだんと増してきます。そんなごく当たり前な他愛もない事がどうしてだか分らないのですが、平蔵の目には印象深く映るのです。お園さんが急に居なくなったということが原因になったのかもしれませんが、いつもなら思いも及ばない事が次から次へと頭に浮んできます。 

おせん 18

2008-04-27 17:06:37 | Weblog
 船坂峠で聞いた、あの旅に出た時だけにしか感じられない、なんともわびしげな蜩の声は、吉備の中山ではどうしてだか分りませんが聞こえてきません。その蜩の声の代わりに「じーじー」と、頭の先にがんがんと打ち響くような、これもやはり蝉の仲間でしょうかしきりに鳴いています。
 お園さんも階下に下りてゆかれ、部屋には平蔵が一人だけぽつんと取り残されたように座っています。夕方近くに自分が唯一人ぼんやりと部屋の中で無為に過ごす事は今までにありませんでした。だから余計に時間をもてあましているのです。
 部屋の下の道からでしょうか犬がしきりに吼えています。明かりを入れるにはまだ少しばかり早やすぎます。
 「何か起きたかな」
 と、立ち上がり出窓の桟に腰掛け辺りを見回します。丁度、平蔵の座っている出窓の桟の真向かいの空に、それでもまだ夕焼けの薄赤を残したおにぎりの様な三角のお山が立っています。そんなお山がこの宮内あったということすら今までは見過ごしていました。今、改めて目の前にあるこのお山を見ると、なんだか分らないのですが心がすーとその山のてっぺん付近に引っ張り込まれてしまいそうな不思議な感覚に陥ります。お園さんが、いつか話してくれた吉備津神社の長い回廊の中に吸い込まれそうになるという感覚と同じなのかなと思いました。
 静かに暮れなずんでいく宮内の街に一つまた一つと、ぽつりぽつりと店先の提灯に明かりが入るのが向こうに見えます。喧騒な華街の店開きが始まろうとしています。
 一番星でしょうか。おにぎり山の上にちかちかと輝きだしましす。
 時折、「おや秋かな」と思わせるような涼しげな柔らかい山風も吹き下りて出窓の桟の辺りを通り過ぎ部屋に入ってはきますが、まだまだ、備中名物とまでに謳われた「夕凪」のねっとりとした暑さが部屋の中に満ちています。
 この立見屋は宮内の華街からは少しばかり離れた高台の上にあります。
 「お火をつけます」
 と、お園さんが、再び部屋に上がってこられます。
 「其処から何がお見えです。姐さん達のお出ましには少々早すぎます。ぽつりぽつりと街に明かりが付いて行くのを眺めていますと、私もあんなところで働いてみたいとも思うのですが。・・・・・でも、あの明かりは唯きれいなだけではありません、人の欲が一杯に詰まった、どすぐらい明るさだと人様から聞いております。この前も、何時だったか忘れてしまったのですが、あそこの一人の若い女のお人が、お滝さまの崖の上から身を投げて可愛そうにお亡くなりになられました」
 「あのお山を見ていますと、おにぎりのてっ辺の辺りから人を吸い付けるような不思議な力が出ているのではないかと、段々とその色を変えていく夕暮れのお山をみながら思っていました。もしかして、この前、お園さんから聞いた手毬と少女の話も、あのお山が吸い寄せるたのではと思っていた所なのですいたのです。もしかしてその女の人も、あのお山が吸い寄せたのではないでしょうか」
 「そうですか。そんなことをお考えになっておられたのですか。・・・・この辺り一帯は人の目では見ることが出来ない不思議な力が到る所にあるのだそうです。竜神池のみさきもそうです。お山の上にある鏡岩も吉備津彦命のお墓もそうです。山にある円形に並んだ岩だってそうです。得体の知れない力がそこらじゅうを飛びまわっていると言い伝えられています。その得体の知れないものに掴まると人はどうあがいても、その力から抜けきることはできまいのだそうです・・・・・あらまあ、とんだお話になりました。そんなことは、この辺りの単なる言い伝えです。平蔵さんには信じてもらえないとは思いますが」
 「いや、所によって言い伝えも色々違っていますが、私の生まれた連島あたりでも先ほどお園さんが言われたみさきの話もあります。河童みたいなもので人の足を引っ張って水底に連れ込むのだそうです。どんどという水の落ちている所に住んでいるとも言われています」
 「あらいやだ。平蔵さんと居ると、どうしてこんな話ばかりするのでしょうね変な私でしょう。でも、あのおにぎり山は飯山といい、祖母は、あそこは、昔から、天から下りられた神様がいらっしゃる尊い所だ、人は決して上ってはいけない所と、言っていました」

