私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

磐姫皇后の嫉妬(うはなりねたみ)⑧

2009-07-30 13:49:29 | Weblog
 また、本題に戻します。
 大后である磐日売命の嫉妬が、どのように激しいかここでちょいとご紹介します。
 あの吉備海部直の女、黒日売が、その身に及ぶ差し迫る危機を感じて吉備に大急ぎで帰ろうとしたっぐらいです。日本の正史(と、言っても「古事記」だけに書かれているのです。日本書紀にはこの話は載っていません)に書かれたぐらい激しい嫉妬深い大后でした。相当あこぎな仕打ちを相手の女性にやったのではないかと考えられます。
 
 さて、大后磐日売命に仕える大倉女、「はした女」に(多分、皇后の衣服などを洗濯ししたり、アイロンを当てたり、破れ物を繕ったりするような、ごく下っぱな女であったのでは?)語った吉備の児島の仕丁(よほろ)の都の噂は、次のように古事記には書かれています。

 「天皇(仁徳)はこの頃、大后磐日売命の不在をいいことにして八田若郎女と夜も昼も<戯遊(タワレマスヲ)〉・・・・」   ◌
 と。
 この戯遊とい言葉は現在の言葉に直すとすれば、「遊びほうけている」と言うぐらいの感じの言葉だそうですが、何かセックス的な匂いがいっぱいにする言葉だと思います。
 「一日中、お二人で、宮殿内でねちゃねちゃと、◌ ◌ ◌ ◌ あっておられる」と、いうぐらいの、余り上層階級の人たちの間では使われていないような、下ス者の使うような下品な言葉だと思います。

 此処で、この二人のはした女の会話をお聞きください。
 「・・・ところで、今、難波の都じゃあ、天皇さんの噂を、ぎょうさんしているでえ。あんた知とってん・・」
 「どんな噂?・・うちー、長いこと、紀の国へ行っとたさかい、近頃の都の話なんか、とんと耳に入っておらへん。、どんな噂・・・・そげんじらさんと、はよう聞かしててな」
 「そうじゃったなー。長えこと、都にゃあ、おりゃあへんかったけえ、知らんじゃろうなあ。」
 
 と、言うことで、吉備の女が、難波の女に、八田若郎女と天皇の話を語ったのです。

 続きはまた明日に。