私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語-林 孚一さま 

2012-04-30 12:19:29 | Weblog
 かって、京で随分とお世話くださった、あの備中倉敷の薬問屋の林 孚一の旦那さまがにこやかに、でんとお座りになっておられます。
 「どうして、ここに林様が・・・・」
 小雪は我目を一瞬疑いました。あれから時間はそれほどは経ってはいません。わずか一年足らずの間にわが身に降りかっかかった数々の思いも寄らないような出来事が、まるで嘘のように、このお座敷に居住まいを正してお座りになっていらっしゃる林さまを見た途端思われました。
 「まあ、もうそっとこちらに入られえ」
 京では、ついぞ聞いた事もない林様の備中言葉にも驚かされます。その言葉にもつれられるようにして、小雪は、少しばかりお座敷にの中を目指して、ほんの少しでしでしたが、いざり進みました。
 林様の前には、すでにお膳も用意され 備前の小瓶にはお酒でしょうかちょこんと添えられていました。林様はあまりささは嗜まれないとは知っていましたが、喜智さまのお心遣いでしょうか、そんなお座敷の様子に、今までに持っていた小雪の緊張した心は次第に打ち解けていくよう思われます。
 「まあ一杯久しぶりに、勺を、小雪に頼もうか」
 そうおっしゃられて、林様はやおら、これも小ぶりの品のいい備前の猪口を差し出されるのでした。
 小雪は、その言葉に連れられるように林様の前までに進み、膳に据えてあった備前の小瓶を、両の手で愛しむように捧げ持ち、ゆっくりと林さまの差し出された猪口にややさめたお酒を注ぐのでした。
 「この備前を、以前からこの家の主人徳政様が好んでいてね、いつも使っていたのだそうだ」
 林様の声にどこか何時ものはきはきした張りがありません。お酌をしながらそんなことにも気のつくほどの落ち着きが小雪に見えてきました。

小雪物語ー榑縁の一枚の細長い廊下

2012-04-29 18:31:26 | Weblog

 「なにはともあれ、あなたは、今日は倉敷の林様のお客様ですからね。表に回ってくださいな」
 「でも」「でも」といくら押し問答しても、埒が開きません。ついに恐る恐る小雪は、その勝手口を出て堀家家の玄関の向かうのでした。長いお屋敷の塀を回る小路を下を向いたまま、できるだけゆっくりと歩いていきました。
 決して自分のようなはしためが、出向くことができるような処ではないことぐらい十分わかっています。そんな、今、置かれている自分自身の奥底に潜み込んでいる恐しいまでの穢さがわが身を襲って、わが身を余計に歪めいじけさせているのでした。こんなに長い道のりを今までに歩いたことがなかったかのように思えるのです。
 ようやく玄関につくことが出来ました。
 その玄関では、やはり大奥様がもうすでにお座りになって迎えてくださっているではありませんか。自分の置く場所がいくら探しても見つからないような気分になりながら玄関に一歩一歩踏みしめ自分の歩を確かめるようにして入っていきました。
 それからしばらくの間、何処をどう通ったのか、なにがなんだか分らないような気分になりながら、お喜智さまに案内されて奥の座敷に向かいます。廊下から見える回りの庭も木々も塀も、向こうのお山も何も目に入りません、ただ通る廊下の一直線に伸びた榑縁の一枚の細長い板の上を歩いていきます。
 それでもどうにか、じっとうつむいたまま案内された部屋にまで行く事が出来ました。
 「おお小雪、無事で生き通せることが出来ていたか。随分心配していたぞ」
 その声はどこかでかで、かって聞いたことがあるように思えましたが、はっきりとは記憶にはありません。伏せ目がちにそっとその声のお方を見やりました。
 「あ、林さま」
 声にならない声が自然と口をついてでてきました。


小雪物語―勝手口から

2012-04-28 14:10:22 | Weblog
 小雪は堀家家の勝手口の引き戸をほんの一寸開け、「ごめんくださいませ」と、やっと口から小さな声が出ました。
 そして、何となく「このような高貴な人のおうち、私みたいなものが」という後ろめたさがあったのですが、それでもやっと一歩だけそっとその足をねじ込ますようににじり入ります。その裏庭には、まだ、花びらの先をほんの少しだけ薄紅色に化粧させた桜が、松の常盤と取り合わせて、何か心地よく並んでいます。その桜の木の向こう側にも、真っ白い塀に寄りつくように、1本の藪つばきでしょうか、植えてありました。その木の周りには、もうこの花の盛りは過ぎているのでしょう、一杯の落ちつばきの花びらで敷き詰められ、赤い真ん丸い毛氈が拡げられているのではと紛うほどです。いつか、「つばきが好きだ」と言われた、あのおきちさまの言葉がそのままこの庭に現れているように、小雪には思えるのでした。
 あれからお宿に帰って、姐さん達から聞いた「やれお高いだ」の「やれ傲慢だ」の「やれ情が強いだ」のという、堀家の喜智さまのおうわさとはまったく違った、なんだかとても暖かな心をお持ちのお方ではないかと、このお庭の木々を見ながら考えていました。
 この屋の主様も、また、松と桜がたいそうお好きなお方だと聞いてはいましたが、その数寄の思いがこんな裏庭までにも風情一杯の景色を作り出しているのかしらと、どこかなつかしいような、いつか京で母と見たあんじゅ様のあの尼寺の庭を思い出させていました。そんなお庭を見ていますと、今更のように、とんでもない場違いなところに迷い込んでしまったかのような感覚に余計に思われ、「こなければよかった」と思えるのです。
 辺りは静かで物音一つありません。細谷川のさやけき瀬音も此処までは届かないのでしょう。もう一度、勇気を出して、でも、今度もやっぱり小声で「ごめんくださいませ」と声に出しました。
 「はーい」という元気のいい声が、見ている庭の木々の間から聞こえて来ました。
 そのとたんに小雪の心はどうしようもない心細さに襲われるのでした。これから起るであろう未知なる物に対する不安でしょうか。ぶるっと小さく身を震わせて、じっと地面を見つめるような姿勢をして待っていました。
 「あらま、小雪さんですね。玄関からお出でになればよかったのに。さあ、玄関に回って、あいにく、今は、作之丞一家もばあやまでも、一寸出かけているものですから、さ、どうぞ、どうぞ、あちらに回って、お客さんもお待ちかねですよ」
 「私のような者、ここからで結構でございます。もったいのうおます」
 と、これも蚊のなくように言う小雪でした。

