私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語ー庭瀬の真木さま

2012-05-31 10:01:36 | Weblog
 「小雪さん、上がらしていただくは」
 と、あれ以来、もう何回となく小雪のこの部屋に来られているものですから、お須香さんは、場所柄か何か後ろめたい気分に駆られるような真木を引っ張るようにしてずんずんと上がってまいられました。
 小雪の部屋の小さな違い棚には、赤漆で縁取りしている丸い洒落た色紙入れに、お喜智さまの、『なごりなく消えしは春の夢なれや卯の花垣につもる白雪』というお歌が入れてありました。その下に置いてある備前の花瓶には卯の花がこぎれいに活けてあり、そのうす黄色がかった白い5、6枚の花びらとと額斑の赤色とが美しく調和され、部屋全体に、新緑の清々しい初夏が鮮明に描き出されているような感じられました。
 「まあ、大奥様のお歌が」と、目ざとく眼にされたお真木さん
 「あああれ、この前、小雪ちゃんに頼まれていた大奥さまのお歌を貰ってきてあげたの。あれだわね」
 お須香さんは『小雪ちゃん』と「ちゃん」付けで小雪の事を呼ぶようになっていました。
 「座らせて頂くは」と、お山の緑がよく見えると所を選んで、ご自分で隅に置いてあった座布団を片手でひょいと掴み上げてお座りになるお須香さん。「あなたもここへどうぞ」と、お真木さんにも自分の横を指差します。
 そこへ、「ようこそ・・・」と、お粂さんがしおらしくもお茶など運んできてくれるのでした。二言三言お須香さんと、あいさつの言葉を交わしてお粂さんは、とっとと、下に下りて行かれました。
 軟らかい初夏の香が、細谷の流れの音に乗って、部屋一杯に入り込んできます。
 「今日は、前々からぜひお願いしますと頼んでいた、京での新之介をお聞きに来ました。あなたが見たままのことをこの真木とともに聞かせてもわうわ。よろしく頼むは小雪ちゃん」
 ぴょこんと頭をお下げになします。横のお真木までもが『よろしくお願いします』と深々とお辞儀をされました。この二人の姿があまりにも違うのに小雪のほうも返って面食らうばかりです。
 「前々から、お真木さまのお前で、お話しなくては、と覚悟はしていたのどすが、あまりにもむうごうて残酷なお話しどすさかい、できたらそんな機会がなければと、思うておりました。・・・・・・・・・でも、とうとうその日が・・・」
 それから小雪は、ゆっくりとゆっくりと、始めて新之介と会ったときからの話を始めるのでした。「とっても新之介様とのことを話すなんてできそうもないは」と、心の内では思っていたのですが。いざお話を始めてみると、自分でも驚くように、あれもあったこれもあったとその当時のことが、次々と頭の中にはっきりと浮かび出て、それが自分の言葉になって二人に話をしているのではない、自分に言い聞かせているかのように小雪は話します。

小雪物語

2012-05-30 10:53:57 | Weblog
 「まあなんときれいな着物ですこと。一寸袖を通してみなさい」
 お粂さんは、その着物を小雪の肩に指し掛けます。鶴が、今にも、大空へ羽ばたいるのではと、思うようなようなふわっとした自分の体の力がどこかへ飛び去ってしまったかのような不思議な感覚に陥りました。今まで身につけたことが無い軽ろやかさがありました。天の羽衣を身に纏い大空を飛んでいる天女の気分は、こんな気分なのかしらと、ふと思うのでした。
 「ほんとによく似合います 小雪さん」
 と言うお久さんの、やや、やっかみ半分の言葉が、「小雪さん」という言葉の跳ね上がりからも感じられました。しかし、小雪には、この着物の図柄を一目見たときから、最愛の高雅さまをあのように惨い事件に巻き込まれて失われたのも関わらず、女の我慢であったのかもしれませんが古い家柄を必死になって守ろうとなされた喜智様の数々の苦脳が、着物に画きこまれたような鶴の飛翔の中に感じられるよう小雪には思われました。
 「ほんとによくお似合いすこと。ぴったりだよ小雪、流石、堀家の大奥様ですこと。目が肥えていらっしゃるわ」
 そんな周りの言葉も小雪の耳には入らないかのようにその鶴の絵柄を愛しそうに眺め続けていました
 でも、この鶴をあしらったお喜智から贈られた着物は、結局、最期の小雪の晴れ姿になろうとは、その時は誰にも思いもつかないことでした。
 
 それからまた時は少し動きました。
 青龍池の花菖蒲の花々が美しく咲き乱れ、お山から吹き降りるそよ風に載って、卯の花の花びらがゆらりゆらり揺れながら辺りに舞い散っております。皐月の空には、あちらこちらと元気よく色とりどりの五月幟もはためきだしました。お山の新緑の木々の葉が、吹く風にそよぎ、朝日にきらきらと輝き、一時の刻々を思い思いに変化させる白、青、緑、黄などの色とりどりに見せています。「これもお山の七変化でおすな」小雪は小窓から見えるお山を見ています。
 緑一杯の風が、お山から甍の上を通り過ぎて、小雪の部屋にも舞い飛び込んできました。
 「小雪さん、堀家の須香さんよ」という、幾分「また?」という気持ちを含んだお粂さんの例の声です。
 あの夜以来、お須香さんは、どのような風の吹き回しかは知らないのですが、やれお饅頭だとか、やれ何だとかと言って、何くれと無くこの家を訪ねてきては、自分の娘でもあるかのように、小雪と親しくお話して帰られることが多くなりました。
 「今日は何かしら」と、とんとんと下へ降りて行きました。入り口の土間にお須香さんともう一人、ついぞ見たことの無いご婦人の方がこちらに笑顔を見せながら立っておられました。
 林さまとお会いしたあの夜、親切にもこの大阪屋まで送ってくださった時にお話になっておられた、備中庭瀬にお住まいのお須香さんの妹さんのお真木さんでした。あの新之介さまのおっかさんです。 
 「お忙しい所をごめんなさいな。この屋の女将さんに聞くと『今なら大丈夫だ』と言われるもんで、新之介の最期の様子を、此の真木が母親としてどうしても、くわしく聞かせてほしい』というもんで尋ねて来たのよ。お願いするは」
 と、お須香さん。

