私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

大祓い

2008-06-30 20:36:27 | Weblog
 毎年吉備津神社では六月の晦日に「大祓」夏越の祓いを行います。今年度も県下各地からたくさんお人がこの行事に参加していました。
 人形を溝に流します。(この溝は余りにも人工過ぎて、夏越の祓いの趣は感じられませんが)この人形は自分の身に付いた諸々の災害邪悪を撫で写し、身に纏う罪科を祓い遣る代物とするのです。この人形が溝の中を流れる間に大祓詞(おおはらへのことば)を参加者で唱え奉るのです。
 この吉備津に住んでいる人でも、今でもこんな神事を吉備津様が行っていつと言う事は知らない人が多いのではと思ます。ちょっとした隠れた年中行事なのです。

なお、大祓いの神事で、始めと終わりに神主が神殿に向かって低く長くウォーウォ-と唸りかけますが、これは昔よりの慣わしだそうです。なぜ、こんなことを神事の中で行うのかと言えば、前に「松の落葉」ども説明しましたが、再び書いておきます。
 このウォーウォーと言う言葉は、なじめは「称唯」と書いていたのだが今は「於々」と書いているのだそうです。
 高尚先生によると、最初は、周りにおる人たちに、今ここに尊い人がおられる、それそれそこをこれからお通りじゃ。みんな気をつけなさいよ。しぃっ、静かにしなさいよという合図であったものが次第に変化していって
 「神様の御前だ。気をつけなさいよ。それそれそこに神がいます、頭が高い、もっと頭を下げて、十分に敬いなさい」
 と、周りの人たちに呼びかけているのが、この「おうおう」と言う言葉の持つ意味なのだそうです。
 大祓いでは備えつけられた神殿に神をお迎えする時と神事が済んで神様にお帰りいただく時に神主が発する言葉なのだそうです。
 
 なお、ちょっと余談になりますが、仮神殿に吉備津彦尊を移す仮遷宮の時も、藤井宮司の「おうおう」と言う言葉の元に、神輿に載られた吉備津様が、人々の前をしずしずと厳かに進んで行かれました。

執念の物造りー宮大工・小川三夫の世界

2008-06-29 09:05:50 | Weblog
 わが町吉備津の普賢院からのご案内を頂き、昨日、倉敷芸文館での「高野山真言宗備中青年教師会」主催の文化講演会に参加させて頂きました。
 正直言って、こんな会が催されること事態に驚きを隠せませんでした。昨今、お寺さん、いや、仏教と言うと、ただ、葬式だけの形式的な儀式に陥ってしまって、形骸化してしまっているような感がしていました。開かれたお寺さんと言う言葉は聞くのですが、その実態は何処へ行けば見ることができるのかという思いに駆られれていました。
 昨日は、その姿が忽然として私の目の前に大きく現れました。若い僧侶が中心になって緻密に活動されているのです。私が知らなっかっただけでした。
 余りにも現代の社会は即物的な欲望のみを追い求めると言う風潮が満ち溢れていて、われわれ大衆が、神仏に客観的な御利益を求めることなくなくなってしまい、救いの御手を拒絶していると言う現実はあるのですが。
 でも、昨日は、生きて働いている仏教の姿を見つけることが出来ました。人々の生活に何か活路を見つけ出してくれるような催しだったのではないかと思いました。
 普賢院さんの若い僧侶もこの場で大いに活動なさっているのを拝見して、わが町にもと、大いに誇らしげにさへ思われました。

 昨日の講演会は、宮大工の小川三夫山のお話でした。
 彼は、お話の中で
 「執念の物造りが“いいもの”を作る基なのだ。手でする仕事は目で感じ、物を作ることにある。それが本当の美しさを造りだすのだ。例えば、薬師寺の国宝の五重塔の一階にある柱は真っ直ぐに立っているのではない、2.5cm傾いている。それだけの傾きがあるから見た目には真っ直ぐに見えるのだ。コンピューターの技術だったら、この2.5cmの傾きは作り出せない、。科学的な真っ直ぐは、人の目には真っ直ぐとは映らない。人々にいいなあーと感動させるものは、言い換えると、総ての人が美しいと感じるものは、この執念の物つくりから生まれるのだ。近代的な機械では決して造ることはできない。人間の目や手や指や体から造る執念の物造りからでないと造る事はできない。人の執念の心が入り込んでいるからこそ、美しいものに接すると、ありがたいと言うこころが起きる原因にもなるのだ。最高の材料と最高の技術を持って創造されたお寺は1000年の命が宿るのです。だから、ありがたさが一層募るのだ。1000年には1000年の価値が当然あり、それは敬虔さをも生んでいるのだ」
 と、槍鉋の実演もされながら、人の手による物造りの大切さを淡々と語られました。

