私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「小雪物語」 何時からか、お喜智さまが横で見えています。

2007-04-30 00:10:04 | Weblog
 小雪の京友禅の鶴が舞います。平打ちの帯び〆についた金の亀房と帯揚げが、篝光に照らされてやけにピカピカと揺れます。
 観客はそのあでやかな姿にしばらく目を見張ります。
 三弦の音と眠気を誘うようなゆっくりとした小太鼓のお囃子が相和して静かに静かに、吉備お山に響くように流れました。
 その響きに誘われながら、きくえさんの、蜜を流したようななんと甘ったるい声でしょう。「風早の三保のうらわを漕ぐ船の浦人騒ぐ波路かな・・・」 と、細谷を流れる瀬音にでも例えればいいでしょうか、さやけくゆったりと流れ始めます。
 三次雲仙描くところの、遠くに不二を配した三保の松原を背景に。左手の舞扇が、ひらりひらりと光ります。帯揚げの亀房もちぃっちゃくゆらゆらうごいています。
 再び、小雪の胸は張り裂けんばかりの痛みに襲われていました。もう胸が張り裂けてしまうのではないかと思うほどの痛さです。谷底に転げ込んでしまうかのような痛さです。足がふらつきます。自分の目が何処を見ているかさえわからないように、ぼうと朧に霞んでいます。
 手にした扇が、そんな今にも、そこらあたりに倒れこんでしまうのではないかと思われるような小雪の心を離れて、漆黒の闇の中の福山に、大きくかざし出されていました。 その途端に、お喜智さまの顔が、その扇の先に浮び上がってきました。「まさか、お喜智さまが」そんな気が、小雪の心を横切ります。ふと我に帰り、体ごと舞台の右の袖口に向かいます。なんと、袖口奥の幕のすぐ横やら、あれほど「小雪の序の舞い姿」をと思っていたお喜智さまが、大きくお立ちになってじっとこちらを、小雪の今日の舞を見ていらっしゃるではありませんか。
 途端に、痛みが急にさっと消えます。
 「ああ、さえのかみさん」そんな心が横切ります。
 お喜智さまのお姿に安堵したかのように、再び、小雪は調べに乗って、最後の踊りに入っていくことが出来ました。
 きくえさんの声は、ゆったりして大きく、澄みきり、ごくごく当たり前のように辺りに広がって流れるます。
 「迦陵頻伽の慣れ慣れし、声今更に僅かなる雁の帰り行く天路を聞けばなつかしや、千鳥鴎の沖つゆくか帰るか春風の空に吹くまでなつかしや・・・」
 その声だけでも、何処までも底知れず、物悲しくて、聞く者をして、涙さえ湧きいでてくる心地に誘うようです。
 そんなきくえさんの謡いに添って、辺り一面の花畑を、ひらりひらりと飛び交うてふてふのように、又、あるときは、お山から流れ下る春のそよ風のように飄々とひるがえる小雪の舞は、人の持つ底知れない哀れさ物悲しさをも、人に心にひしひしと訴えているようでもあります。
 小雪は、もう誰の目も感じていません。あれほど思っていたお喜智さまも、幕脇のついすぐ側から、しっかりと見て頂いているのだという確かな安心からでしょうか、自分ひとりの心が、再び踊りだしました。自然に自然に天女の持つ無心なわびしげな優雅さだけが舞い立っています。
 「いや疑は人間にあり、天に偽りなきものを・・」
 きくえさんの声が唸ります。
 いつも菊五郎さまが、首を縦にお振りにならなかったという事も忘れて、この場面も、今の小雪のありのままを踊り続けるのでした。
 あと一息です。きくえさんの謡いもますます高鳴ります。
 「色香も妙なり乙女の裳裾、さいふささいふ颯々の花をかざしの天の羽袖靡くも返すも舞の袖・・・」
 きくえさんの声がますます弾みます。その弾みに合せたように、三度目の小雪の胸に、今までにないような激しい痛みが走ります。
 「あと少し・・・・・・・」
 もがくように小雪は、まだ体の小隅に僅かに残っている舞い通す気力を、それでも必死に奮い立たせるようにして踊ります。
 ようやく、きくえさんの謡いも「天つ御空の霞にまぎれてうせにけり」
で終わりました。
 小雪の舞いも、その失せにけりとうたうきくえさんの声と一緒に、舞台の左の袖の端に、それはそれは静かに、消え入るように失せるように倒れこんで終わりました。恰も天女が、大空に、満月の影となりて、御願円満国土成就七宝充満の宝を降らす如くに霞にでも紛れるように消えていきました。




「小雪物語」 小雪舞う

2007-04-27 22:56:23 | Weblog
 舞台の右袖にゆっくりと進みます。お須香さんは何か落ち着かない様子で、辺りをきょろきょろ見回しながら、小雪の後ろを歩いています。
 柝がチョンと入り、いよいよ四場「花魁道中;遊女の舞」の開始です。
 舞台は、かがり火で昼と紛うような明るさです。
 鼈甲造りの十本ばかりの花簪と左右一対の笄が、まず、光り輝きます。続いて、目の覚めるような紫の内掛けが、内掛けの脇の辺りから幾本にも伸びた、金銀の線が斜めに延びた緞子の紐が目に映り、当りを圧倒します。
 それにも増して、舞台を圧倒したのは、この世の者とも思われないような、一瞬「あっ」と、息がとまりそうにななるばかりの、あでやかな小雪の美しさでした。
 舞台の上には緋毛氈で覆われた細長い台が設えてあり、琵琶を手にした、板倉宿から駆けつけてくれたお光さんと言われる、やや年増の姐さんが、でんと控えておられます。
 「べべんべんべん」
 琵琶が天をゆすらすように重く鳴ります。漆塗りの高下駄の上の裸足の自分の足を見るようにして、真横から真正面へと引きずりながら、舞台の袖から中央に進みます。あれほど胸の高ぶりを覚えていたのですが、今は、ただ舞を舞うそれだけです。足や手や顔など、ここをどうしなくてはとかいうこと総て心の中からはっきりと消えています。自然に心の内から無意識に湧き出してきた動きだけが一人歩きしています。踊りだけが小雪の心から離れて、ゆっくりと飛びまわっています。今こうしなくてはと、小雪が思ったとしても、心はそれに決した随って動いてくれそうにもありません。手も足もすべてが、底知れない夏の黒々とした天空から垂れ下がった見えない糸に操られているようにすら思えるのでした。
 合いも変わらず琵琶はゆったりと流れています、その流れの中に身をゆだねているようにも思われます。
 突然、「べべん」が「びびびん」と調子を変えます。その時です。しばらく止まっていたあの胸の激しい痛みが襲います。「苦しい。母さん助けて」叫びたくなります。でも、心は、そんな小雪の痛さとはとんと無頓着に、勝手に琵琶の音に動かされています。
 痛さは、大きくなったり小さくなったりしながら、小雪の胸を行ったり来たりしています。「もうどうにでもしておくれやす」そんな思いに駆られるのですが、それでも、なお、手足が半年という時間の間に自然に体にしみこんだ踊りの動きをなぞっていきます。小雪の意識を超然と超えて動きます。
 舞台を大きくゆっくりと逆八の字回りして、舞台左袖近くまで進んで、小雪の「花魁道中;遊女の舞」はお終りにかかります。
 客席からは、何回も何回も、舞の立ち止まりする一寸の間ごとに、「小雪ーい」とか、中には、「宮内」という声すらかかります。その声と同時に拍手も嵐のように起ります。
 拍手と同じように、いくら吐き息に力を入れても、胸を押しつぶさんばかりの痛みはなかなか止みません。やむ時のほうが段々と少なくなっていくのではないかとさえ小雪には、思えるのです。
 いよいよ最後の小雪の舞です。特別に菊五郎さまにお頼みした小雪勝手な舞なのです。是非、お喜智さまのためと思ってお願いした舞なのです。着物もお喜智様から、扇もお喜智さまから頂いたもので舞うのです。あの何時か、林さまやお喜智さまに見ていただいた、祝言能「天女の舞」です。
 この度は、特別に菊五郎さんに新しく京舞風に作り直し頂いたのです。
 間狂言もありません、しばらく、琵琶の曲が流れます。
 素早い早ごしらえ、急に打掛やら何やらと小雪の体から剥され取られていきます。十徳さんの手馴れた手の中で、小雪はただ踊らされているような気分になります。あっという間に、お喜智さまから頂いた京友禅の鶴の舞う着物にに変わります。銀台の帯、平打ちの帯締めから左に打ち下がった亀房が妙に光ります。
 髪型も、横兵庫から京風島田です。足も重い高下駄から足袋に変わります。
 頭の先から足先までが、急に体が妙に軽々しいく感じられ、フーッと息を吐いた途端に、あの焼け付くような胸の痛みが不思議にも、体のどこかへふわーっと飛んで行くように消えてしまいました。
 早替りした小雪が、再び、左袖から姿を現しました。余りにも早く衣装換えしたのを見た座席の人達の、また「おうおう」という驚きの声とはくしゅが湧き起こりました。
 そんな声に乗り伝いの中央へ進み出ます。
 舞台の後ろの緋毛氈の長台の上は、何時の間にやら、お光さんに代わって、三弦と小太鼓の姐さんを左右に従え、中央の見台を前に義太夫の姐さんが座って待っておられます。義太夫の姐さんは何時もの姐さんではありません。驚いたことに、そこには、熊次郎大親分さんの、あのきくえさんではありませか。今まで、一度もお稽古をつけてくださったことはありません。義太夫を語るとも聴いたことがありません。何食わぬ顔で、何時もとは一寸違って背筋までちゃんと伸ばして、正座しています。
 「あのおきくさんが」
 と、「どうして」と、思うのですが、もうどうする事も出来ません。
 「なるようにしかなりまへん。どうしょうもおへん」
 と、あの何時もの自分の瘠我慢の心が、顔にすーと浮かび上がるように思われます。すると、一層心が落ち着く小雪でした。そんな心を読んで、菊五郎さんがお計りになったのかもしれません。小雪は、人に気付かれないように目と目で、あるかないかも分らないようなあいさつを交わしました。おきくさんは乙に澄まして、気がお付になったのか、ならなかったのかも分らないようにじっと前をお向きになっています。
 いよいよ最後です。特別に、菊五郎さんが小雪のためにこさえてくれはりました「新羽衣ー天女の舞い」です。
 

