私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備津神社夏祭り

2008-07-31 21:47:02 | Weblog
 吉備津神社の広場から聞こえていた宮内おどり音頭の音も止み、真っ暗な闇の中に薄ぼんやりと吉備の中山の姿がほんの少し夕明かりを残している空に描き出されています。
 今宵は吉備津様の夏祭りです。わくぐりさまです。大勢の近隣の人々がお参りに来ていました。
 このお祭りを毎年盛り上げているのが、宮内おどりです。哀愁を帯びたゆったりとした曲が夕闇迫る吉備津の空に流れ、保存会の人が中心となって踊りの輪が繰り広げられています。窓の向こうから流れ来るこの曲は、聞く者をして、いつも何処か古い時代の、それは母の胎内にいた時分かも知れません、そんな時代にかすかに、いや、きっと何処かで聴いたような思いに駆らされずにはいません。郷愁の思いと言うのとは又違った祖先からの響きとでも言った方がいいような懐かしさが胸に迫るように思われます。
 この宮内おどりは、現在、岡山県の三大盆踊りとして無形文化財に指定されています。
 お江戸の宝暦の頃(1750年ごろ)この踊りの振り付けは浪速千両役者三枡大五郎と言う人が芸者踊り(お座敷踊り)として創られたと言う事です。その踊りが後に、盆踊りとして一般大衆に踊られるようになったといわれています。
 現代流に言うと、何処の踊りよりも品格のある奥底深い盆踊りとなっています。
 ・・・花を咲かせて万々歳と 千代や八千代の玉つばき 細谷川の末永く 語り伝えるうれしさよ・・
 と、今夜も中山にこだましています。三枡が振付けた当時の歌は今では残ってないと言われています。しかし哀愁を帯びたその音頭だけは、今も、熱よく息付いていて吉備津の人々の共感を駆っているということは確かです。
 そんな歴史をを知るかしらでかは分らないのですが、大勢の老若男女が今日も無心に踊りの輪に加わっていました。
 

おせん 88  刺し違える

2008-07-30 16:38:55 | Weblog
 「おせんさんには、今内緒で大旦那様とお会いしたいのですが、そんなことできるでしょうか」
 「だったら、ここでしばらく待っていてくれ」と、言い残して、平蔵は早足でお店の中に入っていきます。やや暫らくして、大旦那様に続いて平蔵がでてきます。
 「立ち話しもできんさかい、どこかちょっと」と言われて、そのまま二町ばかり通りを進まれ、とある一軒の小料理屋に三人で入っていきます。
 そこで、今日「松の葉」の女将からおせんが聞いた話の経緯をつぶさに話します。
 「そうか、おせんは聞いたか。・・・・・余り驚いた様子も見せへんかったか。心配せんでよかったか」
 「はい。それで帰りにはぶそんまで寄り道しいはって、こんな羊羹を買って、私にまでお土産に頂きました。おせんさん、強ようなられました。銀児と言う名前を聞かれた時はきっと唇をかみ締められ、淋しそうなお顔をしておられたようでした。・・・でも、いくら強よくなられたといっても、一旦思いつめた乙女の心がそんなに簡単には癒えるものでしょうか。胸の奥にはどうしようもない腹立たしさがあるのではないでしょうか、ただ心の奥底にしまいこんでしまって。・・・・・よくは分らないのですが、おせんさんの恋はそんなに薄っぺらな、ただのお遊びではなかったはずです。真剣に政之輔さまというお方を一途に、この人をと思いつめていたのだと思います。だから、機会があるなら中野とか言うお役人は兎も角として、こんな事大旦那様の前では言いとうはないのですが、銀児とやらの目明しだけとでも刺し違えてもと言う思いがおせんさんにはあるのではないかと思えました。・・・・余りにも静かにおゆきさん、はい、松の葉の女将のお名前です、その人がお話しするのを表情一つ変えないでじっと聞いていたおせんさんを見ていると、そんなことを、ご自分の心の中に抱いたのではないかとも、間違っていればいいのですが、私には思えました。でも、今すぐはには、どうしようもない事はおせんさんに一番よく分っていると思いますが。だから、心の中はきっと怒りに煮えくりかえっていると思います。余りにもじっと目を凝らして静かに聞いておられたからよけいに、私にはそんな風に映りました・・・・・このままおせんさんをほっておくことは出来ないと思います。何か手を打っておかないと、とんでもないことになるかもしれないと心配になったものですから。大旦那様にご相談をと思ったのです。心配ごとが心配事で済めばいいのですが」
 それだけ言うと、お園は精も根も尽き果てたように、ふっと大きなため息を肩を落します。
 「そうか、そんなことがおましたか。よく知らせてくれはったな。お礼言います。お園さん。・・・・どうしようにも・・・よう考えて見ますが。どうすればいいのやろ。おせんがなあー。でも、どうにかせなあかん。どうにかせな」

