私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

仁徳天皇と黒日売⑤

2009-07-18 14:23:09 | Weblog
 黒日売と仁徳天皇の恋の物語は、日本書紀では一言も触れていません。しかし、古事記にはかなりのスペースを割いて、黒日売(くろひめ)と仁徳との関係を、長々と書き綴っております。(字数にすると400字ぐらいはあります)そして、その最後は「行くは誰が夫」(由玖波多賀都麻ゆくはだがつま)で終わっています。
 
 この「誰が夫」を、古来から問題として取り上げている人がいます。
 仁徳天皇は、自分、そうです、黒日売の恋人、いや第何位かの仁徳の妃であったことには間違いありません。正式な夫でもあったのです。
 天皇家ではというよりも、古代から日本の家族制度は、現在のような一夫一婦制ではなく、イスラム社会のような一夫多妻の制度が長年にわたって守られてきました。従って、天皇家でも、当然のその制度が当たり前で、天皇の周りには后とその他の多くの妃が居られたようです。天皇をめぐってそれらの人たちを、総て、「きさき」と呼んではいましたが、その当てる字だけは「后」「妃」と区別してはいました。
 だから、当然、黒日売も堂々たるお妃さまであったはずです。
 そんな分かりきったことを、どうして「誰が夫」と黒日売は歌ったのでしょうかというのが問題です。
 「私の恋しい夫」と、大声で歌ったとしても、誰にもとやかく言われるはず筋はないのにですが、敢えて黒日売は、「誰が夫」と歌ったのです。

 皆さんは、なぜ、黒日売は、「誰が夫」と歌ったのだとお考えになられますか。?