小雪物語―小雪どの

2012-04-27 15:43:34 | Weblog
 
 さくらの蕾が枝々で大きく息をして、今にも己の精をそこらじゅうに撒き散らそうとしています。ぼーっとした薄紅色の霞がかった春本番前のほんの一瞬にしか見せないさくらの木自身の色香を漂わせています。
 小雪も、そんな宮内の春を、今か今かと、ただそれだけを楽しみにしているかのように待っていました。姉さん達が言っている、この宮内の春がそんなにもきれいなのかしらと、また、京の花とどう違うのかしらと。

 そんな春を待つ春雨に煙る日のお昼近くだったと思います。もうとっくの昔に小雪の心の中から消え去ってしまていたさえのかみさまにお参りした時、街角で、偶然にお声を御掛けいただいた、あの堀家の大奥様「きちさま」から、突然降って湧いたように、お文が届いてまいりました。
 ほんのりとした軟らかい、かって母から聞いた「黒方」でしょうか、それとも「梅花」でしょうか、衣香が立ち上ってきます。その表には、濃いからず薄からず誠に達筆ですらりと「小雪どの」と書かれています。手に取るだけで胸がどきどきするような思いに駆られる小雪でした。
 「いったいなんでしゃろ」。
 震える手を押して封を開きました。
 「俄におもいたちてご都合いかならんとあやぶみながら一筆参らせ候。今朝御珍らかなるお人わが宅にまかり下さり、そこもとに是非御目もじ候ばと御申され候御立出でくださるよう願上置候。  かしこ    きち」
 この喜智からの短い文が、小雪のこれからの運命を大きく代えることになろうとは誰も知る由もありませんでした。

 一体何事が起きたのか手紙だけではよく分りません。「どないしたら」そんな思いに駆られながら、まだ一度もこの里に来てから袖を通してない母の形見の紫小紋の羽織の入った小箪笥の当りをぼんやりのなんとなく眺めておりました。
 突然に、お宿のかみさん、お粂さんの、頭の天辺からでも出るのではないかとお思われるようなあの甲高い叫び声が小雪のいる二階に響き上がってきました。
 「なにしているの小雪、堀家の大奥様からお呼び出し。ぐずぐずせんと速よう行きねー」
 その叫び声に、宿のお久ねえさん達も「どうしたん、どうしたの」と心配して小雪の部屋へ集まって来てくれました。そんな皆に、後押しされながら、素早く小箪笥の中から出した小紋の羽織を抱くようにして取り出しました。お粂さんも駆け上がってきて小雪の頭など細々とてきぱきと整え、着付けもお滝ねえはんが手伝いそうにしているのも無視して、自分で、何かぶつくさ言いながら手早く着せてくれます。さすが手八丁口八丁のお粂さんと言われていただけの事はあります。誰よりも上手に、あっという間に、着付けしてくれました。
押し出されるようにして、大阪屋を出て、半町ばかり先にある堀家のお屋敷を目指して、なにがなんだか分らないまま、重たい歩を進め行きます。
 
 


小雪物語―宮内の早春

2012-04-26 09:19:56 | Weblog
 その年の雪は、この南国吉備の国にあっても、近来にない珍しい大雪になり、数日間はなにやかやと面倒なことばかりが次々に起きていました。
 雪のために、お客さんが少なかったり、そのお客さんの取り合いで近所同士のお店が喧嘩したりして何だか物騒ぎの多い春です。また、平生なら話題にもならないようことですが、この町の暴れん坊の「しょうやん」と呼ばれている何時も陽気に騒いでは話題をそこらじゅうに振りまいているいる人気者が、雪の坂道でひっくり返り、たいそうなお怪我をして、今も起き上がれないなど、こんな狭い町内でも、話題に事欠かない毎日でした。
 そんな中でみんで大笑いした事もありました。
 この大雪の十日ばかり後でしょうか、「きんさん」というやりてのおっかはんが、あまり高くはないのですが、二階の屋根から落ちてきた少しばかりの残雪を頭から浴びて、
 「おお痛い、おお痛い」
と、今にも死にそうに、大仰に泣き叫んで皆から、冷ややかな目で見られたのを、弥生なってからも「薄情な女ども」と随分と恨めしがっています。
 「鬼は外」という、店々の姐さん方の素っ頓狂な掛け声と一緒に、神社からありがたく頂いてきた、ちょっとばかり田舎にしては高級そうな漆塗りの派手派手しい一升枡に入れられた神豆を、面白おかしゅう大通りを逃げ惑う尻まくりした大勢の男はん目がけて面白しろ可笑しゅう投げつけます。その逃げ惑う男はんの後ろ姿にも、京では見られないめづらかな、鄙びた、何かしら物悲しさを湛えた趣が感じられ、小雪にはどうしても、軽やかな祭り気分には浸りきれませんでした。
 この町は、桃太朗さんの鬼退治の町だそうです。そうかどうかは分らないのですが、沢山の鬼が節分の夜には、町中を練り歩くのだそうです。その鬼目がけて、家々からおなごはんやお子たちが寄って集って豆を投げつけるのです。
 また、如月の初めには、普賢院の境内で、これもまた世にも珍しい裸祭りが行われていました。「おん」「めん」二本の宝木を、裸の男はん達が取り合う怒号か渦巻く喧騒な世界である境内を離れて、清流池からは、水氷を取る女の人の哀愁を帯びた静かな読経の声も聞こえてまいります。悲喜交々とした人の世の情念が立ち込めているようでもありました。
 喧騒な殺気立った男はんの世界と道一筋を隔てて色も欲もかなぐり捨て、ただただ、一心に仏に帰依しようとする物静かな女ごなんの世界が、こんなちっぽけな宮内の中で、お互い無関係なように、また、深く結びつうように繰り広げられます。