「小雪物語」 舞台へ

2007-04-26 18:32:45 | Weblog
 「あんなに仰山のお客はんの前で」と、思うと心がますます痛み、寸前になってもやっぱり、なんにもない空っぽの心を舞い取る事は、「どないして」も出来るように思いません。体中がぶるぶると震えます。やっとの思いで自分の楽屋に、小さく「おはようさんどす」と、こそっと入りました。
 部屋に入ると、もう、お化粧の顔やさんや衣装を担当して下さる衣装屋さんのお姐さん達も待ち構えるようにして迎えてくださいました。早変わりの為の早ごしらえの衣装付けは、菊五郎さまの計らいで若女形の中山一徳さまが、特別に、お江戸よりおくだり下さり、やってくださると言う事です。
 化粧から髪型と順次、小雪の舞台用意が整っていきます。想像していたより随分と重い花魁の鬘が頭にすっぽりと被せられました。その時です。あのものすごい胸の痛みが小雪を襲います。息を整えながら、目を閉じて、痛みが通り過ぎるのをじっとまちました。何回か深く息をして居るうちに痛みも、何時ものようにすっと和らいできました。一徳さまが、小雪の楽屋にお見えになった頃には、嘘のように痛みが消えていました。
 下帯をきりりと絞め込みます。どう着付けなさるのかも分りません。右だの左だのと、手間の随分とかかる着付けでした。お江戸の沢山のお役者さまや衣装屋さん達の、昔から「ああでもない、こうでもない」と、長い間のご工夫があって、今が出来上がったのだと、一徳さまは丁寧に教えてくださりながら着付けしてくださいました。そんなお話を伺いながら着付けを受け、あれほど張り詰めていた心がなんとなくふっとどこかへ消え去ったように思える小雪でした。
 できあがった小雪の姿を見て、それまでは、出来上がるのをじっと見つめているだけでしたお須香さまが、惚れ惚れと
 「小雪ちゃんきれいだ、めのさめるようなきれいさよ。・・お以勢は、どうしたんでしょうね本当に、もお」とか何とか言って、辺りをきょろきょろと見ています。
 
 出番までしばらく間があります。
 山の端に沈んだ夕陽が、ほんの一瞬に見せる淡い紫を織り込んだ緞子の打ち掛けに、鴇色のさくらの花びらがそこらじゅうを飛び散っています。
 また、その内掛けの腰からは、細い金襴の紐が幾重にも垂下がり、舞う小雪の動きに金の粉が、蛍のように当り一面を飛び交うことは間違いありません。
 胸から滑り落ちるように足先まで伸びた伊達兵庫のまな板帯は、純白の生地に薄紅色の籠目と七宝がうまく組み合わさった長帯です。
 着せ終わった一徳さまも、無言でじっと小雪の艶姿に見ほれているようです。
 今となっては、もう、ただ教えられた通りに手足を、首を、腰を、目を、体全体を動かして踊るしかほかに道はありません。吐く息も吸う息もありません。そこらあたりに何もないものを夢中で捕まえようとする心が、飛ぶ蛍のようなあっちかと思えばこっちへという風に、はっきりとこれをしなければという意識なしに、舞うより仕方ありません。意識しても、今更、自分ではどうもならないように思えるのです。成り行きに任せるよりほかはありません。そんないい加減な考えしか、今の小雪には浮んできません。
 この成り行きに任せて、いい加減に適当に踊ることを、菊五郎さんからは、堅く、堅く「決して、してはならない」と戒められていますが、手を抜くことではないのですが、その時その時の一瞬を、自分の意識を超えたあるがままに踊る、それしか方法が、今の小雪には残ってないように思われます。
 そんな考えになって、ようやく小雪の胸の痛みは、何処かに吹っ飛んで行ったかのように消えていました。
 しばらく目を閉じて、出番の来るのを待ちました。
 お須香さんも、十徳さんも、駆けつけてくださった菊五郎さんも、顔やさんなど化粧師さんなどお助けくださったお手伝いの姐さん方も、ただ黙って、見ほれるばかりの小雪をじっとただ見つめているだけです。誰からも息する声すら聞こえません。
 出し物の合間でしょうか、相変わらず「ひとつおんはな・・・」と言う姐さん方の、お山に木霊るる甲高い声が、「わー」という喚声とともに、幾度となく外の闇から聞こえてきます。
 この総おどりも最高に達しています。いよいよ最終の小雪の舞です。
 案内の姐さんが「おねがいいたします」と頭をいっぱいに下げて、小雪の出番を知らせてくれました。楽屋の誰もが、じっと小雪を見ただけで、誰も言葉すら掛ける人をいませんでした。ただ、小雪が椅子から腰を上げかけた時、お須香さまが「ゆっくりとね」とかなんか言ったようにも思われました。菊五郎さまは、さすがにご心配におなりになったのでしょうか、「ぽん」と小雪の肩の当りをほんのわずかに優しくお叩きにおなりになりました。