あせん 64

2008-06-28 11:08:23 | Weblog
 ゆきが伝えた「お忘れ願いたい」と、最後に口重に呟くよう言われたという老医師直弥のことを聞くと、おせんは「ううううう・・・」と喉の奥から搾り出されるような声と共にその場に倒れこむのでした。その声は、到底、この世のものとは思えない地獄の門からでも響いてくるかのように部屋中にとよもしていました。
 「女も決して損をしない。それを連理の枝になって、必ず、二人で探そう」と、たった10日前に言ってくださったその人が、もう、この世にいないなんて、とても、信じろと言っても信じる事が出来るはずがありません。おせんの目の前が、突然に真っ暗になり、その真っ暗な闇の中に自分の体がぽかっと浮いて、そこら辺りを根無し草のように漂っているのではないかと思われるのです。
 どこかその真っ暗な闇の中から政之輔の差し出す真っ白い手が消えたり現れたりしながら空ろに浮んでいます。懸命にその手をおせんが掴もうとするのですが、今にも届きそうになると瞬間に、その真っ白な手は、どこへともなく、すーと消えてしまいます。それでも、おせんは、なおも、手をいっぱいに伸ばし掴もうとします。が、そこにはもはや政之輔の手も何もありせん。うつろな虚しさだけが漂い、何もないただの一面が真っ黒なものの中に一人ぽつんと取り残されるようでもありました。一生懸命に「政之輔さま」と呼ぶのですが、その自分の声もその真っ黒の中に吸い込まれて掻き散らされる様に何処かに消えていきます。それでも一人で、その自分の声が消えて行った方へと、ふらふらとなおも真っ暗な闇の中を漂いながら追いかけていきます。
 そのうちに、真っ黒な闇も、それまであったなにもかも総てのものが心の中からきれいに消え去り、と同時に、自分自身さへもが、また、一緒に消えていきいき、何もかもが一切空っぽになっていきました。
 ゆきは、ぐったりとして力なく身を沈めるようにその場に崩れるようにして倒れていったおせんを抱き起こします。どのように介抱してよいのやら分らず、ただ 
 「おせんさん、しかりして」
 と、懸命に背の辺りをさするだけでした。

あせん  63

2008-06-27 08:22:46 | Weblog
 政之輔の叔父袋直弥は、それから、また、静かに眉間に苦渋の筋を浮かべながら、自分にでも言い聞かせるように、
 「もう五十も、疾うに過ぎているにも拘らず、上手にも至らず、行末も無いのに、未だ、世俗の事に携わりながら生きております。このような生き方を、あいなく見苦しい下愚の者がする事だと、兼好さんも言っていますが、私は、相変わらず、この年になっても万のしわざをやめず、余生も楽しまず、老人の生き甲斐も何もない、その日その日を追いかけられるように暮らしをしています。おぼつかなからずして止むべしと、言っている、兼好さんの報いかもしれんのじゃが。本当にいつも世事にばっかり心を悩ませているのです。そのためはどうかは分りませんが、今度のような自分の身の置き所のないような酷い事件にも遭遇します。生きていてよかったかどうかは分りませんが、それでも生きています。・・・・・・そんな性もない年寄りの言う事じゃが、おせんさんとやらに、これだけは是非伝えて欲しいのじゃ。政之輔の死を知ったらなば、その二人の恋がどれだけのものだったのかは知りもうさんが、往々にして、特に、娘ごの場合は、その跡を追って自らの死を考える事が、世間一般にはよくあることなのじゃ。でも、死んだらいかん。生まれてから今まで生きた甲斐がない。第一、父母の歎き悲しむ姿も考えてもらいたいのじゃ。どうしようもなく辛く悲しい、自分一人で生きていてもしょうがないと思うじゃろうが。是非、生きていって、これからの全くの新しい今までになかった自分を見つけて欲しいのじゃ。これでもわしも医者の端くれじゃ。死んだらいかん、死んだらいかん、と。死んでしまったら、結局、負けなのじゃと。恥ずかしながら、未だ、世事に携わりながらもんもんと生きているこの年寄りからのたっての願いだと、お伝えくださらんか。比翼連理をお誓い下さったことを、政之輔に成り代わって御礼申し上げますと。・・・・・・・でも、政之輔の事はできる事なら忘れて欲しいと思うのじゃが。できることならお忘れ願いたいものだと思っていますとも」