 そんなこんなと、月日はあっという間に、この宮内の小雪を通り過ぎていきました。その時間の流れと共に「きち」様の事も何時しか消えてしまい、それと共に、また、生きる望みも何もない空っぽな空しい日々が続きます。
 
 

小雪物語-むかしのひとのそでのかぞする

2012-04-25 19:27:59 | Weblog
 

 そんな線香花火のような、ほんのあっという間の出来事が、今まで、決して描いたことのない浮世の絵のように浮いては消え、かつあらわになったりして、小雪の目の前にどっしりと腰を下ろすのです。でも、そんな時はいつもあの「おきちさま」が、この訳の分らない胸の苦しみを消してくれるように思われます。
 睦月の終わりになって、再び、この宮内は大雪に見舞われました。
 小窓からは、大きなまるで野にあるタンポポの綿毛のような雪が、かしゃかしゃと音お立てながら降り続いているのが見えます。
 朝明けのようやくの光の中に浮き立って見える大きな牡丹雪の一つ一つに、あたかも自分のこれまでの人生が黒々と映し出されているのではないかと思われるように雪は降り積もっています。
 「私ってだれ」
 そんな言葉にならない言葉が、何時も自然と口についてでてきます。そのたびごと、小雪には、言いようのない寂しさが胸の奥底から湧き上がるのが常です。
 廊下には、ようやく、又、何時の遽しさが戻ってきています。
 周りの部屋部屋からは姉さん達の気だるい埒の明かないような薄吐息も漏れ伝わってきます。
 遅いお客さんでしょうか
 「何時の間に、こげん大雪が・・」
 「ことしゃあ、ほんとによう降るのお・・」
 とかなんとか、べちゃくちゃと備中言葉でしょうか、早口に甲高くののしりながら、足早に帰って行くお客さんの足音だけが、やけに静かな雪の朝の廊下一杯に響いています。
 静かな早春の、京より一味も二味も違った臭いのいっぱいにする宮内の景色です。
 話す言葉は勿論、歩く足音も、吐く息にも、姉さん方の衣擦れの音にも、随分と鄙の香が立ち込めています。
 でも、小窓から入り来た春の雪風は、庭のナンテンの実を吹き抜けて、あの母の匂いも一緒に連れてきてくれたような香が部屋一杯に匂い発っています。
 ふと、まだ幼かった頃、母が何気なく、いつもよく口にしていた歌が、小雪の頭の中に甦ってきました。
 さつきまつ はなたちばなの かをかげば 
                  むかしのひとの そでのかぞする
 小声が口から自然と吐いてでます。
 しばらく置いて、何気なしに
   はるをまつ 里の雪風 ふきよせば
                 昔の人の そでのかぞする 

 と、そんな歌にもならない自分の言葉に自身でおどろきながら、顔を赤らめながらも、口をついてでてきました。

 大きな大きなこれ以上は大きくはならないのではと思うような、春の里の牡丹雪が、次から次えと降り続いています。見る見る内に、大鳥居も、親分さんの灯篭もこっぽりと雪綿帽子を被り、山も木々も屋根も、すべてを雪景色に変えていきますます。
 






小雪物語ーがまんおし、がまんおし

2012-04-24 09:16:51 | Weblog
 それから、しばらく小雪の胸には、今この耳にした、初老の令夫人の言葉が何か心地よい子守唄でも聞くように響き続けております。
 大方の人は、「神なんて」といっているようですが、それはそれはありがたい「さえのかみ」だと、小雪には、今更のように思えて仕方ありません。
 この宮内に来て以来、まだ一年もたってはいませんが、自分が果たして自分であることすら忘れ去ってしまったような生活です。
 京で危うい自分をお助けくださり、この宮内に連れてきてくださった万五郎親分も、聞くところによりますと、岡田屋の熊五郎大親分のために、あれ以来、諸国を駆け巡り一万両という夢にだにしたことのないような大金集めに奔走しているとかで、この宮内には、一度も姿をお現せにはなられません。
 「なにもせんでええ、心配いらん、ずっとこの街にいるのじゃ」
 と、ぶっきらぼうにお言いになったまま、それ以来まだお目にかかっていません。
 この宮内の「大阪屋のお親さん」という親分さんと随分と親しいお人がおやりになっている宿を塒にするよう言われ、言うままにそれ以来、ここを浮世の仮の宿と決め住まいしています。
 「なにもせずに・・・」といった親分さんに対しても、またお親さんに対しても、毎日ただぼんやりと過ごしていい訳がありません。
 さしあたり今、私にできることというと、今まで自分で生きてきた「うかれめ」と癒され卑下され続けてきた悲しい女にしかできることがない道にしか生きる方法がありません。
 「とんでもないこと」と、おかみさんには随分しかられもし、又、反対もされましたが、女の悲しい性にも引きづられるようにして、再び、この道に、自分という者をこの世の中から葬り去ってしまいたいと云う思いもあって、今度は、敢て、自分からそんな世界に飛び込みました。
 しかし、毎夜、見知らぬ男に抱かれ続けることのむなしさにさいなまされ続け、奈落の果ての今の生活に、自分でいい加減に見切りをつけようにも、その道も洋として分らず、自分が自分でないままの自分に追いやらされている毎日でした。 
 そんな時の、不思議な出会いでした。
 「きちです」とお名乗りになられたそのお姿に、小さいときから自分の支え神と信じてきた「さえの神様」が重なるようにして突然に小雪のまぶたの裏に入ってきます。そして、[ああ、やっぱり小雪はまだここに生きてるのどすな」と、久しぶりに自分が自分であるという意識をとりもでし、母の姿と、先ほどの老婦人とが入れ換わり立ち替わり、不思議なのですが入り乱れるように胸中に出入りします。
 そして、決して返事のもらえない塀の向こうに消えるように去っていかれたあのお姿に向かって、「かあさん」と、声のない声が小雪の体を駆け巡るのでした。