おせん 87 羊羹3つ

2008-07-29 09:53:20 | Weblog
 ぶそんでおせんは羊羹を3っつも買い、「これ平蔵さんと食べて」と言ってから、あの真夏の夕立の宋源寺の山門にちらりと目をやり、無言で、また、ちょっと目を伏せるようにしながら通り抜けていきます。今日はあれから二度目の山門の前でしたが、おせんの今度の歩みの方がなんとなく今までには感じられなかったどことなく軽やかさのある歩きではないかとお園のには思えました。その足取りを眺めていますと、年の差こそあれ、やっぱり大旦那様が乗り移られたのではないかと思われるような足取りです。
 「そうだ。今、おせんさんは政之輔様の死をどうにか心に受け止められ、それに自分が絶えるように懸命にご自分と戦っておられるのだ。これだったら、大旦那様からもう一度あのにくったらしい銀児とかいう親分の話もしてもらったほうがいいのではないのか。それも出来るだけ早い方が。諦めているとはいえ、例え同じことであっても、一人の人から聞くより二人から聞くほうが、心に受ける痛みが軟らかくなるのでは。大旦那様に帰ったら早速知らせて見ましょう」
 と、大旦那様と見紛うようなその足取りを見ながらお園は思います。
 「平蔵さんを呼ぶさかい、お茶でも一緒に」という、おせんと分かれて我家に向かいます。お店の角を曲った所で偶然に平蔵に出くわしました。
 「ああ。今お帰りか。ご苦労さんでした。どないやった」
 「丁度よかった。ここで立場話はげきしまへん。ちょっとお願いがあるのです。何処かいいところない。本当にわたしはついているは。こんな所で私の旦那ンさんに会えるなんて。やっぱし吉備津さんが守ってくれているのやわ」
 こんなところにと思われるような街中ですが、小さな道祖神をお祭りしている祠が立っています。真っ赤なこれも小さな鳥居の下を通ります。
 「話は後でするから。今から直ぐにでも大旦那様にお会いたいのです。なんとかならないかしら。おせんさんのことで至急にです。たのんますわ」
 「帰ってみなくては分らんが、早ようか。今お店におられるかどうかは分らんが、兎に角帰ってみよう。話はそれからじゃ」
 と、平蔵とお園は駆けるようにお店にとって返します。
 胸に抱いているお土産に頂いた羊羹もお園と踊っています。

おせん 86   悪い人いい人

2008-07-28 11:55:08 | Weblog
 松の葉で、おゆきの特別な計らいで食事を済ませてから「何時でもちょくちょく寄ってや」の声に送られるようにして外にでます。
 食事している時からお園はずっと考えていました。大旦那様に今日のことどう告げようかと。あれほど心配して、平蔵たちによって明らかになった政之輔殺しの真犯人をお園と自分の心の中にだけ納めて、おせんの心を慮って、何も言わずに黙って今まで隠しとおしてきていたのです。それなのに、松の葉の女将さんの口から、おせんは、今日、突然何の前触れなしに、あっさりと聞かされてしまったのです。それでよかったのかどうか。もし、このことをお聞きになられたら大旦那さまはどう思われるのかしら。「この愚か者目が」とお怒りになられるやも知れません。「どうすればいいのかしら」と。そればかりが食事の時から気になって、うなぎの味どころではありませんでした。
 今、お園の横を歩いているおせんの歩みを見るに、前にも増して、さほどの心の痛みを覚えているようにも見えず、真正面を見据えてどんどんと歩いています。短い間に沢山の苦しさを味わってきたおせんだからこそ出来る、どうしようもないあきらめにも似た苦渋な思いなのかもしれません。
 「ちょっと寄り道して、ぶそんの羊羹買うてかえりまひょか。お園さん。歩きながらこんなこと言うの、どうかしとるのやと思うかも知れまへんけど。おゆきさんにしてもみんなええ人と思いまねん。あての周りにはええ人ばっかりいてはって、皆してわてを守ってくれていますのや。ありがたいことどす。感謝セナあかんとおもうとりますねん。おじいさまにもおっかさんにも皆なに。勿論、お園さんもどす。女将さんが言ははったように、ぎょうさんな悪いお人がいっぱいいてはるのに、どうしてわての周りにはええ人ばかりがいてはるのやろか」
 そんなおせんお話を聞きながら道すがらお園は考えました。
 今、どんな思いでこの道を歩いているのかおせんの本当の心はお園には推し量る事は出来ないのですが、まだ政之輔様が殺されたと聞いて余り時間経っていないにも拘らずこれだけきちんと言われるおせんに、お園は感心しています。
 「女将さんからおせんさん聞かせてもらってよかったのかな。それのしても、なんて心の強いお方でしょう。おせんさんに限って、女が損んだなんて当てはまらないのでは。わたしだったらどうなっているのだろう」
 漸く秋風の立つのが見える街をしっかりと歩いて帰ります。 