小雪物語ー友禅の着物

2012-05-29 11:34:27 | Weblog
 姐さん方は、その包みの中のものに、早くもその目を輝かせています。小雪は、喜智さまからのそのお文を、愛しい人をみ胸にそっと抱え込むように優しく手に持ってしばらくその場にたたずんだままで居ました。
 『年年歳歳人同じからずと昔人は春花に思いをいたし候とか申し候。一瞥このかたいとど御機嫌うるわしゅう渡らせ給ふらんと御嬉しく存知候、此ほど・・・・』と、倉敷の林さまとご一緒したあの折の御礼をと、心に気を揉んでいたのですが、その折が無く失礼しました、と、ご丁重な無礼をわびる御文でした。取り寄せた京のこの呉服を身にして、また、あなたのその笑顔を見せて欲しいとか何か小雪の身をさも案じるているようなお優しいお心がその見事な女手を通して伝わってきます。
 「いい?」と、姐さん方は畳紙の中身を一刻も早く見たくてうずうずとしたように、小雪のほうを見ます。ゆっくりと一人でと、思ったのですが、平生何くれ無くとなく気遣い、よく世話をかけている姐さんたちからです、そう無碍に断ることもできません。早速、畳紙を小雪は開きました。友禅です。部屋の片隅に置かれてあった衣桁をとりだして、ゆっくりと挿し込み、敷居框に吊るすのでした。
 ぱっと、急に、その部屋全体に何か華やかさが漂うったように感じられます。鶴が羽を一杯に拡げながら、群れなして、左下の裾からから右上の肩にかけて金銀の小模様の中を飛翔する図柄が現れて来ました。小雪の好きな鶴です。くっきりと大空めがけて、あの夕陽の日差しのお山に向って舞い飛んだ小雪の天女のように染め上げられています。
「うあーきれい」とか、「すてき」とか、姐さん方の、思いもよらない、突然に降って湧いてきたような目の前にある現実に、小雪自身よりも早く、ただただ驚いているようでした。
 「どうしてこんな着物、小雪は貰うの。早やう、着て見せて。」「小雪さんによく似合うは、はよ、はよう」
 いつの間に、かお粂母さんも入ってきています。しばらく小雪も黙って、その3人のてんでな想像話に耳を傾けていました。 

小雪物語ーどんなん風の吹き廻しかしらん

2012-05-27 21:04:41 | Weblog
行く春は細谷の流れと一緒になってあっという間に、小雪の周りから通り過ぎていきました。そんな春を惜しむかのように、吉備のお山を朧に包んで細かな春雨が外を流れていきます。小窓を細めにあけて、そんなお山をなんとなく眺めていました。このお山の佇まいがなんとなく京の東山に似ていて、このお山を眺めると、心が慰められるようで、京から遠く離れたこの備中の宮内にる小雪の今一番の楽しみになっておりました。
 そんな昼下がりに、またまた例のあの甲高い、天井まで押しつぶしてしまうのではないかと思われるような宮内ことばが響きます。
 「小雪さん、小雪さん、どこえおるん、はようおりてきんさい」
 眺めていた小窓をさも惜しそうに閉め、「あ~い」と、ゆっくり階段を降りていき、この屋の主人お粂さんの部屋にはいります。
 「まあ、そこに入りなさい。小雪さん。今、そこで堀家のご大奥様にお合いしました。大奥様が、これをあなたにと、差し出されたのです。どうなっているのですか小雪さん。堀家の大奥様ともあろうお方が、私何ぞに、声かけするなんて、さらに、小雪さん、あなたに贈り物を下さるって一体これって何事ですか。一体どうなっているんでー。」
 一息入れて、
 「お聞きすると、何でもあなたは、掘家の奥座敷で踊りを踊ったというではないですか。あなたが踊りをどうして、あの日に。・・・そのお礼だと、大奥さまはご丁寧に私までに鄭重にお礼を言われたんですよ。一体どうなっているんでええ」
 「いえ、なんでもないのどす。一寸と、成り行き上、そんなことになってしまったのどす」
 あまり詳しい話をするのもと思い、いい加減な生返事をして、「なんにかしら」と思いながら、お粂はんから手渡された品を、大事そうに両の手にささげて、自分の部屋へ持ち帰えるのでした。無遠慮に、「どうしたの、どうしたの、誰から何に貰ったって」と、お滝さん、お久さんの姐さんも入り込んできます。後で、そっとと思っていたのですが、致し方ありません。包んでくださっている小紫の唐草のあしらってある風呂敷を開けました。ほんのりと、また、梅香の匂いでしょうかあたりをそっと優しく包んでくれました。春の雨は相も変わらず、細々とした音を立てながら細かく降り続いております。
 二人の姐さん方は、そのあるかないかも分らないような香よりも、只、畳紙の紙の中身にだけに、その心を集めていたようです。でんでに、
 「まあどうして小雪さんに着物だなんて、どうして、でも、それってどんな着物かしら、早うあけて見せておくれえ。どうして小雪さんに、はようはよう見せえ」とか「まあ、あのお高いお喜智さんが、なんだかんだと何時も見下げて馬鹿にしておいでのわてら遊女みたいなもんに、なんで着物を、どんな風の吹き廻しか知らん」などと、思いつきのその場限りの、やややっかみ半分の話を続けているます。
 その畳紙(たとう)の上に乗せられた薄紅色のがんぴの紙からでしょうか、その香が立ち上ち、そこには「小雪どの」と書かれた目にも鮮やかな薄墨色の達者な女手の筆の輝きが小雪の目の中に飛び込んできました。

小雪物語ー末の命の美しくこそ

2012-05-26 20:03:03 | Weblog
そんなお須賀さんへの悪たれ口を何処か遠いところでの聞いているかのような何とも不思議なくらい心も体もいつもの小雪ではありません。突然に自分自身を支えている力がなくなって行くように感じられました。2階への階段を上る力さえいくら踏ん張っても出そうもありません。自分の胸の辺りが、なにやら激しい痛さに襲われ、その場に立ちおることさえ出来ず、やっと手すりにつかまり、薄れゆく己の意識と闘うが如くにしばらく手すりを持ったまま、そこに佇んでじっとしていました。
 「どうしたの小雪さん」、この屋の姐さんの誰かがそんな言葉を懸けてくれました。その声の余りにも大きかったものですから、小雪はその声にふと我に返り「あ、なんにもあらしまへん、おおきに」と、薄笑いを浮かべてゆっくりと2階へと上がって行きました。
 それから、しばらくして
 「小雪さん、お客さんがお呼びですよ。ちょっと下へ降りてきてくださいな」
 という、お粂さんのあの例の甲高い声。その日もまた小忙しく何にもなかったように小雪は立ち働くのでしたでした。
 