 中山颪の風が 細谷の瀬韻を街角に運んできては、しきりに「がまんおし、がまんおし」と唸っています

小雪物語ーがまんおし

2012-04-22 09:28:29 | Weblog
 流れ落ちる今日のこの瀬音は、その歌にあるような、さやけさという感じでは決してなくて、ざわざわと、あの如月の中山颪の松風にも似た騒がしさがあるように思われました。でも、目を閉じてじっとその音に聞き入っていますと、この谷川を流れ落ちる音は、その騒がしさの中に、「がまんおし、しんぼうおし、しんぼうしい、がまんしい」とでも言うよな暖かさのある音にも聞こえて来るようにも思われ、自然と独り笑いが顔に浮かんできます。
 そこにしばらく佇んで、その小生意気そうな瀬音に耳を傾けていましたが、再び、もと来た道を引き返します。
 今そこで聞いた瀬音が、何時までも耳に残り、その音を確かめでもすろようにそぞろ歩きで帰って行きました。あの瀬音が、ひさしぶに今まで身の内に一杯に溜め込んだ澱んだあくたを吐き出し、流してくれるようでもありました。
 「ああ、さえのかみさま」
 小さく囁くように、しばらくぶりに、口から吐いて出ました。
 その途端です。曲がり角からお出になられたお人と出会い頭に、私の体ごと突き当たりました。「あっ」と思う間もなしの出来事でした。
 そのご婦人も、突然でしたのでしょう2,3歩後ろによろけました。でも、幸いにして倒れ込むという事はありませんでした。
 「ごめんなさい。ぼんやりとあるいておりましたさかい。おけがありません」
 小雪の消えんばかりの言葉。ふと顔を上げて、そのご婦人を見ました。
 「あっ おっかさん」
 思わず本当に小さな、人には聞こえるか聞こえないか分らないような吐息のような言葉が、小雪の口をついて出てしまいました。初老の、如何にも気品に満ち溢れていて、それでいてしゃんと凛々しい物腰の深そうなそのご婦人は、どうしてこうなったのかしばらく考えてでもいるかのように、そこに佇んで小雪を見ています。
 小雪が、一瞬に母かと見間違えたその女の人は、小雪の如何にも野暮ったい田舎びた椿の柄の羽織か何かをしばらく眺めていましたが、優しく声をかけてくださいました。
 「何処を宿にしているの。確かお母さんと言ったように聞こえたんだけど。どうして」
 それからしばらく何かをお考えになっているかのように、無言で私を見つめておいででした。  
 「私はつばきがとても好きなの」
とぽつんと、それもやや大きめな声でおっしゃいました。
 私が遊女だということを十分知ってお話して下さっています。遊女になって以来、女の人から、こんなに優しい言葉て話しかけられたことは一度だって経験した事はありません。
 それからしばらく間を置いて、また、そのご婦人は優しく言葉を静かにかけてくださいました。
 「言葉から言って、あなたはもしかして京の女、まだお若いようだけど一杯苦しみを持って生きているのね。おかあさんお元気なの。・・・・どうしてここに」
 小雪は、この不思議な今の出会いが、どこか知らない夢の世界で起った事のように思えてなりませんでした。
 「はい、・・・・京どす」
 ただ。それだけの言葉を出すのにも、唇に何か重い重い重石を下げているようで、胸が一杯になり、息が詰まりそうに覚えました。
 それから、又、その女の人は独り言のようにゆくりと、自分にでも言い聞かせているのではと思えるようないい草で
 「その若さで、あなたも随分と苦労した事でしょう。今あなたが言った『ごめんなさい』と言う言葉には、真心がありました。本当に素直な心の底から、今、初めて生まれたのではないかとさえ思われるような少女のような恥じらいのある優しさが見えました。今のこの辺の女にはない美しさを、あなたはお持ですね。誰にでもない女の美しさを。そうです女のです」
 中山颪の寒風が二人を通り抜けてぴゅうと吹きすさびます。しばらく沈黙が続きます。が、再び、その女の人がお話を続けられました。
 「でも、女はどんな人でも、何処に住もうと、誰であろうと、みんなそれぞれの悩み苦しみを、大きい小さいの違いはあるとしても、持って生きていかなくてはならないのです。それが女の生の悲しさでしょうか。じっと我慢をしなくては生き通せないのでしょうか。それにしても悲しい女の生ですこと。我慢だけが女の道ではないのでしょうが。でも、・・・・女にも意地もあります。人がどんな言おうとしなければならない女の道があります。悲しいけれど、あなたも強く生きるのですよ。私は、堀家のきちといいます。一度訪ねておいでなさい」
 それだけ言われて、路地を曲がられ、崩れかけの土塀にお姿が吸い込まれるように消えてしまいます。
 
