私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備国児島の仕丁

2009-07-26 10:08:21 | Weblog
 さて、大后磐日売命が、「豊楽」を催すために、紀の国から「御綱柏」を船一杯に摘んで(積盈御船<みふねにつみみつ〉)お帰りになります。

 帰るその途中の難波の大渡(湊)で、大后に仕えていた倉人女(役職名か?)が
あらぬ噂を聞いて大后の船に帰ります。そしてすぐ、港で聞いた噂をお耳に入れます。その話を聞いた途端に、またまた、天皇の浮気癖に伴う磐日売命の嫉妬心が生まれるのです。
 
 その噂の出所が、これも、またまた吉備国の人からでありす。
 その人は、古事記によると、吉備国児島から難波の都へ遣わされていた「水取司」と言う役所の仕丁(「よほろ」とよみます)、即ち小使さんなのです。
 「仕丁」と言うと、何か、端から、男性だと決めつけてしまうかもしれませんが、この場合は女性ではなかったかと、私は推測しています。
 
 大宝令によりますと、
 仕丁は、
「一村から二人派遣されることになっており。三年毎に交代する」
 と、いう制度です。一般に言われている人足のことです。一村から二人派遣されるた仕丁の一人は、炊事用の雑用を仰せつかる女性から選ばることもあるのだそうです。
 その人数も大宝令によって定められています。ちなみに、「女性の丁(よほろ)は、大国四人、上国三人・・」と、書かれています。吉備の国は、当時は、まだまだ大国でした。だから、この四人の中の一人が吉備の国から派遣されたのは当然です。
 
 なお、この水取司、これは「ミズトリ」でなく、「モヒトリのつかさ」と読むのだそうです。
 これまた、宣長の説ですが、古代においては、飲むミズのことを「母比・モヒ」と、池や川のミズのことを「美豆・ミズ」と呼んで区別していたようです。
 
 さて、吉備国児島の仕丁から聞いたという噂とは、どんな噂でしょうか。また、その噂を聞いた大后がしたと思える「足母阿賀迦邇嫉妬(あしもあががにねたみたまいき)」というのはどの程度のものか、これ又、また明日にでも。