私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

与謝野さんが落選する

2009-08-31 18:53:56 | Weblog
 「自民党の大敗」「大物議員が落選」、こんな見出しが朝刊のトップに大々的に報じられています。

 与謝野馨氏もその中に入っています。馨氏は、明治の文学者として漱石とともに、活躍した与謝野晶子の孫だそうです。つい2,3か月前までは次期総理かと新聞紙上を賑わしていました。

 もし、この馨氏落選のニュースを漱石先生が知ったなら、「吾輩の猫」に、なんと言わせしめただろうかと、想像してみました。
 ”many a slip‘twixt the cap and the lip”と、いう英語を苦沙弥先生が細君に言う場面が出ます。辞書によりますと「油断大敵」という意味だそうです。
 まあ、漱石先生が生きていたなら、こんな言葉ぐらいを猫様に言わせたのではと思いながら、民主党の大勝利を見ていました


 馨先生は、猫様が言う
 「世の中を見渡すと無能無才の小人程、いやにのさばり出て柄にもない官職に登りたがるものだ」
 では、決してないと思うのですが。
 でも、今度の総選挙の当選者の中に、こんな人がいなければと思うのですが、どうでしょうかね。
 

「吾輩は猫である」と母親

2009-08-30 11:39:57 | Weblog
 とん子、すん子、坊ばの3人娘たちの体たらくな食事の様子を彼女たちの母親はどこから見ていたのでしょうか。「吾輩は猫である」の中では、一言も漱石先生は触れてはいません。
 ただ
 「細君は例の如く食事を済ませて・・・・・」と、書いてあるばかりです。
 
 いたって、これまた大仰そのものです。次に母親としての言葉が出てくるのは、
 「さあ学校に御いで。遅くなりますよ」です。食事時の作法についてのお小言はありません。それが、当時の、普通の家庭の有様でであったのかもしれませんが。

 その上、この母親の「学校に御いで」にしてもも、うっかりした思い違いなのです。母親から催促された「とん子」はすぐ反論に懸ります。

 「あら、でも今日は御休みよ」と、支度する気配もありません。
 「昨日、先生が御休だって、仰ってよ」
 
 ここらあたりの言葉使いは、こんな体たらくな食事をする子供であっても、ちゃんと礼儀にかなった返答をしています。「御休」・「仰ってよ」など対人関係の言葉が上手に使いこなせています。子供なりに敬語がきちんと使えます。
 「先生が休みだと言ってた」
 なんて乱暴な言葉使いではありません。

 細君も「そうかな」と一瞬疑問に思ったのでしょう。戸棚から暦を出して調べたりもします。カレンダーなんて現在みたいな便利な物は、一般家庭にはなかったのでしょうかね。
 そこで、初めて今日が、赤い字の御祭日と分かるような、そそっかしい細君でありますから、父親の苦沙弥同様、食事時の躾については、随分と大仰なところがあったように読めます。

 まあ、子供たちへの躾はともかくとして、感心させられるのは挿絵の持つ威力です。一枚の挿絵の中から、その後ろに隠されている家庭の様子さへ十分に読みとることができます。この場合は、父親や母親、いわんや御三に至るまで、目に見えるようです。
 
 最後に、もう一度、苦沙弥先生の三人娘の食事風景を載せておきます。特とごろうじあれ!
     
 挿絵って不思議な品物ですね。平安の昔からの絵巻物の長い歴史があるから余計に、より洗練された挿絵が生まれるのではないかとも思っています。
 

読みたい本

2009-08-29 11:06:19 | Weblog
 今、私はブログに「吾輩は猫である」を変なきっかけから書きなぐっています。もう何回か読んだのですが、今この年になって(73歳)読んでみると誠に面白いです。
 社会構造も思想も生活様式も、何もかにも当時の社会とは激変している日本ですが、この本の中には、どの時代にも共通する鋭い息吹が、また、匂いが感じられるような感覚が全編にわたって漂っています。

 

「吾輩は猫である」と苦沙彌先生

2009-08-29 09:34:40 | Weblog
 「手掴みにしてむしゃむしゃ食って仕舞った、」此の様子をじっと目にしてい「吾輩は猫」様もそれ以上自分の家庭の恥を曝すのが忍びかったのでしょうか、子供たちの食事風景から目を転じて、そばで食事しているご主人様の様子に移ります。