 その日から、日一日と春は本番を迎えます。お山全体の木々までも薄ぼんやりとした灰色の中から初々しいぐいす色の萌葱の顔を湧き立たせたかと思う間もなく、今度は一転して、その萌葱は浅黄の色模様を描き出し、その中に山桜の点々とした開花前の木全体で織りなすうす紅色が、あたかも布袋様の頬のように輝きます。
 でも、このお山の桜より、なお早く、真っ先にその色が、人々に春の気を揉ますように匂い立っています。掘家喜智と始めてであったあの龍神池の「さえのかみさま」の祠の横にある枝垂桜です。枝は水面まで垂下り、空と水にこれから咲こうとしている花びらを見せびらかすように風になびかせておりました。
 もう2,3日すると、この枝垂れ桜の花が、この辺りの総ての桜の魁となって満開となります。この里の春告げ桜と呼ばれています。例年、宮内の人々の誰もが、この春一番の桜にまず気を揉み、何処にあるのかもしれない風の宿りを訪ね、散りゆく花びらに思いを寄せて、恨みの一つでも言ってやろうかと気を揉んだりもしているのです。
 そのしだれが、ほらりちらりとし始めると、今度は、里から山からそこら中が、さくらさくらで覆いつくされます。四季を問わず常に喧騒なこの里も、この期、特に多くの人達が繰り出し、一日じゅう昼夜を措かず上を下へと大変な賑わいが繰り広げられます。そんな中で、小雪も、あれ以来時々に襲われる胸の痛みを堪えながら、顔にも見せずそれでも小忙しく立ち働いていました。
 その内、水無き空に波が立ち騒ぎ、やがて、龍神池の西の面に真っ白な花の敷物が拡げられ、ようやく春も、急ぎ早に通り過ぎていきました。
 そんな宮内の喧騒がやっと一段落したある昼過ぎでした。わずかに散り忘れた花びらが、風もないのにゆらりゆらりと舞いながら、空を流れていきます。小雪はこの初めての宮内の行く春を、わずかに残った残り花と一緒に惜しんで、窓を一杯に開け放して、ゆっくりと眺めておりました。ふと見ると、小箪笥の前の畳に、散る遅桜の一片の花びらが、ちょこんと座るかように舞い落ちていました。
 「あらまあ、かわいらしい」
 こんなことばが、自然に、口をついてほとばしり出てきました。そして、何処で何時習ったと云うことではなく、この里に来て以来、この宮内にいるあそびめの間に密かではあるのですが、それが己たち宮内のあそびめの誇りともなっている和歌というのだそうですが、そなんものが自然と小雪の頭に浮かびあがってくるのでした。

  屋根を舞う 残りさくらの 五つ四つ 
            春は今年も 流れいぬめり
 
  流れいぬ 春の名残を 留め置く
            畳の上の さくら一ひら

  昨日今日 残りの花の 散り落ちて
            末の命の 美しくこそ             

小雪物語―あそびめの誇り

2012-05-25 09:13:13 | Weblog
 「どうしても、夕飯をご一緒に」と、言われる大奥様、堀家喜智様の言葉を
 「それだけはごかんべんを。わてにもあそびめとしての意地がおわす。これも瘠我慢かもしらへんどすが、お呼ばれした他所様のお家では、物を絶対に口にはしまへん。これがわてらのあそびめの、きつうきつう言われておりますおきてどす。また、それがあてらの誇りでもあるのどす」
 と、強く断りして、日もとっぷりと暮れ、再び喧騒な普通の宮内の夜の賑わいを見せている街中へ、堀家を後にしました。どうした事でしょう。これまた不思議なことですが、つい先程まであんなに「此処は堀家の奥座敷です。」と目を三角にして激憤していたあの須香の姿は跡形もなく消え去り、かえってその顔に笑顔さえうかべながら「そこまで」と、小雪に寄り添うようにして送っているのです。
 「一度、今度は、是非、私のところへきてくださいな。ゆっくりと新之介のことについて尋ねたいのです。私の妹が新之介の母親なのです。その母、真木にも、ぜひ詳しくあの日の様子を聞かせてやって下さいな。あれ以来、塞ぎこんで真木も床につくことが多くなっています。小雪さんの話を聞くと、また、元気を取り戻すのではと、あなたの舞を見ている時、なんとなくそう思ったのです。是非お願いしますよ。・・・・はじめに、小雪さんにあんなこと不遠慮に言ったことが恥ずかしくて、今は穴があったら入り込んでしまいたいような気分です。本当に、すいませんでしたね。あなたが新之助の知り合いだと云う事は夢にも思わなかった者ですから。ほんとうに知らなかったもんで。・・・・大奥様のおっしゃるように、みんなお人ですね。大奥様もあなたも、みんな女としての大きな悲しみを一杯に自分ひとりで背負い込んで生きているんですね。好き好んで、そんな女の悲しみをわざわざ背負い込んだりはしませんもの。わたしなんて、そんなことも知らないで、これまでのほほんと・・」
 「何だ、須香さんは新之介様の伯母さまなのか」と、内心驚きながら小雪は須香の話しを黙って聞いておりました。今夜のお客でしょうかにぎやかに出入りしている大阪家に着くと、
 「はい今晩は、お粂さんいる。小雪さんを送ってきました。ちゃんと受けとてくださいな」
 そんな明るいはきはきした声をこの大阪屋に残して、急ぎ早に須香は帰ります。
 「おや、まあ。どんな風の吹き回しかしら。あのお高い堀家の須香さまともあろうお方が、ようもようもあんなに親しげに「お粂さんいる」なんて、声かけができたもんだ。明日はきっと大風だぞ。みんな気をつけんといけんよね。それにしてもどうして小雪をここまで・・・」
 店の誰もが訝しげに囁いていました。