故郷の廃家  住む人絶えてなく

2008-04-26 10:28:50 | Weblog
 筍が、今年は不作だ不作だと、周りの人たちが嘯いています。そんなに採れないのらならと、久しぶりに田舎の竹薮に行って見ました。なるほど人々が言う通り不作です。それでも、ほったらかしの山には、ちらほらとイノシシの食べ残しの筍が地上に顔を覗かせています。広い山です、あちらこちらを上がったり下りたりしながら捜して歩きます。

 こ一時間は経ったでしょうか、あまり多くとはゆきませんが、イノシシ様がお食べあそばした残りの筍を見つけては掘ります。それなりの収穫でした。
 それをぶら下げて山から下りるのもひと苦労なのですが、兎に角無事降りることが出来ました。
 「けえりしなに」(帰る時という岡山弁です)通った山道の側には、屋根は崩れ落ち柱が吹く風に今にも崩れ落ちそうになっている廃家が1軒、2軒と立ち並んでいます。
 昔は子供の声々が、その廃家のあちらからもこちらからも、それこそ、そこらじゅうから夜遅くまで響いていたのですが、“今では住む人絶えてなく”ひっそりと憐れにも、今にも潰れんばかりの無残な姿を留めて立っています。
 母の育った家もこの辺りに建っていたのですが、軒を葺いていた屋根瓦だけが数枚、草場の陰から覗いているだけです。
 面白くも何にもない、煤で汚れた古ぼけた天照大神という軸が年がら年中掛かっていた、だだっ広い、しかし、なにかそこに神様がいるのだと子供心に思い、決して其処へは立ち入らなかったお床も、金剛梁と呼ばれていた長くでっかい張りも、年寄りが厳しく立っている絵が描かれた衾も、明り取りの為に設えられた何か絵のような模様が入っていたようだったと思うガラスの嵌め込まれていた障子も、夜になるとすべとのものを真っ暗にする、がたごとという不気味な音を出し、とてつもない恐怖の底に落とし入れられるのではないかと思われた、所々に節穴は開いた雨戸も、走り回る度にこっぴどくどなりあげられた長い廊下も、昼寝をした広い部屋も、薄暗い台所も竈も、しかられた時に入れるぞと、脅された床の下に掘られていた芋釜も、すべて何もありません。その面影だけ私だけの心の中にそっと生き残っているだけです。
 そんな思いを他所に、ただ背高く伸びた木や草だけが辺り構わず生い茂り、荒れに任せて元の自然に帰っているです。
 風音だけが嘯々として草木を撫でながら通り過ぎています。