 「先刻(さっき)からこの体(てい)たらくを目撃していた主人は、一言(いちごん)も云わずに、専心自分の飯を食い、自分の汁を飲んで、この時はすでに楊枝(ようじ)を使っている最中であった。主人は娘の教育に関して絶体的放任主義を執(と)るつもりと見える。」

 こんなお父さんが、今の世の中に、果して、いるのでしょうか。黙って見ぬふりをして娘たちの為すがままにです。「絶体的放任主義」とは、よく考えたものです。
「ほっとけば子供は自然に大きくなる。食事の作法ぐらいなことで、そう、とやかくいわんでもええ」
 と、いう放任主義の上を行く、「超ほっとけ無視主義」だと、私は思います。

 でも、超ほっとけ無視主義で、そんな「体たらく」な事と、猫さへも恥ずべきことだと思うような食事作法を、父親として、と言うより親として、よくもほっとけるものだと思います。それも一ことも言わずにです。
 
 あなたにはできますか?

 此の御主人さまを見た猫様は、次のように将来を推察しています

 「今に三人が海老茶式部(えびちゃしきぶ)か鼠式部(ねずみしきぶ)かになって、三人とも申し合せたように情夫(じょうふ)をこしらえて出奔(しゅっぽん)しても、やはり自分の飯を食って、自分の汁を飲んで澄まして見ているだろう。働きのない事だ。」
 「働きのない事」そうです。うすのろのちょっといかれた人のすることで、決して、紳士がすることではないと、決めつけています。
 そう主人を決めつけた猫様は、少し、主人さまに対して悪い気がしたのかもしれません。次は、いささか、ご主人様の「働きのない事だ」を擁護までしています。

 「しかし今の世の働きのあると云う人を拝見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻って馬の眼玉を抜く事と、虚勢を張って人をおどかす事と、鎌(かま)をかけて人を陥(おとしい)れる事よりほかに何も知らないようだ。」

 ここまで読んで、ふと思いつきます。
 昨夜、総選挙の立会演説会に行きました。有名応援弁士の人が声高らかに曰わります。
 「・・・赤面もなく、ええ加減なばらまきの政策ばかりを並べている経験のないへなちょこ政党に国政を担う力はありません。・・・わが党でなかったら日本は立ち直れません・・・」
 と、言うのです。
 まさに、
 「・・・虚勢を張って人をおどかす事と、鎌(かま)をかけて人を陥(おとしい)れる事・・・・」そのものです。

 この県の名士にしてもこの体たらくです。政治家でありながら、本当に今の日本の空気が読めない人だと、呆れながら聞いていました。これでは勝てるものでも勝てないような気が会場でしました。もっと「吾輩」を読めと言っているような気がしてなりませんでした
 
 明日の夜の、これら名士の顔が見たいものだと思います。
 

「吾輩は猫である」と二女すん子

2009-08-28 15:09:38 | Weblog
 さて、今までは総て、長女と三女の食事の風景でした。二女は挿絵を見たかぎりでは、何も問題なくお行儀よく食事をしているようです。漱石先生はあくまでも公平平等のお方であられます。二女だけ、お行儀よくお澄ましして食事させる訳にはいかんかったのでしょう。その食事の様子も、また、「特と、ごろうじあれ」とお書きになっていらっしゃいます。即ち、

 「この時ただ今まではおとなしく沢庵(たくあん)をかじっていたすん子が、急に盛り立ての味噌汁の中から薩摩芋(さつまいも)のくずれたのをしゃくい出して、勢よく口の内へ抛(ほう)り込んだ。」
 
 この子もあまりお上品な食べ方ではないようです。勢いよく口の中に抛り込むなんて、甚だしく下品な食事の仕方だと非難されても仕方ないような食べ方です。


 「諸君も御承知であろうが、汁にした薩摩芋の熱したのほど口中(こうちゅう)にこたえる者はない。大人(おとな)ですら注意しないと火傷(やけど)をしたような心持ちがする。ましてすん子のごとき、薩摩芋に経験の乏(とぼ)しい者は無論狼狽(ろうばい)する訳である。」
 