 中山颪の寒風に混じった「がまんおし」の瀬音が、小雪の耳に誇らしげに小さく響びかせながら、宮内の街角を通り過ぎて行きます。

小雪物語ーおとのさやけさ

2012-04-20 19:28:56 | Weblog
 この狭い宮内にいますと、この事件に関わった人達のことが知らず知らずのうちに分りました。
 高雅様は、このお国の事を随分と憂えて、徳川様の世の中では、この国は、もはや持ちこたえられなく、新しい天子様を中心とした国作りをする必要があると、お考えになり、アメリカなどよその国に対してしっかりとした国に作り変えなくてはとお思いになったとか。また、こんな思いに、高雅様が駆られたのは、多分、あの緒方洪庵とかいう足守のおじさんの影響があったとか。お国を護るためには、まず、紀州と淡路の間に、他所の国の、大砲を積んだ大きな鉄の蒸気船が入ってこないような暗礁をこしらえる必要があるとかお考えになったとか。また、そのために、お江戸の将軍様や鴻池などの大商人に語らい、沢山のお金をお集めになって私腹を肥やしたとか。
 そして、ついに、将軍様を倒して、天子様の世の中に作り変えようと知るお人達、何でも長州や薩摩のお若いお侍様達だと言う事です。その人達にあらぬ噂を立てられ、そして、恨まれて、あのようなむごい殺され方をされたとか。
 そんな噂があちらこちらから飛んできては消え、消えては、また、囁かれたりしています。そんな噂が自然と小雪の耳にも届きます。
 世間は、先生のようだと小雪は思いながらも、いろんなお人からの噂が次から次えと聞こえてまいります。でも、新之助様の噂は、いくら耳を欹てていても、小雪が思うようには届きませんでした。
 こんな噂話に入り混じるようにして、お正月様がやってきました。みんな小忙しく身を粉にするように合いも変わらず働いています。そんな今年は、正月以来例年になく長いこと冷え込みが厳しく、ついつい家に籠りがちだったのですが、小正月が過ぎて、2、3日した頃だったでしょうか、春のような随分と温かい日がありました。
 吉備津のお社の中の、清龍池に、小さな島にかあり、そこに赤い祠があり。それが「さえのまみさん」だと、何時かお客様だか宿の姐さんだかに聞いたことがありました。今日の俄の温かさに、ついふらふらと小雪は、そのお宮さんにお参りすることにしました。
 お参りする人は誰もいない、ぐずれかけたような薄汚れた赤っぽい祠がありました。温かい日差しの中で、久しぶりに随分荒れ果てた両の手をそっと合わせ、恥じ入るように「こんな私でもお守りください」と小さく小さく拝みました。誰もいない太鼓橋を一歩一歩踏みしめながら元来た道を通り、街の路地に入りました。年末に降った大雪が、家々の軒下などに薄汚くなって残て下ります。その残り雪に当って、きらきらと跳ね返ってくる春の日の光が暖かく町全体を覆い尽くしています。崩れそうな花街独特なわびしさが、家々の格子の窓に、屋根の瓦に映って見えます。そんな通りを、小雪は、ただ一人、とぼとぼと歩みます。
 その道を少し行くと、ややあって中山から流れ下る細谷の小さな瀬音を耳にする事が出来ました。雪解け水で、何時もよりは大きく瀬音を小山に響びかせています。
 「まかねふく きびのなかやま おびにせる 
            ほそたにがわの おとのさやけさ」
 この歌も、この宮内に来てから、宿の姉さん達から教わったものです。

小雪物語 新之介様

2012-04-18 20:32:57 | Weblog
お店の玄関を出てすぐです。お稲荷様のお社の側に川端柳があります。
 そこに、林様がお迎えした大藤の高雅様を待ち構えた数人のお武家様がいようなどと。
 一斉に数人の覆面の武士達が「天誅」とか、なにか叫んだと思うと、やにわに高雅さまに、刃が切り落とされます。新之介様にも、私にまでも、それらの覆面のお人の刀が振りかざされました。私をかばうようにしたいた新之介様は、ほんのあっという間に、私のこの目の前で、無常にも「思い知れ」とか何か大声で言ったお人に切りつけられ、「ううー」と新之介さまもお倒れになりました。「剣術にはある程度自身がある」と、おしゃられていた新之助様ご自身のお刀を、お抜きになる暇さえなかったのではと思えるような突然の出来事でした。
 その刀は、更に私にと向けられたようですが、その場に、丁度通りすがりの片島屋の万五郎親分さんに危うく助けて頂きました。この宮内に連れて逃げてくれたのでした。
 河内屋のおかはんに、どう話をお付けになったのかは分らないのですが、兎に角、後で聞いたのですが、林様ともご相談なって、私はあわただしく、しかも逃げるようにして京を後にしたのです。
 万五郎親分さんのお話ですと、私自身の命もその時、どうなるやら分らないという緊急の状況で、すぐにでも身を隠さなくてはならないとお思いになり、林様とご相談なさって、この宮内に取りあえず隠す事にしたのだそうです。私自身の全くあずかり知らない世界の出来事だとも、聞かせいただきました。
 その後、この宮内に落ち着いてから、京から吹く東風によりますと、三条通りの高札場に、あの大藤高雅様の首が懸けられてあったと伝えられておりますす。なお、残念ではありますが新之介様については全く知る由もございません。
 なお、その後、この宮内でも、この事件のうわさは根堀り葉堀り、ささやくようにしばらくの間、人々の間を流れ流れしていました。
 しばらくたってから、新之介様の噂もぼつぼつ人の口に昇ってくるようになりました。
 それによりますと、新之介様は、庭瀬藩の足軽るの子で、早くから神童とか何かと言われながら、足軽るの子ということだけで随分といじめられて育ったようでした。学問だけでなく、武術も秀でていて、この藩で若者の中で、1,2を争うほどで、それもまた、上役の子供達のためにいじめの対象になったということです。
 それがひょんなことから、大藤高雅様の「後松屋」に入門してようやくその才能が芽吹きだし、生涯の師匠として大藤高雅様に付き添い、お若い命を落とされたのだ、と、噂されていました。
 

