私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「小雪物語」 万五郎親分

2007-03-31 23:45:46 | Weblog
 「どうして新之助をあなたが知っているの」
 怪しむように、じろりと見下すような眼差をして、その憎々しさを、まだ、一杯に顔に表しながら、須香さまは、小雪の方にいざり寄って近づいて来られるのでした。
 小雪のどう対処したらいいか分らないような困惑の色をお感じになったのかもしれません、横から、林さまが
 「須香さん。まあ一杯どうですね」
 と、ご自分の猪口を差し出されました。須香さんと呼ばれたそのお人は、ややあわてるように
 「まあ、とんでもありません。私がお酌しなくてはならないのに、失礼しました」
 と、冷え切っている徳利を両の手で、暖めるかでもしているようによっくりと捧げながら、林さまにお酌して差し上げられました。
 「なあ、お須香さん。随分とご心配かけたね。・・・・あなたのご心配分らぬでもないが、どうしても、今日は、この小雪を奥様の前に引き出さねばならないわけがあってね。ごめんよ」
 そして、林さまは、相変わらず膝に置かれていた両の手で持たれていた盃をゆっくりとお口になさいました。
 「そうです。文月25日の夜です。京で高雅さまと、此度の琵琶湖疎水工事ご融資について細かな打ち合わせをしておりました。お側には新之助さんもお出ででした。何時もの例ですが、小雪も、勿論、私が呼んでおりました。しばらくして、別に特別なお話があったわけでもまく、新之助さんたちがいてもいなくても別に構わなかったのですが、高雅さまはどんな了見か知らないのですが、とにかく、この若い二人を、我々の話から故意に遠ざけられておしまいになられました。高雅さんの特別な計らいであったのかもしれませんな、あはっは・・」
 この林さまの高笑いに、小雪はあの晩のことが今更のように甦ってくるのでした。
 「また、今夜も新之助様とお二人だけでお話できる。よかった。さえのかみさまありがとう」
 と、あの時の、ひそかなあまり期待もしてない、自分に置かれている身に対する、それでも小さな小さな誰にも言えない喜びみたいな物をひたひたと感じたように、今でも覚えています。
 「しばらくお話をして、その後、別室の若い二人をお呼びになりました。『今晩はここにお泊りになって、明朝お帰りになっては』と言ったのですが、『山田が心配するから』とか何とか言われて、夜も大分更けた京の町に、新之助さんをお連れになってお帰りになりました。『小雪も、では、そこら辺りまで』と一緒に送り出しました。河内の玄関から3人を送り出して、ほんのいくばくもたってないと思いました。私の部屋に入ろうとした時、表のほうから、「ぎゃ」という声とともになにやらけたたましげな騒動の気配が耳に入ってきました。とっさにある種の胸騒ぎが私を覆い包みました。『天誅』とか何とかという甲高い天を突くような声も闇を通して辺りに響いていました。話には聴いたことがあったのですが、生まれて始めて聞く声です。一瞬、『何事もなければ』という思いに駆られました。
 どのくらい時間が経ったでしょうか、しばらくして、辺りは元の静寂さに戻りました。
 ばたばたと大勢の人達がその往来の辺りから足早に立ち去る気配もしていました。その時です。私の泊まっている部屋の庭に面した戸の外から。
 『だんなさん、林さま』と薄気味悪い声が聞こえてきました。
 一瞬ぎょっとしましたが、その声のする戸を、こわごわと、わずかばかり開けました。
 『あっしは、万五郎でごぜえます。お話する時間はございません。あのお二人はもう助からないと思います。このお女中は命には別状ございません、でも、お命を賊に狙われているようです。ここにおいて置くと危のうございます。どういたしましょう』
 状況は、とっさに私には判断できました。今は、せめて小雪だけでも助けてやらねばと思い、万五郎親分に
 『京に置いてはおけまい、今すぐにでも、お前の宮内へでも隠してくれないか』と頼んで見た。
 『人の命に関わっていることです。どうにか致しましょう。なんとかなるでしょう』
 と、親分。
 それからどうなったのかは分りませんが、後々の風の便りでは、小雪はどうにか無事で、この宮内に生きているということを耳にして、安堵していたのです。
 
 

「小雪物語」 お山の夜の七化け

2007-03-29 23:24:41 | Weblog
 小雪の泪は、次から次へと溢れてきます。喜智さまのお声が何か遠くに霞んでいくようにも思われました。自分が自分であることすら忘れてしまったかのように何もかも薄ぼんやりとした霞の向こうに消え去るようにも思われました。
 しばらく間が開きました。
 ふと、小雪は、小さく折り重なった自分の紫の小紋の羽織の袖の上に溜まったいくつかの小さな泪の露が薄ぼんやりとした赤色に染まってきらきらと動き回りながら輝いているのに気が付きました。
 「おやなにかしら」
 目頭をそっと上げて、松と桜のお庭見ました。お庭の木々の向こうに、大きく大きくあらん限りに自分自身を膨らませた夕陽が、自分の金の色を辺り一杯に輝かせながらお山の向こうに入って行こうとしています。その余った夕日の光りが膝の上の自分の泪に当り輝いているのでした。
 「夕陽ってこんなにきれいかしら」
 小雪は、心の中で叫びました。喜智さまのお姿は黄金の太陽の中に真っ黒く、お顔や肩等の輪郭だけが光りの一筋の線となって輝いて見えました。いつか京で、見た仏様か何かが体の輪郭だけを金色に輝かせて四方に広がる光の中で、なんともいえないまろやかな笑顔を浮かべて立ってたっていらっしゃるのを思い出していました。
 「まあきれいどす」
 そんな小雪の小さな驚きの心が言葉となって、自然と口から漏れ出てきました。
 その言葉があまりにも突飛なものでしたので、喜智さまも、お須香さままでも、何事かと辺りを見回すのでした。
 西に一杯に広がった真っ赤な夕焼けの空を、林さまは以前から眺めておられたのでしょうか、静かにお話になられました。
 「小雪、お前さんも、新之介さんあたりから聞いた事があると思うのだが、あれがよくお話になられていた高雅さまのお山の夕焼けなのだ。吉備の夕焼けなのだよ。何時見ても大きいね。人を超えた美しさだ。偽りのない本当の美しさなのだ。・・・・ あの真っ赤な色は、人の心を過ぎ去った時に誘なうに余りあるよ」
 また沈黙がしばらく続き、お須香さままでもみんな山の端に沈み行く太陽をさも名残惜しそうに眺めていました。
 「まあ、これが吉備の里の夕焼けどすか。此処へ来て一年近くなるなるのどすが、初めて見ました。大きな大きなお腹どすこと。新之助さまは、あんなに膨らんだおひいさんは、一日じゅう、お空の真上から、この地上においでのお人たちの仰山の悪い事を全部飲み込んでしまわれ、それであんなに膨らんだお姿にななれたと、何時だったか聞かせてくれはりました。かわいそうなのおひさんだと、お笑いになりはりながら、おはなししくれはりました」
 お須賀さまは、きっと小雪のほうへ向いて何か言いたさそうな素振でしたが、林さまが続けて
 「小雪、あの日も高雅さまが言われていた『お山の夜の七化け』がこれから始まるのだ。あのお山が福山です。そうですね、ご新造さま」
 「そうですとも、作之丞は小さい時分から、ここからあのお山に落ちる夕陽がね。特に、秋の夕陽が好きだとよく申しておりました。