「小雪物語」 細谷川の風が流れます。

2007-04-25 21:34:40 | Weblog
 お須香さんのお話によると、全国各地から沢山の親分さん方一行も早々とお集まりになり、その人たちの警護のため、大勢の庭瀬藩のお役人様も出向かれ、大変なお人だという事です。その上、珍しい宮内総おどり見物にとの近隣の人たちも出向き、宮内だけでなく、隣村板倉も上を下へと大騒動だという事です。お酒の上からの喧嘩も絶え間なく起り、万五郎さんなど岡田屋さんも一家挙げてその対応に大わらわだということです。
 今晩の取りを努める小雪の出番は、今しばらく余裕があります。
 総おどりの立役になってから、お粂さんの配慮でしょうか大阪屋の離れを使わせていただいています。その離れにお須香さんと二人で出番を待ています。お須香さまがお呼びになったと言うことで庭瀬のお以勢さまも、ちょとお顔をお見せになり,「見せていただきます。・・・・この頃、どうしてだか知らんのですが、小雪ちゃんなくてはと言う姉さんご自慢の小雪さんの踊りだもの。・・がんばってね」とおっしゃって、あたふたと、どこかへいかれました。
 「ぜひ、小雪ちゃんの舞いを見たいというものだから呼んだのよ」
 と、すまし顔のお須香さま。
 「お喜智さまにも是非見ていただきたい。見ていただけるかしら」
 と、お須香さまに聞きたいのは山々ですが、「いいえ」というお返事が怖くて、聞きだす勇気が小雪にはありません。
 ただ黙って時の過ぎるのを待つのでした。お客さんたちが桟敷に入りだされたのでしょうか、小屋のほうから、にわかに人々の大声が響いてきます。
 真っ赤にぎらぎらと燃え滾りながら、入日はあの福山に迫ります。いよいよお山の七化けが始まろうとする寸前の景色が、そこら辺りにお構いなく大きく広がっています。白鷺でしょうかゆっくりと2、3羽塒に飛び帰っています。
 この前お喜智さまのお屋敷で林さまと眺めた福山ではないように思えます。咲き染め出した桜の木の向こうに入るお日様と、総てが新しい緑一色の中に入る、今日のお日様とでは同じお日様でも大きさが違うように思えました。緑のお山は悪いお人を作らないのかしら、「今日のお日さんちっとも太っていはらしまへん」と、小雪は、そんなたわいないことで、心に張り付いた緊張を和らげていました。
 そうこうしているうちに、暮六つの鐘が「ご~ん」と時を告げます。それを合図に「かち、かちかち」という「木」が赤橙色に染まったお山から流れ伝わってきました。漆黒の時まで、今しばらくお山は化粧をし続けていことでしょう。
 三味や太鼓に合せるようにして、甲高くちんちんと鉦が辺りの木々を通って響き渡っています。拍手やなにやら掛け声も入り混じって流れてきます。小屋内の喧騒さが手に取るように感じられるのです。
 そんな外からの音を、部屋の中から、じっと黙って小雪は聞き流していました。細谷川の風が、そんな小雪をそよと吹き抜けていきます。お須香さまはそんな小雪をじっと眺め、見守っているだけです。何か話し掛けると、小雪が、今にも、足からもろくも崩れてしまい、このまま、今すぐ天にまでも登って行ってしまうのではないかとさえ思えるのでした。
 合いも変わらず、拍手が鳴り止みません。窓を見上げると、降る雨を受けるとすぐにでも粉々に壊れ散ってしまうような、細い細い二日ぐらいの茶碗の月が福山に入りかけています。お山は紫から藍へ、最後の黒へと移っていっています。
 「なかいり。なかいり」と、続いて、「おんはな、おんはね」とこれも甲高いお姐さんの声が、あちこちから重なってお山に響いて伝わってきます。
 細谷川の風も、その声々を載せて流れます。
 しばらくそんな声がお山に響きこだまとなって小雪の耳に届き続けました。
 突然に、鉦の音につられて笛・太鼓が「ちんちんどんどんぴぴっぴー」鳴り出します。と、「わっしょい、わっしょい」と陽気な祭囃子の掛け声とともに姐さん方の担ぐ小さな姫みこしのお出ましで、御輿に入った酒肴がそこら中へ運ばれていきます。
 いよいよお待ち兼ねの「中入りが始まります。あちらからもこちらからも、「こっちだ」「それだ」「これだ」「はやくせえ」だの、てんでに好き勝手に囃子し立てています。喧騒も最高潮です。
 それが合図かように、小雪とお須香さんは楽屋へ急ぎます。お喜智さまから頂いた友禅の鶴の着物と舞扇だけは、小雪が最後まで「ご一緒します」と、胸に抱いて持ち入ります。
 通りは、大勢の人で、今夜は余計に賑わっています。富くじ売り場付近には大きな人垣が二重にも三重にも出来、それを通り越すのにちょっぴり苦労をするぐらいでした。

 

「小雪物語」 風呂敷

2007-04-24 23:50:50 | Weblog
 「小雪ちゃん」と呼ぶ声がしたかと思うと、無遠慮に、今朝も、お須香さんが部屋に入ってこられました。
 「いよいよ今日だね。体調の方は大丈夫。これ、奥様からの差し入れよ。足守の葉田の黍餅です。このお餅を食べると肌が光り輝くと、昔から言われいるそうです。しっかり食べて、しっかり舞って、『光り輝く小雪さんを見せなさい』ですって」
手渡された紺の風呂敷には、大小の小さい無数の絞り染めされた白い丸が、うねりながら左上から右下へと一筋になって細谷の流れの波紋でしょうか、そんな文様が染めこまれています。
 その包みからはほんのりと黍が芳ばしく匂いたっています。「まあ、いい匂い」と、包みを解きます。お餅の上には、小さく折りたたまれた真っ白い紙がちょこんと置いてありました。小雪は、まず、それを手に取りました。そこには、お喜智さまのあのあでやかな女手がしたためてありました。

    浮き沈む 細谷川の 木の実にも
             流れて留る 淵ぞありなむ   
    皮竹も 若竹となる 谷川に 
             水のまどるむ 岸はありけり
                           きち
 
 「お粂さん、ちょっとお茶お頼みします」
 と、須香さんの声がそれこそお宿全体に響き渡るようにです。
 「いま、お茶が入ります、このお餅食べて、踊ってくださいな。今日一日じゅう、わたしが小雪ちゃんの付き人になりますよ。奥様からのご命令なのです。はやくたべて」
 と、側からすかします。
 
 

トラクバック練習帳・うれしかった事ー小雪物語より

2007-04-23 10:41:46 | Weblog
 私の町 吉備津:(3)小雪物語「細谷の流れ」より
・・・・堀家の喜智さまよりいただいた舞扇のお礼にと、小雪は慣れない筆を持つのでした。
 「どうにか、小雪は生きています」とお喜智さまにお伝えしたく、何気なく心に浮んだ歌
  「滝つ瀬の 細谷川を 下りけむ 木の実の一つ 浮き沈みして」
 を、お文の最後に書き付ける事が出来ました。
 小雪には、今までの暮らしの中で、一番うれしかった事のように思われました。

「小雪物語」 お山は緑で燃え立ています

2007-04-22 16:38:07 | Weblog
 流し雛も細谷を流れ、さくらも散り、吉備の小山は目の覚めるような新緑で燃立っています。
 いよいよ、熊五郎大親分の鳴竈会が近づいてきています。岡田屋熊治郎一世一代の大行事です。使いぱしりのまだお若い人達までもが小走りに往来を小忙しそうに行き来しています。
 舞台に舞う女たちも、最後の最後の仕上げにそれぞれ余念がありません。菊五郎さんのお声が一段と高くなっていくのにも、その日が近づいたことをうかがわせます。その声に、皆も、緊張しているのでしょうか、誰もが無口です。ぴりぴりとした張り詰めた気が、どのお人からも窺がわれます。
 時は近づいてきています。鳥居を背にして、大きな芝居小屋が出来上がったと言う事です。小雪は、誰にもは気が付かないように、しばしば襲ってくる胸の痛みを我慢しながら、それでも、毎日を、さくらの精の空心を舞出だすよう心を砕きながら最後の稽古にとりくんでいます。
 「明日が済めば、明日が済めば」と、一日一日、ただそれだけを頼りに、厳しいお稽古に打ち込んで来たのです。どうしても空の心を舞い取る事は出来ません。息が邪魔をします。自分の骨が肉が邪魔します。どうやってもその重さをなくすることが出来ません。手や足、ここにあるものをどうすればないものにすることが出来るのか、いくら探して探しても見つかりません。菊五郎さんは「息を殺せ」といわはるのどすが、息を止めるわけにはいきません。自分を殺すその方法がいくら考えても考えても分りません。遊女になりきるとは、一体どういうことかも分りません。そんなことがいっぱい分らないまま、いよいよ明日です。
 「やっと終わりの明日が」
 と、ふっと小息を吸い込みます。あれだけ菊五郎師匠たちに練習をつけていただいたのですが、その吐いた息の後、またあの「うまくいけへん」と言う思いにひどく駆れ、自分自身で、またも胸の痛みを激しくするのでした。
 痛くて痛くて、自分の身を自分でも処理できません。痛みが通り過ぎるのを待つしかほかありません。その痛みを和らげるようにそっと、そっと息します。息を吐いた後は、何にもしなくても息がすっと胸に入ってきます。その瞬間に、なんだか分らないように痛みも和らいで行くように思われました。
 息を殺すとは、吐く息を意識的に整え、吸う息は自然に任せればいいのではないかと、ふと思いました。
 もう時間がありません。喜智まから頂いた扇を取り出し、銀色の空に青の水、その中をいっぱいに舞い散る花びらを眺め眺めして、花びらが舞扇から舞い散るように、小雪は立ち上がると、手の先までに己の気が飛び散るようにいっぱいに舞扇をかざします。息が止まったと思った瞬間、舞扇が跳ね飛びます。何もかにも忘我に酔うたかのような気分になったように小雪には思えました。
 それから、その扇を丁寧にたたんで、横になりました。「明日か」と思うと、胸の中に、母が、喜智様が、新之助さまが、林さまが、お須香さんが、万五郎さん、菊之助さまが、次から次へと、京の泉屋かどこかで何時か見たように思う走馬灯の中の絵みたいに、ぐるりぐるりと回りながら、小雪のまぶたの後ろに、浮んでは消え、また浮かんできます。眠ろうとしても眠れません。「うまくいくかしら」そんな思いも一緒になって、小雪の頭の中はごちゃごちゃにかきまわされ、いよいよ目が冴えるのです。
 もう夜も白々と障子に映し出されようとした頃でしょうか、ほんの一眠り小雪はしたように思いました。