 ふと、あの歌がどうしてかは分らないのですが、口を突いて出てきます。

  幾年ふるさと 着てみれば
  咲く花鳴く鳥 そよぐ風
  門辺のお川の ささやきも
  あれにし昔に 変らねど
  あれたる我家 住む人堪えてなく

おせん 17

2008-04-25 18:18:32 | Weblog
 のんびりとした二人の旅は続きます。圓教寺にお参りして三日後の夕方に、ようやく備中宮内の立見屋に入ります。事前に連絡がしてあったのでしょう、宿のご主人夫妻のお出迎えを受けます。
 宿に着くと、大旦那さんは立見屋さんとお話しがあるとの事で、お日奈さんに案内されて部屋を出て行かれます。入り違いに、お園さんが、
 「長い道中お疲れさんでした。ゆっくりお風呂でもどうですか。・・・舟木屋さんの大旦那さんは父となにやら大事な用があるということで、そんなにお急ぎになられなくても、お風呂でも済んで、一休みされてからでもと、申し上げたのですが、何か大切な話があるとかで、父の部屋でお話になられるそうです」
 と入って来て話します。
 平蔵は、そんなお園さんのおしゃべりを聞いているだけで、なんだか大旦那様のお供をしてきた甲斐があったようにも思われます。
 「もうじき、また、吉備津様の秋のお祭りがあります。宮内の人たちは、今、その準備で大変なのです。・・・それはそれは大変賑やかな、この街道筋でも一二を争うような、お祭りになるのです。なんでも秋には見世物小屋がお江戸から来られると聞いております」
 おしゃべりが好きで好きで仕方がないという風にあれやこれやと一人で勝手に話しております。
 「立見屋さんは金毘羅参りとか」
 「お一人でといわはりましたのどすが、御寮ンさんがどうしても私に付いて参れといわはりまして、お供している道中です」
 「そうですか。ここからですと、金毘羅はもう直ぐ其処です。吉備津様と金毘羅さんはご兄弟みたいなお宮さんで、この二つ同時にお参りしなくては御陰が少ないとも言われています。どちらか一つだけお参りすると、何か“ばちがあたる”とも、この地方ではよく言います」
 「そうですか。ばちがあたりますか。では、大旦那様も、明日は吉備津様にお参りしていかにゃあいけんなー」
 「まあ、いかにゃあいけんなんて」
 つい気安さから備中言葉が飛び出して、二人して大笑いをします。
 
 

 なお、山陽道の板倉が、金毘羅への分岐点、入り口になっていました。
 現在も、吉備津の板倉橋のすぐ側にある石灯籠に、金毘羅道口という字が掘り込まれていて、金毘羅への道標になっていたのです。また、宮内にある石の鳥居の側にも石碑があり「こんぴら」という文字が掘り込まれ、金毘羅さんへの案内板として役目をしていたのです。
 

輝く比翼入母屋造り

2008-04-24 10:55:51 | Weblog
 まず、この写真を見てください。何かお分かりですか。
 
 これは吉備津神社の新装成ったお屋根の桧皮葺の一部分です。10mmの日本の伝統技術の輝きです。

 又、もう一枚の写真をどうぞ。
  
 吉備津神社のお屋根替の完成が間近です。屋根の覆いも捲れて、元の美しい姿を見せだしました。
 昨夜来の雨に打たれた新しく葺き替えられた桧皮葺が、その美しさを空に向けて「この美しさはどうだ」と言わんばかりに、私の目に見せ付けるように広がっています。
 
 棟に千木と鰹木が取り付けられその雄姿が再び現れました。
 この千木先等の装飾の金箔は、京都の金閣寺の金箔をお張りになられた職人さんが直接ここに来てお張りになったのだそうです。その日本の伝統技術に改めて敬意を表します。
 銅版をきれいに磨き、その上に漆を懸けそれに金箔を貼り付けていくという。特に戸外での作業になると、少しの風があって完全な美しさにまでにはなかなか仕上がるのが難しいとの事でした。
 それを完全にこなす日本の職人さんの腕に今更のように驚かされます。

 なお、「こなす」と言う漢字は、どう書くのかご存知ですか? だれかお教えてください。
 
 伝統技術の総力が、この吉備津神社のお屋根替えの総事業を完成させる基だったのかと、お改めて感嘆の声を上げるばかりです。
 まあ、兎に角すごいものです。一度見てください。中には、遠く北海道からも、是非、見に行きたいと言う、お便りも頂戴しています。見る価値はあると思います。それだけ貴重なる平成のお屋根替えの大修理でもあるのです。