 こんな歌を詠むんだこともありました。
    夕日影 なごり消ゆく 雲のはに
                色さへ見えて 秋風ぞふく
 
 それにしても、わたしも、ゆっくりと久しぶりにお山の夕陽を眺めさせていただきました、ほんとうにきれいですこと。浮世の事にかまけて、身の回りにあるきれいな事美しいことを忘れてしまっていました。そう言えば、高雅、いや作之丞がまだ十歳にもなてなかった頃だと思いますが、福山に落ちるだんだんと膨らんでゆくお日様を見て、足守の父あたりからではないかと思いますが、誰に聞いたのかも知りませんが、何か、一杯、一日中、お日様が食べたからか大きくなってたのだと、しきりに話していたのを、今、思い出しました」
 ややおいて、また、林さまが話を続けられました。
 「小雪、よく見ておきなさい。これから段々と時が進むに連れて、こちらのお山もあちらのお山も色々と化けていくのです。金色から赤、黄、緑、青、紫、と七化けしていきます。これが高雅さまご自慢の吉備のお山の夜の七化だぞ。・・・ 
お喜智様が申されたように人は誰でもおんなじなのだ。老いも若きも、男であろうと女であろうと、おんなじにみえるんじゃ。きれいじゃないか。なー、お須香さん」
 その「なー、お須香さん」と、林様が言われた時でした。突如として、お須香さまが、私のほうにややいざりながら、今までの言葉ざまとは幾分違ったように私に話し掛けておいででした。
 「小雪さんとか、・・・今なんと言われました。私には、確か、新之介と言ったように聞こえたのですが、そうですか。」
 ややしばらく置いて、また、
 「まさかあの鷺森新之介のことではないでしょうね」
 じっと私を見据えて話しかけてこられました。
 「はい、新之介さまは、確か鷺森とかおしゃられていらはりしました」


 


「小雪物語」 お須香さん

2007-03-28 22:46:09 | Weblog
 「丁度、あの痛ましい事件が起きる前日だったと思いますが、浪速から京に上る船の中で、偶然、熊次郎さんの所の片島屋の万五郎さんに出会いました。万五郎さんも何か親分の大切なお役目があるとかで、遠くは陸奥の国辺りまで足を運んでいるという事でした。船の中ですので、あまり詳しいことも聞けませんでしたが、日々旅の連続で、今晩は京でお話をつけて、明日にはまた江戸へ行かれるとのこと、この宮内へは当分帰ってないと目を船床へやりながらお話されていました。まあ、そんなにお忙しい親分にですが、今、高雅さまは京に居て、大変な危険を押して、このお国のための大きな事業をやり遂げようとしているのだ、という事をお話して、もし、どこかでお会いするような機会でもあったら、なにくれとなく世話してくださいとお頼みもしました」
 それだけ早口に一気に言われて、林さまは大きく息をされて、冷めてしまったお酒の入っている備前の猪口をゆっくりとご自分のお口に、いやいやながらのように持って行かれるのでした。
 「その日も、何時もの通り、高雅さまは新之介さまをお供に連れてお出ででした。私とこの小雪と4人でお会いするのは、その日が、確か3回目ぐらいだったと思いますが。まあ、私はこの小雪に何時も京にいるときは身の回りの世話を頼んでいます。この娘の死んだ母親から続いてですがね」
 「まあ新之介と・・」と、喜智さまが驚かれた様子で何かおっしゃられようとした時です。廊下を、大急ぎでこちらへ突き来るような気配がしたと思った途端、障子がさっと開き、少々あわてた様子で、お喜智さまみたいに背筋のちゃんと整ったお年を召されたきりりとお顔の引き締まった、いかにも気の強そうなご婦人の方がお入りになり、いざよりながら喜智さまの前にお進みになられました。それから、そのお人は、林さまの前にいる私をじろりと、なにかいやらしい小薄れた汚らしいものでも見るように、私を一瞥されながら、喜智さまに向かって、甲高くやや声をひきつらしながら、言われるのでした。
 「まあ、奥様、ここを何処だとお心得でしょうか。ここは堀家の奥の間です。お屋敷で一番大切なお座敷です。そこへ、こんなけがらわしい見ず転のはしため女を、どんな了見です。」
 この「す」という言葉が、あまりの大きくて突飛で、部屋中に跳びはねているようで、小雪には、瞬間に、自分はとんでもない遠く離れたところに来ているのではないかしらと思いました。
 しばらく、その女の人を黙って静かに見つめていらした喜智さまが、ゆっくりとその人に向かって、襟に手をおやりになり、すっとを下げ正されます。その前後の場も、時も、すべてどこか違う処で起きているように、またしも小雪には思われました。そして、いくら招かれたにせよ、宿のお粂さんの、性急な追い出しによって、無分別にも飛び出すように此処へ来てしまった今の自分が、いやでなりません。ここにこなかった方がよかったように、今頃になって、しきりに思えるのでした。
 でも、そんな小雪の心を知ってか知らでか、喜智さまはその女の人に、一語一語噛締め確かめるように語り掛けられました。
 「お須香さん。今なんとお言いでしたか。」
 そのお声はどこまでも物静かで、どこか悲しさを懸命にかみ殺しているような、また、こみ上げてくる怒りをぐっと胸奥に押えているようなお声でお話になられます。
 「ここは、今、あなたがおっしゃったように我家の堀家の奥座敷です。なにも特別なところではありません。誰が入ったとしても別に穢れたり傷ついたりするものではありません。昨日のままのお部屋に変わりありません。部屋は部屋です。人が入って暮らすところなのです。ただの物なのです。穢れるとは何ですか。泥でも付いて汚れますか」
 一息大きくなさいまして、また、ゆっくりと言葉強く、きっぱりと言われました。
 「部屋に、どんな人がいようと、部屋は部屋で、何も以前とはちっとも変わりません。人の思いがこもるところではないのです。あなたは、今、この小雪さんに向かって汚らわしいとお言いでしたね。汚らわしいとは何です。その穢れているお部屋に座っている私も林様も汚らわしいのですか。部屋が穢れるのであれば当然人も穢れるはずです。人は人です。部屋と同じで穢れたりはしません」
 小雪も、この奥様は一体なにを言い出されるのかと不思議な思いで聴いていました。そのお女の人も、私と同じように奥様は何を言われるのかと不思議そうにお聞きになっていらっしゃいました。ただ、林さまは、奥様のお言葉がお分かりになるのか、いままでの堅苦しさが抜けたように、にこやかに静かにお耳を傾けられていられるようでした。
 「お須香さん、お前も知っての通り、おとどしになるかしら、残暑の厳しい長月に入ったばかりの頃だとと思いますが、洪庵の適塾の福沢さんというお人がお国の豊前中津へお帰りの途中とかで、おみえになり、家中、お前も入れて、豊子さんも幼い作之丞まで皆でお話を伺ったことがありましたね」
 ちょっと庭のほうを見られながら、又、
 「その時、福沢さんは言われました。あなたは覚えているかしら。侍、百姓、町人それぞれ、身分は違っていても、人としてはみんな誰も同じだ。『泣くし、笑うし、しゃべるじゃないか。天は人の下に人を作らず』と。そんな世の中を目指して、適塾の人達は学んでいるのだと」
 じっと移ろうような目をしながら説き聞かせるようにおっしゃられるのでした。
 「けがらわしいとはなんです。どうして汚らわしいのですか。所詮、此の世に生きているものは多かれ少なかれ、どんな人でも、みんな、人には話せないないような弱みや汚さや醜さを持って生きているのです。偽りの渦巻いている汚い世の中なのです。この小雪さんは薄汚れていますか。何処が穢れていますか。あなたが言う見ず転芸者ゆえに穢れているのですか。いつか、土砂降りの雨の日に、城の内で、お前は下駄の鼻緒をすげてもらったというではありませんか。優しい心のきれいな人でなかったら出来るものではありません。まして、今日は、林さんのお客様でもあるのです。お須香さんが言うように決して穢れているのではありません。人は人です。きれいも汚いもありせん。穢いとは人の心が、そう決め付けているだけです。ひとのこころはだれでも、福沢さまが言われたように皆同じなのです」
 小雪は、自然なつくろいも何もない、さりげない、須香さんだけに言うのではなく、誰に言うともなく、むしろ自分自身に言い聞かせるように語り掛けるように言われる、この喜智さまの言葉が、何かありがたいお経でも聞いているかのように覚え、今までに降りかかった数々の自分への飛語と相まって、無償に悲しさが広がり、涙がこらえようとしてもこらえられず後から後から頬を伝って膝に流れ落ちるのでした。汚らしい汚れた自分自身だ、と、自分でも観念したように諦めて、そのどうしようもない『穢れている』という言葉を自分自身に言い聞かせ言い聞かせしながら生きてきた今までの自分の辛さが涙となっで、次から次えと零れでてくるのでした。