「小雪物語」 宮内の正月

2007-04-21 22:53:00 | Weblog
 108つの除夜の鐘が、普賢院の境内から、人々のはらわたを抉るように流れてきます。踊り踊りで小雪の20歳が終わろうとしています、年の内に、もう一度さえのかみさまへと思っていたのですが
 「できしまへんでした。ごめんね」
と、除夜の鐘が鳴るほう向かって小雪は両の手を合わせるのでした。
 明ければ二回目の宮内のお正月、宿の姐さん方と連れ立って吉備津様に今年はお参りに行き、帰りに一人で竜神池の小島にあるさえのかみさまにも小雪は初参りに立ち寄りました。頬を切る風が祠の側に立つさくらの小枝を揺らして、もがっています。「どうぞ、小雪をお守りください」と、何度も何度も頭を下げました。
 遽しい正月風景も飛ぶように流れていきました。七草粥も済み、お江戸の菊之助さんがまた宮内へ戻って参られ、宮内おどりの総仕上げにかかられました。この頃になると、小雪たちおどりに出演する者にも次第にその全貌が読めだしました。
 40人の姐さんたちによる三味と鼓による「夏のお山」の演奏、豪勢で派手やかな調べがそこらじゅうを流れることでしょう。続いて、宮内切っての喉自慢な豊和姐さんのお歌に合わせた、千両役者大五郎さん振り付けの「なんばん六法」くずしの宮内踊り。優雅に2、30人姐さんたちの手が天に地にと舞います。
 次は、「仲入り」。秋のお祭り
 舞台いっぱいに並んだ姐さんたちの奏でる三味、かね、太鼓の鳴り物入りで、桟敷や舞台そこらじゅうから繰り出す十台の女みこし。「わっしょいわっしょい」と、特別にしつらえた小ぶりの御輿に積んだ酒肴が会場に配られます。
 それが済むといよいよ後半、まず、「春のしらべ」。板倉の絵師、三好雲仙が力いっぱいに描いたさくらが舞台いっぱいに広がった中、琴、笛、三味、太鼓、鼓の音曲連が二重に並び、50,60人の踊り手が手に手に桜の小枝をかざして遊興するさまを踊りに仕立てた菊五郎さんの「宮内さくらの舞」が披露されます。
 それが済むといよいよ最後、遊女の舞です。春爛漫のさくら、折から吹き来る風に舞い散るいっぱいの花びら。散る花びらは精となり、此の世にあくがれいでて散り行く未練をいっぱいに込め、花魁道中に身をかえ、舞い散る魂を小雪が演じるのです。その中に特別に小雪の願いにより、他の志向も加えられているということです。
 この舞には、熊五郎大親分の娘さん「きくえ」さんもお関わりがあるということが分り、お喜地様が「小雪の天女」を、このきくえさんからお聞きして、舞扇を送ってくださったのかもしれないと、密に、小雪は思うのでした。
 

「小雪物語」 舞扇

2007-04-20 12:24:35 | Weblog
 この冬一番の寒さが押し寄せ師走も押し迫ったある日、本当に久しぶりにお須香さんが、訪ねてきてくれはりました。
 「踊りのお稽古が大変だと聞いてはいたのだが、小雪ちゃん、ちょっと見ないうちに瘠せたのじゃない。大丈夫かい。今度の宮内総おどりの立役、菊五郎さんが随分熱心に教えているとは聞いていたが、本当に大丈夫かい」
 さも心配そうに、我娘に対するように小雪の手を取り優しく話しかけます。
「そうそう、これはお喜智さまが、小雪さんに差し上げてと言われて持ってきたのです。何でも、今度、小雪ちゃんが立つ舞台で、あの『羽衣』を踊ると聞いて、わざわざ京から取り寄せられた舞扇だそうです」
 「まあ扇どすか。どなたはんから羽衣のあ話お聞きなりはったんでしょうか。まだはっきりと決まったわけではないのどすが」
 と言いながら小さく折りたたんである小箱の、京鹿の子の,可愛い模様の包み紙を丁寧に剥してゆきます。
 桐の小箱に詰められた一本の舞扇でした。箱を開けた途端に、焚き込められた芳ばしい香が辺りに深く匂いたっています。この薫物の香をかぐと「すこしはやき心しらひ」とか言う言葉が浮び、喜智さまの心遣いが思いやられます。
 黒く漆塗りの骨に、扇面の表には満開の桜が金泥の中に咲き乱れ、その裏面には、流れに落ち散る桜の花びらが銀泥の中に描きこまれています。
 須香さまのお話によりますと、あのような藤井家の出来事にも決して負けないで、堀家のお喜智さまとして、依然として矍鑠と、お家を切り盛りしていらっしゃるのですが、おぐしには随分と白いものが目立つようになったと言う事です。如何に気丈夫なお方様だと申せ、所詮は女ですもの。人知れず悲しみに耐えて耐えて毎日をお暮らしになっていらっしゃるようだともお話しでした。
 できることならお会いして、是非、御礼をと、小雪は思うのですが、毎日の小忙しさもあるのですが、未だに自分の身に張り付いている卑賤さを思い、堀家の敷居があまりにも高くて、お屋敷を訪ねる勇気がでないのです。
 「再び、お会いする折はあらしまへんと思うのどすがどすが、須香さま、大奥様に、ようよう御礼をいっておいてくれやす。お願いします」
 と、深々と頭を下げる小雪です。
 須賀さまがお帰りの後、小雪は、その舞扇を持ち、喜智さまにどのようなお礼を申し上げればよいか迷っています。お手紙をと思うのですが、今までに、改まった文を人様に差し上げた事はなく、失礼な文になってはと随分迷ったのですが、ほかに方法がありません。仕方なく、みようみまねの筆を取りました。

 「もみじ葉もはやちりそめて冬のけしきとあいなり候 お方様には恙無くお暮らしの御事と伺い安堵いたしおり候 さて こたびお方様よりの御舞扇お須賀さまより頂戴仕り至極恐縮いたし居候、卑しき身なる小雪如何に御礼申し上げ候べきかそのすべ知る由も御座無く候ただありがたくありがたく頂戴仕り候 この扇小雪生きる限りの御宝と致し肌身離さず持ち続けたく存じ居候  

 たきつせのほそたにがわをくだりけむこのみのひとつうきしずみして   
 たきつせにうきしずみつつかわたけのゆくへしらずのなみにもまれて                              
                         かしこ      」

