歌人は、月や花を見て、そのみやびてあてなるものに深き情を見てとって歌にするものにあるにもかかわらず、世の中の人は、ただ、これを風流と云うことでとらえて、それを「すさび」、そうです。ただのお遊びごとのように捉えてしまう傾向があるようだ。しかし月花を見て歌に詠むと云うことは、おおむね、人の情をふかくよきになるようにとらえて、また、あわれと人がめでるように詠むものである。そして高尚は
「さればむかしより初花を見染めて、めづらしとおもふこころはよめど、初なすびをみてよろこぶ心をよまざるは、人にあわれとめでられんと思ふ歌のならはしなればなり。歌は思ふこころを、ただありににいうものにはあらず。人のあはれとめづべきこころ詞をさらにもとめていひならはすわざなるを」
と。