 
 

「小雪物語」 葉田の黍餅

2007-03-24 00:14:36 | Weblog
 「私が、最初、浪速で高雅様にお目にかかったのは、洪庵先生のお宅だったと思います。先生のお宅に、作州の宇田川榕菴先生がお見えになっていらっしゃるとお聞きしたものですからお尋ねしたところ、偶然にも、そこで高雅さまにお会いしました。高雅さまとは、高尚先生のところに2、3回お尋ねしていて以来、旧知の間柄でした。その場で、今回の高雅さまの途方もないと思えるような高遠なご計画を拝聴させていただきました。また、方谷先生をお通しして、直接備中松山藩主板倉様のお口聞きで、徳川様の幕府からも相当のご援助も受けられる手筈になっているとも受け賜りました。それは、紀淡海峡に大暗礁を築造して夷船を防ごうという計画でした。その計画は逐一ご子息様紀一郎さまにはお伝えしてあるようにお伺いしていますので、既に、大奥様にはご存知だと思いますので省きますが、でも、この計画について、あの方谷先生から、『ある時「富潤屋」と墨書された大高檀紙をもらってな』と、あはは・・・とお笑いになっていらっしゃいましたのが印象深くこの頭に今でも残っています。
 老中であらせられる板倉様も、また幕府でも、その後の次から次へと起る国政の難題に、この計画にいたく感心をお示しになっていらっしゃたにもかかわらず頓挫しなくてはならない羽目に陥ってしまったようでした」
 一気に胸にある思いをお出しになったのでしょうか、
 「小雪、もう一献勺してくれ」
 と、これも珍しく林さまは、ご自分からご催促されました。お酌にと、御席に近づいた時、喜智さまも「あ、そうだ・・ちょうっと」とか、小声でおっしゃって、誠に品のいい御立ち様でお立ちになられ部屋から風のようにお姿を消されるように出て行かれてしまいました。
 お酌する小雪を見ながら、林さまがおっしゃられます。
 「この床にかけてあるこの軸が分るか」
 このときになって始めて部屋の中の様子も、小雪の目に映るようになっていました。
 床には、和歌かなにか、どう書かれているのかは定かではないのですが、女手の字で書かれたような軸がお掛けしてありました。
 「これはな、お喜智様の旦那様の輔政さまが、庭に咲くつばきを見て、御詠みになったお歌だ。字も輔政さまの手だ。
 
  つきせじな 花はおつとも 玉つばき その葉にもてる はるのひかりは 

 と詠むのだそうだ。此処からちょっと見えるお庭にある松の側の椿をお詠みだったようです。尽きせない春の光をどのように見ておられたのだろうか。今日の光と同じだろうかな。それにしても、備前はつばきによく合うなあ。この軸ともよくつりあっているではないか。見事なものだ」
 一息入れて、また、
 「まだ拝見した事はないのだが、大奥様も、また若奥様もよくお歌をお詠みだそうだ。どうだ、小雪も歌ぐらい習ったらどうだ。奥様にでも教えてもらってはいかがかな。あははは・・・・」
 久しぶりに聞く林さま本来の声です。その「あははは・・」という声と一緒に、再び喜智さまがなにやらお持ちになって、急に座を整えた小雪の前にお出でなさいました。
 「小雪さんには失礼しました。お客様にお茶も差し上げないとは、私も随分と年を取って物忘れがひどうなったものだこと。・・・さあどうぞ召し上がってくださいね。これはね、足守から頂いた葉田の黍餅です。私が好きなものですから、弟が時々寄こしてくるのです。お茶碗は、あなたが京生まれだと聞いたのですから京焼の茶碗にしておきました。どうぞ、お口をお付けくださいな」
 そんな細かなお心配りのお優しい言葉には、小雪にとっては、もうとっくの昔に何処かへおいてきてしまったかのような柔らかな心地よい響きがありました。
 でも、一方その言葉は、また、桁違いの場所に身を置くいうこりこりに固まった以前の小雪の気持ちに押し戻すのでした。
 「では・・」
と、喜智さまがお座りになられると、そんな小雪を気にしていたのではないでしょうが、林様は、再び、お話をお始めになられのでした。
 「以前から、老中の板倉様などの奸吏に与し、また尊王攘夷を振りかざし、その者達と二股を懸け、富家へ立ち入り大金を貪る大奸物である、天誅を加えねばと、佐幕の人からも攘夷の人からも付狙われておいでのようでした。それを随分とご心配になっておられた、緒方さまのたってのお願いで、今後のことについてご相談にと、あの夜、京での所用もございましての、ついでといっては何ですが、高雅さまとお会したのでございます」
 そこで、林さまは、お手持ちの備前の杯にあるさめてしまったお酒をぐいとお飲みになられました、
 「おや、お酒が 暖めましょう」
と、喜智さま。
「や、これでよろしい。今日は少しばかり飲ませていただきました。この辺にしておかなくては、酔っ払って後のお話が続きませんですから。・・・では、次を始めます。おうそうそう。 大暗礁も大暗礁だが、さしあたり、洪庵先生のご心痛にも心なされてか、方谷さまはご自分の子飼のお人で、備中下道の下倉に住む樋口多平とか申す若者をお遣わしになられたそうです。この人と一緒に、とりあえず琵琶湖から京へ通ずる水の道、運河とか言うそうですが。この建設へとお思いになられたようでした。その樋口とか申す若者は松山藩きっての測量の技量を持っているとかで、これから、その測量に入ろうとされた矢先に起った騒動でした。この計画が完成した暁には、富が京へ集中し、天皇家の磐石に期すという思いからだと、あの夜とうとうとご自分の計画を打ち明けられたのでした」
 どれだけのお金の援助をしたのかそんなあたりの金銭的なことには、お話の中では一切お触れなさらなかった林様でした。

 
 


 

「小雪物語」 なんて・・・

2007-03-19 17:48:03 | Weblog
 「これから申し上げる事は、私にとっては、できる事なら知らぬ存ぜぬで押し通してしまうのがどれほど楽であるか知れません。でも、それでは、高雅さま、いや高雅さまだけではりません、喜智さまの弟君であらせられる洪庵先生に対しても、また、松山藩のお殿様や方谷先生に対しても申し開きが立ちません」
 林様のお言葉の中には、高雅さまを自分が恰も殺してしまったかのような悲痛な響きか見えました。今まで何時もお聞きしていたあの快活な、やや早口におしゃべりになられる、人をひきつけてやまない明るさはどこかへ消え去ってしまい見えず、悔恨の思いだけが体を覆い尽くしているような、一言一言をかみ締めるようにゆっくりと話しになるのでした。
 「洪庵先生も、高雅さまの身を痛くご案じになっていられたということをお聞きしています」
 「騂之助と光次郎とはあまり歳の違いもなく兄弟のようなものでしたから、よけいに心配しとったんじゃろう」
 喜智さまはご自分の膝に置かれた両の手をじっと見つめながら、やっぱり静かに自分自身に言い聞かせるかのように口をお開きになりました。
 「あっ、失礼しました。騂之助は洪庵さんの幼名です。光次郎は高雅のです」
 それからしばらく沈黙が続きます。
 「[此四五日前より浦賀へ又々異国船相見え候由]云々という洪庵先生からの手紙を頂き、高雅さまは、天子様を中心として国防の必要をお考えになり、益々、尊王攘夷の考えを深められていったようです。そして、今までにじっとお胸に暖められていた、紀淡海峡に海防策として暗礁築造を思いつかれてたようでした」
 今まで、じっとその両の手を見つめていらっしゃた喜智さまは、林さまのお顔のほうにお向きになり、
 「なんて・・・」と、喉の奥から搾り出されるような悲痛な喜智様のお声が、しんーとしたお部屋に流れました。それは、また、小雪には、子を思う母親の慈悲深い涙声であるかのようにも聞こえました。
 小雪は顔を伏せたまま、しばらく、畳の目を身動き一つしないで、じっと見つめていました。
 又々言葉が途絶えました。
 ややあって、また、林さまのお声が届いてきました。
 「ご存知のように、それからしばらくして、高雅さまはご長男の紀一郎様に吉備津神社社家頭の職をお譲りになり、尊王攘夷の情押さえ難きにおなりになり、広く天下の志士と交わり大いに国事に奔走すべく、京に上られました」
 林さまは、一語一語恰もその意味を確かめるように、ゆっくりゆっくり確かにお話しにおなりになっていました。
 知っている事を、いや、真実を語るということがこれほど悲しい難しいものかと言う事を、己に言い聞かせているかのようなお話しぶりでございました。
  