おせん 85 琵琶湖のうなぎ

2008-07-27 13:07:38 | Weblog
 「お園さんとやら。近頃は、何かへんてこな世の中になってきておますな。弱いお人や女だけがいつも泣かされる世の中ってなってしまっているようじゃおまへんか。まともじゃおへん。苦しゅうても真っ当になんとか生きておいでのお人が笑って暮らせる世の中が、ほんまもんの世の中というもんとちがいまやろか・・・お偉いお人がなさはる事はようはわかりしまへんねんけど、刀差しておいでのお人だけが偉いのと違いますねん。刀でなんもかんも言う事を聞かすことはできしまへんねんけど。近頃は、その刀で人のお命までとってしもうとりますねん。えらい世の中ですは。これからどうなるのか分りしまへんえんけど・・・・でも、おせんさんと、また、こうしてお会い出来しましたのが、うれしゅうおす。死ぬほど悲しゅうても生きていきまひょ。おせんさん。死んでしもうたらおしまいどす。これはふくろうの大先生がいつも言ははることの押し売りでおますねんけど・・・・・・なんか、昨日まで、なんかしらへんねんけど、胸の内がこうもやもやしていたのどすが、今、おせんさんたちに、わけの分らん事を思いっきりはきだしてしもうたら、どうしたのか分りしまへんねんけど、なんかすーと体まで、こんな大きな達磨さんの体が、軽るウなったようでおます。あ、そうそうついうっかり忘れてしもうとりましたねん。昨日、琵琶湖で取れ取れのうまいうなぎが入りましてン。それをおせんさんにと思うておりましたのに。わても頂きますわ。こう軽るうなったんですさかい。わてのからだも元に戻しまへんと。・・・一緒に食べさせていたもらいまひょ」
 立ち上がり板場の方に向かいます。
 「おせんさんのことを特別に、あないに気にかけていてくれたのですね。政之輔様のうなぎでしょう。それをおせんさん一人にだけ食べさせるのですから、よっぽど何か特別な思いがあるのではと思いました。・・・・生きていきまひょと、言われた時のあの女将さんのおせんさんを見る目にはいっぱいに涙がが光っていました。死んだらいけん死んだらいけんと言われているみたいでした。そうでなかったら、ここにあの思い出のうなぎなんて、おせんさんが可哀想で出せっこありません。それを、敢て特別に用意したということは、政之輔様の死というこれ以上も以下もないあせんさんだけの悲しさを、おせんさんにどうしても早く乗り切って貰らおうと思って、女将さんがうった大芝居ではないかと思います。・・・辛くても食べてあげてください。おせんさんにも分っているはずだと思いますが。出す方も出される方も悲しさで胸が張り裂けんばかりの辛い事だと思いますが。・・・乗り越えるために。おせんさんのためにも。女将さんも、口にこそはお出しにはなられませんでしたが、おせんさんと同じぐらい辛い気持ちになられたのではないでしょうか。政之輔様の死をおせんさんに、まず、知らせたのですもの。・・・今度の事で誰もが、みんな一生懸命の思いがあるのです。何時どんな風にと女将さんも一生懸命に考えていたと思います。そのきっかけを琵琶湖のうなぎにしたのだと思います。よくお一人で考えられた事だと思います。・・・・私も、余り好物ではありませんが、是非、ありがたく頂かせてもらいます」
 

私の小さな美術館ー浮世絵展

2008-07-26 11:06:55 | Weblog
 今、岡山県立美術館では浮世絵展(千葉市美術館所蔵)が開かれています。素晴しい数々の江戸の文化の華ー浮世絵ーに触れ、当時の人々の幅広い教養に驚きもしました。
 その感動を我家にもと、私の所蔵している浮世絵を並べて、小さな小さな「吉備津さやけさ美術館」を開いてみました。
 歌麿(昭和時代の作品)、春信と勝川春扇(江戸期の作品)とこれは絵画ではないのですが少々痛んではいますが北斎漫画(江戸期:第9編)を並べてみました。
 昨日今日と岡山でも37度と体温以上の暑い日が続いて、心も体もバテててはいますが。この美術館を開いて私の夏の消暑法にしています。
 写真では暑さは吹っ飛んでは行かないと思いますが、私の涼しい気持ちだけでもお中元の代わりにお届けします。
   どうぞ、いつでもお遊びにお出でください


       


   