「小雪物語」 林さまの瘠我慢

2007-04-19 19:25:17 | Weblog
 それから2、3日後の事だったと思いますが、宿のお粂さんから、小雪が、来春の卯月の「総宮内おどり」の立役に決まったのだという話を聞きました。その立役がどんなものかということは何も分りません。これからどうなる事やら皆目見当も尽きません。20歳になるまで、見当のつかないことばかりでしたので、「どうなってもしょうおへん」と思う小雪です。
 そうこうしているうちに、文月のもう終わりごろになっていたでしょうか、それはそれは大変な暑い日でした。「総宮内おどり」の練習が、練習宿に決められた旅篭屋や料亭などに分かれて始まり、小雪は、その総おどりの立役という事で、特別な菊五郎さんの振り付けのお稽古が瀬戸屋の離れを使って始まりました。
お稽古が始まる前、菊五郎さんは、特別に小雪にお話しがあると言われ、瀬戸屋のお座敷まで行きました。
 お庭には、木々の間をうねるように、うずみ樋から流れ出す細谷の水でしょうか、ちょろちょろと心地よい音を立てて流れています。
 菊五郎さまはお床の前に、にこやかにお座りになっていらっしゃいます。宿のお上さんに案内され、小雪は、お座敷の端近くに座り、「どないなお話かしら」と一寸不安。
 「まあ、もそっとこちらへ、そんなに遠くては話もでけん。小雪さんを何も捕って食らおうというのではない。お稽古を始める前にお前さんに少々話しておきたいことがあって呼んでもらったのじゃ。そうそうそこらでよい」
 とニコニコ顔でいわはりました。
 「少々難しいかも知れませんが、まあ聞いてくださいな」と、これも備前の茶のみ茶碗をお取りになり、ご自分のお膝のところに置いてお話になるのでした。
 芸と言うものは、追えば追うほど、あちらこちらと、逃げてしまうもだとか、かといって追わなければ自分のものにはならないとか、自分の心を空っぽにして、自分の心を捨てて、舞の心で踊らなければとかと、次々に、小雪には、今までついぞ聴いたこともない、全く訳も分らないような新しい事ばかりをお話になられました。今から、たった半年という短い間に、おどりの奥義総てを掴みきることは、到底、出来ないが、一つだけ心に留めてもらいたい事がある。これだけは、半年の間に作り上げて欲しいと、小雪の目をじっと見つめながらおっしゃいました。
 「知っておられると思いますが、源氏物語と言う本の鈴虫の段で、光源氏は、鈴虫を『心やすく、今めいたるこそろうたけれ』と、また、松虫を『いとへだて心ある虫になむありける』と言っています。そして、『ろうたけれ』という鈴虫より『へだて心』の松虫の方が優れていると言われています。
 この『へだて心』を、今度舞う小雪さんの舞の中にに是非舞い込んで欲しいのです。『ろうたし』と言うのは、見た目が、ただ可愛いと言う事です。物の形だけを真似れば容易く出来上がると思いますが、『へだて心』と言うのは、神に近い気高く品のある美しい心です。人を超えたこの世の中の最高の美しさなのです。神様の美しさなのです。どう舞い現すか、まだ、これがそうですと踊られたお人はいないのではと思います。大変な難しい事だが、それを目指して小雪さんは舞って欲しいのです。初めてお会いしたあの時に見た、あなたの翳した手先に、一瞬ででしたが、何か、今、私が追い求めているその『へだて心』を見たような思いがしました。『ろうろうじ』と言うのだそうです。名優といわれるようなお人でも、20年も30年も求めても求めつくものではないそうです。でも、あなたは案外簡単にできるのではないか、と、そんな気が、あの時とっさに私の頭に浮んできたのです。色々ときつい注文をさせていただきます。どうか、あなたもその気になって演じて見てくださいな」
 と、江戸の名優さんです、きっと口を結ばれるようにして、きつく確かに静かにお話しくださいました。それから、やおら「ごっく」とお茶を一口されてから、踊りの稽古が始まりました。
 手のかざし、足の運び、肩や腰など体全体の動きなど、踊りの基もとの形を、まず、教わりました。踊りには踊り手としての、芸としての特別な動きが要るです。力の入れ方や抜き方まで細かな指導が続きました。時々は、胸に激痛を覚えながらでも顔には見せないで、歯を食いしばって、菊五郎さんの教えを一つ一つ体に滲みこませる様にして覚えていきました。
 菊五郎さんは、毎日、他の姐さん方の踊りのお稽古にもご指導に出てかけはります。本当に熱心に全体のお稽古を付けてくださります。お江戸からも、時には上方の浪速のお役者さんも、菊五郎さんのお手伝いにはるばる宮内まで来て、ご指導なさっていただいております。
 そんなこんなで大忙しの宮内です。月日が経っていくに従って、みんなの目つきの厳しさが一段と高まってきます。そんな中で、小雪の稽古もいよいよ激しさが増します。2、3ヶ月続いても、まだ、菊五郎さんの頭は縦には振られません。
 特に、春の宵、さくらの精が、花魁に乗り移り『物思う桜のたましい、げにあくがるるものになむありける』と謡いつつ舞い消え入る様を、もう何十篇、いや何百回となく打ち続けています。 体の全体から力を抜きつつ、しかも、尚且つ体全体に力を入れる芸当など、小雪は到底できるものではない、と、自分自身で思います。でも、その芸も益々厳しさを求めるよう追い立てられるように、菊五郎さんは小雪に求められます。胸が痛くて痛くてどうしようもなく、今にも息絶えるのかと思い、「もういやどす。お母っさん助けて」と心のうちに叫びます。それでもなお、小雪は体全体からあらん限り力を抜く様にして踊り続けます。これも小雪の瘠我慢でしょうか。
 「もう、小雪には、できへん」と、ありったけの声をはりあげて、泣き叫び、どこかえ逃げ帰りたいような気分になり、頭の中がボーとして何もないような、子供の時、父親か誰だったかは分らないのですが、抱きかかえられるように空高く持ち上げられ、急にその胸の中に抱き込まれたあの時のような気持ちになっていました。何も考えないで、ただ、体の動くままに魂の抜け殻が空を飛び遊ぶように舞い続けました。
 その時です。菊五郎さまが
 「それです。・・・・よう踊りきりましたね。小雪でなくては出来ない小雪だけの至極の芸です」
 小雪の側にかけよって、今にも崩れかけようとしている体を優しく包み込んでくれました。
 「その息を決して忘れないようにね。」
 
 そんな激しい稽古が続きました。菊五郎さまも、一時、お仕事のことで江戸へお戻りになりました。しばらく一人で「へだて心、へだて心」と、いたく探し回っていました。
 しばらくして、今度は菊五郎さまの替わりに、お弟子さまの片岡八重菊さまが、江戸より宮内にお下になり、お稽古をつけてくださいました。
 葉月の暑さにも耐え、ようやく秋も虫のすだく長月の声を聞いた間なしの時です。
 藤井家の紀一郎さまが、どこかへ失踪され、そのまま消息が立たれたという噂です。
 そんな噂を裏づけるように、今度は、京・大阪でたんとたんと商いをされていると言われるおたなの旦那さん達が、高雅様の借銭の取立てにわんさとお出でになり、藤井家の家、屋敷などほとんど総てものが人手に渡ってしまったというお噂も流れてきます。
 その仰山な人様の中に、あの倉敷の林さまもお出でだったという事でした。これも、宮内の噂ですが、あの高雅様は、この林さまから今までに百数十両ものお金をお借りになっていたということです。「そげえな仰山のお金をどうお使いになったじゃろう」と、しきりに人々は噂をしています。
 そんな話があちこちから聞こえてくる中、これからから、まさに取立てのお話が始まろうとするるその寸前に、座をすくっとお立ちになられた男の人がありました。あの林さまです。
 「何事なりや」と眺めていた大勢の人の前に、林さまは、ゆっくりと無言で、歩を進めでられ、やおら、書院に置かれていた、本居宣長さまのお書きになられた短冊の一つをお手にされ、床の間に向かって静かに深々と一礼をして、その場から堂々と立ち去られたと言う事です。そんな噂話が、しばらくの間、宮内すずめの間にしきりに囁かれました。
 そんな噂話を耳にするたびに、
 「男にも瘠我慢はあるのだ。瘠我慢にこそ人としての生き抜く甲斐があるのだ」
と、福山の向こうに沈んで行くお日様に照らされながら、顔を真っ赤にして、強くおっしゃられた林さまの顔が、小雪の目の前に浮び出るのでした。
 「お方さまはどうしていらっしゃる事でしょう・・・・」と、小雪は目に涙をうかべながら、お喜智さまを思いやるのでした。

「小雪物語」 熊次郎大親分

2007-04-17 22:44:04 | Weblog
 万五郎親分に追い立てられるようにして、小雪は初めて岡田家の敷居をくぐりました。その軒いっぱいに紫の懸け幕が張り巡らされ、京の九条家のご紋「九条藤」が、左右に一対、大きく白く浮きたています。これも九条藤の紋が黒々と入った吊提灯が後ろの紫に映えていきり立つように立っています。
 京の九条家といえば、摂家で近衛家に次ぐお家柄であり、誰でも随分と近づきがたいお公家さんであるという事は小雪でも知っています。でも、なんで九条家のご紋が、こんな宮内にあるのだろうと不思議に思えるのでした。
 「どうぞこちらへ」という乾児さんの案内で玄関を上がり、なんだか、えらく自分が、どこかへ押しつぶされるような、そんな緊張した気分になって、じっと下を向いたまま、親分さんの後を、ただ付いて、槫縁(くれえん)の一直線に沿って、恰も、その板から一歩も自分の足を踏み外さないかのように歩いていきます。
「親分、連れてまいりました」
「ああ、へえりな」
 熊五郎大親分らしいお方の、そこら中を圧倒するような低い、これがどすがきいているというのかしらと、小雪は小さくなった体を余計に小さくしながら、親分さんの後ろに従います。
 周りのものは何も目に入りません。ただ、万五郎親分の後に添い、敷居をそっと一,二歩跨たぎます。その場にきちんと正座して、
 「よろしくおたのみもうします」
 と、慣れないお江戸言葉で、やっとこれだけの声がでました。ただ後は、深々と畳に擦り付けるよう頭を下げておりました。
 「そんなに体を堅くしていては話も出来ん。もっと楽にせえ。・・・きくえがお前の名を上げたので、とにかく、菊五郎さんも是非、その小雪さんとやらに会って見たいと言われたので、ご足労をしてもらったのだ」
 この街道筋きっての『岡田屋熊治郎』大親分さんの名前からは、到底、想像もつかないようなやさしさのあるお言葉です。
 「このお人が菊五郎、いや、今お江戸で、名女形と皆からはやされてお出での、沢村菊五郎さんです。来春の鳴竈会で、遠路お出ましいただく全国の親分さん達のお出迎えに、この宮内の女どもを総動員した何か、出し物をという事になったのだ。その出し物全部を菊五郎さんに総てお任せしたのだ。今、そのためのお人を色々と捜しているのじゃ。2,3当っては見たものの、是非この女をと言うのがいないそうなのじゃ。きくえが、どうして知っていたのかは知らんのじゃが、小雪ならどうかと言うもんで、とにかく来て貰ったのだ」
 「ご苦労さんですねえ。あなたが小雪さんですか、体に力をあまし入れないで、ゆっくり、私の注文を聞いてくださいな。そんなに難しい事はありませんからね」
 女形の江戸の花形役者さんです。言葉にも、その立ち振る舞いにも、お役者さんらしい優雅な奥ゆかしいものが、伝わってきます。力を入れないでと言われても、その江戸の女形言葉をお聞きするだけで、自然に体全体が堅くなっていくように小雪には思えました
 「一寸、お立ち願えないでしょうか。ちょと奥へ、・・そう、そこで始めましょう。まず始に、左へ回って、お手を頭にかざして、もう一度左に回ってくださいね。え、ここに舞い扇があります、これを開いて右手に持って、いっぱいに伸ばし、今度は右に回って。右足を横に・・・」
 菊五郎さんはじっと小雪の動きを見つめています、まぶしいような目の輝きです。
 「小雪さんは、京でどなたかに舞いをお習いでしたか」
 「いえ、いえ、・・でも、家でお稽古しているおっかはんのお舞は時々見ておりました・・・」
 胸が大きく動悸を打ち、つまりつまりいう小雪でした。
 「どうも、お疲れさんでした。もう2人か3人のお人の舞を見ます。ありがとうさん」
 菊五郎さんは、優しく小雪に微笑みかけながら、そう言はりました。
 それから、「お茶でも飲んで行け」という熊治郎大親分の言葉も背中で聞きながら「おおきに」と、小さく頭を下げただけで、、駆ける様にしてそのお屋敷を後にしました。
 