「小雪物語」 高雅さまのお母上様

2007-03-15 18:10:01 | Weblog
 かって、京で随分とお世話くださった、あの備中倉敷の薬問屋の林 孚一の旦那さまがにこやかに、でんとお座りになっておられます。
 「どうして、ここに林様が・・・・」
 小雪は我目を一瞬疑いました。あれから時間はそれほどは経ってはいません。わずか一年足らずの間にわが身に降りかっかかった数々の思いも寄らないような出来事が、まるで嘘のように、このお座敷に居住まいを正してお座りになっていらっしゃる林さまを見た途端思われました。
 「まあ、もうそっとこちらに入られえ」
 京では、ついぞ聞いた事もない林様の備中言葉にも驚かされます。その言葉にもつれられるようにして、小雪は、少しばかりお座敷にの中を目指して、ほんの少しでしでしたが、いざり進みました。
 林様の前には、すでにお膳も用意され 備前の小瓶にはお酒でしょうかちょこんと添えられていました。林様はあまりささは嗜まれないとは知っていましたが、喜智さまのお心遣いでしょうか、そんなお座敷の様子に、今までに持っていた小雪の緊張した心は次第に打ち解けていくよう思われます。
 「まあ一杯久しぶりに、勺を、小雪に頼もうか」
 そうおっしゃられて、林様はやおら、これも小ぶりの品のいい備前の猪口を差し出されるのでした。
 小雪は、その言葉に連れられるように林様の前までに進み、膳に据えてあった備前の小瓶を、両の手で愛しむように捧げ持ち、ゆっくりと林さまの差し出された猪口にややさめたお酒を注ぐのでした。
 「この備前を、以前からこの家の主人徳政様が好んでいてね、いつも使っていたのだそうだ」
 林様の声にどこか何時ものはきはきした張りがありません。お酌をしながらそんなことにも気のつくほどの落ち着きが小雪に見えてきました。
 「喜智さまから、京より小雪という人がこの宮内に来ているということをお聞きして、もしやお前ではないかと思い、たってお頼みして、ここへ呼んでもらったのだ。それに、失礼にも、なんと、お前はこの喜智さまと、いつか小路で突きあったとか」
 小雪は「あの時の事を奥様はまだ覚えていてくださていたのかしら。でもどうしてわたしを」と、顔を赤らめながら林様をじっと見つめました。
 
 それからお話になる林様の次々の言葉に、小雪は、大奥様のお座りになた両の膝に見えるなんともいえない品のよさに見入りながら、どこぞ遠い見知らぬ国の出来事であって欲しいような思いに駆られながら、消え入りそうに林様のお話しを聞いておりました。
 文月二十五日、そこまでお送りしてと、林様からいわれて、暖簾をぐぐって、ほんの半町でも歩んだでしょうか、その途端、大きく枝を垂下げていた川端柳の影に身を潜めていた暴漢に「天誅」とか何か言われながらむざむざと殺されておしまいになったあの高雅様の母上様が、この喜智様であろうとは。
 「あの時の高雅さまの最期を見届けた私ですから、もっと早くご報告と思いながら、わたしの都合で、あれから江戸と大阪を行き来していたものですから、遅くなってしまいました」
 そこで、林様は猪口にあるお酒を、ほんの少し口におつけられて、再び話されるのでした。
 「紀一郎様には、手紙ではあらましはご報告させていただきましたが」
 そんな林様のお話をお喜智様は、じっと、口を真一文字にきりりと結んだまま本当に無表情でお聞きになっていらっしゃいました。
 この宮内という狭い狭い世間では、お喜智様のことを「母親としてのわが子への情をお忘れになった非情なお人だ。冷たい、人でなしの母親だ」と揶揄しています。
 無残に暗殺された高雅様の亡骸を、実の母親で、ありながら、頑としてかたくなに京に置きっぱなしにして、この宮内に引き取ろうとしない冷たい女だとしてみんなから非難されているのです。
 そんな非難を知ってか知らでか、林様はあの時のことを静かにお話しになられるのでした。
 そんなお喜智様のお心を慮って、小雪は、これが遠い国でのお伽噺であって欲しいと思ったのです。

「小雪物語」 林のだんなはん

2007-03-12 22:55:59 | Weblog
 小雪は堀家家の勝手口の戸をほんの一寸開け、「こんにちは」小さくやっと口から声が出ました。
 勝手口から一歩だけ入った裏庭には、まだ、花びらの先をほんの少し薄紅色に化粧させた桜が、松の常盤と取り合わせて、何か心地よく並んでいます。その桜のやや向こうの上品な真っ白い塀の側にも1本の手入れの行き届いたあまり大きくはないのですが、藪つばきでしょうか、ぽつんと立っています。もう花の盛りは過ぎているのでしょう、木の周りには一杯の落ちつばきの花びらで敷き詰められ、赤い真ん丸い毛氈が拡げられているのではと紛うほどです。いつか、「つばきが好きだ」と言われた、あの喜智さまの言葉がそのままこの庭に現れているように、小雪には思えるのでした。
 あれからお宿に帰って、姐さん達から小雪が聞いた「やれお高いだ」の「やれ傲慢だ」の「やれ情が強いだ」の、堀家の喜智さまのおうわさとは違った、なんだか暖かな心をお持ちのお方ではないかと、このお庭の木々を見ながら考えていました思えるのでした。
 そんな庭全体に春の霞が優しく流れかかっています。
 この屋の主様も、また、松と桜がたいそうお好きなお方だと聞いてはいましたが、その数寄の思いがこんな裏庭までにも風情一杯の景色を作り出しているのかしらと、どこかなつかしいような、いつか京で見た確か坪庭と呼んでいたと思いますが、そんな所に迷い込んでしまったかのような感覚に一瞬陥り、しばらくその景色を眺めていました。
 辺りは静かで物音一つありません。谷川のさやけき瀬音も此処までは届かないのでしょう。もう一度、勇気を出して、でも、今度もやっぱり小声で「ごめんください」と声に出しました。
 「はーい」という元気のいい声が、見ている庭の木々の間から聞こえて来ました。
 そのとたんに小雪の心はどうしようもない心細さに襲われるのでした。これから起るであろう未知なる物に対する不安でしょうか。ぶるっと小さく身を震わせて、じっと地面を見つめるような姿勢をして待っていました。
 「あらま、小雪さんですね。玄関からお出でになればよかったのに。さあ、玄関に回って、あいにく、今は、作之丞一家もばあやまでも、一寸出かけているものですから、さ、どうぞ、どうぞ、あちらに回って、お客さんもお待ちかねですよ」
 「私のような者、ここからで結構でございます。もったいなさすぎます」
 と、これも蚊のなくように言う小雪でした。
 「なにはともあれ、あなたは、今日は倉敷の林様のお客様ですからね。表に回ってくださいな」
 「でも」「でも」といくら押し問答しても、埒が開きません。ついに恐る恐る小雪は、その勝手口を出て堀家家の玄関の向かうのでした。長いお屋敷の塀を回る小路を下を向いたまま、できるだけゆっくりと歩いていきました。
 決して自分のようなはしためが、出向くことができるような処ではありません。そんな、今、置かれている自分自身の奥底に潜み込んでいる恐ろしいまでの穢さがわが身を襲って、わが身を余計に歪めいじけさせているのでした。こんなに長い道のりを今までに歩いたことがなかったかのように思えるのです。
 ようやく玄関につくことが出来ました。
 その玄関では、やはり大奥様がもうすでにお座りになって迎えてくださっているではありませんか。自分の置く場所がいくら探しても見つからないような気分になりながら玄関に一歩一歩踏みしめ自分の歩を確かめるようにして入っていきました。
 それからしばらくの間、何処をどう通ったのか、なにがなんだか分らないような気分になりながら、お喜智さまに案内されて奥の座敷に向かいます。廊下から見える回りの庭も木々も塀も、向こうのお山も何も目に入りません、ただ通る廊下の一直線に伸びた榑縁の一枚の細長い板の上を歩いていきます。
 それでもどうにか、じっとうつむいたまま案内された部屋にまで行く事が出来ました。
 「おお小雪、無事で生き通せることが出来ていたか。随分心配していたぞ」
 その声はどこかでかで、かって聞いたことがあるように思えましたが、はっきりとは記憶にはありません。伏せ目がちにそっとその声のお方を見やりました。
 「あ、林さま」
 声にならない声が自然と口をついてでてきました。