おせん 84 十年も前の話

2008-07-25 08:39:03 | Weblog
 「是非とも」、と、強く言いきったおせんの顔は、どうしようもない胸が張り裂けんばかりの辛さを絶えてきた者にしか分らない普段顔の中に、凛とした、例え何を聞いたとしても、決してそんなものぐらいには今は負けはしないという、でんとした気迫さえ漂うっているようにお園には思われました。
 「強ようなられましたな。おせんさん。どんなことがおましても、これからはきっと強く生きていけます」と、松の葉の女将とのやり取りの中から、お園は安堵の胸をなでおろします。
 女将がおせんの方をきちんと真向かって話し出されます。
 「今、途方もない大きな大きな渦が大坂にも押し寄せていて、ふくろう先生が、その波を諸にお被りにならはったのどす」
 あの時に、おせんがここで政之輔から聞いた話です。
 「どんな渦かはしりまへんけんど。大ふくろう先生は、もう10年もなるのと違いますやろか。あの大塩先生が食うに困っている人を助けようとなされて打ちこわしを起され、大坂の街が大騒ぎしかことがおましたな。あれがどうも大きなこの渦の起こりの始ではないかと言われますねん」
 女将は身動き一つしないでゆっくりと自分で自分にしっかりと言い聞かせているように話します。
 「それが、今、この国全体を包み込んでしまうくらいに、ものすごう大きゆなって動き出しそうになってきたのだそうどす。今度の事は、その打ち寄せる大波を防ごうとして、お江戸の将軍様たちや大坂城の人たちが、堤防の敷石の一つにふくろう先生たち数人を生贄にしてしまったのだそうどす。大先生も“何の力もない市中の有能な若者が闇雲に無残にも殺されてしもうた。これから貧しい人のために力になろうと思っていたのに。自分たちが今持っているの力を永久に保持しようとして無実の若者を、有無を言わせずに殺してしまうなんて、とんでもない腐った世の中になってしもうたもんだ”と憤慨しておられました。更に付け加えられて、その事件に関わって闇の中い葬り去られて若者はふくろう先生を入れて7,8人はいたと、言われていました。そんなにたくさんお人が殺されはったのです。その首謀者がお城の与力の中野憲次郎と言う人と銀児とか言う子分の岡っ引です。自分たちの都合がいいように無実の罪をでっち上げて犯人に仕立て、市中の人の見せしめにして、第二の大塩事件を事前に食い止めるよう画策したのではと言われていました。ようそんなことが平気でできしますなー。人を平気で有無を言わせずによう殺せますねん。恐ろしい世の中にったものでおますなー」
 話し終えてゆきも、何だかは分らないのですが、自分の胸の中にあるやりきれないような怒りみたいなものに押しつぶされているような、もやもやとしたものを胸の外に押し出すことは出来たのでしょうか、ぼーと放心しているよう様でもあり、お話終えてもまだ怒りが収まらないのか、ぶるぶると両手を震わせて、その顔まで赤らんでいるようでもありました。
 おせんは手を硬く握り締めたり、唇をじっとかみ締めたりしながらも、体だけは背筋をきちんと伸ばし、女将の話を一言一句逃さないように聞き入っていました。
 「どうしてやろ。そんなにあっさりと生きているお人を、罪も何にもないお人を殺せますのやろか。平気で往来を歩いていけるのでしゃろか。人一人殺してもなんとも思わんのでしゃろか。8人もの人を殺しておいて」
 遣りどころのない鬱憤をおせんも吐き捨てるように言うのでした。

おせん 83 再び松の葉に

2008-07-24 09:35:56 | Weblog
 「お園さん、わてに又一度付き合ってくれはらへんやろか。シシの肉は置いてあらしまへんけど、勝報寺さんの前にある松の葉と言うお店の女将はんから、「おいでまつ」というお手紙もろうてな。ぜひ、今度もお園さんについてきてもらいとうおますねん。どないでしゃろ」
 別に急ぐ用もなかったお園は、そのままおせんの松の葉にお供をします。「ちょっとお園さん借りわ、平どん」という。何時もでない、なんだか愛き愛きした声が表のほうから聞こえてきます。
 「辛いねんけど。・・・あの洗心洞箚記を預かったお店なのどす。随分と心をかけていただいておった所なのどす。そこの女将、おゆきはんといわはるのどす」
 あれほど大きな心の傷を負って部屋に籠りっきりおせんさんが、二度目ですが、こうして外を歩けるようになった事はお園も我ことのようにうれしく思いました。大旦那様もきっとと思いながら、松の葉におせんと肩をくっつけるようにして向かいます。
 松の葉の女将の驚きようだと言ったらありませんでした。
 「まようこそ、ようこそ」
 と、抱きかかえんばかりの招き入れようです。
 「心配しとりまたしねん。でも、ようお出でくださいました。顔色もようおますやんか。もう立ち直れへんのやないかと思うとりましたのやで。どうしてあげる事もできしまへん。そばからみているだけですやろ。わてもつろうおました。でも、こんなおせんさんのお元気なお姿を見ることができしました」
 「はい、女将さんまでにも心配かけてしもうて、かんにんどすえ」
 おせんが、ここで政之輔の死を聞いてから今日までのことを話します。女将さんもじっと聞き入っています、目には涙をいっぱいに溜めながら。でもおせんの目には涙はありませんでした。
 「秋口からうなぎに油が乗っております、土用とは、また違った美味しさがあります。召し上がってくださいな」
 と、並べます。
 「お園はんとやら、おせんさんのことよろしう頼みます。・・・・今日、おせんさんにこうして来ていただいたのは、この間、偶然、店で人様のしている政之輔さまの死に繋がる話を小耳に挟みましてんで、お耳に入れたらと・・・お話してもかましまへんやろか。大ふくろう先生には言っておいたのどすが」
 「はい、今更、お上のことゆえ、どうなる事でもないとは思いますねんが、聞かせてほしゅうおます。是非とも」
 