 お屋根の見学を一通り済ませてから、目を遠く吉備津の町並みに転じます。すると、お屋根の人工の美しさから一転させて、辺りの緑一色の自然の風景に目が映じます。
 
 完成間近いお屋根の上から見る雨後の周りの山々や田畑や町並みは、おぼろなる緑色一色の大きな風呂敷に包まれて、筆舌に尽くせないほどの素晴しさを展開しています。感嘆の目を見張るばかりの風景です。新緑が緑立つとはこのことなりかと驚きが胸を打ちます。
 極致な人間の手による人工の美とそれとなしにごく当たり前に繰り広げている天然の美とが競演して、辺りに美の協奏曲を奏でるように辺り一面に広がっています。

 二度目、三度目の大感動に覚えた、大いなる満足の朝の9時でした。
 人間万歳、自然万歳の一時でした。

 
 

おせん 16

2008-04-23 17:19:00 | Weblog
 山陽道の飄逸とした二人旅です。何時までという時間が限定されてない旅なのです。それまでの平蔵の旅は、決して物見遊山の旅ではありませんでした。お薗さんに案内しても行った吉備津神社詣でも平蔵にとっては、舟木屋に奉公に上がってから初めてのことでした。
 「あほやなー。たまには気ィ抜いて、仕事の事忘れんと・・・のんびりいきまひょ」
 大旦那様は言いはります。
 でも、この金毘羅参りの旅は至って気楽ですが、それでも何処かに何かが引っかかるような自分だけこんなに楽をさせてもろうていていいのかなという後ろめたさみたいなものが心の隅にある旅でもあったのです。
 「ひとつ円教寺さんにでもお参りしみまひょ」
 と、姫路のご城下に入ると言われて、すたこらと書写山の方へ進まれます。
 大旦那様のお話ですと、このお寺には、弁慶が修行したという言い伝えも残されており、
 「人は円く円く生きなさいと、教えてくれはるお寺どす。平どんにはちょうどいいお寺どす。まあ参ってみまひょ」
 と。ゆっくりお山に上ります。
 お山に参詣した後、二人は播磨から備前の国に入ります。
 日中はまだまだ残暑が厳しいいのですが、それでも、船坂峠付近にに差し掛かると西の端に沈みかけた秋の真っ赤な夕陽が洩れている木立の間から、「かなかなかなかな」という涼しげな蜩の声がしきりに騒ぎたち、なんとなく秋の旅愁を感じさせているようでもありました。
 この峠も今までに何度となく通って来たのですが、今日みたいに蜩の鳴く声がこんなに侘びしく、胸を突くように聞こえるものかということを始めて知りました。心の持ちようで人の心がこんなにも変るのかとも驚いてもいます。

再び 筍

2008-04-22 20:58:16 | Weblog
 今朝の朝刊の報道によると、今年も、また、二,三年続きに、「筍は不作くなり」と大きく報じられています。
 どうして、連続して不作になるという原因は分らないのですが。もしかして異常気象が、その元を作っているのかもしれませんがの、一般の予想に反して。私の町吉備津では、今年は豊作の年になるのではないかと予想しています。どうでしょう。
 イノシシが食い荒らしまくるということもなく順調に生育しているのではないかと思います。
 でも、昨日今日の真夏日の気温に、聊か、筍もいやけを感じて、出ようとする芽をを引っ込めてしまうのかもしれません。

 それにしても、近頃の人間の横暴は、筍にとってもですが、何もかにもすべて許しがたい自分勝手な屁理屈を込めまわした、誠に許しがたいと風も花も空行く雲もすべて思っているのではないでしょうか。
 一度人類は滅びなくてはその解決方法はないのかしらと思えるほどの異常さが地球の包み込んでいるのではと思えます。

 人とは何か。万物の象徴などと嘯いた奴のほっぺたをしこたま張り倒したいという衝動にかられます。

朧月

2008-04-21 09:10:57 | Weblog
 昨日の朝刊に20日は朧月との記事を見かけました。霞とともに春を謳う代表選手でもあるのです。夕食後そのおぼろの心を捜しに吉備津神社付近を散策します。
  中山に 白波立ちて おぼろ月
  鐘の音も おぼろおぼろに おぼろ月
  竈殿の 鬼も浮かれて おぼろ月
 朧とはなんだか知らないのですが、薄ぼんやりとした空気の中にあるものらしいのですが。今宵の月ははっきりと真ん丸くその姿を空に浮かべて秋の月と紛うかのようです。