小雪物語―残照

2012-05-24 18:16:26 | Weblog
 「まあ、なんと美しくも見ている人の心を溶かすかのような精緻な気品高いお舞いですこと。・・・・あの日差しのお山も今の小雪さんの舞いをどう見たでしょうかね。・・・・不思議な事でしたが。小雪さんの翳す真っ白いその指先の暮れ行くあの紫紺のお山の中に、ぽっと、突然に、光次郎の幼い笑顔が浮き立ちました。そして、『ははさん、ご心配無用でござります。この京の地で、ゆっくりと、これから変わっていくだろう天使様や御国の行く末を、じっくりと見つめてまいりとうぎざいます』と、語りかけてくれたよでした。・・・小雪さん、・・・・本当にありがとうございました。あなたのその舞いを見ておりますと、高雅、いや、光次郎も、この宮内で眠るよりよっぽど、今、それこそ天地を揺り動かすような上え下えの大騒乱の真っ只中だと聞くあの京の地で眠って、これから先々のこの国の行く末を見守っていたほうが、それこそ本望です。『かか様ご安心くだされませ』と言っているように、あなたのお舞から私にはそんな風に伝わってきました。・・・・本当にありがとうございました。・・・今の小雪さんの舞いを見ておりますと、なにかしら、何にもない、それこそ、やせ我慢も世間様も何にもない空っぽの、何と言ったらいいのでしょうか、虚ろとでも言ってもいいのではないかと思えるようなものの中に、突然引き込まれたような気分になりました。この頃、わたしも、なんだかんだという世間様の讒謗に聊か辟易して、胸一杯に得体の知れない思いが痞え痞えしていたのも事実です。・・・・が、今の小雪さんの舞いを見ておりますと、何だそんなに気を張って生きなくてもいいのだ、心経の中にある「空即是色」とでもいうのでしょうか、兎も角、そんな世間様の謗讒なんかに気を張って生きなくてもいいのです。「自然のまっまでいいのだよ。あなたの思うままに生きたらいいのですよ」とでも云い聞かせてくれているようでもありました。あなたの舞を見て、今、本当に「あれでもよかったのだ」、と言う思いが、今、私のこの胸に強く行き来しています。今まで胸の内にわだかまりわだかまりして高まってきていたものが、急に、さっと千畳の谷底に蹴落とされるように消え去って、なんだか私の今までの生き方を嘲笑っているようにすら思えるのです」
 
 これは、小雪に云っているようでもありましたし、お須賀さんにも、林様にも云っているようでもありました。でも、小雪は、このお話を伺って、喜地様の強さというか、いや女という性の強さを母と比べながら、女って何だろうかなと小雪は一人で思うのでした。
 宿のお粂さんに追い立てられるようにして飛び出してきたものの、これから先のどうしようもない心細さに、わが身が押しつぶされそうになりながら辿ってきた今日という日の中のほんの一瞬の間の出来事が、今はなんだか嘘のように思われます。この鄙の宮内に来て、初めて、先ほど見たあの日差しのお山の中に落ちていく夕影の赤と青の残照があたり一面に広まっていくような何となく安堵した心地が、また、この喜智の言葉の中から小雪の胸の中に湧いてくるようにも思われました。

小雪物語ーげに花かづら色めくは春のしるしかや・・・・・

2012-05-23 10:40:29 | Weblog
 今宵は、季節も時間も場所も違っていますが、あの時の高雅さまが、胡蝶のように舞う小雪を見ながらお考えになっておいでたであろうそのお心の内を、大奥様、いや高雅さまのお母様に、是非、見ていただいて、高雅さまの鎮魂にいたしとうございます。小雪にも、まだ何にも話してはないのですが、きっと承諾してくれると思います。それによって、大奥様のその頑なまでの瘠我慢は、決して消えはしないとは思いますが、・・・是非ご覧願えればと思います。出来ることなら、輔雅さん夫婦にも、また、紀一郎さまにもと思っていたのですが、生憎と不在だという事で残念ですが致し方ありません。・・・・・小雪いいだろう、承知してくださいな」
 突然の林さまのこのお言葉に、いささか小雪は驚いていましたが、あの夜の高雅様、新之介様二人の鎮魂になるのでしたら、この一年近く、舞いからは、どこかへ置き忘れたかのように完全に離れているものの、まだそれを演じきるだけの勇気は小雪自身の体の中に残っているように思われるのでした。
 「音曲も何もない中で、いや、高雅さまが愛して止まなかったあの日差しのお山に沈んで行った春の夕陽の残照を背に、お山の七化けを背景に、それを音曲代わりにして一舞舞っていただきたいのじゃ。お須香さんにお願いがあります。今にも咲き出そうとしている桜の木の本にある石灯籠とその廊下とこの高雅さまの軸の前の三っ所だけに明かりをつけていただけませんか」
 林さまは、すーと光だけをあたりに散らばきながら山の端に沈んでいった日影をいとしむように、日差しのお山に目をおやりながら、相も変わらずゆっくりとしたことばで話しかけておたれます。
 「林さま、今、あてには扇もなんにもあらしまへん。衣装も、普段着のこんなお粗末なものですさかい、舞になるかどうかも分りまへんどす。でも、そんなもん、どうでもようおす。音曲もいりはらしまへん。あのお山に落ちていった大きゅう大きゅうおなりにならはりましたお日さんに負けんようにと踊らせていただきます。それから大奥様、高雅さま、いや、大藤のだんなさんとはあんまりお話しことはなかったのどすが、うちの、いや、わたしの踊り見はって、大藤のだんなさんに『ありがとう』って言うていただきました。わての踊りで『ありがとう』て言っておくれたお方は、この大藤さまのだんなはんだけどす。そのだんな様のために、あの日見ていただいたわての踊りを、京ではない、だんなはんがお育ちのこの地で、小雪は、舞わさせてもらいます。あの日、わての舞が終わった時、ふっと小息をお洩らしになられ、うっすら目にお涙をお浮かべならはりました、だんな様のお姿を目の中に一杯に描きなが舞わさしてもらいます」
 林さまの注文なされた光も入りました。母の形見のこの小紋の羽織をひょいと肩にかけてきただけでもよかった。きっと母も応援してくれるだろうと思いながら、喜智様の前に丁寧に舞いのあいさつを深々として、これから舞う羽衣について語りかけるのでした。
 「ご存知でございましょう。あの美保の松原の天女の物語です。お能の舞いを、京の舞いにつくり変えたのだそうどす。全部は長ごうございます。羽衣を返していただいて舞いながら天上に帰り行く時の天女の舞いをごらん頂きます。では」
 三味も太鼓も、風の音すらありません。小雪は小さく己が口で間に合わせます。
 「春霞たなびきにけり久方の月の桂の花や咲く、げに花かづら色めくは春のしるしかや・・・・・」
 舞い進むにつれ、お喜智さまやお須香さんまでもが、小雪の影でしょうか、いや、小雪自身でしょうか、音もなく浮き立ち、舞い飛びしながら、消えたり、また、顕れたりしながら、次第次第に途方もなく深い闇の中をさまよっているのではないかとさえ思われるような舞い姿に引き込まれるのでした。そこにある総てのものが、形も色もない、いることさえもぼうとして得体のない虚しさみたいなものに包み込まれていくような気がします。小雪の舞の中に知らず知らずに引き込まれて行きました。
 外は紫と青の光が交差しながら次第に深々とした紫紺に変化していきます。石燈籠のかすかな光がその薄夕闇中に漂っています。廊下と部屋にある百目蝋燭でしょうか、舞う小雪の簸えす薄紫の小紋の羽織を流れる雲のように浮き立たせては流れていきます。
 空はまだ夕陽の残照に明るく打ちたなびいています。その残照が余計に小雪の動きを淡く幻のように映し出しています。
 お須香さんも、また、瞬き一つせず、小雪の動きに合わせる様に、よっくりと顔を右に左にと動かしながらじっと見つめています。どこか幽玄の世界にでも連れ込まれたように廊下にある蝋燭の光の側にかしこまっています。
 林さまは、例によって朴訥然として、移り行く日差しのお山の辺りでしょうかじっと目をしたままです。
 「富士の高嶺かすかになりて天つ御空の霞にまぎれて失せにけり・・・・・・」