「小雪物語」 さくらがにおいます

2007-03-11 23:13:16 | Weblog
 その年の雪は、この南国吉備の国にあっても、近来にない珍しい大雪になり、数日間はなにやかやと面倒なことばかりが次々に起きていました。
 雪のために、お客さんが少なかったり、お客さんのことで近所同士が喧嘩したり、物の値段が急に上がったり、この町の暴れん坊の元気者「しょうやん」と呼ばれていた若者が、雪の坂道でひっくり返り、たいそうなお怪我をしたりして、今も起き上がれないなど次から次えと、こんな狭い町内でも、話題に事欠かない毎日でした。
 そんな中でみんで大笑いした事もありました。
 この大雪の十日ばかり後でしょうか、「きんさん」というやりてのおっかはんが、あまり高くはないのですが、二階の屋根から落ちてきた少しばかりの残雪を頭から浴びて、
 「おお痛い、おお痛い」
と、今にも死にそうに、大仰に泣き叫んで皆から、冷ややかな目で見られたのを、弥生なってからも「薄情な女ども」と随分と恨めしがっています。
 「鬼は外」という、店々の姐さん方の素っ頓狂な掛け声と一緒に、神社からありがたく頂いてきた枡に入れられた神豆を、面白おかしゅう大通りを逃げ惑う尻まくりした大勢の男はん目がけて投げつけます。その逃げ惑う男はんの後ろ姿にも、京では見られないめづらかな、鄙びた、何かしら物悲しさを湛えた趣が感じられ、小雪にはどうしても、軽やかな祭り気分には浸りきれませんでした。
 この町は、桃太朗さんの鬼退治の町だそうです。そうかどうかは分らないのですが、沢山の鬼が節分の夜には、町中を練り歩くのだそうです。その鬼目がけて、家々からおなごはんやお子たちが寄って集って豆を投げつけるのです。
 また、如月の初めには、普賢院の境内で、これもまた世にも珍しい裸祭りが行われていました。「おん」「めん」二本の宝木を、裸の男はん達が取り合う怒号か渦巻く喧騒な世界である境内を離れて、清流池からは、水氷を取る女の人の哀愁を帯びた静かな読経の声も聞こえてまいります。悲喜交々とした人の世の情念が立ち込めているようでもありました。
 喧騒な殺気立った男はんの世界と道一筋を隔てて色も欲もかなぐり捨て、ただただ、一心に仏に帰依しようとする物静かな女ごなんの世界が、こんなちっぽけな宮内の中で、お互い無関係なように、また、深く結びつうように繰り広げられます。

 そんなこんなと、月日はあっという間に、この小雪の宮内を通り過ぎていきました。
 
 さくらの蕾が枝々で大きく息をして、今にも己の精をそこらじゅうに撒き散らそうとしています。どの木々からも、ぼーっととした薄紅色の霞がかったような気が沸き立ち、春本番のほんの一瞬にしか見せない木自体の色香を見せています。
 小雪も、そんな宮内の春を、今か今かと、ただそれだけを楽しみにしているかのように待っていました。姉さん達が言っている、この宮内の春がそんなにもきれいなのかしらと、また、京の花とどう違うのかしらと。

 そんな春を待つ春雨に煙る日のお昼近くだったと思います。さえのかみさまにお参りした時、街角で、偶然にお声を御掛けいただいた、あの堀家の大奥様「喜智さま」から、突然、文が届いてまいりました。
 ほんのりとした軟らかい、かって母から聞いた「黒方」でしょうか、それとも「梅花」でしょうか、衣香が立ち上ってきます。その表には、濃いからず薄からず誠に達筆ですらりと「小雪どの」と書かれています。手に取るだけで胸がどきどきするような思いに駆られる小雪でした。
 「いったいなんでしゃろ」。
 震える手を押して封を開きました。
 「俄におもいたちてご都合いかならんとあやぶみながら一筆参らせ候今朝御珍らかなるお人わが宅にまかり下さり候そこもとに是非御目もじ候ばと御申され候御立出でくださるよう願上置候  かしこ    ちか」
 この喜智からの短い文が、小雪のこれからの運命を大きく代えることになろうとは誰も知る由もありませんでした。

 一体何事が起きたのか手紙だけではよく分りません。「どないしたら」そんな思いに駆られながら、まだ一度もこの里に来てから袖を通してない母の形見の紫小紋の羽織の入った小箪笥の当りをぼんやりのなんとなく眺めておりました。
 突然に、お宿のかみさん、お粂さんの、頭の天辺からでも出るのではないかとお思われるようなあの甲高い叫び声が小雪のいる二階に響き上がってきました。
 「なにしているの小雪、堀家の大奥様からお呼び出し。ぐずぐずせんと速よう行きねー」
 そんな声に、宿のお久ねえさん達も「どうしたん、どうしたの」と心配して小雪の部屋へ集まって来てくれました。そんな皆に、後押しされながら、素早く小箪笥の中から出した小紋の羽織を抱くようにして取り出しました。お粂さんも駆け上がってきて小雪の頭など細々とてきぱきと整え、着付けもお滝ねえはんが手伝いそうにしているのも無視して、自分で、何かぶつくさ言いながら手早く着せてくれます。さすが手八丁口八丁のお粂さんと言われていただけの事はあります。誰よりも上手に、あっという間に、着付けしてくれました。
 お店の皆に、押し出されるようにして、大阪屋を出て、半町ばかり先にある堀家のお屋敷を目指して、なにがなんだか分らないまま、重たい歩を進め行きます。
 
 

 
 

「小雪物語」 雪はまだ止みそうにありません。

2007-03-10 22:04:55 | Weblog
 そんな線香花火のような、ほんのあっという間の出来事が、今まで、決して描いたことのない浮世の絵のように浮いては消え、かつあらわになったりして、小雪の目の前にどっしりと腰を下ろすのです。でも、そんな時はいつもあの「お喜智さま」が、この訳の分らない胸の苦しみを消してくれるのでした。
 睦月の終わりになって、再び、この宮内は大雪に見舞われました。
 小窓からは、大きなまるで野にあるタンポポの綿毛のような雪が、かしゃかしゃと音お立てながら降り続いているのが見えます。
 朝明けのようやくの光の中に浮き立って見える大きな牡丹雪の一つ一つに、あたかも自分のこれまでの人生が黒々と映し出されているのではないかと思われるように雪は降り積もっています。
 「私ってだれ」
 そんな言葉にならない言葉が、何時も自然と口についてでてきます。そのたびごと、小雪には、言いようのない寂しさが胸の奥底から湧き上がるのが常です。
 廊下には、ようやく、又、何時の遽しさが戻ってきています。
 周りの部屋部屋からは姉さん達の気だるい埒の明かないような薄吐息も漏れ伝わってきます。
 遅いお客さんでしょうか
 「何時の間に、こげん大雪が・・」
 「ことしゃあ、ほんとによう降るのお・・」
 とかなんとか、べちゃくちゃと備中言葉でしょうか、早口に甲高くののしりながら、足早に帰って行くお客さんの足音だけが、やけに静かな雪の朝の廊下一杯に響いています。
 静かな早春の、京より一味も二味も違った臭いのいっぱいにする宮内の景色です。
 話す言葉は勿論、歩く足音も、吐く息にも、姉さん方の衣擦れの音にも、随分と鄙の香が立ち込めています。
 でも、小窓から入り来た春の雪風は、庭のナンテンの実を吹き抜けて、あの母の匂いも一緒に連れてきてくれたような香が部屋一杯に匂い発っています。
 ふと、まだ幼かった頃、母が何気なく、いつもよく口にしていた歌が、小雪の頭の中に甦ってきました。
 さつきまつ はなたちばなの かをかげば 
                  むかしのひとの そでのかぞする
 小声が口から自然と吐いてでます。
 しばらく置いて、何気なしに
   はるをまつ 里の雪風 ふきよせば
                 昔の人の そでのかぞする 