 ご丁寧なる薩摩芋の行く末が暗示させています。

 「すん子はワッと云いながら口中(こうちゅう)の芋を食卓の上へ吐き出した。」
 当然の結末です。

 「その二三片(ぺん)がどう云う拍子か、坊ばの前まですべって来て、ちょうどいい加減な距離でとまる。坊ばは固(もと)より薩摩芋が大好きである。大好きな薩摩芋が眼の前へ飛んで来たのだから、早速箸を抛(ほう)り出して、手攫(てづか)みにしてむしゃむしゃ食ってしまった。」

 我が家ではと、言っても私だけですが、時々、自分の箸で食卓に並んでいるお総菜を御幼少時分のくせがつい出て取ります。すると、どうでしょう。間髪をいれずに、忽ちに
 「きたないじゃあないですか。ちゃんと添え箸を添えているのじゃないですか。それを使ってください。きたないじゃないですか。何回言えば分かるのですか」と。
 食事の時は、いつもこんなお小言を頂戴している私です。「どこがきたないもんか」と、心の奥で思うのですが、悲しいかな「はいはい分かりました。以後気い付けます」と、いと素直なる返答をします。
 それだからと言うわけでもないのですが。こんな坊ばやすん子などの朝食の風景に出くわすと、なんだかほっとし気分になります。

 苦沙弥先生のご家庭では、坊ばは姉の口から出た薩摩芋を瞬く間に何の躊躇もなく平気で、それも、箸をそこらあたりへ投げ捨てて手づかみで口に入れてしまうのです。なんと大らかなのんびりとした家庭でしょうか。
 こんな懐かしい風景は、現在、われわれの周りの家庭の中から、きれいさっぱりと消え去ってしまってしまいました。

 それが躾だ。これが美徳なのだと、自慢している世のお母さん方に、この場面をもう一度とくとご覧んじあれと、呼びかけたいような気分にるのは私だけでしょうか。

「吾輩は猫である」と姉のとん子②

2009-08-27 10:37:29 | Weblog
 畳の上にこぼれ落ちた飯を丁寧に御はちの中に入れた長女のとん子です。これを見た「吾輩の猫」すら「少々きたない様だ」ど、うそぶいています。
 そんなとん子でも、さすがに姉だけのことはあります。その文を見てください。

 「坊ばが一大活躍を試みて箸を刎(は)ね上げた時は、ちょうどとん子が飯をよそい了(おわ)った時である。さすがに姉は姉だけで、坊ばの顔のいかにも乱雑なのを見かねて「あら坊ばちゃん、大変よ、顔が御(ご)ぜん粒だらけよ」と云いながら、早速(さっそく)坊ばの顔の掃除にとりかかる。」

 この図がそっくりそのまま不折先生の挿絵に描かれています。坊ばの横長の顔にくっついている御ぜんに、姉とん子の左手がさっと動いて行きます。「顔が御(ご)ぜん粒だらけよ」と、言う声が画面いっぱいに響いているようです。将に「名画」です。こんな生き生きとした挿絵は、他には見られない最高傑作な作品だと思います。
 ゆっくりと、再度、ご覧ください。
    
         

 「第一に鼻のあたまに寄寓(きぐう)していたのを取払う。取払って捨てると思のほか、すぐ自分の口のなかへ入れてしまったのには驚ろいた。」

 猫でさえ驚くべき少々きたないことが、朝食の風景の中に描き出されています。食事の時のお行儀なんてものは、苦沙弥先生のご家庭にあっては、無きも等しい事柄なのです。


 「それから頬(ほ)っぺたにかかる。ここには大分(だいぶ)群(ぐん)をなして数(かず)にしたら、両方を合せて約二十粒もあったろう。姉は丹念に一粒ずつ取っては食い、取っては食い、とうとう妹の顔中にある奴を一つ残らず食ってしまった。」

 「残らず食べてしまった」とありますので、あっという間の出来事だったのでしょう。そんなに珍しいことではない、いつもやっているからと言うより、慣れていたものですから、あっという間にすんでしまったのだと、読む人はだれしも思います。
 こんなごく身近などこでも見られる風景が書かれています。「お茶の味噌」の学校に通っているような家庭の子供もこんなんかと、庶民一般の人が安心して読んだことも偽らざる事実だということです。

 

「吾輩は猫である」と姉のとん子

2009-08-26 09:42:17 | Weblog
 「坊ばは暴君である」様子を見てきました。次に、姉のとん子の食事の有様をご紹介します。まずは本文を。

 「姉のとん子は、自分の箸と茶碗を坊ばに掠奪(りゃくだつ)されて、不相応に小さな奴をもってさっきから我慢していたが、もともと小さ過ぎるのだから、一杯にもった積りでも、あんとあけると三口ほどで食ってしまう。したがって頻繁(ひんぱん)に御はちの方へ手が出る。もう四膳かえて、今度は五杯目である。」