あせん 62

2008-06-26 15:01:32 | Weblog
 「この一本の手ぬぐいが松の葉の女将さん、そうあなたを教えてくれたのです」
 と、懐から取り出した手ぬぐいを懐かしむように眺めていました。
 「そうですか。あなたのお店で、時々、うなぎを食べていたのですか。この堅物と、思っていた政之輔もそんな余裕を持っていたのかと思うと・・・・それを聞いて、ちょっとは心が和むように思えます。あなた女将に、こんな事を申し上げても致し方ないと言うことは分っているのですが、かわいそうなぐらいの本当にむごい無残な死に様でした。どうして殺されたのかわけが分りません。誰も話してくれないのです。奉行所内で殺されたと言うことだけは確かですが、残念で悔しくて悔しくてたまらないのですがすが、悲しいことに調べようがありませんが」
 大先生は必死にこの悲しみを堪えているように、じっと下をお向きのまま、ゆきに、その死を話し聞かせるのです。
 ややあってから
 「無力でその原因を確かめられない私を、あれの父親の時もそうだったのですが、政之輔は随分怨んでいるのではと思うのですが、残念でたまらないのですが、今は、私の手でそれを解決することは到底不可能なの事なのです。・・・・・・・あ、そうだ。さっき、女将さんが申されていた、おせんさんとは誰ですか。政之輔と何か関係があるのですか」
 「こんなこと申し上げてよいかどうかは分りまへんのやけど、この際どす、お話しいたします。・・・・はい、おせんさんは政之輔さんが連理の枝に成ろうとお約束されたおかたどす。それはそれはやさしいきれいなこいさんどす」
 「そうですか始めて知りもうした。そのお話を伺って、余計に死んだ政之輔も残念だったでしょう。でも一方では、私事の勝手な話かもしれませんが、私は、女将さんからそのお話を聞いて、実は、今、ほっとしておりますのじゃ。と申しますのは、立派な25歳にもなる若者として、下賎な話で申し訳ないのじゃが、色恋も知らんと死んでいったとなると、不憫で仕方ないのじゃが、あの政之輔にそんなお方がいたと聞いて幾分かはほっとしております。出来ればお会いしてお話を伺って見たいのはやまやまですが、会って今更どうすることも出来申さん。かえって悲しみが募るばかりじゃと思います、会わんでおきましょう。それの方がそのおせんさんとか言われたお方に対してもいいのじゃないでしょうか。・・・松の葉の女将さん、そのおせんさんが、もし私に会いたいと申されるのでしたら、いつでもお連れください。出来る限りのことはお話しいたしますので」

おせん 61

2008-06-25 19:13:07 | Weblog
 何もかにもめたやくちゃに荒された部屋に遅桜の花びらが4つ3つ風に運ばれ入って入ってきます。その花びらの一片が投げ出された引き出しの上にも舞い降ります。花びらが舞い降りた所には、真新しいきちんと折畳まれて真っ白な包み紙に包まれている一本の手ぬぐいがありました。
 「どうしてこんな所に」
 と、思いながら、拾い上げ広げます。
 手ぬぐいの斜め上から一本の松の意匠が描きこまれ、松の意匠で分けられた斜め右半分したは藍色で染められています。中央部分の上から斜め下にかけて白の部分は青で、青の部分は白抜きで、
   夕つくよ さやす岡べの 松のはの
            いつともわかぬ 恋もするかな
 と言う貫之が誰かの和歌が崩し字で鮮やかに染め抜かれています。また、右下の青の部分には、錦町 松の葉と白抜きの字が染め出されています。随分と粋な洒落た手ぬぐいです。
 錦町の松の葉と言う店が、なじみの客に何かの記念として配ったものに間違いはなさそうです。それが何かの縁で、政之輔が大切に引き出しの中に入れていたのでしょう。その手ぬぐいが、今回の家捜しで、引き出しと一緒に畳の上に放り投げられるように散らばっていたのです。机の中に大切にしまっていたと言う事は、多分、政之輔にとっては大切な手ぬぐいであったのでしょう。
 袋直弥は、この手ぬぐいで何か政之輔の死に繋がるものがあるかも知れないと思い、懐にそっといと愛しむように仕舞い込みます。
 こうして、袋直弥はゆきの店である松の葉を知るのでした。
 早速、使いを松の葉に遣り、ゆきを袋医療所に呼びます。
 「わざわざご苦労でした。私のほうから松の葉を訪ねて行くのが筋ですが、貧乏暇なしで、女将さんにまでご足労お掛けてしもうた。お詫び申し上げます」
 と、丁寧にご挨拶されます。
 「早速、用件に入るのじゃが、袋政之輔を知っておろうな。どうじゃ」
 「はい、よく知っております、いつも私の店でうなぎ蒲焼を、うまいうまいと食べはっておいでででしたが、なんぞ、ふくろう先生の身に」
 そこで、ゆきも始めて政之輔の死を知らされるのでした。
 「ふくろう先生がどうして死にはったのですか、おせんさんにどういったらよろしゅうおすの。そんなむごい話っておますの。どうしてなのどすか。あんないい先生をどうして殺したたりできるのどす。この世は地獄どすか。おせんさんが可愛そうです、かわいそう過ぎます。ふくろう先生の大先生」
 自分にも、今、何を言っているのかすら分らないように、目にいっぱい涙をためて、必死で直哉に迫ります。
 
 