 周りの山々は紫紺から七化けの最後の止めを突き刺すように漆黒のお山へと変わっていきました。その闇の中に、小雪もすっとあるかなきかのように消えていきました。
 ややあって、
 「ありがとうございました」
 と、京訛りをしずかに響かせて、小雪の舞いは終わました。

小雪物語ー心広くして体胖なり

2012-05-22 20:20:25 | Weblog
 「高雅さまは本当に何もかも一途なお人でした。この人だけは、瘠我慢をするということは、これまで一度もなかったようなご一生のように、人様からは見られていたようですが、どうでしたでしょうかね。やっぱりあちらこちらと多くのお人とやり取りされていると、どうしても自分だけで勝手に生きているわけにはいかず、じっと瘠我慢をして居る場面が、近頃は、特に、多くなっていたのではと思います・・・」
 と、膝にある備前のお茶碗をゆっくりとご自分の手の中でかき回されながら、
 「あの晩のことです。ご自分の遠大なご計画か何かは知らないのですが、何時もの高雅様とは随分と違う、随所に心せわしくお立ち振舞いなされたいたようにお見受けいたしました。琵琶湖の水運事業のご計画も、あまりはかばかしく進んでないようでした、資金面でのご苦労が大変なようにお見受けしました。失礼とは思いましたが、以前お聞きした、『富は屋を潤す』という方谷さまの言葉を拝借いたしまして『心広くして体胖なり』と独り言のように言ってみました。でも、それにはお答えされずに、高雅様は合いも変わらず無口のまま、お酒をさもうまそうにお呑みなっていらっしゃいました。・・・・
少々間が空いて、『ここにおります小雪の京舞でも見て、お心を和ませてください』と、お頼み申し上げました。高雅さまは、にこりとされて、ただ『見せていただきます』とおっしゃられて、前にあったお酒を大口に一気に飲み干されました。俄に遽しく歌舞の用意を設えたお座敷に音曲の姐さんも呼ばれ、小雪の「羽衣」という京の舞を見ていただきました。「小雪の舞は、母親譲りの名手だ、京一だと、私は勝手に思っております」と、そんなとりとめない話をしているうちに、小雪の用意も整い、三味の音とともに、この小雪の「羽衣」が始まります。・・・・高雅様は、それはそれは一心にじっと身動き一ツせず、小雪の舞いを眺めておられました。わたしは、いつも、この小雪の舞いを見ておりますと、その体の重さが、あたかも、突然に何処ともなく散り去って、あるかないかのような、軽くてしなやかな体の動きに見とれるのです。・・・天女の舞の如くに、あちららかと思えばこちらへと、己の意識外の世界に引き込まれたような感覚に陥らせてくれます。あの花から花へと飛び回る今の時節の胡蝶にも似て、大宇宙を果てにでも引きずり込んでしまうかのような不思議な瞬間を味あわせてくれすのです。そんな小雪の舞いに高雅さまもじっとご覧になられていました。どのくらい時が経ったでしょうか、そなん小雪の舞も終わります。
 『心広くして体胖なり』か、わずかに微笑が高雅さまの唇元に戻ってまいられました。『人はなかなか胖にはなれんものだのう。人は心をいくら広くしても、結局、その広さの中に納まる心が育たないからなのだ。人が人を理解することが出来ないからだ。自分の事しか見えない人が多すぎるということです。佐幕も尊王もない、人をして総ての人を容認する心が、伯父洪庵先生の受け売りですが、今の世の人達には、残念ながら欠如しているからたと思うのだが』と、これが私が聞いた高雅様の最期の言葉でした。そこには何か思いつめたような悲痛な叫びみたいなものは何一つなく、淡々とお話されていました。」