 

おせん 82 獣がいないおにぎり山

2008-07-23 17:24:13 | Weblog
 まあどうぞと、言いながらおせんは部屋に入ります。
 「祖父がお園さんと宮内に旅をせんかとしきりに言うのどすが、そんなことお園さんできはるの。第一平蔵さんがおるし」
 「里の義母が、この頃体の具合が余りよくないと言っているので親不孝ばっかりしているし、出来れば帰って見舞ってあげたらとは思っていますのですが、でもどうして」
 「なんでもお園さんとは話がとっくの昔についているようなこと言ってますねん。毬がころころと転げこんだという長い回廊とやらも、お園さんと平蔵さんを結びつけはったお竈殿も見とうおますのや。あても、そのおにぎり山とやらの中に、できればいっぺん吸い込まれてみとうおすねん。あの人が・・・・・。鬼もいるかもしれしまへんな」
 淋しそうに、必死に政之輔のことを忘れようとしているのか、庭の楓越しに空を見上げます。お園は
 「あのお山には鬼どころか兎、猪、鹿何もいません。蛇一匹も、勿論、蝮だって。だって吉備津様の御家来の方が、おにぎり山に殺して埋めて置いた何か途方もない大きなシシを穴から掘り出すと、死んでしまっていたと思っていたそのシシが向こうの名越山に逃げて言って以来、このおにぎり山には獣は何も住んではいないのだそうです。昔からの言い伝えですが。それ以来、この地では、獣の肉を食べるとおにぎり山の神の祟りがあるのだそうで、今でも誰も食べないのです。お江戸の名高い絵描さん、そうあれは確か司馬様とかも申されていたと思うのですが、うち、いえ立見屋へお泊りになったことがありました。その司馬様、お名前はなんと言われたのか忘れましたが、江戸でも名のあるお絵描さんだと言う事は確かです。父の話によりますと、ある時、その司馬様が、足守の殿様に呼ばれて足守のお山で狩りをしたのだそうです。その時、射止めた鹿を一頭頂き、うちで料理をしてもらおうと持ち帰ったそうですが、立見屋の料理人が誰も、おにぎり様のたたりがあるといって手も付けず、折角、頂いた鹿が一匹丸ごと台無しになったのだと、苦笑いをしていました。それぐらい、宮内だけではありません吉備津神社の近くに住んでいる人は誰でも獣の肉は決して食べないのです。料理すらしないのです」
 「まあ、猪の肉もどすか。そんな所もあるのどすか。一度案内してくれますか。お園さん。祖父は須磨明石にも連れて行ってやる。いい所だぞ。美保の松原とどっちがきれいじゃろうかと言うのどす。源氏物語という大昔に書かれた本に出ているのだそうどす」

おせん 81 浮世絵とおせん

2008-07-22 13:10:32 | Weblog
 次の日です。「一度訪ねてきてや」と言った大旦那様からの言葉が今朝から気になっていました。
 「訪ねて行ってもいいのかしら。大旦那様もああおっしゃられていらしたから行かないのもどうか」と思い、昼がちょっと過ぎた頃、勝手口の方からおせんに会いに顔を覗けて見ました。生憎とお店の方にでも出向いているのか、部屋は開け放たれて誰もいません。空っぽです。床には今までには見られなっかた、ようやく秋らしい色を見せている山を描いた掛け軸まで懸けてありました。書院の棚には御所車の置物でしょうか、きちんと置かれてあります。おせんの己の心の痛手を忘れるように懸命に生きようとしている心がそれらの部屋の中の有様から想像がつきます。 「よろしゅうおましたな。おせんさん」
 小さな声に出して誰もいない部屋に呼びかけました。お店に出ておられるのなら又でもいいわと、思いながら、一歩うしろ下がります。
 「あら、お園さん、何時から」
 千代さんです。
 「まあ、随分とお久しぶりどす。こいはんがえろう心配しておられたのどす。ちょっと待っておくれやす。今、呼んで来ますさかい」
 庭に並んでいる踏み石の上を千代は上手に飛ぶように駆けて行きます。
 庭の楓の木々の葉一枚ずつが、今のこの時にしか作り出せない紫の青を庭全体に映し出しています。そして、その青は、また、大地と一体となりながら、晩秋の赤でも、早春の青でもない、もう一つの己の青を誇示しながら、濃紺一色を庭全体に並べ立てるように輝かせています。空に向かって伸びている曲がりくねった幹すら緑に変えています。駆けていく千代の背中がその楓のいっぱいの青に押されているようでもありました。
 やがて、その青を掻き分けるようにしておせんも、又、こちらに早足で近づいて来ます。
 「又、ここにも浮世絵が」、お園が思います。
 「随分のご無沙汰どしたね。お園さん」
 もう涙声です。
 「もういっぺん、ぶそんの水羊羹と思っておったんどす。あれ以来どす。時々平蔵さんに聞いて、お園さんがお元気だと言う事は知っておましたのやが」
 「はい。長いことご無沙汰しておりました。おせんさんも、お元気だ、と聞いてましたので。何やかやと家のこともおまして。でも、お元気そうで、それにこんなにお綺麗ですもの」
 それから楓の間から流れ通る涼風が二人の鬢を揺らしながら、話を醇青に変えてしまうのではないかとすら思えるように花を咲かせます。当然の事ですが、政之輔のことはこれっぽちも出ません。