あせん 60

2008-06-24 14:33:57 | Weblog
 「どうしてなのだ、親分。なぜ、政之輔がこんな姿に」
 銀児親分にきつく迫りますが、
 「中野様に聞いてみておくれやす」
 の一辺倒で、埒も何もあったものではありません。終いには、ぐいと睨みつけるようにして、言葉を荒立てて言います。
 「何遍言えば気が済みますのや。下手すると、大先生も、こないなお姿にならはるのとちがいますやろか。早くお引取りになられたほうが得でっせ。命に関わりますよって」
 この銀児からの脅しに決して屈するのではないのですが、こんな冷たく硬い土の上に、菰を被せられ、ほっぽり出されるように何時までも寝かされている政之輔の遺体を、はやく柔らかい布団の上に寝かしてやるのが、今一番にしなければならないことだと思い、政之輔さまを、とりあえず、大先生の家に連れてお帰りになられました。
 直弥様はお医者様です。政之輔の遺体を見ると、その死の原因が自ら選んだものではなく、誰か外の者によって撲殺されたということは直ぐ分りました。
 「どうして、なぜ」と言う思いが、時が経るに従い一層募ります。でも、それを解き明かす術は何もありません。銀児でもと思うのですが、それすら現実は不可能に近い状態です。家族中が、いやこの袋医療処全体が、どうしようもないいらだたしい無念の涙に、一人の若者の死に対する哀惜の涙に駆られるのでした。
 葬儀も内々でほっそりと済ませると、政之輔が住んでいた家の整理をと思い、直弥様は立ち寄ります。すると、どうでしょう。部屋と言う部屋は足の踏み場のないぐらいに荒されておりました。政之輔の死と何か関係があるのかもしれません。隣の人の話では3日前、奉行所のお役人数人が突然やってきて、ふくろう先生の家に上がりこんで、何にやら、一時ぐらいはあったでしょうか、どたばた大きな音をさせながら、何かしきりに捜していました。「まだ見つからないか」などと言う、お役人さんの声が時々響いて聞こえてきました。家捜しをしていることは確かでしたが、関わりを恐れて近所の人たちは戸を閉めてひっそり隠れるようにして、ただ聞き耳だけを立てていたのだそうです。
 そのお役人の中には、蝮の銀児親分の姿があり、間断なく人の心を射尽くすような鋭い目を輝かせながら人々を威圧するように外で見張っていたと聞かせてくれました。
 政之輔が普段使っている部屋が一番ひどくあらされていました。机の引き出しも畳の上に重なるように投げ出されています。
 それら引き出しの上にも、部屋中いっぱいに投げ飛ばされている、病人の病状を書き付けたものでしょうか、沢山の紙の上にも、無残に小山のように放り投げられた本の上にも、引きちぎられて捨てられるように転がっている床の間の掛け軸の上にも、開け放されている障子の間から、春風に誘われて舞い散りてきた遅桜の花びらが、哀れげに、主のいない部屋で行く春を惜しみながら淡雪のように静かに静かに舞を舞っていました。
 

おせん 59

2008-06-23 20:03:11 | Weblog
 急な呼び出しを受けた袋直弥は町奉行所に駆けつけます。案内を請うと中から中野と名乗る与力が目明しでしょうか一人の男を引き連れて出てきます。その目明しは、ぎろりと直弥を一瞥すると、腰にさしている十手を抜き、あご辺りでしゃくるようにしながら歩き出し、林を隔てた庭の隅に連れて行きます。
 こぎれいに掃き清められた庭の隅に菰で覆われている物が置いてあります。その前に来たとき、中野と名乗る与力が言います。
 「この菰の中にいる者をあらためて頂きたいのでご足労を願った。おい銀児」
 と、これまたあごをしゃくるように目明しの銀児に、中にいる者の顔が分るように菰を捲るよう指示します。
 捲られた菰の中から現れたのは、変わり果てた政之輔です。
 「どうして、政之輔が、こんな所にこんな姿で・・・なんということですかこれは」
 直弥は中野と名乗る与力に詰め寄ります。
 「香屋楊一郎の一子香屋政輔に間違いないな。昔、あなたもなんぞ大塩平八郎と関わりがあったのと違うのかな。まあええ、それはまたの時の事として。今日はその香屋政輔について言い伝えておくことがある。よく聞き置け」
 その与力は政之輔に菰を十手で、再び、覆い、言います。
 「この香屋政輔という男も、大塩一味がやったのと同じこと謀りおったのだ。それも、この度は京の腰抜け公家を一味に引き入れよって、更に、水戸や長州者どもと一緒になりおって徳川幕府転覆を密かに計らいおったのだ。厳しく吟味していた最中に、仲間を売るのが怖くなったのか自ら命を絶ったのだ。幕府の御慈悲で遺体だけは、そちに引き渡してやる。それだけでもありがたく思え。早々に引き取れ」
 「何があったのですか。教えて頂きたい」
 と、中野という与力の胸元を捕まえながら絶叫するように懇願する直弥の腕を振り解くようにして、無言で、さっっさと立ち帰っていきます。
 「大ふくろうの先生よ。若ふくろうはんは、どうも大塩平八郎辺りの残党どもから預かった密書を持って、京のよりによって三条の宮様へ届けたのだそうでおます。それを知らせてくれた者がおり、中野様を中心にして淀川の堤で待ち受けておった網に、ええぐわいに、ふくろうはんが、夜でのうて、お天道様が輝いておいでの、それも昼の日中に、ひっかっかりはったのどす。ふくろう先生、なかなかしぶとくおましてな・・・うひひひひ。大ふくろう先生よ。はようお引き取りにならはる方がお得と違いますやろか」
 冷たく言い放ちます。
  