 やっぱり、とん子は長女だけあって我慢する心が見え、微笑ましい姉妹愛を思わずにはいられません。坊ばのなすがままなのです。
 
 「とん子は御はちの蓋(ふた)をあけて大きなしゃもじを取り上げて、しばらく眺(なが)めていた。これは食おうか、よそうかと迷っていたものらしいが、ついに決心したものと見えて、焦(こ)げのなさそうなところを見計って一掬(ひとしゃく)いしゃもじの上へ乗せたまでは無難(ぶなん)であったが、それを裏返して、ぐいと茶碗の上をこいたら、茶碗に入(はい)りきらん飯は塊(かた)まったまま畳の上へ転(ころ)がり出した。」
 
 こんな小さな頃から、ご飯は自分でよそっていたのです。ここらあたりの躾も大分現代と様相を異にしています。
 「まあなんとお行儀の悪い、もっとお上手に」とが「それそれこぼれた。まあきたない。やめなさい」
 とか何とか、お小言ばっかりで、母親がすぐ茶碗を取り上げてしまうから、子供たちの経験が乏しくて、何時まで経っても上手にならないのです。そのくせ
 「なんて忙しいのだろう。まるで戦争だね」
 と、母親は、いつも愚痴ばかりこぼしているのです。
 
 なお、「御はちの蓋」「茶碗の上をこいたら」、何んて言葉ご存じですか?生活の変化に伴い死語がやたらと増えてきたのは、いいことなのでしょうかね。

 次に進みます。さて、畳の上へ転(ころ)がりした飯の行く末はといいますと、簡単に解決済みになります。
 
 「とん子は驚ろく景色(けしき)もなく、こぼれた飯を鄭寧(ていねい)に拾い始めた。拾って何にするかと思ったら、みんな御はちの中へ入れてしまった。少しきたないようだ。」
 
 なかなか生活力の豊かな「とん子」です。経済観念がもうちゃんと備わっているのです。「もったいない」と。でも、猫から見ても少々きたないと思えるようなことでも、子供たちにとっては、生活全般からすでに身に沁み込んだ「もったいない」と言う感覚の方が勝っていたのだろうと思われます。と、屁理屈を書いてみたのですが、案外、あっさりと元にあった処へちゃんと戻しただけなのかもしれません。

 現代ですと、「こぼれた物を拾うなんておぞましい賤しい者のすることだ。」と、決してあってはならないお行儀なのだと散々に叱られること間違いなしです。
 でも、明治の御代には、堂々と生活の中に密着していた食習慣だったのです。

 これら昔のお話を読んでみますと、生活習慣の変遷がよく分かります。この「吾輩の猫」に書かれているような生活の姿は、戦前までは、普通の家庭で普通に見られていた特別なしぐさでも何でもなかったんです。それが現代では、何もかも大きく変化して来たのです。

「吾輩は猫である」と「暴君坊ば」

2009-08-25 09:56:54 | Weblog
 珍野家の三人娘の朝食風景がまだまだ続きます。末っ子「坊ば」の暴君振りをご自分の子供時代と比べながら見てください。

 「・・・・・坊ばは隣りから分捕(ぶんど)った偉大なる茶碗と、長大なる箸を専有して、しきりに暴威を擅(ほしいまま)にしている。使いこなせない者をむやみに使おうとするのだから、勢(いきおい)暴威を逞(たくま)しくせざるを得ない。」
 と。誰もが手出し出来ないような勝手気ままな暴威を逞しくしています。数えの3歳の顔が横長な女の子です。

 「坊ばはまず箸の根元を二本いっしょに握ったままうんと茶碗の底へ突込んだ。茶碗の中は飯が八分通り盛り込まれて、その上に味噌汁が一面に漲(みなぎ)っている。箸の力が茶碗へ伝わるやいなや、今までどうか、こうか、平均を保っていたのが、急に襲撃を受けたので三十度ばかり傾いた。」
 漫画か何かを見ているような感覚に陥ります。「三十度ばかり傾いた。」このあたりの書き振りはなんとも言えません。この後どうったかは一目瞭然です。
 突然の「三十度」と言う数が何かい生き生きしたもののように思われます。