「小雪物語」 宮内おどり

2007-04-13 17:31:33 | Weblog
 青さを一層に引き立たせたお山に、郭公がけたたましく鳴き渡って行きます。長雨は細々とお山を濡らしています。林さまから七化のお山を教えていただいてから季節にも七化があるようで、小雪は、あれ以来、気をはってお山を眺めています。今まで五色の季節の色を見つけ、その都度、それを心の中で、新之助さまに報告しています。
 お喜智さま、新之助さま、林さま、高雅さま、私のお話しに流れるお涙を拭おうともせずにじっとお聞きくださった以勢さま、お須香さま、おいで、おいでをしているような母の面影等が、次から次へと現れては消え、また現れたりしながら、小雨にけぶる真っ青に変わったお山の中から浮んできます。
 
 みやうちのなつのおやまにふるあめを
             ひとをおもいてながめくらしつ
 そんな言葉が自然と浮かび上がってくるのでした。これって歌かしら、一度お喜智様にでも見ていただこうかなと思いながら、あの日は、林さまから言われた『歌でも習って見ないかと』言う言葉を思い出し、『まさか私が』とかぶりを2、3回小さく振る小雪でした。
 その年の夏は、日照りが続き、水不足で、この宮内でも、あちらこちらの井戸が涸れ、それはそれは大変な騒ぎになりました。お米も随分不出来で、お粂さんたちどこのお宿のお母はんたちが「客が少ない不景気だ」としきりに歎いておられました。
 そんな神無月のもう終わりになった頃、ひょっこりと、万五郎親分さんが、久しぶりに、お粂さんの元に帰って来られました。
 親分さんのお話によると、熊次郎大親分さんは、全国津々浦々の大親分さん方を、この宮内にお呼びして、「吉備津神社勧進興行宮内大鳴竈会」を大々的に開こうと、もう2年この方準備していたのだそうです。そのために、熊次郎親分の四天王と呼ばれていた片島屋万五郎、柏屋彦四郎、櫛屋佐五郎、菊屋久造さんたちを各国ごとに遣わして、この計画を各地の親分さんに知らせ、参加を呼びかけさせていたということです。そんな万五郎さんがたまたま立ち寄った京で、この小雪と出会い、忙しい最中を、この宮内までわざわざ連れてきてくださったのだ、と、言うことです。そんなこともあって、一年近い歳月を費やして、今、ようやく「大鳴竈会」の催しが現実のものとなったのです。
 片島屋の親分さんのお話によりますと、この宮内は、全国で例を見ない将軍様が直接お許しになっている博打場だそうです。それは、熊次郎大親分さんが、京の九条さまのご支配お受けになって居られる関係で、宮内の岡田家だけに与えられた特別なお計らいだそうです。だから、岡田家のお家の入り口といわず至る所に、いつも九条家のご家紋のついた大きな吊り暖簾や吊り提灯が懸けられているのだそうです。
 来春、癸丑、春の吉備津様のお祭りの前、卯月の吉日、二日から三日の間、この「宮内大鳴竈会」と銘打って、全国津々浦々の百数十人の大親分さん方をお招きして、賭博の会をお開きになるということです。乾児さん方の数を合せると数百人のお人が、この宮内にお集まりになり、それを見学する近郷近在のお人達を合わせると、元禄の頃、この宮内に大石内蔵助という赤穂のお武家さん行一行がお泊りになって以来の大変たくさんのお人がお集まりになると言う事です。また、賭博をこれほど大々的に開くと言うのも、それはそれはとても大きな前代未聞のことになるということです。
 それだけ、いっきにお話になると、お粂さんの差し出されますお銚子を大きな茶飲み茶碗にお受けになって、一息に飲み干されます。
 「働くなといっておいたのに、林さまに顔向けできん」とかなんか言われていましたが、小雪はお粂はんの部屋からそっと抜け出すように出て行きました。

 それから二,三日後です、「小雪、小雪」と、喉がつぶれたような親分さんの大声。
 「また、お叱かられ。今度はなんどすかしら」
 親分のお前に小さくなって座りました。突然に親分さん。
 「小雪、お前、舞が上手だとな。本当か」
 「いえ。・・・・ずっと前、ほんのちっちゃな時分に、母さんに、一寸振り付けてもらうたことがあるぐらいどす」
 「でもどえれえ評判だぞ。まあそれはどうでもええ。今度の会にお招きした親分さん方に当座の余興として、この宮内の踊りを披露して、皆さんに見ていただくことにしたのだ。
 丁度、お江戸の役者の沢村菊之助さんが、宝暦の頃作ってくれた浪速の役者、三枡大五郎さんが振り付けた宮内おどりを基にして、より華やかに作り直して、指導してくださるという事だ。この街にいる百数十人すべての技芸娼婦を動員して、京の都おどりに向こうを張って、「総宮内おどり」を披露する事にしたのだ。その立役に誰を使うかという事になり、その場で小雪の名前が一寸出たのだ。結局、菊之助さんが選ぶのだが、熊五郎親分さんの娘さんのきくえさんが、どうしてだか知らないが、小雪を随分推していたようだ。その小雪に是非合いたいと、菊之助さんが言われてな。すぐ俺と一緒に、親分さんのところに行ってもらわなくてはならなくなったのだ。」
 と、小雪の考えなど到底聞き入れてはくださらないといった雰囲気です。仕方なく身の回りを一寸こぎれいにしただけで、親分さんの後について岡田家のお屋敷に向かいます。
 「あまり心配しなくてもいいよ。この人がついているもの。でも、どうして小雪さんが。大丈夫かなあ」
 と、心配顔のお粂さんが励ましてくれます。
 