小雪物語―人が生きると云うこと

2012-04-15 17:07:53 | Weblog
 相も変わらず西国の重たい雪ががしゃがしゃと降りしきっています。急に京を逃げ出し、この宮内にきてもう半年ななりますが、何やかやといりまじって、どうして私がこんな西国の鄙の町、宮内にいるのか、本当に何が何だか訳の分からない世界に放り込まれたように気分に成ることがしばしばあります。

 京にいた時、ひょんなことから、備州倉敷の薬問屋の林様にお情けを頂いてこの方、事あるにごと、いつもお側に侍らせて頂いているのです。今晩も、その林様のご指定により、この京でも指折りの老舗「泉屋」の離れ座敷に招かれ、その林様のお客様とご同席したのです。
 なにやら、お話が込み入って来た時、林様が
「大藤様とお二人で話しがある、そこのお若いのちょとばかり席をはずしてくれんかのう」
と、言われます。
 用意されていた別のお部屋で、しばらくは、林さまのお客さま、その人は新之介様というのだそうですが、この若いお武家さまと向き合ったまま黙って座っていました。
 しばらくは無言のままの時間が二人の間をするりと通り過ぎて行くように思われます。どのくらい経ったでしょうか、何処かの部屋からでしょうか、何やら陽気な歌声が、突然として鳴り響きました。
 それが合図であったかのように、新之介さまはご自分の国のことやら何にやらかにやらと、随分と早口で、私がそこにいるのを無視するかの如くに、独り言のように本当に心を込めてお話になりました。そのお話を、私は遠い遠い国のお伽噺かなにかのような真新しさを覚えながら、面白く聞かせていただきました。このような話は、小雪にとっては、いまだかって経験したことがない不思議な世界の物語でもありました
 そんな新之介様と言われる若いお武家さんのお話は、小雪が今までに見たことも聞いた事もないようなそんな国があることも知らないような備中と言う小さな国の田舎町のこてですもの。小川で釣った小鮒の話、海に浮かべた船で釣った鯛の話、泥の中を駆け回って追いかけた鯉の話、剣術の先生や友達との試合の話など、総てが物珍しくまた面白く「男はンの世界だな」と、新之介様のなさるお話がこのまま何時までもづっと続いて欲しいものだと、ふと思いました。
 小雪には、男の人と、それも自分と余り年端も違わない男の人と、これほどゆったりお話したことはありませでした。
 男の人といえば、逢えば、すぐ、いやらしいじろりとした目で、まず小雪の胸や腰辺りを眺め回しながら、ぐいぐいとその胸の中に抱きこまれる事ばかりでした。いくら嫌でも「嫌だ」とはいえない悲しさが、何時も自分を包んでいました。身の回りを取り巻くように絡み付いていました。お金という、人が作り出した物で、人一人をがんじがらめにくるりくるり巻き上げて、自分ではどうしようもなく、ただ、人の言うまま立ち振る舞わなくてはならない自分が悲しくて悲しくてなりませんでした。その中に入り込んでしまった自分を何時も呪っていました。
 そんな小雪を人として扱ってくれたお人は林さまを除いていませんでした。その林さまとも、又、違う新之助様とのお話は、本当に小雪を感激させました。そのお話を聞いていて、心が落ち着きます。安心があります。わくわくした浮き立つような心があります。お話を聞く喜びも、また、楽しささえも湧いてきます。総て、今まで知らなかった新しい新鮮な事ばかりです。出来たら、もう一度でも、二度でも、新之助様のお話を聞きたいものだと思う心が自然と小雪に生まれてきました。小雪を「遊び女」ではない、自分と同じ人として、普通の女としてお話してくださいます。尊いお人を仰ぐように、そのお話を聞いておりました。
 「人はつらいもんだ。瘠我慢の連続だ。それが生きることなのだ。私には、まだ、ようわからンが、そんな気がする」
 と、じっと小雪の方を見て言われました。新之助様の目とキッと合ったように小雪には思えました。
 そんな時、泉屋の姐さんが「もう戻って来いとのことどす」と、お迎えが参りました。なんだかとても突然につまらないような情けないような気分になりましたが、急いで、新之介さまと、お二人のお部屋に立ち戻りました。
 「話は済んだ。お前もお客はんと一緒に、お帰り」
と、いう林様のお言葉に部屋を追い出されるように、泉屋のご門をくぐりました。 その時、その一瞬の後に起ったことを誰が予測できたでしょうか。