 「同時に味噌汁は容赦なくだらだらと胸のあたりへこぼれだす。坊ばはそのくらいな事で辟易(へきえき)する訳がない。坊ばは暴君である。今度は突き込んだ箸を、うんと力一杯茶碗の底から刎(は)ね上げた。同時に小さな口を縁(ふち)まで持って行って、刎(は)ね上げられた米粒を這入(はい)るだけ口の中へ受納した。」
 酒飲みが一杯に盛られた茶碗酒を口で迎えに行くのに似ています。ご飯がこぼれたぐらいでめそめそする坊ばではありません。その余りにも自由奔放なる傍若無人ぶりを「暴君である」と、「吾輩の猫」が感じたのです。

 「打ち洩(も)らされた米粒は黄色な汁と相和して鼻のあたまと頬(ほ)っぺたと顋(あご)とへ、やっと掛声をして飛びついた。飛びつき損じて畳の上へこぼれたものは打算(ださん)の限りでない。随分無分別な飯の食い方である。」

 なんてお行儀の悪い食べ方でしょう。でも、此の中に、なんだかとても懐かしい遠い過ぎ去って行った故郷の匂いを感じませんか。
 「畳の上へこぼれたものは打算(ださん)の限りでない」。不思議なことですが、昔の自分の周りに起きていた日常茶飯事の姿が何とはなしに目に浮かんできます。
 
 それくらいの事でこせこせする必要はない。そんな事は小さい小さい。それでこそのびのびと子供が伸びるのだとでも言いたいのでしょうか、母親や父親、さらにお手伝いのお三は、この風景の中にはでてきません。総て子供任せです。女の子だからと言うわけではありますまいに。後で書きますが、父親、そうです。苦沙弥先生は大仰なものです。

 まだまだ珍野家の朝食風景は続きます。今では何処へ行ったって見える風景ではありません。家庭の躾の第一に、挨拶や返事に取って代わって、この食事風景が挙げられているそうです。ここに現代における教育問題の根本が存在しているのではと思えるのですが?
 
 この後はいかになりますやら。此の後は、また明日以降にでも。 

「吾輩は猫である」と衆議院議員選挙

2009-08-23 08:56:15 | Weblog
 衆議院議員選挙と「吾輩は猫である」?  
 どんな関係があるのと思われるかもしれませんが、豈図らんや、大いに関係があるのです。まあ、読んでみてください。

 もうこのあたりで苦沙弥先生の3人娘のことは、他所にしようかと思ったのですが、再度読んでみて、今までには余り感じなかった面白さが年と共に増してきたような気になりました。
 
 明治の人たちが、“いずれも同じ秋の風か”と、面白可笑しゅう読んだだけのことはあります。
 当時、どこの家でも展開されていた、ごく普通に見られていた風景が、漱石先生の本の中にも見られるのです。あの偉い漱石先生の家でも「こんなんか。何だ自分の家だけかと思っていたのに、ちょっともちがやあへん。同じことだんべ」と、何か安心したのでしょう、村上春樹の「IQ84」そこらの話ではありません、みんな競うように買って読んだと言われています。

 まあ、本を出して御読みくださいと言っても、なかなか時間もないことだろうと思いますので、ここに2,3回に分けてその一部を、苦沙弥先生の3人娘の言動の部分だけでも、載せて置きます。時間と興味のあるお方は見てください。

 まず、不折先生のその部分の挿絵(昨日掲載済み)です。



 「・・・・楽しそうにご飯をたべる。ところが始末におえないのは坊ばである。坊ばは当年とって三歳であるから、細君が気を利(き)かして、食事のときには、三歳然たる小形の箸(はし)と茶碗をあてがうのだが、坊ばは決して承知しない。必ず姉の茶碗を奪い、姉の箸を引ったくって、持ちあつかい悪(にく)い奴を無理に持ちあつかっている。世の中を見渡すと無能無才の小人ほど、いやにのさばり出て柄(がら)にもない官職に登りたがるものだが、あの性質は全くこの坊ば時代から萌芽(ほうが)しているのである。その因(よ)って来(きた)るところはかくのごとく深いのだから、決して教育や薫陶(くんとう)で癒(なお)せる者ではないと、早くあきらめてしまうのがいい。
 