 と、そんな歌にもならない自分の言葉に自身でおどろきながら、顔を赤らめながらも、口をついてでてきました。

 大きな大きなこれ以上は大きくはならないのではと思うような、春の里の牡丹雪が、次から次えと降り続いています。見る見る内に、大鳥居も、親分さんの灯篭もこっぽりと雪綿帽子を被り、山も木々も屋根も、すべてを雪景色に変えていきますます。
 

「小雪物語」 堀家の喜智さま

2007-03-08 22:59:23 | Weblog
 それから、しばらく小雪の胸には、今この耳にした、初老の令夫人の言葉が何か心地よい子守唄でも聞くように響き続けております。
 大方の人は、「神なんて」といっているようですが、それはそれはありがたい「さえのかみ」だと、小雪には、今更のように思えて仕方ありません。
 この宮内に来て以来、まだ一年もたってはいませんが、自分が果たして自分であることすらっ忘れ去ってしまったような生活です。
 京で危うい自分をお助けくださり、この宮内に連れてきてくださった万五郎親分も、聞くところによりますと、岡田屋の熊五郎大親分のために、あれ以来、諸国を駆け巡り一万両という夢にだにしたことのないような大金集めに奔走しているとかで、この宮内には、一度も姿をお現せにはなられません。
 「なにもせんでええ、心配いらん、ずっとこの街にいるのじゃ」
 と、ぶっきらぼうにお言いになったまま、それ以来まだお目にかかっていません。
 この宮内の「大阪屋のお親さん」という親分さんと随分と親しいお人がおやりになっている宿を塒にするよう言われ、言うままにそれ以来、ここを浮世の仮の宿と決め住まいしています。
 「なにもせずに・・・」といった親分さんに対しても、またお親さんに対しても、毎日ただぼんやりと過ごしていい訳がありません。
 さしあたり今、私にできることというと、今まで自分で生きてきた「うかれめ」と癒され卑下され続けてきた悲しい女にしかできることがない道にしか生きる方法がありません。
 「とんでもないこと」と、おかみさんには随分しかられもし、又、反対もされましたが、女の悲しい性にも引きづられるようにして、再び、この道に、こんどはあえて自分から飛び込みました。
 しかし、毎夜、見知らぬ男に抱かれ続けることのむなしさにさいなまされ続け、
奈落の果ての今の生活に、自分でいい加減に見切りをつけようにも、その道も洋として分らず、自分が自分でないままの自分に追いやらされているのでした。 
 そんな時の、不思議な出会いがありました。
 「喜智さま」
 母の姿を瞼に浮べながら、決して返事のもらえない塀の向こうに消えるように去っていかれたお姿に向かって、そっと呼んでみました。

「小雪物語」 喜智さま

2007-03-07 21:52:05 | Weblog
 この狭い宮内にいますと、この事件に関わった人達のことが知らず知らずのうちに分りました。
 高雅様は、このお国の事を随分と憂えて、徳川様の世の中では、この国は、もはや持ちこたえられなく、新しい天子様を中心とした国作りをする必要があると、お考えになり、アメリカなどよその国に対してしっかりとした国に作り変えなくてはとお思いになったとか。また、こんな思いに、高雅様が駆られたのは、多分、あの緒方洪庵とかいう足守のおじさんの影響があったとか。お国を護るためには、まず、紀州と淡路の間に、他所の国の、大砲を積んだ大きな鉄の蒸気船が入ってこないような暗礁をこしらえる必要があるとかお考えになったとか。また、そのために、お江戸の将軍様や鴻池などの大商人に語らい、沢山のお金をお集めになって私腹を肥やしたとか。
 そして、ついに、将軍様を倒して、天子様の世の中に作り変えようと知るお人達、何でも長州や薩摩のお若いお侍様達だと言う事です。その人達にあらぬ噂を立てられ、そして、恨まれて、あのようなむごい殺され方をされたとか。
 そんな噂があちらこちらから飛んできては消え、消えては、また、囁かれたりしています。そんな噂が自然と小雪の耳にも届きます。
 世間は、先生のようだと小雪は思いながらも、いろんなお人からの噂が次から次えと聞こえてまいります。でも、新之助様の噂は、いくら耳を欹てていても、小雪が思うようには届きませんでした。
 こんな噂話に入り混じるようにして、お正月様がやってきました。みんな小忙しく身を粉にするように合いも変わらず働いています。そんな今年は、正月以来例年になく長いこと冷え込みが厳しく、ついつい家に籠りがちだったのですが、小正月が過ぎて、2、3日した頃だったでしょうか、春のような随分と温かい日がありました。
 吉備津のお社の中の、清龍池に、小さな島にかあり、そこに赤い祠があり。それが「さえのまみさん」だと、何時かお客様だか宿の姐さんだかに聞いたことがありました。今日の俄の温かさに、ついふらふらと小雪は、そのお宮さんにお参りすることにしました。
 お参りする人は誰もいない、ぐずれかけたような薄汚れた赤っぽい祠がありました。温かい日差しの中で、久しぶりに随分荒れ果てた両の手をそっと合わせ、恥じ入るように「こんな私でもお守りください」と小さく小さく拝みました。誰もいない太鼓橋を一歩一歩踏みしめながら元来た道を通り、街の路地に入りました。年末に降った大雪が、家々の軒下などに薄汚くなって残て下ります。その残り雪に当って、きらきらと跳ね返ってくる春の日の光が暖かく町全体を覆い尽くしています。崩れそうな花街独特なわびしさが、家々の格子の窓に、屋根の瓦に映って見えます。そんな通りを、小雪は、ただ一人、とぼとぼと歩みます。
 その道を少し行くと、ややあって中山から流れ下る細谷の小さな瀬音を耳にする事が出来ました。雪解け水で、何時もよりは大きく瀬音を小山に響びかせています。
 「まかねふく きびのなかやま おびにせる 
            ほそたにがわの おとのさやけさ」
 この歌も、この宮内に来てから、宿の姉さん達から教わったものです。
 流れ落ちる今日のこの瀬音からは、さやけさでなくて、ざわざわと言う、あの中山颪の松風にも似た騒がしい瀬音になっています。「がまんおし、しんぼうおし、しんぼうしい、がまんしい」とでも言うようだと人事のように笑みを浮かべて、この小さな流れの音に、しばらくの間、聞き入りました。
 でも、久しぶりの笑みだという事は、小雪自身には気が付いてはいません。
 それからしばらく、そこに佇んで、その小生意気な瀬音に耳を傾けていましたが、再び、もと来た道を引き返します。
 今そこで聞いた瀬音が、何時までも耳に残り、その音を確かめでもするようにそぞろ歩きで帰って行きました。あの瀬音が、ひさしぶりの今まで身の内に一杯に溜め込んだ澱んだあくたを吐き出し、流してくれたような気分になりました。
 「ああ、さえのかみさま」
 小さく囁くように、しばらく振りに、口から吐いて出ました。
 その途端です。曲がり角からお出になられたお人と出会い頭に、私の体ごと突き当たりました。「あっ」と思う間もなしの出来事でした。
 そのご婦人も、突然でしたのでしょう2,3歩後ろによろけました。でも、幸いにして倒れ込むという事はありませんでした。
 「ごめんなさい。ぼんやりとあるいておりましたさかい。おけがありません」
 小雪の消えんばかりの言葉。ふと顔を上げて、そのご婦人を見ました。
 「あっ おっかさん」
 思わず本当に小さな、人には聞こえるか聞こえないか分らないような吐息のような言葉が、小雪の口をついて出てしまいました。初老の、如何にも気品に満ち溢れていて、それでいてしゃんと凛々しい物腰の深そうなそのご婦人は、どうしてこうなったのかしばらく考えてでもいるかのように、そこに佇んで小雪を見ています。
 小雪が、一瞬に母かと見間違えたその女の人は、小雪の如何にも野暮ったい田舎びた椿の柄の羽織か何かをしばらく眺めていましたが、優しく声をかけてくださいました。
 「何処を宿にしているの。確かお母さんと言ったように聞こえたんだけど。どうして」
 それからしばらく何かをお考えになっているかのように、無言で私を見つめておいででした。  
 「私はつばきがとても好きなの」
とぽつんと、それもやや大きな声でおっしゃいました。
 私が遊女だということを十分知ってお話して下さっています。遊女になって以来、女の人から、こんなに優しい言葉て話しかけられたことは一度だって経験した事はありません。
 それからしばらく間を置いて、また、そのご婦人は優しく言葉を静かにかけてくださいました。
 「言葉から言って、あなたはもしかして京の女、まだお若いようだけど一杯苦しみを持って生きているのね。おかあさんお元気なの。・・・・どうしてここに」
 小雪は、この不思議な今の出会いが、どこか知らない夢の世界で起った事のように思えてなりませんでした。
 「はい、・・・・京どす」
 ただ。それだけの言葉を出すのにも、唇に何か重い重い重石を下げているようで、胸が一杯になり、息が詰まりそうに覚えました。
 それから、又、その女の人は独り言のようにゆくりと、自分にでも言い聞かせているのではと思えるようないい草で
 「その若さで、あなたも随分と苦労した事でしょう。今あなたが言った『ごめんなさい』と言う言葉には、真心がありました。本当に素直な心の底から、今、初めて生まれたのではないかとさえ思われるような赤子の優しさが見えました。今のこの辺の女にはない美しさを、あなたはお持てですね。みんな女ですから、みんな同じと言うわけにはいきませんね。」
 中山颪の寒風が二人を通り抜けてぴゅうと吹きすさびます。しばらく沈黙が続きます。が、再び、その女の人がお話を続けられました。
 「でも、女はどんな人でも、何処に住もうと、誰であろうと、みんなそれぞれの悩み苦しみを、大きい小さいの違いはあっても、持って生きていかなくてはならないのです。それが女の生の悲しさでしょうか。じっと我慢をしなくては生き通せないのでしょうか。それにしても悲しい女の生ですこと。我慢だけが女の道ではないのでしょうが。でも、・・・・女にも意地もあります。人がどんな言おうとしなければならない女の道があります。悲しいけれど、あなたも強く生きるのですよ。私は、堀家のきちといいます。一度訪ねておいでなさい」
 それだけ言われて、路地を曲がられ、崩れかけの土塀にお姿が吸い込まれるように行かれてしまいました。
 「がまんおし」の瀬音が周りの家々の白壁にあたって、小雪の耳に誇らしげに響いてきます。