「小雪物語」 お以勢さん

2007-04-12 23:56:11 | Weblog
 「小雪さん、上がらしていただくは」
 と、もう何回となく小雪のこの部屋に来られているものですから、お須香さんは、場所柄何か後ろめたい気分に駆られるようなお以勢さんを引っ張るようにしてずんずんと上がってまいられました。
 小雪の部屋の小さな違い棚には、赤漆で縁取りしている丸い色紙入れに、お喜智さまの、『なごりなく消えしは春の夢なれや卯の花垣につもる白雪』というお歌が入れてありました。その下に置いてある備前の花瓶には卯の花がこぎれいに活けてあり、その薄紫の長く垂れ下がっている花房と額斑の赤色とが美しく調和され、部屋全体に、新緑の清々しい初夏が鮮明に描き出されているような感じが匂い発っています。
 「まあ、大奥様のお歌が」と、目ざとく眼にされたお以勢さん
 「あああれ、この前、小雪ちゃんに頼まれていた大奥さまのお歌を貰ってきてあげたの。あれだわね」
 お須香さんは『小雪ちゃん』と「ちゃん」付けで小雪の事を呼ぶようになっていました。
 「座らせて頂くは」と、お山の緑がよく見えると所を選んで、ご自分で隅に置いてあった座布団を片手でひょいと掴み上げてお座りになるお須香さん。「あなたもここへどうぞ」と、お以勢さんにも自分の横を指差します。
 そこへ、「ようこそ・・・」と、お粂さんがしおらしくもお茶など運んできてくれるのでした。二言三言お須香さんと、あいさつの言葉を交わしてお粂さんは、とっとと下に下りて行かれました。
 軟らかい初夏の香が、細谷の流れの音に乗って、部屋一杯に入り込んできます。
 「今日は、京での新之介をお聞きに来ました。あなたが見たままのことをこの以勢とともに聞かせていただくわ。よろしく頼むは小雪ちゃん」
 ぴょこんと頭をお下げになします。横のお以勢は『よろしくお願いします』と深々とお辞儀をされました。二人の姿があまりにも違うのに小雪のほうも返って面食らうばかりです。
 「前々から、お以勢さまのお前で、お話しなくては、と覚悟はしていたのどすが、あまりにもむうごうて残酷なお話しどすさかい、できたらそんな機会がなければと、思うておりました。・・・・・・・・・でも、とうとうその日が・・・」
 それから小雪は、ゆっくりとゆっくりと、始めて新之介さまと会ったときから順に話していきました。
 母がなくなり、否応なしに、この苦界に身を投げ込まなくなって半年も過ぎた頃でしょうか。あの林さまに、母の縁から、お世話頂くようになってから間もない時だったと思います。時は、丁度、秋たけなわ、もみじがとっても綺麗に京のお山やお里を飾りつけたてていた頃でした。林さまは、同郷のお人とお話があるとかで、私の京のお店「河内屋」でお会いなされました。大藤さま、それとお連れの若い新之介様と連れ立ってお越しくださいました。私がお聞きしていても分らないような、大変に難しいお話のようでした。遠い遠いお国の真っ黒いお船だとか、天子様だとか、将軍様だとかでした。
 その途中、急に、林さまが、何か大藤さまとお二人だけで話さなければならないことがあるとかで、新之助さまと私を、廊下の向こう側の小部屋にお人払いなさいました。新之助さまとたった二人だけで閉じ込められるようにして、その小部屋で、お二人のお話が終わるまで待っておりました。
 今まで、私は、こんな身ですから、多くの男の人にお相手させてもらいました。いつも、その男の人たちは、誰も彼もが皆同じように、私と二人だけになると、その目は自分の色欲でしょうか、私の胸や腰やその辺りに注ぎ、すぐに抱き寄せて己の欲望だけをひたすら求められるのです。
 でも、新之介さまは、私がお側にいることすらお忘れかのように両腕をお組になったままじっといつまでも、おみ足を崩されずに正座しておられます。
 「お茶でもいかがどす」
 「いや何も構わんでください。わたしは女の人と話しをするのは慣れてないのであなたとお話しするのが怖くて。・・ごめんよ・・・・・・」
 「怖いだなんて、あなたってかわったおかたどすな」
 新之介さまは、お部屋の床のお掛け軸でしょうか、じっと眺めてお出ででした。
 それからしばらく二人とも黙って座っていました。風がふゅうと吹いて。新之介様がみておいでた床の軸がガシャとかいう音を立ててわずかに揺れ動いたように思えました。それがきっかけとなって、怖いとおっしゃっていたお人が、私なんか、とんと無視された様に、お独り言のようでもありましたが、次々に堰を切ったように話されだしました。
 
 「何時の頃からだったかは分らないのですが、多分生まれた時からではなかったかと思うのですが、あまり人と話をするのが好きではなかったのです。物心ついた7,8歳の頃だったと思いますが、それまで仲良しの友達から、突然、『お前は足軽の子だ。もう一緒には遊ばん、付き合うのはやめる』といわれたのです。どうして、どうしてと、自分に問うてみたのですが、どうしてもその意味が分りません。母に尋ねても『あの子はご重役様のお子様だ。家柄が違うのだ』と、取り合ってくれません。剣術も、字だって私のほうは沢山知っているし、誰よりも物知りだと、いつも先生にほめられていました。それなのに、どうして、足軽と言う事だけで、家柄が違うという事だけで人をのけ者にするのか、考えても考えても分りません。それから、特に人と話をするのが嫌いになったように思います。」
 私も、こんな世界にいる女として、あそびめとしてしか見られない暮らしに慣れているものですから、この新之助さまのお心がよく分るように思えました。
 「それ以来、友達を極端に私の方から避けるようになったのです。いつも一人で書物を読んおるか、剣術の練習をするか、足守川で釣りをするかしていました。
 剣術は、顔をお面で隠しているので話をしなくてすみます。だから、余計励みました。同じぐらいの若者には誰にも負けない自信がありました。でも、私が無口になればなるほど、私の周りから上役の子供達だけでなく、同輩の友達までもどんどん離れていきます。それを、決して寂しいとも辛いとも、思ったことは一度もありませんでした。一人でいることに慣れ切ってしまったのか、一人でいることのほうが、かえって楽しい様にさえと思えました。
 あれは、15歳の時でした。私の家のすぐ隣に小さい時から何時もよく遊んでいた、ちょと可愛らしい女の子がいました。好きだとか嫌いだとかそんな気は、私にはなかったのですが。足守川で、例の通り釣りをしていました。ふと気がつくと向こうの葦の茂みの方でなにやら人の気配がします。一人ではなく、どうも気配からすると二人組らしいのです。何事かと、その方に近づいていきました。そこに見たものは、かって私を「足軽とは遊ばん」と言った重役の息子と私の隣の女の子とが互いにきつく顔をくっつけるようにして抱き合っていました。何か一瞬悪い事を見てしもうたな、と思ったのですが、そのまま竿も篭も釣った鮒もそこに放り投げて走り帰って来ました。それからは何をする意欲も体から抜けてしまったように、これを「腑抜け」というのでしょうか、一日じゅう何処へも出ずにじっと部屋の中にこもりきりでした。母親が随分と心配してくれていたようですが、生憎く、うちは8人兄弟です。1人や2人のために関わっている時間はありません。結局、放っておかれたのではないかと思います。それから半月ぐらい経った時でしょうか、関といわれる道場の剣道の師範から「話がある。すぐ出て来い」と伝言があり、髪の毛もぼうぼうに伸びほうだいの自分の姿を見て、仲間達がどう言うかと、少々心配でもあったのですが、そこにじっとしていても明日は決して来ないと思い、渋々ですが、『えい面倒だ。どうにでもなれ』と、そのままの姿で、道場に出向いたのです。この己が姿を見たら、母はどう言うかなと、一瞬、心を横切ります。
 案内を請うと、かっての仲間も、一寸驚いた様子を見せましたが。先生に知らせたようです。再び、案内されて私宅へと導かれました。
 『ほう、大分、やけになっているようじゃな。道を志して、悪衣悪食を恥ずる者、未だ与に議るに足らずか。まあえ-、お父上も随分とご心痛のようじゃ。どうした。そんなに足軽が嫌いか。お前の剣術の腕前は相当なもんだ、と。わしはおもうておる。そのまま放りぱっなしにしておくわけにもいかん。わしに任さんかお前の身柄を・・・・』
 やや置いて
 『わしが学問は余り知っとらんから詳しくは知らんのじゃが。孔子様があるときこんな事を言われたとお前も知っていると思うが『論語』という本に出ているそうじゃ。・・・『位なきを患えずして、立つ所以を患う』というのがあるそうだ。知とるじゃろう。足軽がどうした、そんなものはつまらんつまらん。勉強せえ、そうすりゃひとりでに偉くなれるんじゃそうな。敬学館の三宅さんが、お前はなかなか見所がある。江戸かどこかで勉強をさせたい、と、言われておった。勉強してみんか。吉備津に大籐高尚先生のご養子さんで高雅さんというのがいる。これもなかなか切れもんとわしゃあ見ておる。どうだ、くちうつけたるけえ、行って見んか』
 とても難しい言葉で言われます。新之介様の言われる事を、どうしてだかは分らないのですが、一言一句聞き漏らすまいと、一心に聞いておりました。その言われる言葉一つ一つを胸に丁寧に仕舞い込む様に聞いておりました。
 まあ、そんなことがあって、新之介様は高雅さまのお弟子にならたのだそうです。学問というものが面白くて面白くて仕方なかったとおっしゃられました。その時に和歌もお勉強されたと伺っておりました。どんなお歌を詠まれたかはおっしゃいませんでした。聞いておけばと思いました。
 