 軽いタッチのそれとなく書きなでるようなすらりとした書き振り、なんとも言いようのない漱石先生一流の描写力です。
 
 「・・・世の中を見渡すと無能無才の小人ほど、いやにのさばり出て柄(がら)にもない官職に登りたがるものだが・・・・・」
 と、漱石先生は書いています。
 
 今、衆議院議員の選挙たけなわ。私の家の前の道を
 「私がいなかったなら国の政治はよくなりません。是非、よろしくお願いします」
 と、やたら大声をがなりたてながら通り過ぎて行っています。
 これらの人にこの一文を捧げたいと思うのですがどうでしょう・・・・。

 どうでしょうか。此の何ら関係のなさそうな2つの間にも、多少とも関係があるように思われませんか。

「吾輩は猫である」と挿絵⑦

2009-08-22 08:09:08 | Weblog
        

 この絵が初版本「吾輩は猫である」の口絵です。

 ちょっと、これもご存じのこととは思いますが、ご紹介しておきます。
 
 吾輩のご主人「苦沙弥先生」には、3人のお子様がおられます。いずれも女の子ばかりです。長女は「とん子」、この子は「御茶の味噌の学校」に、二女「すん子」と一緒に行っています(幼稚園です)。三女「坊ば」は、まだ、三歳です。顔を洗うのでも平気で雑巾でごしごしとやるような超自然児です。 この子たちの顔の描写がとても面白いので、これ又、ご退屈でしょうが、書いてみますのでお読みください。


 「・・・主人は一応此三女子の顔を公平に見渡すした。とん子の顔は南蛮鉄の刀の鍔の様な輪郭を有して居る。すん子も妹丈に多少姉の面影を存して琉球塗の朱盆位な資格がある。只坊ばに至っては独り異彩を放って、面長に出来上って居る。但し竪に長いのなら世間に其例もすくなくないが、此子のは横に長いのである。如何に流行が変化し易ったって、横に長い顔がはやる事はなかろう。・・・・・」

 と、みそくそに書き表わしています。
 
 この「とん子」などが、よく「吾輩」のしっぽを掴んで遊ぶことがあるのです。それを、不折先生は数ある吾輩の風景の中から、わざわざ選んで、「こんなものを敢えて口絵にしなくても」と、吾輩は猫の声が聞こえてきそうですが、堂々と掲げています。

 なお、此の3人娘についての挿絵がこの初版本に載っていますので見てください。

         

 不折先生は、漱石先生のようにこの娘たちの顔について破天荒には画いてはいません。自由で天真爛漫な家庭の様子を描き出しています。こんな姿は、何時の時代にも何処でも見られた家庭の風景であったのです。が、それがいつの間にか、小子化という特別な波に飲み込まれてしまって、自分の過去は完全に忘れてしまって、「家庭の躾」と言う名のもとに、「みっともない、世間様に笑われる」と言う意識が過剰に成りすぎて、残念なことですが、何千年と続いたであろうこの絵の中にあるような風景が、何時の間にやら日本の家庭から、きれいさっぱりと消えてなくなってしまったのです。
 躾と言う名のもとにです。
  
 だから、こんな絵を見ると、年寄りの私には昔が懐かしく感じられます。しかしあと何年か後の人が、こんな絵に接すると、なんてお行儀の悪い、家庭の躾ができてないのだろうと驚きの声を上げながら批判的に見入ること間違いなしと思いながら見ています。
 

「吾輩は猫である」と挿絵⑥

2009-08-21 09:35:31 | Weblog
 「吾輩は猫である」初版本は、上・中・下の3巻あります。
 その上巻には4枚、中巻には3枚、下巻には3枚の、全部で10枚の挿絵がありました。これらはすべて中村不折先生の絵です。この10枚の挿絵の中に猫が描かれているのは4枚です。
 これらの絵は「ホトトギス」の中に掲載された時の「吾輩は猫である」の挿絵とはその趣を全く異にしている、物語を補うための、それこそ「挿絵」そのものです。
 百聞は一見に如かずです。まあ、これを見てください。

    