小雪物語―小紋の蝶

2012-04-14 14:38:50 | Weblog
京という20年近くも住み慣れた土地を離れ、このような鄙に暮らそうなどということは、かって考えもしなかった突然に降って湧いた様な出来事でありました。
 小雪には、今、ここにこうしている自分が不思議で不思議でたまりません。たまたま命永らえたのは、きっと、母が深く信心した「さえのかみ」のご加護であったのかもしれないかと、うらめしく思い寄せるのでありました。
 あの時いっそという思いも、一方にはあったのですが、現実、今ここにこうして生きている自分をどうする事も出来なくて、うら悲しさが、次から次へと舞い落ちる牡丹雪と一緒になって小雪の胸に去来するのです。そのような思いは、今羽織っているこの町に来てから買い入れた田舎びたやけにハデハデしい羽織の柄を見るにつけて、余計に募るばかりです。
 激流の中をさまよい下るようにして、京からこの宮内へ下り来た時、たった一つ母の形見とわが身離さず携えてきた小紫の小紋に蝶をあしらた羽織が、あれ以来一度も袖を通さないままに、部屋の隅の小さなみすぼらしい小箪笥の一番下の引き出しに入れてあります。
 しばらくその小箪笥を眺めていましたが、そっとその小箪笥に寄り、小さく引き出しを開けて、中にある母の形見の小紋の羽織に手を当てます。この鄙に来て忘れてしまっていた母の面影がほんのりと匂い立ちます。
 小窓から見える庭の南天には、牡丹雪がシャカシャカと音をたてながら、なお、降り積もっています。その音は、母の「元気出して」と囁くような懐かしい声のようでもありました。
 こんなにひっそりと降る雪の坪庭とは裏腹に、大鳥居の大通りには、吉備の中山から山おろしの風がびゅうびゅうと吹き下ろしております。こんもりと茂った大松の木々の間を通り越し、山から吹き降ろす風にあおられて、あるいは上に下に、又、左へ右へ、雪が激しく舞い飛んでいます。
 この裏と表の降る雪の違いに、ほんの数年しか経っていないのですが、その昔と今とを同時に見ているようで、人の運命の皮肉さ、厳しさをつくづくとを思い知らされています。
 相変わらず、表通りの雪はゴウゴウト唸りを上げながら、『忘れろ』『すべて忘れろ』と降り続いています。しかし、それとは反対に、降れば降るほど、激しくなればなるほど、此のアッと云うほどの間に遭遇した己に降りかかった色々な出来ごとに、底なし沼に引き込まれていくようなに、小雪の思いは重く、深くなるばかりでした。
 相変わらず、地上に打ち付けるように、宮内に降る雪は続いております。
 

小雪物語ー南天の雪

2012-04-12 13:17:27 | Weblog

 どのくらい時間が経過したでしょうか、朝のお客を送り出している姉さんでしょうか、
 「まあ珍しい。今朝はえらく冷えると思ったわ。この分ならまだまだ積もるわ。兄さん気を付けて帰ってな」
 嫌なのか嬉しいのか分らないような素っ頓狂な声が冷え切った部屋に一杯に飛び込んできます。
 それが合図であたかのように、あちこちからの障子が開く音がしたなと思ったのも束の間、「まあめずらしい」だの「帰りが大変だ」だの「いつのまに」だのなど思い思いの男や女の声に打ち消され、家中が突然の大騒ぎに変ります。
 小雪は、その騒々しさにふと目を覚まし、家中の騒ぎを毛嫌いでもするかのように布団の中に頭を押し込ませるのでした。
 でも、すぐ
 「雪?」
と、小首をかしげて、いやいやながらのように、側においてあったさも安物の田舎じみた羽織を肩に引っ掛けて、小窓の側へいざりよるのでした。
 それから一呼吸を置いて、何か怖いものでも見るように両手を添えて、2,3寸ばかりそっと窓を開けて外を見ました。
 昨夜遅く、自分の客が、如月の霜かと迷う月光に背中を押されるようにしてとぼとぼと帰って行った、吉備の中山へ向かって吸い込まれるように伸びている大通りも、吉備津神社の本宮と覇を競うようにして大空へ向かって建つ大鳥居も、怖いものなしの親分灯篭も、中山の松も細谷の流れも総てが細かく舞い落ちる雪の中にひっそりと身を潜めているように見えました。
 何気なく、ふと目を屋根の下にある、この屋の坪庭が目に入りました。
 小さな庭石の側に植えてある南天の真っ赤な実が雪綿帽子を被り、だらりと穂先を下げています。雪の白と南天の赤がしきりに降りしきる雪景色に、なんともいえない清々しさを描いています。
 この景色は、定かではないのですが、小雪は、かって見たように思えてなりません。
 確か、京の四条の小路だったと思います。母と子が互いの凍えかじかんだ手と手をしっかと握り占めながら、無言で降りしきる雪の中を母の羽織で覆って歩いた4歳か5歳の昔の記憶がおぼろげではあるのですが、この雪景色の中から甦ってきます。
 何処をどう歩いたかは分りませんが、尼様のお寺で頂いたおかゆの温かかった事が記憶に今でも残っています。それから、尼様の後ろに掛けてあった雪を被った南天の絵も、どうしてかは分らないのですが、子供心にやけに強く残っていたのです。
 かって、尼様の後ろに見た絵と、今、目の下にある実際の景色が全く同じように重なって見えます。
 庭の南天に降りしきるその雪を、しばらく見つめていた小雪の目から一筋の涙がさっと流れ落ちました。それを合図にしたように、後から後から、堰を切ったようにとめどなく流れ湧いてきました。
 降る雪の白さにか、それとも南天の赤にか。いやいや、自分の身に、今日の降る雪のように振りかかった20年という時に対する涙でありました。
 母の病、借金、・・・。
 お定めを絵に描いたような女にしか味わえない苦悩。
 「新之介」という名前しか知らない、まだうら若いお人から頂いた心も身も一瞬に蕩けそうになる男の人の情。
 そんな思いがごじゃごじゃになって、今一挙に、この雪の朝、小雪の涙となって現れたのです。