おせん 58

2008-06-22 18:13:36 | Weblog
 とりあえず。松の葉に急ぎます。おせんが店に入ると、女将さんが飛び出してきて、抱きかかえるようにして、おびえているように言います。
 「まあ、おせんさん。よくお聞き。ふくろう先生、いや、あなたの政之輔先生が死なはった、いや違う、殺されはったのどす。お奉行所で」
 女将さんの声が、突然、おせんの頭を強く打ちのめします。何を言っているのかさえも分りません。
 「そんあんことって嘘でっしゃろ。何言っていやはるの。女将さん。冗談でっしゃろ」
 声にならない声が頭を駆け巡ります。
 「もう一度会ってから長崎へ立つ、帰ったら連理の枝に必ずなろうと」と、たった十日前に政之輔が力強く言ったその声がまだ耳にはっきりと残っています。
 「そんなこと、うそにきまってはります。うそでっしゃろ」
 必死に、女将にすがりつくように言います。
 女将は、何にも言わないで、目に涙をいっぱい浮かべながら、おせんの頬を両の手でしっかりと包み込むように、顔をゆっくりといやいやをするように、左右に振るのです。そして、両の腕の中におせんを、ただ、なにも言わないで、力いっぱい抱きかかえます。
 「どうして」
 おせんは震えるように、何かから一目散に逃れるように唇から漏れ出てきます。
 それでも、なお、たった今聞いたばかりの、それまで一度たりとも思っても見なかった「政之輔先生が死にはった」と言う女将の言葉が、「冗談よ。うそでおした」と言う何時もの言葉に変わってくれるように、じっと女将の目を見つめていました。
 おせんの手を取るようにして
 「こちらに来て」と、奥にある女将の部屋に引っ張り込むように、歩くのもままならないように動揺しているおせんを連れて行きます。
 「そこに座って、・・・・・・。何がなんだかさっぱり分りしまへんのやけど」
 と、話し出します。
 
 昼前、袋医療処から小僧さん風の使い人がきて、
 「うちの大先生が、松の葉の女将さんにちょと聞きたいことがおますよって、すぐに来るように呼んできなはれと言っていますさかい、来てくれまへんか」
 と、伝える。
 何事かと思い、ともかく飛ぶようにして、その小僧さんと一緒に袋医療処に急ぎます。そこで、政之輔の叔父である袋直弥老医師から、次のような話を聞きました。

あせん 57

2008-06-21 09:15:09 | Weblog
 「明日、京へたちます。そのままと、言う事にもならないと思いますが。もう一度おせんさんにお会いしてから、長崎へ行こうと思っとります。緊急の連絡は松の葉の女将に頼んでありますさかい。何かの時は、女将から連絡してもらいますよって」
 と、政之輔は淋しそうに笑いながら言ってくれました。

 その日から、おせんの心には政之輔という、自分ではない、もう一人の人が胸の中に住み付き、何をするにしてもいつも二人でおるのだという、かって経験したことのない心の張り合いが感じられるのです。
 「女に生まれてようおました。」
 と、思うのです。
 満開に咲いた桜での元で開かれた「山越の琴の会」の日、松の葉の女将も駆けつけて、
 「ふくろう先生の分と二人分聞かせてもらいますよって、がんばってや」
 と、開演前の不安をかき消すように励ましてくれました。
 その会も無事に終わり、「よかったでぇ」と言う周りから聞こえてくる声と共に、何にもかもが一緒くたになって、桜の花びらのように、いっぺんに何処へともなく飛んで行ってしまいました。
 お慶と里恵の二人から、
 「鶯も山を越えはって、もうすぐおらんようになるさかい。ぶそんの句としゃれこんで梅が宿を訪ねてみまひょう」
 と、言う誘いがあったのですが、「体の調子が今ひとつですよって」と鄭重にお断りしました。
 今は何をするにも、今までは、あれほど楽しんでいた仲良し友達とのとおしゃべりも、大好きな梅が宿にも、全然、気が乗りません。心の中にいる政之輔だけと一緒にいる時を楽しんでいました。あの時、政之輔から預かった洗心洞箚記という本も丁寧に包み大切に大切に自分の部屋の戸袋の一番真ん中に置いておきました。
 「京より戻ったら、もう一度連絡します」といって京に上っていかはったきりで、その後四日たっても五日たっても松の葉の女将からは何の連絡もありません。
 おせんは「どうされはったのかしらん」と、心細い思いで、今か今かと、連絡の入るのを待っていました。
 あれから、丁度、十日目です。松の葉の女将から
 「取り急ぎお知らせしたきことあり候、至急、おいでをお待ちもうしており候 ゆき」
 と、いう一通の文をおせんは、胸騒ぎを覚えながら、受け取ります。