 どの場面の挿絵だと思われますか。

 そうです。珍野苦沙弥先生の家に、ある夜泥棒が入ります。そのシーンです。

 その様子は、次のようです。
 
 「・・・・陰子の足音は寝室の前に来てぴたりと已む。吾輩は息を凝らして、この次は何をするだろうと一生懸命になる。後で考えたが鼠を捕る時は、こんな気分になれば訳はない・・・・・・・・・行李の影から飛び出そうと決心した時、寝室の障子がスーと明いて待ち兼ねた陰士がついに眼前にあらわれた。」

 とあります。これは、将にその一瞬を写し撮った臨場感のあふれ出た絵です。つい「うまい」と声を出さずにはいられないような気分に陥ります。
 この時の猫と泥棒陰士の顔を想像してみていただけたらと思います。特に、真っ暗い猫の後ろ姿の中から、どこからともなく緊張感漲る風みたいなものが沸き立ってるのではと思われませんか。特に、前足なんかからも。

 ご退屈でしょうがお付き合いをお願いします。この後の漱石の書き振りも、又、とびきりの称賛に値するものです。

 ちょっと長たらしいのですが、猫氏曰く。
 
 「吾輩は叙述の順序として、不時の珍客なる泥棒陰士其人をこの際諸君に御紹介する栄誉を有する訳であるが、其前一寸卑見を開陳して御高慮を煩はしたい事がある。・・・・・・」
 
 どうです。・・・・・・

 後は機会でもありましたら、是非、ご再読をお勧めしたいものです。

「吾輩は猫である」と挿絵⑤

2009-08-20 11:22:39 | Weblog
 「吾輩は猫である」の挿絵について、あれこれおしゃべりしてきました。でも、どうしても、「吾輩は猫である。名前はまだない」猫氏の挿絵が見当たりません。芭蕉ではないのですが、「ねこや ねこやと尋ありきて日は山の端にかかりぬ」と、しゃれてみましたが、いくら探してもないものはないのです。


 探偵ごっこではないのですが、もう一回原点である「ホトトギスの猫」に戻り、ページを丁寧に捲っていきます。すると、その真ん中あたりでしょうか、そこに挟み込んであった小さな紙切れがパラリと床に落ちます。急いで何だっけなと、取り上げてみます。すると、それは、平成8年3月13日の朝日新聞の天声人語の記事の切り抜きでした。それには、『吾輩は猫である』の初版本はなんと300万円もすると書いてあります。
 「そうだ。この初版本を見たら何か書いてあるのでは」と思いつきます。
 何事でも行き詰ったら原点に帰れかと、自分に強く言い聞かせて、国会図書館のホームページにアクセスしてみました。

 ありました。やっと見つけました。猫の挿絵をです。まずは表紙からどうぞ。
 
   

 上中下の表紙です。どれも不折先生?の装丁だと思うのですが、下は確かに不折先生の絵ですが、上・中は不折先生の絵ではないようにも思えますが、いかがなものでしょうか。

「吾輩は猫である」と挿絵④

2009-08-19 08:40:48 | Weblog
 昨日の最後の猫の挿絵ですが、
 「あれは猫じゃあない。犬だ」
 と、あちらこちらの猫様方からの声が届いています。その理由はと問いただすと、いずれも
 「我ら猫族らしき動物が描き込まれているというあの挿絵を、あんたはよう見たんか。・・・ろくに見もしないで、あれを勝手に猫だと、決めつけているあんたの常識を疑う。不届き千万な、猫の風上にもおけないやつじゃ」
 と。やけに威勢のいい返答です。続いて、こうも大声で怒りをあらわにしながらおっしゃるのです。

             
 
 「第一、われら猫族はあんな不道徳な行いは決してせん。後始末は必ずする動物だ。昨日ぐらいから、やたらに大声を出しって『責任だ。やれ責任だ。お前たちがやったことに対して全然責任を取ってはおらんではないか』などと、お互い責任をなすりつけ合って、あたりかまわず大声を振り回しているあんたらの同族とは、ちいとばかり違うのだ。責任は、どんなことがあろうと、必ず果たすのが、我等猫族の誇りなのだ。あの絵の中にある、ケヤキか何か知らんが、大きな木の前に、平気で、湯気の出ている何やら生暖かい一物をぽとりとほっぽり出しておいて、後片付けもせんと、知らんぷりして、それも堂々と、どこか他所へ行くなんてことは猫族にはとてもできない行為なのだ。あんな不道徳な真似をせいと、例え命令されてもできないのが我等猫族なのだ。それがまた猫族の誇りでもあるのだ。あんな衛生感覚の欠如した猥ら極まりない行為を平気でやらかしている者は犬族に決まっているのだ。自然環境をやたらと壊す美化の精神のない、地球に優しい環境をなんてことをいつも言っているくせに、言った矢先から、どんどんと壊しているような、どこかの輩と同じ程度の衛生感覚の乏しい犬族のしたことに間違いない。だから、あの挿絵の中の生き物は犬に間違いない」
 と、言うのです。そう言われるとそうです。猫様に対して誠に失礼をいたしましたと、しょうらしく謝りでもしようかと思います。