 
 参道から竜神池の周りを廻って、普賢院の鐘突き堂からの朧を眺めます。中山から出る月が稜線を薄らと白色に浮き立たせています。そのお堂を出て細谷川へと上ります。ここ宮内には、過っての喧騒を極めた山陽道随一の色町の面影を偲ばせるようなものは、何処を見ても何一つ残ってはいません。唯、石鳥居を映し出している中空にかかる朧月だけがわずかにその昔を偲ばせています。
  
  朧月 天心にあり 街眠る

 月明かりに薄ぼんやりと照らし出されている宮内の街を通り抜け、吉備の中山を白波に染める中天の月を追てぶらぶらと神社の廻り逍遥しました。

おせん 15

2008-04-20 12:57:37 | Weblog
 「直ぐに大旦那はんにご挨拶を」と、いう旦那様のお言葉にしたがって、その足で大旦那様の所に伺います。
 相変わらずたくさんな書物に囲まれて、床には、相変わらず、あのミミズが這ったような、どうしてこんなものが掛け軸になるのかと思うようなものが掛けてあります。
 でも、この部屋には入ると、どうしてか分らないのですが、何か随分と緊張してしまうような不思議な力に体全体が包まれ小さく畏まっています。
 「この度はご苦労な役目を押し付けられたようじゃのう」
 お読みかけの書物を脇にお置きになられて、これもまた例のお茶の道具を引き出されます。
 「さあ、何時からでかけるかじゃて。そうそう、お園さんとかいわはりましたかのう、あれからどうしておる。文でも出したかのう」
 ここでお園さんの事が出てこようたは思いもよらなかったので、急に顔がなんとなく赤くなるように思われました。
 なんだか暦みたいなものを見ておられたのか、旅の大安が、明後日、明けの6つ時という事だそうです。遽しい旅立ちになります。
 山陽道を西に、備中宮内の吉備津様にお参りして、それから金毘羅へというお決まりの道筋の、陸路での旅です。御寮さんは、大坂からの船旅をしきりに進めるのですが、大旦那はんが
 「足があるのやさかい、足を使わせてもらう」
 と言われて山陽道を西へ下ります。昔から慣れている旅路だということで、
 「陸路の方が気ィ使かわんでええ。気楽に金毘羅はんにお参りさしてもらうさかい。・・この度の旅は特に若いもんが付き添ってくれはるよって、心配は無用、無用」
 と、気丈夫な出で立ちでした。
 夏から秋へとの季節の変わり目、周りの海や山々の景色の変わりようも絶好の旅日和になると大満足そうな旅発ちでした。
 「お園さんにも、いや立見屋さんにもお世話なるさかいと、知らせてある」
 どうして、何度もお園さんという言葉が大旦那様の口から飛び出すのか分りませんが、こんなにもお側近くいて、大旦那様と話すことなどこれまではなかった平蔵には、その人の心を包み込んでしまうようなおおらかなお人柄にも触れ、気を引き締めてお供をしなくてはならないという気が強くなる、西への旅でした。
 布引の滝に立ち寄り、明石の君のお話を、また、淡路島を左手に進み、須磨の関守についても語り聞かせてくださいます。
 この道は幾度となく上り下りと平蔵は通っているのですが、そんな話が残っているなんてついぞ知らなかったのです。そんな心の余裕を持った旅ではなかったのです。
 このように、この度の大旦那様のお供の旅は、今までとは随分と違った旅になりました。大旦那様のお供をさせていただいたおかげで、学問をする事が、何かものを見る自分の目を広げることにもなるのではないかということに気付かせてくれました。
 大旦那様はいつも、
 「商売をするにしても何をするにしても、人の幅を広げろ、広げろ」
 と、これまでもいつも言われていたのですが、この大旦那様と話していると、自然にその人に何か引き付けられるような不思議な人の魅力というのでしょうか、信頼感というか父親のような力強ささへ感じずにはおれません。その人を引きつける力が、大旦那様の言われる「人の幅」かなとも感じられるます。どうすれば人に付くのかは分りませんが、学問をすると簡単につくということでもないように思われます。ただ本を読んでおればいいのだということでもないようにも思えます。
 大旦那さんの言われる、人の幅を広げることがこれからの平蔵の行き方として大切なものではないかということがなんとなく感じられるように思われて仕方ありません。