おせん 56

2008-06-20 15:08:10 | Weblog
 政之輔は包みを解きながら
 「これは大塩先生がお書きになった洗心洞箚記という本です。父が私に残してくれた、たった一つの遺品なのです。この本が私の手元にあることが分ると、面倒な事に巻き込まれるやも知れません。おせんさんにちょっとの間、預かって欲しいのです。決して御迷惑をお掛けするようなものではないのですが」
 と、言って4冊に分かれた、出来たままのような青い表紙のきれいな本です。
「大塩と言うだけで、お江戸の人たちには、徳川様に盾突く逆賊の大悪人のように思われているのですが、本当はそうではないのですが。これをおせんさんに預かって欲しいのです」
 その本をおせんの前に差し出します。4さつに重ねられている本の一番上にあった本をそっと手にとって
 「そんなに大切にしておいでの、こんなご立派なご本、うちでも守れるのでっしゃろか。なにか心配どす、恐ろし気ぃがします」
 「なあにちょっと押入れの隅にでも置いていただければいいだけです。大丈夫です」
 「そうでしゃろうっか。それでしたらあんじょうに守らせてもらいます。政之輔さんが帰ってもどられるまで」
 それから、政之輔は、熱心に、父親である香屋楊一郎のこと、母のこと、前に勉強した長崎でのオランダ医術のことなど話してくれました。
 そして、最後に、まだまだ、この国の医術は遅れていて、今、どうしても新しいオランダの医術を学ばなくてはならない。そのための長崎行きであること知ってもらいたいと、ゆっくり、自分にでも語り掛けるように、過去と現在を通して、未来を熱っぽく話します。
 長崎から帰ったら、
 「おせんさんと一緒に暮らしたい。必ず、待っていてください」
 と、再び、懇願するように言います。
 そのためには、多くの難しい問題が二人の前に、必ず、立ちはだかって来る。それを乗り越えていくのには、二人でお互いが連理の枝になって一緒に戦わなくてはできない事なのだ。それが女が損をしないと言う証にも、人が生きていくと言う証にもなるのだとも、またもや必死に語りかけてきます。
 「必ず」と言った政之輔の目は、自分の思いを、おせんにありったけの力で、投げかけているようでもありました。
 「さっきも同じこといわはったのに。・・でも、政之輔様とこれから二人で戦う事がどれほど難しかろうとも戦い通して見せます」
 と、心の内で自分に誓うおせんでした

おせん 55

2008-06-19 09:49:55 | Weblog
 熱心に、おせんではない、誰か他の人にでも語りかけているかのように話します。
 「一緒に探すって、そんなことできしまへんやろ、第一、なんと言わはっても身分が違うさかい。でも、うれしうおす。そんなこと思っていてくれはったなんて」
 じっと、おせんは政之輔の一言一言を、下を向いたまま、ただただ、聞きながら思いました。
 そんな無味乾燥な朴念仁な政之輔の話が続いているのですが、段々と聞いているうちに、切ないような胸が何かに締め付けられるような、それでいて、子供の頃に野原で転がり込んだ時のような、躍るような心地よいい気分が、じわっと心の奥底に浸り来るように、おせんは、思えるようになりました。そして、政之輔の話がこのまま、ずーと何時までも続いて欲しいようにも思われます。 
 「おせんさん。約束してくれますか。それを聞けへんかったら長崎なんかへは行けしまへん」
 政之輔は、突然、おせんの前にやってきて、手を取るようにして、
 「おせんさんなしでは、これからは生きてはいけまへん」
 硬く硬くおせんの手を握り締めたまま言います。
 おせんは、余りの、このとっさの政之輔の振る舞いに戸惑いながらも、ただ、顔を上げて政之輔を見つめたまま、何か言おうと思うのですが、言葉が見つからず、ただ、黙ったまま、目にはいっぱい涙を浮かべて頷くのでした。
 「ありがとう。これで安心して長崎にいけます。帰るまで待っていてください。何があってもです。女も決して損をしないということを、是非、おせんさんに知ってもらいたいのです。連理の枝となって試したいのです」
 「はい」
 一段と硬く硬く握られた手から伝わる政之輔の心の甘ずっぱいような温もりを感じながら、かすかな声にはならないように、やっと声が出ました。このまま政之輔の胸に飛び込んでいけたらと思ったのですが、その時、政之輔は元の座に返り、後ろにある、何か、何時ものとは違った包みを取り出します。
 「是非、おせんさんに、今、お頼みしたい事がございます。この包みを当分の間、長崎から帰ってくるまで預かって欲しいのです」
 でも、この包みは、それからずーとおせんの元に預けられたままになりました。

