私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

真金吹く

2006-06-30 20:38:36 | Weblog
 「真金」こんな言葉聞いたり見たりしたことがありますか。
 多分それ何のこととお思いでしょう。
 この言葉が出てくるのは、平安時代に出た『古今和歌集』の中です。紀貫之が編集した歌として『万葉集』と共に有名な天皇の命令によって組まれた歌集なのです。
 この歌集の最後のほうに、吉備の国の歌として記載されている和歌の中に見ることが出来ます。
  
  真金吹く 吉備の中山 帯にせる
              細谷川の 音のさやけさ。
 
 この歌の後に、もう一首美作の歌として


  美作や 久米の佐良山 さらさらに
              我名はたてし 萬世までに
 
 これ以後、「真金吹く」という言葉が使われだしたと言う事です。

 意味は『真金』とは鉄を表します。『吹く』とは製鉄の意味だそうです。鉄を生み出すと言う意味になります。
 だから、この言葉が古来の日本で鉄の生産額が一番多い国「吉備」の枕詞になったようです。





孫が生まれた

2006-06-29 18:55:35 | Weblog
 娘に3番目の孫が生まれました。大変美男子です。今日病院で1週間目の検診を受けました。順調に育っていると医師から言われたそうです。梅雨の中休みで、真夏の太陽がぎらぎら輝いて、35度を越す猛暑の中、育児籠の中で大声で泣いている孫に、日除けから漏れた太陽が燦燦と降り注いでいた。孫の顔がいやがうえにも照り輝いて見えた。
  この子にも幸多からんことを太陽と共に祝福してやりたい気分に陥りました。暑さなんか、吹っ飛んでしまいました

    少子化の 時代の波に 背を向けた
                第3の孫に 一杯の夏

吉備の中山

2006-06-28 21:09:34 | Weblog
 時代的に言いますと、およそBC600年ごろのお話です。当時、瀬戸内海は陸地の置くまで入りこんでいて、たくさんの島々が入り混じり今より多島美の風景が展開されていたと思われます。児島を中心として、今の岡山平野は殆どが海で。吉備の穴海と呼ばれていたそうです。その穴海の中に吉備の中山、即ち神南山と呼ばれた中山がその中央にでんと位置していたのです。前方後円墳がこの山には3つもあります。その一つが中山茶臼山古墳と呼ばれているものです。吉備津彦命をお祭りしてある御陵です。全体が葺石で覆われています。そのほか横穴式の古墳群も多く見られます。こんなに多くの古墳をもつ山は他にはありません。それが。「高」即ち「尊」島とするゆえんです。

たかという言葉について

2006-06-23 21:36:48 | Weblog
 高島、果たして現在ある笠岡と岡山の隆までいいのでしょうか。紀には所在地は不明としてあります。
 私は、この『紀』に書かれている高島こそがわが町のシンボル、いや岡山地方のシンボル『吉備の中山』ではないかと思いま。「たか」は必ずしも「高」でなくてはならないことはないのです。隆・貴・堯・貴等いくらでもあります。紀に出てきます、日本尊命、足利尊氏など数例しかないのですが、この「尊」もまた「たか」と読むのです。
 だから、この紀に書かれている「たかしま」もあえて言わしていただくと『尊』島だったのではないかと私は推測しています。
 するとこの尊島、即ち高島はこの神南山を頂く。この吉備の中山だったに相違いありません。
 そうすると、話は案外スムーズ行くのかかもしれません
 この吉備中山が、即ち、高島なりとせば、この地方にある昔話の、神武天皇がお通りになったとされる『轟き橋』等の話とつじつまが合うのです。
 いにしへの ならの都は 現にて 夢路をたどる とどろ木のはし
 という歌も残っています。
 言い伝えによりますと、神武天皇が3年間宮をお置きになるて、その間、吉備の国の各地を行幸したそうです。当時わが国には、天皇を乗せて走らす馬車が通れるような立派な橋はなかったのですが、ここ総爪(吉備津地区)を流れる大河に「板倉橋がかかっていたそうです。当時のわが国の最大の橋だったそうです。橋は石で造られたいそう立派な橋だったそうです。この橋を天皇が馬車でお通りになったとき、今まで誰も聞いた事がない「がらがら」という車輪の音が当りに鳴り響いたため、人々が大変驚いたと言う事です。そこからこの「とどろき橋」の名がついたと言う事です。神武天皇が孝霊天皇に変わって語られるところもあります。

私の住む町

2006-06-23 00:02:45 | Weblog
家の南側に吉備の中山があります。 
 さて、吉備の中山ってご存知ですか。大昔は神南山と呼ばれていたそうです。神武天皇の時代には、瀬戸内海がこの辺りまで入り込んでいたと言う事です。神が住む山と言う意味だそうです。尊い御山であります。
 日本書紀に書かれています神武天皇が3年間住まわれていた宮を「高島宮」と言います。この島の場所は不明ですが。高島と名がつく島は現在岡山地方には2つあります。笠岡と岡山です。ここがそこだと二島とも主張していますが、私はこの中山がそうではないかと思っています。
 その理由を次にご紹介します。本日はこれにて