小雪物語ー女のやせ我慢

2012-05-20 11:03:41 | Weblog
 そこに須香はお茶を持って入ってきて、先ず、林さまの前に置きます。それから、どうしたわけか分からないのですが、小雪の前にも「どうぞ」といって置きます。そなん事には無頓着のように、林さまはお須賀の持ってきたお茶を、さも美味しそうに一口飲みます。そして、そのお茶碗を両の手にしたまま、お喜智様のほうをきっと見据えられたままで、
 「ちょっと変な事お尋ねしますがいいでしょうか。・・・奥様、いえ敢てお喜智様と申し上げます。高雅さまのご遺体はまだそのまま京にあるのでございますか。山田源兵衛さんが痛くご心配なさっているとか聞きましたが。どうして、この宮内にお連れもどされないのでございますか。私も痛く心配しておりのですが・・・これもひょっとして、失礼な言い方かもしれませんが、先程から申されておられます、奥様の瘠我慢なのでございますか・・・・・・」
 お喜智は下を向いたまで、
 「・・・・・そうかもしれませんね。・・・・・今は藤井家の人となったとはいえ、わたしは、あの高雅、いや、光次郎の母親です。しかし、此の度の事件で、ご迷惑をお掛けした多くの人に対して、方谷さまや板倉のお殿様、又、林さまなどの沢山の豪商の方々、その他の名前すら知らない多くの世間様に対してどうお詫びをしたらいいのでしょう。小雪さんではないのですが、わたしとて、できればすぐに死んででも、光治郎がご迷惑をお掛けした人たちに対して、お詫びをしとうございます。・・・・また、・・・・私も母親です。光治郎の遺骸をすぐにでも此処に引き取り、ああ苦しかっただろうね、と、しっかりとこの胸に抱きしめてやりたいのはやまやまです。・・・・・・・・・・・・・」
 一筋の泪がお喜智の頬を伝わります。
 「でも、それではあまりにもわたしの身勝手になりはしないでしょうか。世間知らずの恥知らずの女になり下がってしまうのではないでしょうか。・・・・女は家をしっかりと世間様から笑われないよう護って行かなくてはならないと、それこそ父や母から幾度となく教わってまいりました。それを護っていくのが私の、「なんだ堀家は」と言われないようにしっかりと護っていくのが私の勤めだとも思っています。・・・・冷たい女だ、やれ非情の女だ、中には鬼だなどと、面と向かって卑下され侮られたこともありました。多くの世間様が影でそんあ噂しているのも、よ~く知っております。・・・・・・・・でも、これが私の女としての、いや、堀家の女として、どんな事をしても頑なに絶対に護っていかなくてはならない道だと信じています。それが私の世間様に顔向け出来る今出来る唯だ一つの道だとも思っています。・・・・・・・・・これって私の瘠我慢でしょうか?・・痩せ我慢って随分と悲しいものですね。ねえ林様・・・」
 最後のほうは、喜智自身に言い聞かせているような、何処までもゆっくりと、終始、じっと伏せ目がちに話しています。
 「ねえ林様」とおっしゃられて、ようやくお顔を上げられ、林さまを注視なさいました。
 もうそこにはいつもの凛々しい喜智に戻っていました。
 ちょうど春の夕日が日差しのお山に隠れ、時とともに辺りの山々は薄紫から群青に変わろうとしております。
 「ああ、これがあの高雅様のおっしゃられていた、お山の七化けの始まりでしょうか」
 と、小雪は、この喜智の凛々しいお姿の遠く向こうに佇むお山を見ながら、その吉備の暮れなずむお山の景色が、「やせ我慢は悲しいものですね」というお喜知の言葉を飲みこんでしまったのではないかと思えるのです。

小雪物語―やせ我慢

2012-05-19 10:07:09 | Weblog
 「おほほ、小雪さんの瘠我慢ですか。いや、女の瘠がまんですか」
 喜智さまは、沈み行く夕陽の方にちらりと目をおやりになって、また、ゆっくりとややうつむき加減に、お話しを続けられました。
 「ひょっとしたら女が生きていくということは、今、小雪さんが言ったように、男さんには分らない瘠我慢の連続かもしれませんね。みんなに小さい時分から、我慢しろ、我慢しろと、それが女の唯一の歩む道であるかのように教えられきました。特に、私は武士の娘として父からも母から、常に、「顔色言葉使いも慇懃にへりくだり和順なるべし不忍にして不順なるべからず、奢りて無礼なるべからず、また、心遣いしてその身を堅く慎み護るべし」などと、教えられて育ちました。そのように女は女ゆえに、本当にそんな瘠我慢をしなくてはならないものなのでしょうかね。何もかもほっぽらかして男さんのように奔放な暮らしをしてはいけないものでしょうか。・・・・あらいやだ、林さまが男の人だということをすっかり忘れて身勝手なお話をしました。本当に失礼しました。」
 「あははははは」
 と、林さまは大笑いされたまま、何もおっしゃいません。

 「あらまあ、今日はどうかしていますよ、なにもかも変でごめんなさい。林さまのお酒がすっかりお冷めになっているのにも気が付かないなんて。須香さん熱いのと取り替えてきておくれかい。なにか肴も温かいもの、適当に見繕って頼むわね」
 「いやいやお酒はもうこれぐらいで私には丁度いいのです。もう結構です。それよりお茶でも、お須香さんとやら、一杯所望しますかね。」
 「はい」といってお須香さんがさっと腰を上げ,夕陽の廊下に出て行かれました。しばらく,林さまもお喜智さまも、お須香さんが立ち去った廊下の向こうの真っ赤な夕焼けが一杯に広がる日差しのお山の空を眺められておられるのでした。
 「でも考えてみたら、男にだって瘠我慢の連続みたいなもんです。案外、女だの男だのと言ってはいられない、此の世で暮らしている人みんな、男も女も持って生きていかなければならないものではないかと思います。将軍さまでも、この度の京での戦では随分と瘠我慢なさったように聞いております。」
 「やせ我慢ですって。この度の京での戦は、将軍様が臆病風を吹かせ,戦いが始まらない内から勝手に一人でさっさと船で江戸まで逃げ帰った卑怯者だと、宮内辺りではしきりに噂し合っておりました。それを私は聞いていたのですが。やっぱりあれも将軍様の瘠我慢だったのですかね。洪庵殿からの便りによると、大変聡明な将軍様だと聞かされていましたが」
 「瘠我慢だったのか臆病な卑怯者だったのかは、私にもはっきりとは分りかねますが、何らかのお覚悟は、将軍慶喜さまの心の奥底にも秘められて居られたのではと推測しております。今の時代を、しっかりと、とらえている人達が将軍様の周りにもたくさんおられると聞いておりますから、決して臆病風が吹いたなどとは私には考えにくいのですがね。でも、この度の高雅さまの事は、この徳川さまのなさりようと、些かかかわりがあったのではと思っております。「この卑怯者」と、世間さまからしきりに揶揄されている将軍様の今回のなさりように対して、尊王攘夷の人達はその怒りを佐幕派と見られた人に対して、狂ったよう向けられ、多くの悲惨な事件がそれを契機に頻発しております。その一つが高雅さまのあの事件につながったのではないかと、私は見ております」
 