 
 

「小雪物語」 小紋の羽織

2007-03-06 23:40:06 | Weblog
 京という20年近くも住み慣れた土地を離れ、このような鄙に暮らそうなどということは、かって考えもしなかった突然に降って湧いた様な出来事でありました。
 小雪には、今、ここにこうしている自分が不思議で不思議でたまりません。たまたま命永らえたのは、きっと、母が深く信心した「さえのかみ」のご加護であったのかもしれないと、うらめしく思い寄せるのでありました。
 あの時いっそという思いも、一方にはあったのですが、現実、今ここに生きている自分をどうする事も出来なくて、うら悲しさが、次から次へと舞い落ちる牡丹雪と一緒になって、この町に来てから買い入れた田舎びたやけにハデハデしい羽織の柄を見ていると、切なさが余計に募るのでした。
 激流の中をさまよい下るようにして、京からこの宮内へ下り来た時、たった一つ母の形見とわが身離さず携えてきた小紫の小紋に蝶をあしらた羽織が、あれ以来一度も袖を通さないままに、部屋の隅の小さなみすぼらしい小箪笥の一番下の引き出しに入れてあります。
 しばらくその小箪笥を眺めていましたが、そっとその小箪笥に寄り、小さく引き出しを開けて、中にある母の形見の小紋の羽織に手を当てます。この鄙に来て忘れてしまっていた母の面影がほんのりと匂い立ちます。
 小窓から見える庭の南天には、牡丹雪がシャカシャカと音をたてながら、なお、降り積もっています。その音は、母の「元気出して」と囁くような懐かしい声のようでもありました。
 こんなにひっそりと降る雪の坪庭と裏腹に、大鳥居の大通りには、吉備の中山からは山おろしの風がびゅうびゅうと吹き付けています。こんもりと茂った大松の木々の間を通り越し、山から吹き降ろす風にあおられて、あるいは上に下に、又、左へ右へ、雪が激しく舞い飛んでいます。
 この裏と表の降る雪の違いに、ほんの数年しか経っていないのですが、その昔と今とを同時に見ているようで、人の運命の皮肉さ、厳しさをつくづくとを思い知らされています。
 ゴウゴウト唸りを上げて雪は降り続けています。『忘れろ』『忘れろ』と降り続いていますが、小雪の思いはそれとは反対に、降れば降るほど、激しくなればなるほど、余計に深くなるばかりでした。相変わらず、地上に打ち付けるように、そして、降り続いております。
 京では決して見ることが出来なかった激しく荒っぽく降る西の国の宮内の雪が、何か余計に小雪の心を打ち砕いて悲しさのどん底に突き落とすのでした。

 ひょんなことから、備州倉敷の薬問屋の林様にお情けを頂いてこの方、事あるにごと、いつもお側に侍らせて頂いているのです。今晩も、その林様のご指定によりこの京でも指折り名老舗「泉屋」の離れ座敷に招かれ、その林様のお客様とご同席したのです。
 なにやら、お話が込み入って来た時、林様から
「大藤様とお二人で話しがある、そこの2人席をはずして」
と、いわはりました。
 用意されていた別のお部屋でしばらく新之介とお二人で向き合ったまま黙って座っていました。時間がするりと二人の間を通り抜けて行くようでした。
 しばらく無言のままの時間が過ぎていきました。この屋の向こうの部屋から何やら陽気な歌声が突然として鳴り響きました。
 それが合図であったかのように、新之介さまはご自分の国のことやら何やかにやら、随分と早口で、私がそこにいるのを無視するかの如くに、独り言のように長く本当に心を込めてお話になりました。そのお話を、私は遠い遠い国のお伽噺かなにかのような真新しさを覚えながら、面白く聞かせていただきました。
 そんな新之介さまからお聞きするお話総てが珍しく思われました。小雪が今までに見たこともない聞いた事もない備中と言う小さな田舎町のこてですもの。小川で釣った小鮒の話、海に浮かべた船で釣った鯛の話、泥の中を駆け回って追いかけた鯉の話、剣術の先生や友達との試合の話など、総てが物珍しくまた面白く「男はンの世界だな」と、新之介様のなさるお話がこのまま何時までもづっと続いて欲しいものだと、ふと思いました。
 小雪には、男の人と、それも自分と余り年端も違わない男の人と、これほどゆったりお話したことはありませでした。
 男の人といえば、逢えば、すぐ、いやらしいじろりとした目で、まず小雪の胸や腰辺りを眺め回しながら、ぐいぐいとその胸の中に抱きこまれる事ばかりでした。いくら嫌でも「嫌だ」とはいえない悲しさが、何時も自分を包んでいました。身の回りを取り巻くように絡み付いていました。お金という、人が作り出した物で、人一人をがんじがらめにくるりくるり巻き上げて、自分ではどうしようもなく、ただ、人の言うまま立ち振る舞わなくてはならない自分が悲しくて悲しくてなりませんでした。その中に入り込んでしまった自分を何時も呪っていました。そんな小雪を、人として扱ってくれたお人は林さまを除いてはいませんでした。その林さまとも、又、違う新之助様とのお話は、本当に小雪を感激させました。そのお話を聞いていて、心が落ち着きます。安心があります。わくわくした浮き立つような心があります。お話を聞く喜びも、また、楽しささえも湧いてきます。総て、今まで知らなかった新しい新鮮な事ばかりです。出来たら、もう一度でも、二度でも、新之助様のお話を聞きたいものだと思う心が自然と小雪に生まれてきました。小雪を「遊び女」ではない、自分と同じ人として、普通の女としてお話してくださいます。尊いお人を仰ぐように、そのお話を聞いておりました。
 「人はつらいもんだ。瘠我慢の連続だ。それが生きることなのだ。私にはようわからンが、そんな気がする」
 と、じっと小雪の方を見て言われました。新之助様の目とキッと合ったように小雪には思えました。
 そんな時、泉屋の姐さんが「もう戻って来いとのことどす」と、お迎えが参りました。なんだかとても突然につまらないような情けないような気分になりましたが、急いで、新之介さまと、お二人のお部屋に立ち戻りました。
 「話は済んだ。お前もお客はんと一緒に、お帰り」
と、いう林様のお言葉に部屋を追い出されるように、泉屋のご門をくぐりました。 その時、その一瞬の後に起ったことを誰が予測できたでしょうか。