おせん 14

2008-04-19 11:53:31 | Weblog
 大旦那はんのおへやをお尋ねしてから、しばらくの間、近江・尾張・丹波などの各地からの報告が、どつっさりと舟木屋に入ってきます。織屋さんも今年入るだろう綿の数量が一番気にかかる時節なのです。各地から収穫して入荷する秋時より、平蔵にとっては、この桜が散ってしまって、葉桜になった時分が一年間で一番多忙な日々になるのです。一日一日それこそてんてこ舞いの毎日でした。お園さんのことも考える余裕すらないというのが現実でした。
 そんな多忙な時が過ぎて、お盆も過ぎた時分でしょうか、気が付けば、ぼつぼつ秋の気配をうかがわせるような涼しげな風も朝夕わずかに感じさせる頃になっています。
 机に向かって、今までに整理しておいた書付帳を、念のためにと眺めていました。おみよさんか誰かが
 「平さん、旦那はんがお呼びどす。奥ん部屋までということどす」
 と声を掛けてくれます。
 「へい」と声を出し立ち上がります。調べていて、ちょっと気にかかるか箇所も見当たりましたので、それもついでにお尋ねすればとも思い、お部屋に向かいます。
 「平蔵でございます」と、お部屋のお廊下から声を掛けます。
 「さあさ、平どん、こちらへお入りなさい」
 ご主人の舟木屋辰治郎さまと御一緒にお座りになっていらっしゃいます奥様の声です。
 「平蔵か、お前に折り入って頼みたい事がおますのや」
 と、早速、旦那さま。それを捕らえて直ぐに奥様がおっしゃられます。
 奥様の申されることによると、この舟木屋は、もう何代も続いている綿屋で、各地の綿をこの大坂まで船で運び込んでいる。そんな関係もあって、また、屋号にしている舟木屋という名前からも、代々、船の神様、讃岐の金毘羅さんを随分と信心しているのだそうです。その御蔭もあって今日の舟木屋があり、
 「死ぬまでに一度その金毘羅さんへお参りして、御礼を申し上げたい」
 と、どうしてだか分らないのですが、この頃になって頓に、大旦那様がおっしゃっておられるのだそうです。
 「おとうはんは、元気だとは言え、あの通りのお年でしゃろ。一人でお参りに行きなはるといっておられるのどすが、そんなことできしまへんやろ。だれぞに付いて行ってもらわにゃならんのどす。この人と相談さしてもろうたんどすが、あんた。平さんに行ってもらおうという事になったんどす。どうかのう。行ってくださらんかのう」
 お旦那様も頭を畳に擦り付けんばかりにお頼みになられます。
 「それと、おとはんは、この期に伊予あたりまで足を伸ばして、あちらさんの綿も何とか、この際、しておいてやるとか何とか申されておられるようじゃ・・・ちょっと長旅になるとは思うのじゃが」