おせん 54

2008-06-18 10:09:17 | Weblog
 「探してほしいのです」という政之輔の言葉が、表の騒音に混ざって、宙を舞う蝶か何かのようにふわっと聞こえて、一瞬、何を言っているのかさへ分らないように思えました。
 「はあ・・」
 おせんは、思わず知らず、こんな言葉が口を突いて出てきます。政之輔はちょっと下を向いていましたが、また、ぐいと顔を上げ、今度はきっぱりと言うのでした。
 「おせんさんをお嫁にしたいのです。・・・これから長崎にいきます。1年になるか2年になるか分りませんが、この大坂をどうしても離れなければなりません。どうもこのままここにいると命に関わるような目にもあう恐れが多分にあります。後ろ髪を惹かれるようではあるのですが、思い切って、ここを一時、離れる決心がつきました。
 でも、今一番心配しているのが、おせんさんのことです。留守の間に手の届かないお人になっていはしないかと。おせんさんは昔から続いている舟木屋の一人娘でっしゃろ。だから余計に・・・」
 じっとおせんを見つめたまま、はっきりと言いました。
 「たくさんの難しい問題があると思いますねん。そんなにたやすくすんなりとは行かないのは重々わかっておりますねん。でも、やっぱり・・・・どうしても、おせんさんと一緒に、玄宗皇帝と楊貴妃のような連理の枝になりとうおす。人を深く思うことは人としていけないことっじゃないのです。持たない人の方がかえって、男も女も、損するのです。女子だから損するんではありません。・・・・・・今までは、この世の中を、窮屈に町人だ侍だと言ってそれぞれ違った道を通っているように思われるのですが、これからは、人と人とが、侍でも商人でもだれでも身分の違いを超えて関わりあってみんな生きていくようになるのだそうです。オランダ商館にいたのシーボルトと言う人のお国では、身分の違いで好きなもの同士が一緒になれないということはないのだと、前に長崎にいた頃、聞きました。」

おせん 53

2008-06-17 09:07:13 | Weblog
 うつむいて、じっと考えるようにしていた政之輔は
 「おせんさんがこの前言わはりました、女は損だという話どす。・・・・つい2、3日前のことです。が、こんな事がありました」
 と、話します。
 「年が50歳かそれぐらいの年老いた女の人の死に、偶然、立ち会いました。その人は、この2、3日間は何も食べてなかったのではと思えるぐらい貧しい貧しい年老いた女の人です。たまたま、そこを私が通りかかり、最期を見取ってやりました」
 お店の表のほうから大きな声が響いて聞こえます。その大声が反って、この室の静けさを績んでいるようです。
 「近所の人でしょうか、側にいた女の人に水を頼んで、抱きかかえ、飲ませます。すると、今まで目をつぶったままでしたが、2口も飲んだでしょうか、ほそく目を開けて、うれしそうに「ありがとうおぉ・・・・・。」と言ったかと思うと、細い細い一筋の涙が頬を伝わって流れ落ちました。いっぱいも涙はもう持ち合わせがないように。そして、小さく小さく言いはりました。「女でよろしうおました」
 それが最期でした。どうしてよかったのか、何がよかったのか、何にもわかりまへんが。この人は女として生きて、何かがよかったんだと思いますねん。そやなかったらそんなこといいよらへんと思うのどすが」
 「女で・・」のところで、今まではうつむき加減に話していたのですが、急に政之輔はおせんの顔を見つめて言いました。
 店表の賑やかさは相変わらずです。しばらく黙ったままでしたが政之輔はそのまま続けます。 
 「思うんです。・・・・女だから、男だからどうのこうのというのではなく、女でも男でも、貧しかろうと富んでいようと、お侍であろうと商人であろうと、それぞれの人が、自分の持っている望みに向かって生きていく事が生き甲斐というもんではないのでしゃろか。生きると言うそのものではないのでっしゃろか。人々が持つ生きる望みには人によって随分と差もあると思いますが、誰でもが持って生きているのとちがいますやろか。・・・・端から見れば、「女でよろすうおました」と言って死んでいかはった老婦のように、生きていてどんな得をしはりましたかと、尋ねてみたいような、一日の食事さへままならないような極貧のその日暮らしの中からでも、あの人はきっちりとした人並みの生き甲斐を持って生きていたのだと思います。だから「よろしうおました」と言って笑いながら死んでいかれたのだと思いますねん。そうとちかいますやろか。例え、一時、損だと思えても、それが返って後になってみれば得になることもあるのではないでしょうか」
 それだけ言うと、冷えているお酒をぐいと一のみし、おせんをにらめ付けるようにきっとなって言われます。おせんは、ただ、うなずきながらじっと政之輔の話を聞いていました。
 「得か損かは、後にならなければ分らないのですが。・・おせんさん・・・・・ちょっといにくいのですが、一緒に、・・・・いや、私と・・・・・それ捜してくれはらへんやろか・・・・・探してほしいのです」
 この俄江戸弁と浪速言葉のごちゃごちゃに入り交ざった政之輔の最後の言葉を、とっさには何を言っているのか理解できず、店表から先ほどから聞こえ出した声の一部でもあるかのようにも上の空でおせんは聞いていました。