 お店の玄関を出てすぐです。お稲荷様のお社の側に川端柳があります。
 そこに、林様がお迎えした大藤の高雅様を待ち構えた数人のお武家様がいようなどと。
 一斉に数人の覆面の武士達が「天誅」とか、なにか叫んだと思うと、やにわに高雅さまに、刃が切り落とされます。新之介様にも、私にまでも、それらの覆面のお人の刀が振りかざされました。私をかばうようにしたいた新之介様は、ほんのあっという間に、私のこの目の前で、無常にも「思い知れ」とか何か大声で言ったお人に切りつけられ、「ううー」と新之介さまもお倒れになりました。「剣術にはある程度自身がある」と、おしゃられていた新之助様ご自身のお刀を、お抜きになる暇さえなかったのではと思えるような突然の出来事でした。
 その刀は、更に私にと向けられたようですが、その場に、丁度通りすがりの片島屋の万五郎親分さんに危うく助けて頂きました。この宮内に連れて逃げてくれたのでした。
 河内屋のおかはんに、どう話をお付けになったのかは分らないのですが、兎に角、後で聞いたのですが、林様ともご相談なって、私はあわただしく、しかも逃げるようにして京を後にしたのです。
 万五郎親分さんのお話ですと、私自身の命もその時、どうなるやら分らないという緊急の状況で、すぐにでも身を隠さなくてはならないとお思いになり、林様とご相談なさって、この宮内に取りあえず隠す事にしたのだそうです。私自身の全くあずかり知らない世界の出来事だとも、聞かせいただきました。
 その後、この宮内に落ち着いてから、京から吹く東風によりますと、三条通りの高札場に、あの大藤高雅様の首が懸けられてあったと伝えられておりますす。なお、残念ではありますが新之介様については全く知る由もございません。
 なお、その後、この宮内でも、この事件のうわさは根堀り葉堀り、ささやくようにしばらくの間、人々の間を流れ流れしていました。
 しばらくたってから、新之介様の噂もぼつぼつ人の口に昇ってくるようになりました。
 それによりますと、新之介様は、近くの庭瀬藩の足軽るの子で、早くから神童とか何かと言われながら、足軽るの子ということだけで随分といじめられて育ったようでした。学問だけでなく、武術も秀でていて、この藩で若者の中で、1,2を争うほどで、それもまた、上役の子供達のためにいじめの対象になったということです。
 それがひょんなことから、大藤高雅様のの「後松屋」に入門してようやくその才能が芽吹きだし、生涯の師匠として大藤高雅様に付き添い、お若い命を落とされたのだ、と、噂されていました。
 



 

ちょっと小雪は置いといて

2007-03-03 20:38:05 | Weblog
 3月1日、吉備津神社で恒例の「3月朝詣会」がありました。3月の会には、倉敷の西浦から友達を招いて本殿に参詣した後、何時もの通りの豆御飯を頂きました。
 たった200円の質素な朝食でしたが、本殿の荘厳さと禰宜さんの祝詞の声がしばらく耳に打ち残って、朝食のお膳にもなんだか知らないのですが、その厳かさが乗り移っているようで、随分と美味しくいただきました。これも神のお加護かなという気分にしてくれました。
 普通なら、「なんだこんな御飯か」と思うような質素なメニューですが、そこら辺りが神社で頂く、御飯の特別な美味しさを醸し出しているのではという気がしました。
 雰囲気が美味しさを引き出しているのです。魯山人の器と同じ巧妙さがにじりで出ているのではと思いました。

「小雪物語」 親分灯篭の雪

2007-03-02 23:37:07 | Weblog
 どのくらい時間が経過したでしょうか、朝のお客を送り出している姉さんでしょうか、
 「まあ珍しい。今朝はえらく冷えると思ったわ。この分ならまだまだ積もるわ。兄さん気を付けて帰ってな」
 嫌なのか嬉しいのか分らないような素っ頓狂な声が冷え切った部屋に一杯に飛び込んできます。
 それが合図であたかのように、あちこちからの障子が開く音がしたなと思ったのも束の間、「まあめずらしい」だの「帰りが大変だ」だの「いつのまに」だのなど思い思いの男や女の声に打ち消され、家中が突然の大騒ぎに変ります。
 小雪は、その騒々しさにふと目を覚まし、家中の騒ぎを毛嫌いでもするかのように布団の中に頭を押し込ませるのでした。
 でも、すぐ
 「雪?」
と、小首をかしげて、いやいやながらのように、側においてあったさも安物の田舎じみた羽織を肩に引っ掛けて、小窓の側へいざりよるのでした。
 それから一呼吸を置いて、何か怖いものでも見るように両手を添えて、2,3寸ばかりそっと窓を開けて外を見ました。
 昨夜遅く、自分の客が、如月の霜かと迷う月光に背中を押されるようにしてとぼとぼと帰って行った、吉備の中山へ向かって吸い込まれるように伸びている大通りも、吉備津神社の本宮と覇を競うようにして大空へ向かって建つ大鳥居も、怖いものなしの親分灯篭も、中山の松も細谷の流れも総てが細かく舞い落ちる雪の中にひっそりと身を潜めているように見えました。
 何気なく、ふと目を屋根の下にある、この屋の坪庭が目に入りました。
 小さな庭石の側に植えてある南天の真っ赤な実が雪綿帽子を被り、だらりと穂先を下げています。雪の白と南天の赤がしきりに降りしきる雪景色に、なんともいえない清々しさを描いています。
 この景色は、定かではないのですが、小雪は、かって見たように思えてなりません。
 確か、京の四条の小路だったと思います。母と子が互いの凍えかじかんだ手と手をしっかと握り占めながら、無言で降りしきる雪の中を母の羽織で覆って歩いた4歳か5歳の昔の記憶がおぼろげではあるのですが、この雪景色の中から甦ってきます。
 何処をどう歩いたかは分りませんが、尼様のお寺で頂いたおかゆの温かかった事が記憶に今でも残っています。それから、尼様の後ろに掛けてあった雪を被った南天の絵も、どうしてかは分らないのですが、子供心にやけに強く残っていたのです。
 かって、尼様の後ろに見た絵と、今、目の下にある実際の景色が全く同じように重なって見えます。
 庭の南天に降りしきるその雪を、しばらく見つめていた小雪の目から一筋の涙がさっと流れ落ちました。それを合図にしたように、後から後から、堰を切ったようにとめどなく流れ湧いてきました。
 降る雪の白さにか、それとも南天の赤にか。いやいや、自分の身に、今日の降る雪のように振りかかった20年という時に対する涙でありました。
 母の病、借金、・・・。
 お定めを絵に描いたような女にしか味わえない苦悩。
 「新之介」という名前しか知らない、まだうら若いお人から頂いた心も身も一瞬に蕩けそうになる男の人の情。
 そんな思いがごじゃごじゃになって、今一挙に、この雪の朝、小雪の涙となって現れたのです。