 そんなこんなで、あわただしく金毘羅参りのお供を仰せ付かる平蔵でした。大旦那さんが何をお考えになっておられるのかも分らないで、

おせん 13

2008-04-18 18:19:12 | Weblog
「どや、ぼつぼつ潮時と違うか、嫁はんでも貰わんか どや平どん」
 大旦那はんは、次のお茶を入れながら言われます。
 お園さんのことが頭の中にあったので、「へぇー」とつぶやくように言ってからしばらく平蔵は畳の上をただ見つめています。
 「誰ぞいい人でもおるんとちがいます」
 「いえ、そんな人はいいしまへん。でも、ちょっと・・・・・」
 そう言って、少しばかり平蔵は自分の顔がなんとなく赤くなったように思え、それを大旦那はんに気付かれまいと思い下を向いたままじっとしていました。
 「どうした。25歳にもなっていい人がおれへんということはないとは思うのじゃが。・・・誰か居るのと違うのか・・。言ってみなはれ。どうだ・・」
 この頃特に、何かと目を掛けていただいておる大旦那さんの前です。「言ってみなはれ」という大坂言葉は、なんとなくぬくもりのある大変優しげな、しかも、自分の気持ちを今ここで言わなければいけないような気分にさせます。
 平蔵のこの気持ちを察してくれたのでしょうか、大旦那はんもしばらく平蔵の見つめるだけで何も言わず、美味しそうにお茶をお飲みになられます。
 しばらく部屋に沈黙が続きます。平蔵はきっと頭を持ち上げ、大旦那はんを見つめます。
 「あまり大げさな事ではおまへんどすが、今、私の胸にある思いを申し上げます。好きだ嫌いだということではありません。それはもしかして私がその女の人に感心を持っているだけのことかもしれません。好きだ嫌いだという以前の事でもあるように思われるのですが」
 と。お園さんとの出会い、吉備津神社を案内してもらった事など順々に話し出します。
 「むう、桜に咎があるとは西行かな・・・うむ」
 その出会いをお聞きになられます。遠い西国にもそんな女がいたのかなと感慨深そうでしたが、「うむ」と頷かれると、不思議なことですが、それっきり嫁の事も何もおっしゃられず、ただ、薫とか匂宮がどうの、誰かが宇治川で身投げをしたとか、比叡山の横川のお坊様がどうだのとか、色々とお話になり、女の心を男が察することは不可能な事だとか、早く男が思い切りよくはっきりとその心をぶち明ける事が大切なのだとか、どうしてそんなお話になったかも分らないのですが、お茶をお飲みになられながらお話してくださるのです。平蔵にはよく分らないのですが、お園さんとの係りとはいっこう無関係のようにお話になられます。
 大旦那はんのお話になることには、平蔵にはよく飲み込めない所も沢山ありましたが、「人を大切に思うこと」は、人が生きていく上で最も大切なことで、商売にも通じることにもなるのだと言われます。それだけは判るように思えます。
 そんな大旦那はんのお話を聞きながら、平蔵は、宮内にいる時、お園さんをもっともっと知っておけばよかったかなと思うのです。今まではあまりにも自分を表に出さず後ろに後ろに追い遣り自分を打ち消すようにして生きていたように思われ、その引っ込み思案が自分でもあるのかとも思います。
 大旦那さんは、また、平蔵を見据えて、どさっりとしてお話になられます。
 「人さまはいろんなところで、また、いろんなことで後悔しますねん。あの時はああしておけばと、思うことが多いのとちがいますやろか。それが人さまが生きるということどす。平どん、どやね、当って砕けてみいしまへんか。・・・・・なかなか難しい事どすが」

おせん 12

2008-04-17 16:08:56 | Weblog
 大旦那はんが平蔵の前にお座りになられます。突然のことでびっくりしたように眺めておりますと、大旦那はんは
 「よう精が出ますのやなー。どないです今年のできぐわいは。四国あたりからの入荷がもうちょっと増えるとええんじゃが、どないかならへんどすかなー・・・」
 「はあ、今の所今年もおかげさんでええんとちゃいますやろか。伊予のものを来年ぐらいからはもっちょっとうちが頑張らんといかんのとちがいますやろか」
 「どうだなー。そんなに気ぃはらんと一服でもしたらどうおます。・・・ちょっとわいの部屋までお出でなはれ。平どんに話したいことがあるさかい」
 そう言うと、大旦那さんはすたこらと立ち上がり、平蔵の返事など無視するように部屋から出て行かれます。まだ少々記録の整理が残ってはいるものの仕方なく、大旦那の後に随い、長い廊下を通り、大旦那さんが使われている離れにと進みます。