小雪物語-真ん円なお月はん

2012-05-18 20:35:35 | Weblog
 喜智さまは唇をきっと結ばれて、我が子の最期がどうであったか、それだけでも母親として、ぜひとも知っておきたいものだとお思いになられたのでしょうか、静かに目を瞑られておられます。
 暫らく沈黙がその場に流れます。ややあって、林さまは
 「あの場にいたのは小雪だけなのだ。もっと詳しくあの場の状況を奥様にお話ししなさい」
 と。そんな林さまのお言葉に小雪は思いつめたように、深い吐息を一つしてから、また、話を始めるのでした。
 「文月の十六日の月でしょうか、真ん円なお月さんが、だるそうに京の町並みの上に西にやや傾いて優しく懸かっていらはりました。柳も、向こうの家の塀も、川に架けられた石橋も、小さなお地蔵さんの丸い頭も赤い涎掛けも、何もかもがそのお月さんに照らされて、それらが朧に京の闇の中に、ぼんやりと浮かび上がっていました。大藤の旦那はんが口にされていた端唄か何かをぽつんと、お止めはりまして,天心にある真ん円なお月はんを見ながらでしゃろか、右横をお歩きになっていらはりました新之介さまに『宮内の月は・・・』とか何か言われたと思います。その時です。川端柳の木陰の闇から突然、幾筋かの真っ白い光の線が入り混じりしながら、先ず大藤様に、『天誅』とか何かわめかれながら、矢に無に舞いかかはりました。同時だったと思います、別の数本の光りは新之助さまにも舞い飛び、お二人のお姿が、本当にあっという間に闇の中にお消えにならはりました。多分、賊は2,3いや4,5人いや10人はいたように思えましたが。その中の幾人かは、『こいつも』とか何とか言いながら、今度は、私に、その光りの筋が向かって来たように覚えています。わたしはその場に、ただ腰が抜けたようにお尻からへたり込んでしまいました。どうしようもなく怖くて怖くてたまりまへん。必死に、本当に必死で後ろへ後ろへといざよりさがりました。その時です。誰か男の人の、『人殺し』とか、兎に角、ものすごく大きな声が辺りに響きました。その声に驚ろかれたのでしゃろ、私に向けられた光りの線が、何か大声と一緒に、向こうの石橋を足速に通り過ぎ、闇の中に消えていかはりました。それから幾度となく此の夜のことが私の夢の中に、今でも出てきます。あの万五郎親分さんのお陰であることは分っておりますのどすが、・・・・あの夜、いっそ大藤さま、新之助さまと、ご一緒にあの世とやらへお連れ頂いたほうがよかったのではと考えることもありますのどす。今、私がこのように生きているとは何なんでしゃろか。私だけがこうやって、大藤さまや新之助さまのお里で温く温くと生きのびていてもええのどすやろか。何とっても辛いように思えます。「恥知らずめ」と言われそうで、この頃いつも、とっても恥ずかしい気分で生きておるのどす。・・・・・・うかれめだとか、あそびめだとか、見ず転芸者だとか、まっとうな人ではないように蔑まれながら尚も生き伸びなくてはならんのでしゃろか。それでも死なれずに、このように生きていることは、それは私の勝手な瘠我慢ではないのでしゃろか。・・・・・考えてみますと、おなご一人が生きるということがこれほどまでに苦しいのかと、この宮内に来てから始めて味わいました。私一人が本当にこうして生きていてもええのどすやろか。あの時新之助様とご一緒に冥途とやらに連れて行ってもらった方が良かったのではないかと・・・」

小雪物語―あの夜に

2012-05-17 20:16:50 | Weblog
  そんな林様のお話に、小雪はあの悪夢のような決して思い出したくない一瞬が蘇ってきます。

 「はい。そうでした」
 「人さまには絶対に云いうな」と万五郎さんには云われていたのですが、例えようもない、ほんの一瞬に、自分の目の前に繰り広げられていったあの夜の悲惨な事件を小雪は静かに誰に云うということもなく語り始めました。そうすることが、この部屋に漂う何かしら怪しげな雰囲気を消すことになるのではと考えたからです。
 
 「お酒がお入いりになったのかもしれませんが、さも心持よさそうに京の生温かい夏の夜風を体一杯に受けながら、今、お江戸で流行っているのだと聞いた端唄でしょうか、口元に覗かせながら、高雅さまは新之介様と並ばれるようにして歩んでおいででした。そのお二人の後を私はついて参いりました。
 お宿を出て、どのくらい時間が経っていたのか分かりませんが、ほんのわずかだったと思われますが、その途端どす。『天誅』とか何か叫び声が聞こえたように思えました。稲光のような光りが、闇を突いて、突然、道の両方から舞い下りました。薄暗い夜の光の中に、「ざーっ」と言う音と共に、真っ赤な土砂降りのように降る注ぐ血でしょうか、私の目の前に、突然に、一杯に沸き立つのが見えました。それが何を意味しているのか私には咄嗟には判断が付きません。・・・・それが高雅さまと新之助さまが歩るいておいでの姿を、わてが見た最後どす。あれほど『私が高雅先生を、この刀で護るのだ』と、自信たっぷりに、お刀を叩き叩きしながらおっしゃっていた新之介様までも、そのお刀を抜く暇さへないように、その場で、切り殺されてしまはりました。
 後はあまり覚えておりまへん。何か「こっちへ、はやぅ」とかなんとかいうお言葉について、ぐいぐいと手をきつう引っ張られるようして、何処をどう歩いたのかも分りまへんが、しばらくして、気が付いてみたら、林さまのお部屋の前に、万五郎さんに抱きかかえられるようにして連れてこられておりました。
 何が何だか分りまへん。『お前の命が、今、危ないのだ。小雪、この万五郎さんに後は任せろ。逃げるのだ』と林様の性急なお言葉どす。その万五郎さんと兎に角この宮内まで逃げ果せたのどす」
 大きく息を一息入れて、小雪は、又話を続けるのでした。