おせん 80  へいとうこそぼうず

2008-07-21 13:41:38 | Weblog
 「古くから開けていた土地でおますな。仰山な話がおますのやなあ。そうどすか、・・・そうそう真承さんとか言うお坊様が書いてくれはった、夕立がなんとかという色紙見てみとうおますな」
 「すいません。こちらにお嫁に来る時、宮内の家においてきましまったもんで、今、ここには・・・」
 「いやいや、その色紙をおせんにも見せたらどないなもんやろかと、ちょっと思たさかい。・・・そうどすか。偉いお坊さんもいてはるんですな、宮内には」
 「偉いお方なのでしょうか。あの辺りの人はみんなして、「へいとうくそぼうず」と言って馬鹿にしていますのに」
 「馬鹿にしておったか、そうかもしれへんな。そのお坊様は、何もないことが一番いいことだと言うことをよく知っておられたのじゃおまへんやろか。何もないことは、世の中のものが、人の心も何もかもが総て分るのだそうどす。欲が人をだめにする。その欲を捨てて何にも持たへんかったら、かえって総てが分るのだそうどす。わてみたいなぼんくらには到底分らしまへんけど。だから、その真承さんとか言わはるお坊様は偉いお人ではないでしゃろか。・・・出来たらいっぺんそのお坊様に会って、おせんのこと尋ねてみとおます。 お園さんが貰った色紙には、夕立がどうしたとか何が書いておましたかな」
 「はい。夕立が降る どかっと大きな石がある と、書いてありました」
 「そうどすか。ようわかりしまへんけど、・・・夕立が降る、どかっと大きな石どすか。どかっとがようおます。ええどすなあー・・・・大きな石、お園さんは、いいもの貰いましたな。石、それは、きっとお園さんのことだと思います。考えてみいな、夕立は、どこでも何時でも誰にもでも降りかかります。そんなもんにびくびくしたら外は歩けしまへん。人は生きてはいけません。どかっと構えて、お園さん、生きてくれなはれ、と呼びかけているのではおまへんやろか。・・・お園さん、そんなことぐらいのことにくよくよせずに、夕立に会ったようなものだ、大きく強く生きなられという励ましの言葉とちがうのやあらしまへんか。その色紙は。そう思いますねん」
 「そうでしたのでしょうか。私はそんなことが分りませんでした。あほなンは私のほうだったのですね。あほな坊さんと蔑んでいましたのに」
 「その真承と言うお坊様なら、おせんに何書いてくれはるでしょう。いっぺんおせんと吉備津さまに参りをしてみとうなった。向畑の山神様も少々気になりますねん。一度おせんを見舞うてくれはらしません。何かおせんがしきりお園さんに会いたと言っているらしいのどす」
 そう言うと、いつものように、
 「ほなごめんなさい、お邪魔してしもうて、平どんにしかられるわ。」
 と、すたこらお帰りになります。その何ともいえない人の心までをくすぐるような仕草に、自然にクスと柔らかな笑みが浮びます。遠ざかる大旦那様の後ろ姿を表戸の前で深々とお辞儀をしながら見送るお園でした。
 「私のだんな様、今日もまた遅いのと違いますやろか」
 くすっと首を縮めるながら奥に入ります。