 殆どの奉公人達は大旦那さんのお住まいの部屋などに来る事はありません。平蔵も奉公に上がってから始めてのことです。余計に緊張が背筋を走ります。それでも致し方なく、背を屈めるようにして大旦那さんの後に随います。
 部屋には、大旦那さんのお読みになる書物でしょうか、部屋の横のある棚の上に所狭しとぎっしりと積まれてあります。本というものにあまり馴染んだことのない平蔵には、この本の多さにもいささか驚かされます。
 そんな平蔵を無視するかのように、大旦那さんは床を背にしてお座りになられます。床にはなにやらわけの分らない、それこそミミズが這ったようなうねうねとした文字が一杯書き並べられてあるお軸が掛けてあります。違い棚というものでしょうか、その上にも、何かは分りませんが年老いた人が数人並んでいる青い絵の具で書き入れてあるお盆のようなお皿が一枚だけ飾られています。今までにこんな立派な人を威圧するような厳めしい部屋に入ったことはありません。なんだか知らないのですがお線香のような匂いまで薄らと立ち込めているようでもありました。平蔵は恐る恐る敷居の直ぐ端の方に小さくかしこまっているのがやっとでした。。
 「なにをそんなに隅っこの方におるのじゃ。誰も食べてしまおうなんていやあせん。もうちょとこっちへ」
 と、招き入れます。
 大旦那さんのお座りになっている直ぐ横には、何かケヤキの木からでも出来ているのでしょうか、人が一抱えもするような立派な木の火鉢が備え付けられてあります。その木の火鉢の周りには、黄金に輝いている金の鷲と松の大木でしょうか、厳めしく嵌め込まれ、いかにも品のよさそうに置かれています。
 五徳の上にある鉄瓶が湯気を吐いています。大旦那さんは、やおら茶道具を膝のあたりに引き寄せられて、煎茶というお茶だそうですが、おたてになられます。
 「まあどうだ。一服」
 出された一握りで掴めるような小さな茶碗に真っ青なお茶が入っています。どのように飲めばよいのやら、その作法は分りませんが、大旦那さんが飲まれるのを見て、その通りにと、兎に角、一口、口をつけます。ほの甘いちょっと苦味のあるおいしいお茶でした。
 「さてと、平さん、うちに来てももろうてから何年になる」
 とじっと平蔵を見つめられながらお尋ねになられます。
 「へえー、もうかれこれ八年になると思います」
 「ほう、八年となー・・・・で、お年は・・・」
 大旦那さんの話では、25歳にもなってまだ一人身だろう。商売人は、人様からの信頼が一番の宝だ。そのためにはもう嫁を貰う事が大切になるのじゃ。一人身ではどうも危うい所があり信用がのうなる。
 「早う、嫁さん貰わんとあかん。言い交わした人でもおるのかい。一人、友達から娘ごを頼まれておるのじゃ。どうかな」
 と言われます。
 それまでは平蔵は自分の将来のこと、まして、自分の嫁の事まで考える余裕も何もありませんでした。ただ仕事一途の日々でした。
 今、大旦那からこの話が出て来た時、どうしてだか分らないのですが、突然、おそ桜の活けたあった立見屋でのお園さんとの出会いが胸の底に浮かび上がります。頭の中に、長い回廊をころころと真っ赤になって転がり落ちている自分とお園さんが廻り灯篭の絵のようにぐるぐるぐると廻っては消え、消えては廻ります。
 大坂へ戻る朝、もう一度お園さんに逢って、お世話になりました、と言葉を交わしたかったと思ったことなども思い出されます。
 嫁を、と、大旦那さんから言われた時、今までは意識してはいなかったのですが、急に、お園さんに逢いたいという気が強く心に浮び来るのでした。