 「万五郎さんに連れられて、兎に角、この宮内まで落ち伸びてまいりました。この宮内でも、その事件についての噂が、その内ぼちぼち人さまのお口に上ってまいります。・・・・あのお宮の高雅さまのお首が京の三条大橋の袂に吊るされてあったとか、こんな宮内にまでも、そのお噂が伝わり、その話で持ちきりのようどした・・・・・。 これも後からお聞きしたのどすが、丁度、高雅さま達とわてが泉屋をでようとした時分どす、万五郎親分も、京でのお仕事が一段落したとかで、昨日、船の中で、林さまから聞かされていた高雅さまについてのお噂が、えろう気になったものですから泉屋に林さまを尋ねようとされていたた先の出来事だったそうです。すんでのところ、わてまでも殺されようしていたのどすが、とっさの親分さんの機転によって、どうにか、命だけはお助け頂いただきました。後は林さまがどうにかしてくれはるということで、すぐさまその足で、夜を徹して、この宮内まで、連れて来てもろうたのでございます」
 これだけ、どうにか落ち着いてあの夜のことをお話しすることが出来ました。こんなにも、ゆっくりと一語一語に心を込めて人様に、自分のお話をしたことなど、今までなかったことです。
 そうお話した後で、何とはなしにお須賀さんの顔が突然に小雪の顔の中に飛び込んできます。その顔は、その時、急に、変にゆがんで、何か苦痛にでも耐えしのんでいるかのようにも思われました。そんな小雪の思いも無視するように
 「ああ、そうだったな。あの時は、あまりにも突然だったものですから、咄嗟に、せめて小雪だけでも、この場から、絶対に助ねばという思いにかられ、それを万五郎さんに頼んだのです。 ・・・でも、よく生き伸びてくれたと、喜んでいます。と云うのは、その場の様子を、直に、一番身近で見ていた小雪に、その時の高雅さま様子を、お母様であるお喜智様に話してもらうことが、私のできるお喜智さまへのご御恩に報いるものだと考えたからです」
 林さまはお話になられます。

5・15事件を歩くー2

2012-05-16 20:15:42 | Weblog
 我が家の5・15事件記念日を済ませて、犬養木堂の慰霊祭を取り行っている近くの吉備津神社と庭瀬にある木堂の墓地と生家とその記念館をそぼ降る5月雨の中を、自転車を走らせます。

 先ず、朝倉文夫の木堂の銅像が立っている吉備津神社の駐車場に行きます。慰霊祭は2時からだと云うことで若い神職さんが二人でその準備に追われていました。



仕方がありません。「オオガハス」の大賀博士の生家の前を通り、更に、新幹線の下をくぐり、いよいよ木堂の墓地に着きます。11時過ぎでしたがもう80回目の法要は済み、お墓に参られる一般の人の為にお線香の用意などして、地元の人達が御集りになっておられました。その墓に線香をお供えして、、すぐ隣にある生家に足を運びます。
 
 生家では、例年の通り、やはり大勢の人が訪れて木堂を偲んでいまいた。お琴や尺八による邦楽の音色が緑の小雨の中を静かに流れています。お庭でその演奏にしばらく耳を傾けて、玄関を通り屋敷内に入ります、奥の間の邦楽の音色と畳の間に生けてある生花が古い家の中でほど良くマッチして誠に優雅な雰囲気を作りだしておりました。その生け花の次の間は囲炉裏の間です。そこに敷かれた円座が周りの障子と調和して、今では、決して、味わうことのできない古い民家の趣を漂わせています。そこを出た離れ家では、縁側でお抹茶のもてなしも受けることができました。
     

 それから何となく後ろ髪を引かれる思いになりながら、次の記念館に向かいます。此処にも木堂の沢山の遺墨が展示されてある面白く見学しました。

 例年の通りのとっても静かな優雅な「私の1・15事件を歩く」でした。

5・15事件を歩いてみました

2012-05-15 09:31:17 | Weblog
 小雪物語はちょっとおいといて????というわけではありませんが、昨日、今日の分まで書いておきましたから、その代わりと云っては何ですが、今日は5月15日です。吉備の生んだ偉人あの「犬養毅」の暗殺された日です。ちょうど今日がその80周年の記念日なのです。そんなこともあって、この木堂の吉備を少々歩いてみましたので見てください。

 先ずは、5・15事件を報道した朝日新聞の一面です。

 この記事を読みながら私の持っている5・15事件関連のグッズもご覧ください。

   

 初めは木堂の書の掛け軸です。“心静則衆事不躁<”と書かれています。(このリンクをクリックしてください)
 次は、77歳の、既に、とっくに政界から身を引いていた木堂を、再び、政界に引きずり出さずにはおれなくなった、あの「満州事変」の突発時に、昭和6年9月19日ですが、満州南嶺の戦闘で使った日本軍が使用した砲弾です。大変珍しい私の自慢できる品の一つです。
 3番目は本です。これまた有名な「リットンレポート」です。やや日本ビイキみたいな箇所もこの報告書には書いてあります。更に、この報告書の後ろに展示してある写真は、満州事変が勃発した時の一番初めに中国軍と日本軍が始めて戦いを交えた場所です。相当な激戦地の写真です。あの有名な南領での戦いです。その時、日本の戦闘機が写した空からの中国兵営の写真です(「新満州国と満州上海大事変史」より)


 なお、色紙に書かれた「慈悲」という揮毫は、木堂の暗殺される直近の書です。これも又相当珍しいものです。なお、ここに書かれている「慈悲」という言葉も、又、木堂が大変に愛していた言葉だそうです。見方に依れば、これも死の直前に云った「話せば分かる」の原典かもしれませんね。
 

 このような物を並べて、毎年、「私の5・15事件記念日」として、木堂の御冥福を改めてお祈りしています。

 それから、外はあいにくの小雨でしたが。「5・15事件を歩く」と云うタイトルですので、自転車を繰って、木堂の慰霊祭が催されている吉備津神社と木堂の墓地、生家、祈念館のある庭瀬川入にも足を覗けてみました。それについては、また、明日に。