おせん 79 吉備津のへいとうくそぼうず

2008-07-20 08:04:32 | Weblog
 「あの顔面はいけまへん。虫唾が沸くように思えますねん。蝮とはよくいったもんだ。もともと、親はあんな鬼みたいな顔には決して生んどりはしまへん。あの鬼みたいな顔は自分の数々の悪行が長い間にこしらえたものに違いおへん」
 「鬼ですか。ああ、蝮ですか。・・・・そう言えば、私の生まれた郷、宮内の近くにも蝮谷と呼ばれるがあります。そこに盲人塚と呼ばれている祠があります。太閤さんの高松城の水攻めの時に殺された明智方の間者と間違えられて無残に切り殺された盲人の塚だと言われています。その盲人の祟りが今でも時々出てきては道行く人々を、特に雨の日の夜なんかには出てきては、悩ますのだそうです。
 その祠に一人のお坊様が今でも住んでいます。何かわけの分らない言葉を並べては、これが本物の句だとか、言いふらしては、のんきに、ただ、その日を生ればそれでいいのだというふうに生きておいでです。乞食坊主と言われても、本人は至って平気なのだそうです。父とは気が合うようで、時々、家に来ては食事などして帰ることがあります。いつだったか、父も、“秋は今 真金吹く 吉備が踊っている”と、書いてもらったと言って大変自慢しておりました。私にも一枚位頂きました。福井から戻ってまいり、少々やけ気味になっていた時でした。父が頂いて帰ってきました。“夕立が降る どかっと大きな石がある”と、力強く、色紙に黒々と書いてありました。見ていると、書いている意味はようは分りませんが、なんだかいろんなことをあれこれと思うのが馬鹿らしいように思われました」
 「さすが山陽隋一の歓楽街だけあって、いろんな話やお人がおますのやなあ」
 「はい、絵描きの雲仙さんも真承さん、あの盲人塚のお坊様のお名前です。また、熊五郎親分のようなお人もぎょうさんおいでて、賑やか街です。・・・こんなお話を大旦那様にしてもしょうがないとは思いますが、私の里の昔話を聞いてくださりますか」
 ちょっと一息入れてお園は
 「その真承さんの蝮谷と山一つ隔てて備中の入り口に向畑と言うがあります。宮内の真向かいのです。山陽道沿いの吉備津様の参道をちょっと反対方向の山に上った所に、そこにも祠が2つ並んで立ています。向畑の人は山神様と呼んで大変大切に守っていますいます。・・・、蝮谷の盲人塚の真承さんに蝮の絵を描いて頂いて、その木札をこの山神様に一方にお供えすれば総て事が叶えられると言い伝わっています。宮内の遊女達の間でも大変に信仰されているのです。恨みつらみのある人を祟り殺すことも出来ると言い伝わっています。だからか、秋のお祭りの時は大勢の姐さん方が着飾ってお山の神さんにお参りしています、宮内の姐さん方の守り神でもあるのです。」 

おせん 78  あくぎん

2008-07-19 09:04:03 | Weblog
 一雨ごとに夏を追い遣って秋の気配が漸く辺りに漂ってまいります。あれから「一度おせんさんの所へ」と思っていたのですが、平蔵から、おせんは、近頃、外を出歩くと言う事はないのだが、帳面などへの簡単な物書きなどお店の手伝いをちょくちょくしていると、聞き知っていていていました。
 自分も通って来た道ですから分るのですが、なまじっか、おせんさんに、今、会わないでいた方が、自分から手伝っているお店の仕事に熱が入って、そのことでかえって、辛さを忘れる事が出来るのではないかとも思い、お園の方から敢て会わないようにしていたということも確かです。時は決して辛さを解き放ってくれるものではないことはお園には痛いほど分っています。周りがそれに触れないようにすればするほど、自分にはずしりと胸の奥にまで響き、そのことが忘れようとする心を余計に掻き立てるということも知っています。だから余計にそっとしてあげておくのが最善の今の方策事ではないかと思いました。「知ったからといってどうすることもできないのですから」と。
 生まれた初めて恋しいお方と出会え、そのほんの一瞬の後に、その人が闇雲に黄泉の世界へと放り込ま、二度と会うことの出来ない別々の世界に引き離されてれてしまったのです。誰もがそんなに簡単には傷口が癒える事はないのです。そんなお園の心を知ってか知らでかは分りませんが、平蔵も、例の三吉から聞いた話を大旦那様にしたのかどうかその後のことについては、お店の忙しさも手伝ってか何にも話はしません。また、お園の方からも敢て尋ねもしません。
 そんな、又、残暑がぶり返してきた日です。大旦那様が、又、ぶらりと隠居様然として来られました。例の通り框にどかっとお座りになりながら
 「漸くと思うとりましたのに、また、こねえに暑うなりよって、お天道さんどうなっとりますねん。おお、そうそう、お園さんは病気知らずだと、昨日も平どんがうれしそうに言うておいでだった。元気でなりよりどす」
 と懐から何やら取り出しながら言うのでした。
 「これはぶそんのお饅頭や。いつぞやおせんと行ったと聞いておりますのやが。ちょっとあそこの前を通ったさかい買うてきましたのや・・・おせんも御陰なことに店に出て働いておりますねん。どういう風の吹きまわしかは知りしまへんが、あのおせんがどす。・・平どんまでも心配してくれてな」
 「お茶でも」と、お園が立ち上がります。
 「おおきにそうしてくれはりますか。・・・そうそう、この前、平どんからあくぎんのこと聞かしてもろうとります。色々と聞いているのどすが、本人の口から直接に聞いたわけではおへんのではっきりとはしまへんが、どうもその辺の筋が確かなということぐらいしか分りしまへ。袋医療処にも出向いてみましたがわかりしまへん。おせんの耳に入れたらかてどうにもなりしまへん、ただ、今はわしの胸の内にだけ入れて置いていますねん。でも、ここまま手をこまめいて見ているのも、どうも腹の虫が納まらんで、しゃくにさわっとりますねん。大手を振って通りを豪そうに歩いているあくぎんを見ると。なんかおまへんやろか」 