細谷の流れ

2012-04-11 10:59:43 | Weblog
 
 小雪は、そっと目を開けました。障子を通して、まだ明けやらぬ朝の光りが薄ぼんやりと浮かび上がってきます。夕べの客も早立ちして、部屋は深々として、布団から一寸出した手にさえ如月の寒さが寄せ来ます。
 男を送り出した後のややなんとなく薄ぼんやりとした気だるい気分で、布団に、自分の体を人ごとのように横たえています。
 そして、いつも、無意識のように体の何処から出るのか分らないような「あーあ」とも[アーン」ともつかない言葉にならない言葉が、口を付いて出るのでした。
 この宮内に流れ着いてからもう早いもので七ヶ月年が過ぎようとしています。
 ふと今でも、京のあの「尊王だ、やれ、佐幕だ」と、わけも分らない男の人達の身勝手な空騒ぎの中に、否応なく自分も押し込められていったあの時が、頭に飛び込んできます。
 お人が、至る所で、『正義だ』とか、やれ『天誅だ』とかで、いとも簡単に切り殺されています。三条大橋の袂の高札場に人様のお首が、毎日のように無惨にかけられています。薄笑みを浮かべて平然と、お人をお切りになるお武家さんの噂も耳にしたこともありました。
 「まこというのは、平気でお人を殺してしまわれることでっしゃろか」
 と、おしげさんが出っ歯を突き出しながら小さく笑っていって言ったことも思い出されます。
 「天子さまの御為とか何とかと言っても、やっている事は、江戸のお人と同じことどす。人をあやめて得意げになっているだけのことどす」
 「人を殺すのが男の生きがいだなんて、へんてこな世の中でおす」
 「みんな男の身勝手どす。まちがいおへん」
 「口では、偉そうにお前達、女どものためだなんて言っているくせに、結局、男さんたちの自分勝手でおます」
 「男さんたちは、だれもかれもがしたい放題のことがやれて、ほんとうにうらやましい世の中どすな」 
 「私も男に生まれてきとうおましたなー」
 「そうどす。そうどす。女なんてつまんのうおす」
 と、いつもここに話が落ち着きます。

 どうしてそんな世の中になってしまたのかしらと、小雪たち京の女達はみんな思っているのです。そんな騒ぎの中にとっぷりと溶け込んでしまった小雪の心が、朝の布団での「あーあ」の言葉の中に入っているようです。


 こんな風にして「小雪」の物語は始まります。



小雪物語の始まり

2012-04-10 16:58:44 | Weblog
 
 私の住んでいます吉備津には、ご存じ「吉備津神社」をその懐に抱いている、本居宣長の四天王の一人であった藤井高尚がこよなく愛した、「吉備の中山」がその姿を見せています。そんな吉備津ですが、今日、桜が満開を迎えました。四季を通じて最も美しい時期なのです。
 このお山は瀬山陽が鯉が泳いでいるようだと称賛したとかで、別名「鯉魚山」「鯉山」とも呼ばれているのです。この中山の一番西側には、お魚の尻尾(おにぎり型)みたいな形をしている三角形のお山があります。飯山(いいやま)と呼ばれています。
 
 この飯山の麓の一角に、はいつくばうようにして「片山墓地」が広がっています。此処には、この地域の人々のお墓のほかに、当時、山陽道随一と歌われていた遊興の町「宮内」にいた多くの遊女のお墓も多く見ることができます。また、ここには、当時、これも山陽道一の大親分と歌われていた岡田屋熊次郎親分のお墓もあります。その側には、これまた、この大親分を見守るようにして、熊次郎親分の4天王の一人、子分の片嶋屋万五郎の墓も見ることが出来ます。
それから、これも、誠に不思議なことで、どうしてこんな所にと思えるようなお墓が、この万五郎の墓のすぐ傍に並んで、高さがたった41センチというごく小さなものですが、立てられています。しかも、その墓石には、ご丁寧に「玉樹涼陰信女」という戒名まで付けてあり、さらに、京都 俗名小雪 行年21才とまで彫られているではありませんか。
 
 此の墓をかって調査された藤井駿先生は、昭和44年に、この小さく「小雪」とお刻まれている墓石に葬られている女性は、文化文政の頃ですが、宮内にいた京都出身の遊女だという事を発見されました。

 
 当時、宮内にいた「遊女」の数は100人は下らなかっただろうといわれています。当然、この宮内で、若くして悲運な内に命を落とした遊女も相当多くいたと思われます。彼女たちは、戒名もなく、その他大勢の一人として、無縁墓地に葬られています。
 それなのに、なぜ、この小雪だけのお墓が、41cmと、小さいながらにも、それも万五郎と同じ場所に並んで、「玉樹涼陰信女」という立派な戒名まで付けてもらって立てられたのでしょうか。余りにも他の遊女と違い、特別に優遇され過ぎているようにお思いになりませんか。

 それらの理由は、なに一つこの地に言い伝えとしても残っていません。永遠の謎として、ただ小さな墓石があるだけで、永久にその訳は知ることはできません。

 そこら辺りを私の心の中の作り話として、語りかけてもいいのではないかと思いまして、少々これも長くなりますが、書いてみました。よかったら目を通してみてくださいね。

 なお、2007年2月から、このブログを通して、この物語は書き綴ています。その再録です。念のために。