正月7日に、黒日売は山方(山の畠)に菘菜(あおな)を摘みに行きます。
多分2人のこれからの吉凶を占うためでもあったと思いますが。それとも、単純に、仁徳天皇の身の上に起こるであろう邪気を追い払い、無病息災を祈りに言ったのかもしれませんがったのかも知れませんが、兎に角、若菜摘みに出かけます。
それを追うようにして仁徳天皇もその黒日売の若菜を摘んでいる山方に行って、若菜を一緒に摘みながら、心をこめて歌います。
夜麻賀多邇(やまがたに)麻祁流阿袁那母(まけるあおなも)岐備比登登(きびひとと)等母邇斯都米婆(ともにしつめば)多怒斯久母阿流迦(たぬしくもあるか)
〈山の畠に蒔いている青菜を吉備の美しい乙女と一緒に摘めば心はればれとして大変楽しいことよ。出来れば何時までもこうしていたいものだ。これからの二人運命はどうなるのか、天の神よ。どうぞ占ってください〉
と、言うぐらいの意味だと思います。
その時の天皇という地位にいる自分のやるせなさ、はかなさ、つらさ見たいな、もうすぐこの地を、そうです黒日売のいる山方を離れなくてはならない自分の淋しい心が、この歌の中に隠されているように思えます。
「せめて、残り少なくなったその別れの瞬間まで、二人を固く結びつけて置いてください。神よ!」
と、言う深い意味が、この歌の中に、私にはあるように思え(宣長の古事記伝にも解説してはないのですが)仁徳の深い黒日売を思う心が自然と伝って来ます。そうでなかったら、わざわざ磐媛を欺いてまで吉備には来なかったのでないでしょうか。
なお、ここに見える「岐備」も、やはり「きび」です。沢山ある「きび」と言う字を漢字に表したもののうちの一つです。
多分2人のこれからの吉凶を占うためでもあったと思いますが。それとも、単純に、仁徳天皇の身の上に起こるであろう邪気を追い払い、無病息災を祈りに言ったのかもしれませんがったのかも知れませんが、兎に角、若菜摘みに出かけます。
それを追うようにして仁徳天皇もその黒日売の若菜を摘んでいる山方に行って、若菜を一緒に摘みながら、心をこめて歌います。
夜麻賀多邇(やまがたに)麻祁流阿袁那母(まけるあおなも)岐備比登登(きびひとと)等母邇斯都米婆(ともにしつめば)多怒斯久母阿流迦(たぬしくもあるか)
〈山の畠に蒔いている青菜を吉備の美しい乙女と一緒に摘めば心はればれとして大変楽しいことよ。出来れば何時までもこうしていたいものだ。これからの二人運命はどうなるのか、天の神よ。どうぞ占ってください〉
と、言うぐらいの意味だと思います。
その時の天皇という地位にいる自分のやるせなさ、はかなさ、つらさ見たいな、もうすぐこの地を、そうです黒日売のいる山方を離れなくてはならない自分の淋しい心が、この歌の中に隠されているように思えます。
「せめて、残り少なくなったその別れの瞬間まで、二人を固く結びつけて置いてください。神よ!」
と、言う深い意味が、この歌の中に、私にはあるように思え(宣長の古事記伝にも解説してはないのですが)仁徳の深い黒日売を思う心が自然と伝って来ます。そうでなかったら、わざわざ磐媛を欺いてまで吉備には来なかったのでないでしょうか。
なお、ここに見える「岐備」も、やはり「きび」です。沢山ある「きび」と言う字を漢字に表したもののうちの一つです。