 そんな新之助様の小さい時のお話が、次々と続きます。お城の御堀から続いている運河に飛び込んで泳いて、大目玉を食らったという事、犬飼松窓と言う先生の塾へ通う子供と足守川でよく喧嘩した事、そうそう、こんな事もお話してくださいました。青蛙のお尻へ麦の茎を差して腹を膨らして遊んだとか、熟れかけた麦の実をすごいて、口の中に入れてしばらくかんでいたら何かねばねばとして心地よいお餅みたいなものが出来たとか、次から次へとお話はいくらでも出てくるのでした。胸を弾ませながら何時までも何時までも続いて欲しいと思いながら聞いていました。
 あれは3回目にお会いした時の事だと思います。河内屋のお上さんが、高雅様がどうもお命を狙われているようで物騒だと、今夜のお宿を泉屋さんにお願いしたと言われ、その日は皆さんがお会いなさる場所が変わりました。
 その泉屋さんでも、高雅様のお心だったと後で知ったのですが、新之介様とお二人だけの、3度目のお話できました。そこでも、2回目の時にもお聞きしたように思えたのですが、高雅様の心温かな気性やお人柄、また、天子様、公方さま、更に方谷さま、洪庵さまなどについて色々とお話になられました。中でも、『神様は、人の下には人をおつくりにはなられていない』という言葉をお聞きした時は、本当にびっくりしました。私は、いつも一番下の下の罪多い穢れた女どす。それが誰でも同じだなんて、とても信じられませんでした。でも、お喜智さまが、これと同じこといわれたのにはびっくりしました。誰か偉いお人が言われはったそうどすが、こんな世の中が、もう少ししたらきっと来るのだと、新之介様は熱心にお話してくれはりました。
 いつも、きちんと正座したまま、私をあそびめではなく、普通の女として扱ってくれはりました。『こんな男の人が世の中にいらはるの』と、何か愛しいお人のようにおもえてしかたありまへんどした。それから、これは、あの夜、新之介様が初めてお話になったのですが、自分はこれからの世の中で、海の向こうのどこか余所のお国と大きな蒸気船か何かで、商売がしたい。そして、横浜かどこかに大きなお家を立てて、母を楽にしてやるのだと言わはりました。そして、お嫁さんをもらってと、やや赤らんだ顔をしていわはりました。
 まあ無口だなんて、よくおしゃべりされる事と、心の内で楽しくお聞きしていました。それが私のお聞きした新之介様の最後のお言葉でした。
 その泉屋を出ですぐ闇の中に一筋の光が光ったと思った途端に、今でも信じがたいのですが、あのようなむごい事が私の目の前で起きたのです」

「小雪物語」 新之介さんのおかっさん

2007-04-11 22:04:56 | Weblog
 「まあなんときれいな着物ですこと。一寸袖を通してみなさい」
 お粂さんに言われて、その着物を押し抱くようにそっと胸に宛がってみました。鶴が、今にも、大空へ羽ばたいるのではと、思うようなようなふわっとした自分の体の力がどこかへ飛び去ってしまったかのような不思議な感覚に陥りました。今まで身につけたことが無い軽ろやかさがありました。天の羽衣を身に纏い大空を飛んでいる天女の気分は、こんな気分なのかしらと、ふと思うのでした。
 「ほんとによく似合います 小雪さん」
 と言うお久さんの、やや、やっかみ半分の言葉が、「小雪さん」という言葉の跳ね上がりからも感じられましたが、喜智様のお優しさが、まず思いやられるのでした。
 この鶴をあしらったこのお喜智さんからの着物は、結局、最期の小雪の晴れ姿になろうとは、その時は誰にも思いもつかないことでした。
 それからまた時は少し動きました。
 青龍池の花菖蒲の花々が美しく咲き乱れ、お山から吹き降りるそよ風に、花びらがゆらりゆらり揺れながら香り立っています。皐月の空には、あちらこちらと元気よく色とりどりの五月幟もはためきだしました。お山の新緑の木々の葉が、吹く風にそよぎ、朝日にきらきらと輝き、時々に色を変えて見せています。「これもお山の七変化でおす」小雪は小窓から見えるお山を見ています。
 緑一杯の風が、お山から甍の上を通り過ぎて、小雪の部屋にも舞い飛び込んできました。
 「小雪さん、堀家の須香さんよ」という、幾分「また?」という気持ちを含んだお粂さんの例の声です。
 あの夜以来、お須香さんは、どのような風の吹き回しかは知らないのですが、やれお饅頭だとか、やれ何だとかと言って、何くれと無くこの家を訪ねてきては、自分の娘であるかのように、小雪と親しくお話して帰られることが多くなりました。
 「今日は何かしら」と、とんとんと下へ降りて行きました。入り口の土間にお須香さんともう一人、ついぞ見たことの無いお方がこちらに笑顔を見せながら立っておられました。
 林さまとお会いしたあの夜、お話になっておられた、庭瀬にお住まいのお須香さんの妹さんのお以勢さんでした。あの新之介さんのおっかさんです。『新之介の最期の様子を、くわしく是非聞きたい』ということで、一刻も早くと思っていたのだが、なんだかんだと小忙しくて延び延びになって今日になったのだと、お須香さん。

「小雪物語」 喜智さまからの贈り物

2007-04-10 22:35:35 | Weblog
 行く春は細谷の流れと一緒になってあっという間に、小雪の周りから通り過ぎていきました。そんな春を惜しむかのように、吉備のお山を朧に包んで細かな春雨が外を流れていきます。小窓を細めにあけて、そんなお山をなんとなく眺めていました。このお山の佇まいがなんとなく京の東山に似ていて、このお山を眺めると、なんとなく心が慰められるようで、今一番の小雪の楽しみになっておりました。
 そんな昼下がりに、またまた例のあの甲高い、天井まで押しつぶしてしまうのではないかと思われるような宮内ことばが響きます。
 「小雪さん、小雪さん、どこえおるん、はようおりてきんさい」
 眺めていた小窓をさも惜しそうに閉め、「あ~い」と、ゆっくり階段を降りていき、粂母さんの部屋にはいります。
 「まあ、そこに入りなさい。小雪さん。今、そこで堀家のご大奥様にお合いしました。大奥様が、これをあなたにと、差し出されたのです。どうなっているのですか小雪さん。堀家の大奥様ともあろうお方が、私何ぞに、声かけするなんて、さらに、遊女のあなたに贈り物を下さるって一体これって何事ですか。一体どうなっているの。」
 一息入れて、
 「お聞きすると、何でもあなたは、踊りを踊ったというではないか、あの日に。そのお礼だと大奥さまは言っていたよ。」
 「いえ、なんでもないのどす。一寸と、成り行き上、そんなことになってしまったのどす」
 あまり詳しい話をするのもと思い、いい加減な生返事をして、「なんにかしら」と思いながら、お母はんから手渡された品を、大事そうに両の手にささげて、自分の部屋へ持ち帰えるのでした。無遠慮に、「どうしたの、どうしたの、誰から何に貰ったって」と、お滝さん、お久さんの姐さんも入り込んできます。後でそっとと思っていたのですが、致し方ありません。包んでくださっている小紫の唐草のあしらってある風呂敷を開けました。ほんのりと、また、梅香の匂いでしょうかあたりをそっと優しく包んでくれました。春の雨は相も変わらず、細々とした音を立てながら細かく降り続いております。
 二人の姐さん方には、そのあるかないかも分らないような香よりも、只、畳紙の紙の中身にだけに、その心を集めていたようです。でんでに、
 「おやどんな着物かしら、どうして小雪さんに」とか「まあ、あのお高いお喜智さんが遊女になんかに着物を、どんな風の吹き回しか知らん」などと、思いつきのその場限りの、やややっかみ半分の話を続けているます。
 その畳紙(たとう)の上に乗せられた薄紅色のがんぴの紙からでしょうか、その香が立ち上ち、「小雪どの」と書かれた薄墨色の筆の輝きが小雪の目の中に飛び込んできました。
 姐さん方は、その包みの中のものに、早くもその目を輝かせています。小雪は、喜智さまのそのお文を、愛しい人をみ胸にそっと抱え込むように優しく手に持ってしばらくその場にたたずんだままで居ました。
 『年年歳歳人同じからずと昔人は春花に思いをいたし候とか申し候一瞥のこのかたいとど御機嫌よう渡らせ給ふらんと御嬉しく存知候、此ほど・・・・』と、倉敷の林さまとご一緒したあの折の御礼をと、心に気を揉んでいたのですが、その折が無く失礼しました、と、ご丁重な無礼をわびる御文でした。京の呉服を身にして、また、あの笑顔を見せて欲しいとか何か優しいお心がその達筆なお字を通して伝わってきます。
 「いい?」と、姐さん方は畳紙の中身を一刻も早く見たくてうずうずとしたように、小雪のほうを見ます。ゆっくりと一人でと、思ったのですが、平生何くれ無くよく世話をかけている姐さんたちです、そうも行きません。早速、畳紙を小雪は開きました。友禅です。小雪の好きな鶴が羽を一杯に拡げながら、群れなして、左下の裾からから右上の肩にかけて金銀の小模様の中を飛翔する図柄が染めこんでありました。「うあーきれい」とか、「すてき」とか、姐さん方の、思いもよらない、突然に降って湧いてきたような目の前にある現実に、ただただ驚いているようでした。
 「どうしてこんな着物、小雪は貰うの」
 いつの間にかお粂母さんも入ってきています。しばらく小雪も黙ってその3人の話を聞いていました。