「吾輩は猫である」と挿絵③

2009-08-18 10:07:19 | Weblog
 昨日の「飲亭崩泥」氏をわざわざこれ以上煩らわすわけにもいきません。再度「ホトトギス」を取りだして、「吾輩は猫である」の挿絵を見てみました。
 その中には、猫の「ね」に字も見つけることはできませんでした。
  
 どうして、不折先生などこの小説の挿絵画家は主人公たる「猫」を画かなかったんもでしょうか。あの「迷亭」を画いておきながらです。「吾輩は猫である」のどこを見ても猫はいません。

 仕方なく探すのを草々に諦めます。
 ・・・・そう言えば、私は、もう一冊の明治43年1月号(第十三巻第四号)の「ホトトギス」を持っています。その中にでも、もしかして、あるかもと言う淡い希望を持って、ページを捲ります。
 この号には、あの岡本月村の挿絵がたくさん載っていました。もちろん不折の絵もあります。
 此の中に「下村為山」と言う画家が「毛毬」と、題して可愛らしい猫を画いている挿絵が見つかります。
               
 ちょっと「吾輩」の猫とは少しばかりに趣を異にしていますが、なんだかほっとするような気分にさせてくれました。
 なお、この為山さんは内藤鳴雪の従兄とか。この人も、「猫様」の中には挿絵はなかったのですが、「ホトトギス」では、知る人ぞ知る、度々活躍する画家でした。明治43年1月号(第十三巻第四号)の「ホトトギス」の表紙を装丁しています。
                
 なお、更に捲っていくと、こんな猫の絵にも遭遇しました。
               

この絵って、ちょっと、どことなく「吾輩の猫である」の猫に似せて書いたように思えるのですが。いや違う、「これは犬だ」と言われるお方があるかもしれませんが?
 

「吾輩は猫である」と挿絵②

2009-08-17 07:47:23 | Weblog
 ホトトギスの「吾輩は猫である」の挿絵について、又、例の「イイテエホーデー(漱石流に<飯亭崩泥>と命名した)」氏からのお節介が入りました。無視してもいいのですが、折角の貴い?御忠告ですので、決して渋々ではないのですが、まあ、それについて調べてみましたのでご報告します。「飯亭崩泥」氏は満足されるかどうかは知りませんが。
 
 というのは、「吾輩は猫である」の中に、皆さんが、既に、よくご承知の美学者「迷亭」君なる、誠に、奇怪なるといいましょうか、とにかく一風変わった人物がおります。
 ある時、「トチメンボー」なるものを「越智東風」なる人物と一緒に、西洋料理店に食べに行きます。これを「おち こち」と読むのだそうです。
 
 この時の挿絵を、不折先生が書いていると、「飯亭崩泥」氏は言うのです。
 「ホトトギス」の「吾輩は猫である」の挿絵の中には、「オメエガイウヨウニヒトツモネエ」と、言うのはまったくの嘘事で、<この小説の内容と関連のある挿絵もあるんだぞ>と、言うわけです。
 

 「せえにしても、こげんことまでようしっとるなあ・・」
 と、感心するやら驚くやらです。
 早速、捜します。ありました。「大したお人だ」と、再度感心します。
 それから何の気なしに、ページを2,3枚捲ります。すると、そこに、偶然にも、この迷亭君の「孔雀の舌」の箇所があり。そこにも、また、不折先生の孔雀の挿絵が出ているではありません。これも、ほっておくと、飯亭崩泥氏から、またも、お小言頂戴すること疑いなしです。やれやれという気分になりました。

 まあ、その挿絵を見てください。なかなかうまいもんです。迷亭氏のその顔を!
    
         
 
 葉巻を銜えているのが、かの「迷亭」氏、その前の和服姿が「東風」君、それから2人からからかわれているボーイです。