おせん 77  あしが立たない

2008-07-18 11:45:00 | Weblog
 「困ったなー、どうしよう。・・・あれから、ちょっと気をつけてあちらこちらのであくぎんの噂話を聞いてきたのじゃが、あやつは相当な悪党だそうだよ。あんなやつはこの世の中から消えてしもうたほうがええというのを方々で聞いておる。この辺の人から相当誰からも嫌われているのだそうだ。だから、大旦那様も、そんなンに関わらん方がええのと違うかなとも思うんじゃが」
「でも、このままじゃあ、おせんさん、何時までたっても今のまんまで、決して、立ち直れないと思います。それこそ足が立たんようになってしまうかもしれません。・・・・・いいのか悪いのか、どうなるかはわからんと思うのですが、一応、大旦那様だけにはお耳に入れておいた方がいいのととちがいますやろか」
 と、お園。一年近くも大坂で暮らしてきていますと、夫婦の間の会話にもこうして大坂言葉が何気なく入ってくるようになっていました。
 「そうしようか。お耳に入れたかといってどうすることも出来ないには決まっているけれど、何にもならンとは思うけど、折を見て、今日聞いた三吉の話を大旦那様のお耳には入れておくよ。後は大旦那様が、きっと何かいい智慧を見つけてくださると思うので」
 あれほど暑かった昼間の熱気は夕闇が近寄る頃にもなると、何処からともなくひんやりとした風が家の中にも吹き来たります。知らぬ間に、秋の虫が喧しくそこら辺りをとよもすように鳴きだしました。
 又、あの忙しい収穫の秋が直ぐそこまで来ています今年始めて取引を始めた伊予の綿は、その生育期に雨が少なくどうなる事かと、平蔵を始め舟木屋では、みんなやきもきしていましたが、これからの野分の心配はあるものの、夏に入り、今の所、順調に生育していると言う便りが伊予辺りからも届きました。
 「今年は、舟木屋との取引が初めてなもんで、又、伊予に、私が出向かなければと思っている。・・・それまでになんかいい智慧がないかなあ、こいさんのことで」
 二人だけの初秋の夜も次第に更けていきます。

おせん 76 あくぎんの陰謀

2008-07-17 08:22:33 | Weblog
 「おせんから難しいものをもろうて、おおじょうしとりますねん」と言うと、腰を上げて、いそいそと、それでも満更ではないようなお顔をしながらお帰りになります。
 「こいさんが、留守の間、お園と親しうしておましたで、と教えてくれた者がいたが、その間に何があったのか、今、大旦那様から聞かせていただいた。・・・大変だったようだね」
 と平蔵。
 「可哀想なおせんさんです。政之輔さまというお相手が亡くなられてしもうたのですから」
 もう、そろそろ涼しい風がと思うのですが秋は暦の上だけで気配すら感じさせない残暑の厳しい日でした。
 平蔵は家に帰るなり、
 「こいさんが、今日お店にひょっこり出て「何か手伝うことない」と言った」  と、びっくりしたようにお園に話をしてくれました。
 「あれから、どうしておいででしょうか。明日にでも、おせんさんを尋ねてみようかな」と思っていた矢先ですから余計にお園も驚きます。
 そんな日があった2、3日後です。
 平蔵がお店から帰ると、着替えをしながらいきなり言うのです。
 「今日珍しい人に会ってなあ。染屋の三吉にばったり出会って、飲み屋で久しぶりにやったんだ。そこで、偶然、あのあくぎんこと、銀児親分の事が出てきたのだ。どうして三吉があくぎんを知っていたのかようわからんのじゃが、どうも話からすると、こいさんの政之輔様は、あのあくぎんに殴り殺されたのではないかと思われるのじゃ。得意そうに話していたのを聞いたと言っていた。大旦那様に話したほうがいいかなあー。・・・・・大旦那さまに言ったからと言って、今すぐどうにかなるもんでもないのじゃが。町人の我々にはどうしようもない手の出せない、何せ相手が御上だもんなあ・・」
 お園も思案顔で聞いています。
 「そんなことってあってたあまるもんか。かわいそうなおせんさん」と、心の内で思います。
 「大旦那様にも言わん方がいいかなあ。何にもならんだけじゃけえ」
 「ようわからんけど。もしそうだったとしても敵討ちもでけんじゃろう。どうしたらいいのでしょうか。おせんさんが知ったらよけえに悲しまれるだけじゃけん。知らせんほうがええのとちがう?・・・・・でも、この前、ここで大旦那様が調べようがないと、悔しそうに言われた悲しげな声が、まだ、この耳に残っております。・・・・が、やっぱり言わんほうがええのかなあ」