杉尾の山神様の直ぐ西側に小さな小さな谷川があります。今はこの上流(鼓山のど真ん中)に山陽高速道のトンネルが出来、それ以来、渓流は絶え、完全な涸れ川になっています。以前は年中潺湲たる渓流があり、沢山の沢蟹がいて、近くの子供達に夏の絶好の遊び場を提供してくれていたそうです。
この渓流が流れ落ちた辺りに、羽柴秀吉が高松城の水攻めの時に飲んだと言われる『太閤の井戸』が、今でも残っています。谷川は涸れてしまってはいますが、この井戸だけは不思議な事なのですが、
「年中、この井戸の水を一杯湛え枯れたことはない」
と、近くの人は言っています。
秀吉云々はどうかは分りかねますが。この鼓山に陣取り、山陽街道の守りを固めていた秀吉の弟、羽柴秀長の5000人もの兵士の飲み水の一部になっていただろうというのは確かな事だと思われます。
なお、この井戸は、現在、杉尾の太田さんが管理しておられます。
この渓流が流れ落ちた辺りに、羽柴秀吉が高松城の水攻めの時に飲んだと言われる『太閤の井戸』が、今でも残っています。谷川は涸れてしまってはいますが、この井戸だけは不思議な事なのですが、
「年中、この井戸の水を一杯湛え枯れたことはない」
と、近くの人は言っています。
秀吉云々はどうかは分りかねますが。この鼓山に陣取り、山陽街道の守りを固めていた秀吉の弟、羽柴秀長の5000人もの兵士の飲み水の一部になっていただろうというのは確かな事だと思われます。
なお、この井戸は、現在、杉尾の太田さんが管理しておられます。