おせん 52

2008-06-15 09:23:53 | Weblog
 「是非、おせんさんの琴、聞いて見たいと思ったのですが、どうしても駄目になってしまったのです」
 急に、また、江戸言葉で、真剣な物言いをされます。

 「今、この国は、いや日本は、どうしてだかは何も分らないのですが、300年も続いた安泰の徳川様の世の中が、何かゆっくりとした大きな渦の中に引き込まれていこうとしているのではないかと思われます。国の外からも、何かが、この渦の中に流れ込んできて、その渦をより大きなものに変えるのではないかとも思われます。
 そんなとてつもない目に見えない大きくなっていく渦の中に、自分も、これもまた、どうしてかは分らないのですが、目に見えない力でどんどん引き寄せられているのではないかという気がしています。因縁といいますか宿世といいますか、そんなことでしか説明がつかないように思える、何か分らんのですが、大きな渦の中に呑み込まれようとしているのではないかと思われます。
 もう12年も前の話ですが、徳川の将軍様までを震撼させたあの大塩先生中心の大坂の天保騒乱は、もうとっくの昔に、何もかもきれいさっぱりと片付いて済んでしまっているはずなのですが、実は、まだ、その虚像だけは、幽霊のように、依然として、ここ大坂で生きていて、しきりに蠢きだしているのです
 その幽霊が、近頃、私の前にも、しきりに見え隠れするようになりました。香屋楊一郎が、父親であったというだけの関係から蠢きだしたのです。今、じわじわと私の近くにまで押し寄せて来ています。
 それは、今が、丁度、天保のあの当時の情勢と極似しておるからだそうです。
 米の値段は高騰し、庶民の生活を圧迫し、天変地変も各地で起き、その上、異国の船もしばしばこの国を伺って、人々の不安のいっそう煽ぎ立てています。
 そうなると、幕府も、再び、あの大坂で起こった大塩平八郎の天保の騒動が、今度は、大坂に京都に日本各地にと広がり、収拾がつかなくなるのではないかと思い、警戒を強めておるのだそうです。そのために、ここ大坂でも、大坂城代辺りがしきりに、大塩の残党狩りをしていると言われております。
 その残党が、大坂を中心にして、500人以上は、まだいるのではと噂されているからです。懸命に、それらの人々の動向を探っているのだそうです。その中には香屋政輔の名前もあるのだそうです。
 あの騒乱の時、父親をお縄にして、惨殺した銀児という親分が、何処からどうやってかは分らないのですが、袋政之輔が香屋楊一郎の息子香屋政輔と同一人物だという事を嗅ぎ付け、今、私の周りをしきりにうろついているのです。
 騒動になるような関りなどないのですが、いつどんなことが起こるかもわからない。「もう一度長崎に勉強に行って来い」と、しきりに叔父が心配して言ってくれます。私の周りには、たくさんの貧しい、そんな渦などにはなんも関わりも無いように、その日その日を、それでもただ懸命に生きている貧しい病気の人がいっぱいいますいます。その人たちを放り出して逃げていくのですから余り気が乗りませんが、今、長崎には、オランダから私の知らない全く新しい医学の知識や技術がいっぱい入ってきていると聞きいて、それらの勉強にとも思っていたものですから、叔父が「私にまかせよ」と、言ってくれましたので、1年か2年ぐらい行く事に決めました。
 明日から、ちょっと、先ほど言った渦の端っこにおる私の仕事のために京へ参ります。4,5日は掛かると思います。だから残念ですが、おせんさんのお琴が聞けないのです」
 と、おせんの琴の聞けない理由を長々と真剣におせんの顔を見ながら語ります。
 「それから、もう一つ、おせんさんにどうしても言いたいことがおますねん」
 と、今度は、急に浪速言葉に変えて、顔をやや下に向けたまま細々と恥ずかしそうに言います。
 「おなごが損だという話どす」
 
 おせんをじっと見つめながら政之輔は真剣に語ります。